第二章 仮魔女と山火事

第二章(1)

 おやつの時間になっても、リンはレポートに没頭していた。

 さっきお茶とお菓子を出してから、一時間近くがたっている。既に日が暮れかけていて、少し前に出した光珠がくっきりと自己主張をし始めている。マリアラは身震いをした。寒い。

 もうすぐ日が暮れてしまう。緯度の高いエスメラルダの日暮れは毎日刻々と早くなっていて、驚く程の速さで暗くなる。風も出て来て、温度も下がり始めている。そろそろハウスに戻らなければならない。真っ暗になってから移動するのは危険だ。

 マリアラはラクエルだ。日が暮れたら風や水を使うことができない。

 でも、リンの集中を邪魔するのも気が引ける。レポートにこんなに集中できるなんて、とても貴重なことだ。ましてやリンにとっては『国外追放の瀬戸際』なのだし、波に乗って書けるうちにできるだけ書いてしまいたいだろう。

 でも、寒い。風邪を引かせたら大変だ。

 マリアラは左巻きだから、もちろん、ハウスに戻れば風邪を治療して上げられるけれど――いくら魔女でも、風邪の治療には睡眠が必須だ。寝込んでいたら試験が終わってしまう。

 するすると落ちて行く秋の夕日を見ながらマリアラはそわそわと髪の一房をいじった。

 どうしよう。

 それに、右巻きたちが一向に現れない。

 さっきリンに励まされて、少しだけ心の準備ができそうだというのに、右巻きたちはやってくる気配さえない。“ゲーム”はとっくに始まっているはずだ。いっそ早く見つけてほしいとまで思う。生殺しとはこのことだ。

「……右巻きの人達、来ないねえ」

 ずっと没頭していたリンが、まるでさっきまでお喋りしていたことの続き、とでもいうような口調で言った。マリアラはギョッとする。

「え……えぇ!?」

「いやー、そろそろ来てもいいんじゃないかって思、ふわあ」

 リンはあくびをし、うーん、と伸びをした。マリアラはどぎまぎした。

「り、リン、そろそろひひ日暮れだから。ハウスに戻ろ。ね」

「あーほんとだー」リンは間延びした口調で言う。「あー、なんかー……疲れた。でもいっぱい進んだよ」

 そして嬉しそうに笑った。マリアラも微笑んだ。

「すごく集中してたもんね。ハウスに戻って、甘い物食べよっか」

「うん」

 マリアラは急いでその辺を片付けた。リンが資料とレポート用紙を片付けた机も縮めて、ポケットにしまう。そうこうしている間にも辺りは既にかなり暗い。リンはずっと剥き出しだった手をさすっている。

 そうしながら、言った。

「あのね、マリアラ。心配することないんだよ」

 マリアラは顔を上げた。

「え?」

「相棒のことはよく、わかんないけどさ。でもね……あたし最近、気づいたんだよ。男の子たちはあたしを『幸せな気持ち』にしてくれるだけで、『幸せ』にはしてくれないんだよね」

「……え?」

「んー、うまく言えないんだけどさ……幸せってさ、結局主観じゃない? お伽話でもよくあるじゃない、お金も宝石も美しいドレスもぜーんぶもらえるお姫様と、毎日一生懸命汗水垂らして粉まみれで働いている粉屋の娘。お伽話では粉屋の娘が王子様に見初められてお姫様になりました、めでたしめでたし、ってなるよね。でも、粉屋の娘はそれで本当に幸せになったのかな? 毎日退屈で飽き飽きしてるかもしれない。昔は新しい粉の配合に没頭して、あったかい家族に囲まれて、毎日充実して楽しかったのかも。どっちの方が幸せかなんて、本人にしかわからない。大事なのは自分が『幸せ』だと思うかどうか。

 だから結局、王子様は、娘にいろんな『幸せになるための条件』を整えてくれるだけなんだよ。自分を『幸せ』にできるのは、自分だけなんだ。……それ言ったら前、クラスの子に、夢も希望も無いって言われたんだけどさ。でもあたしは、やっぱりそう思う。だから」

 リンは照れ臭そうに笑った。

「相棒は、マリアラを『幸せ』にも『不幸せ』にもしない。ただ、マリアラの毎日の一要素に加わるだけ。強い影響力はあるけど、『幸せ』になるかどうかは、やっぱりマリアラ次第なんだよ。相棒が誰になろうと、その人は、マリアラの代わりに左巻きの仕事をしてくれるわけじゃないよね」

「……ああ……」

 マリアラは呻いた。自分の抱いていた不安の、自分では分かっていなかった原因が、リンの口から明確な言葉となって示された。それがあんまり、劇的だったので。

「そっか……」

 相棒を得ることで、相棒が誰になるかで、自分の魔女としての生活すべてが決まるような気がしていた。

 だから不安だったのだ。

「そうだよ。大丈夫だよ、マリアラ」

 夢も希望も無いなんてとんでもないと、マリアラは思った。

 何という福音だろう。

「……ありがと、リン」

 もどかしい。どうしてこんなことしか言えないのだろう。

 なんて言っていいのか分からなかった。どう言えばこの気持ちを伝えられるのだろう。リンはにこっと笑った。疲れの残る、でも優しい笑顔だった。その笑顔を彩る光と陰の濃さに、周囲の暗さに気づいた。

 見上げると、梢の透き間から見える空はほとんど夜だった。ちらほらと星が見える。西の方の空が真っ赤に染まっている。

 慌ててミフを取り出し、マリアラはリンを後ろに乗せた。光珠の明かりがあっても、足の先がもうほとんど見えないほど暗かった。光珠をミフの柄の先につるし、ふたりを乗せた箒はふわりと浮かんで、がさがさと枝をこすって木々の梢の上に出た。

 そして赤い光の正体に気づいた。

「――なにあれ!」

 リンが叫んだ。マリアラは何も言えなかった。

 西の空が真っ赤に染まっていたのは夕焼けではなかった。

 かなり遠く、二キロほど先の森が、激しく炎をあげて燃えているのだった。

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