魔女の遍歴

天谷あきの

プロローグ

 休憩所は、外から見ても混雑していた。仕方がない。まだ九月の終わりだというのに、真冬のような大吹雪が襲ってきたのだから。


 吹雪が来たら、休憩所へ逃げろ。

 幼年組の子供たちが学校でたたき込まれることのひとつだ。


 でもまさか、孵化した今も、その教えに従う事になるとは思わなかった。そう考えながら扉を開けると、ふわっと暖かな風がふきつけた。


 ほっとしながら中へ入り、靴脱ぎでブーツを脱ごうと身をかがめた、時。

 聞こえていた賑やかなおしゃべりが、すうっと止んだのに気づいた。

 顔を上げる。

 正面の机に、かつて『仲間』だった少女たちが、いた。目を丸くして、驚いている。一般人のための休憩所に仮魔女が来るなんて思っていなかったのだろう。驚いた表情が見る見る強ばり、蔑むような、取り繕うような、冷たい仮面をまとう。


 ――ああ、しまった。

 そう思った。その心の声が聞こえたかのように、三人の少女はマリアラからすっと目をそらす。暖かいはずの休憩所が急に冷え、よそよそしくなったように感じた。


 ――覚えがある、この感触。

 そう、一年前、孵化したばかりのあの時、こんな感じだった。仲が良かったはずの友人たちが、潮が引くように周囲から消えていった。もうわたしは彼女たちの『仲間』ではないのだと思い知る、寄る辺ない二日間の記憶――。


 孵化したのはわたしのせいじゃない。裏切ったわけでも、出し抜いたわけでも、抜け駆けしたわけでもない。わたしにどうすればよかったっていうの? 自分達がどんなに理不尽なことをしているか、わかってるの?


 そう言いたいのに、言えなかった。言葉が胸の奥でつっかえて、ただ、俯くことしかできなかった。

 そして今も。


 ――どうして、こんなところに来ちゃったんだろ。


 もう二度と、会うこともないと思っていたのに。

 もう二度と、彼女たちに排斥されることはないと、思っていたのに。

 もう二度と、あんな孤独を感じずに済むはずだと、思っていたのに……



 雪の降りしきる外から来た身には、休憩所はとても暖かかった。少女たちはマリアラに背を向けるようにして、ことさらに楽しげに再びおしゃべりに興じ始める。今さら引き返すのも自分の無力さを認めるようで悔しく、マリアラは意を決してブーツを脱ぎ、休憩所の中に入った。


 ――〈アスタ〉に指示された休憩所はここだから、出て行くわけにはいかないの。


 視線を合わせない彼女たちの横顔に、言い訳してしまう自分が情けない。

 休憩所の入口には、靴の汚れ落とし器と、コート乾燥機が並べておいてある。ブーツを汚れ落とし器にセットし、綺麗なスリッパを取り出して履いた。続いてコートを脱いで、マリアラは思わず息を止めた。


 コートの下は、仮魔女の制服姿のままだった。


 おしゃべりに興じる三人の声が一瞬途絶えた。やはり彼女たちもこちらを気にしているらしい。マリアラは唇を噛みしめ、コート乾燥機にコートを押し込んだ。


 汚れ落としはともかく、乾燥機はもはやマリアラには必要ない。

 けれど、彼女たちの前でコートを魔力で乾かす勇気はなかった。


 でもすぐに、ひそひそ、囁く声が耳に届き、泣きたくなった。乾燥機使ってるわ、必要ないくせに――そう言われたのがわかって、ああなんてわたしは弱いのだろう、と思った。どうして乾燥機を使ったりしたのだろう。これでは、コートが乾くまでここから動けない。乾燥機を使っても使わなくても、どちらにせよ彼女たちには嫌みだと思われるのだから、知らん顔して自分で乾かして、さっさと奥に行けば良かった。


 耳にふたをできればいいのに。

 ひそひそ囁く声が、聞こえなくなればいいのに。

 誰に何を言われても平気なくらい、強くなれればいいのに。


 コートが乾くまで約一分かかる。普段ならばすぐに過ぎ去る時間なのに、今日はやけに長い。マリアラは乾燥機の扉に付けられた鏡を睨んだ。

 見慣れた自分の顔が、泣き出しそうに歪んでいる。


 マリアラは平凡な少女だった。クラスの中に必ず一人はいるような、おとなしくて目立たない風貌をしている。灰色の瞳は影が薄く気弱げな印象だ。十人並み、という言葉が一番しっくりする。


 けれど亜麻色の髪だけは、長く豊かで、数少ないマリアラの自信の持てる箇所のひとつだ。膝まで届くほどの長さの髪をひとつにまとめ、真ん中を気に入った布でくるむという髪型はエスメラルダの伝統的なもののひとつで、平凡なマリアラの外見を彩っている。灰色の仮魔女の制服にも良く映える――少なくともいつもはそう思えるのに、今日はわずかな美点であるはずの髪でさえ、色あせてくすんでいるように見える。


 やっとコートが乾いた。急いで取り出して、親指大に小さく縮め、ポケットに入れた。汚れの落ちたブーツを同じように縮めてこれもポケットにしまいながら、そそくさと歩き出す。


 三人の傍から離れると、やっと息をつけるような気がする。

 おかしい、と思った。喫茶店にひとりで行くことも、町をひとりで歩くのも平気だし、全然苦にならないのに、どうしてかつての友人たちの前でひとりでいることが、こんなに辛いのだろう。


 ――はやく魔女になりたい。


 魔女になれば、この宙ぶらりんの状態から解放される。

 でも。

 万一仮魔女の最終試験に失敗して、一般学生の身分に戻されることになったら――

 そう考え、マリアラは身震いをした。考えるだけで恐ろしい。





 奥の方は人もまばらで、あいているソファもいくつかあった。窓辺のソファに席を決め、〈アスタ〉に連絡しなければ、と思う。その前に飲み物でも買おうかと自動販売機へ歩み寄る途中で、ふと、窓の外に三人のマヌエルがいるのに気づいた。


 雪かきのマヌエルが、この路地に差しかかったらしい。

 他の人たちもそれに気づいて、何人か窓辺に寄って来た。マヌエルの雪かきはとても派手で、見る分にはすごく面白い。彼らの雪かきを見るために、わざわざ外国から観光客が来るくらいだ。また同時に、猛威を奮う雪害からエスメラルダを守る、漆黒の制服を着たマヌエルたちを目にすることは、かなりの安心感をももたらしてくれる。来る日も来る日も降り続く雪と、それを溶かす漆黒の制服、町のメンテナンスをする清掃隊の青い制服は、冬のエスメラルダの風物詩だ。


 マリアラはちょうど折よく雪かきに遭遇した幸運に頬を緩めて、休憩所にいた人たちと一緒に窓の外に目をこらした。

 左巻きの魔女であるマリアラは、人々の治療に携わることはできても、雪かきや

護衛の仕事に携わることはできない。ゆえに右巻きのマヌエルたちは羨望の対象だ。一般的に、右巻きの方が左巻きよりはるかに魔力が強い。マリアラには路地の雪を一瞬で溶かすなんてできないし、できたとしても一ブロックで疲労困憊だろう。


 彼らは若かった。まだ十代だろう。周囲を見回し、何か話し合っている。ややして、ひとりがこの休憩所に目を止めた。中の誰かを見ながら、仲間たちと一言二言言葉を交わした。


 ――雪かきじゃ、ないのかな?

 考えていると、そこに、もうひとりのマヌエルがやって来た――


 まだ明るい時間だったが、降りしきる雪はいよいよ激しさを増し、そのマヌエルの顔はよく見えなかった。けれど、背の高い人だというのはわかった。箒で飛んで来たその人が地面に降り立つと、先にいた三人がその人を取り囲んだ。

 三人は口々に何かを言い、その人に頭を下げる。その人が何かを言う前に、ひとりが押し切るように両手を合わせた。宥めるように笑い、早口で何かを言っている――


 ――あ。

 そこで気づいた。

 先にいた三人は、最後に来たあの背の高いマヌエルに、雪かきを押し付けようとしていた。


 背の高いマヌエルは、文句を言ったようだ。でも三人はそれ以上聞いていなかった。逃げ出すように走ってこの休憩所に駆け込んで来て、声を張り上げた。


「失礼しまーす!」


 若い彼らの狙いは、入り口近くでお喋りに興じていた、あの三人の少女たちだった。


「もうすぐ日暮れです! 未成年女子は女子寮まで送ってくから――」


 きゃあー、と華やかな声が上がる。マリアラは目を凝らして、雪かきを押し付けられてしまった、背の高い気の毒なマヌエルの姿を見ようとした。


 確かに、吹雪に閉ざされた休憩所で、未成年の少女は優先的にマヌエルに送ってもらえる。誰でも利用できる休憩所で夜を越すようなことになると、さまざまな弊害があるからだ。マヌエルにとって大切な仕事のひとつだろう。


 でも雪かきと、可愛い女の子を送って行く仕事とでは、どちらが楽しいかと考えると……

 損してる、と、マリアラは考えた。あのマヌエルは気の毒だ。


「いいんですかあ? まだ雪かきがあるんじゃ」


 いそいそと帰り支度をしながら少女のひとりが言い、マヌエルが笑いながら答えるのが聞こえる。


「大丈夫だよ。あいつの魔力は底無しだから」


 その時。

 歓声が上がった。マリアラも息を飲んだ。


 厚いガラス越しにもその音が聞こえた。蒸気が吹き上がり、視界が一瞬消えた。そして湧き起こった風が、鮮やかに、蒸気を吹き散らした。


 マリアラは呆気に取られた。

 この窓から見える路地や屋根や生け垣に積もった雪が、一瞬で、綺麗さっぱり消えてしまった。


「な? 言っただろ。あいつの魔力は底無しなんだ」


 少女たちをエスコートして出て行きながら、マヌエルのひとりが言うのが聞こえた。

 だから彼ひとりに雪かきを押し付けても構わないのだと、言わんばかりだった。


 と。

 背の高いマヌエルが、こちらを見た。


 黒々とした瞳がマリアラを捉えた。コートのフードを被っていたが、その髪も眉も、瞳に負けないくらい真っ黒なのが見て取れた。明らかにマリアラより年上だ。でもどことなく少年っぽい印象の若者だった。幼年組の子供達と一緒に雪の中で転げ回って遊びそうな。眉がくっきりとしていて、一本気な内心をうかがわせる。


 すぐに彼は目をそらした。少女たちを後ろに乗せた三人のマヌエルが次々と飛び立って行くのには目もくれず、彼はそのまま歩いて行った。行く先で蒸気が上がり、見る見る内に、町に覆いかぶさった雪を溶かしていく。


 ――押し付けられたのに、ちゃんと、雪かきするんだ。

 マリアラはその後ろ姿を見送りながら考えた。


 ――偉いなあ……

 自分だったら、と、考えた。不当な扱いを受けたことに、くよくよしてしまうだろう。さっき、あの三人に無視され、ひそひそ陰口を叩かれた時のように、その場から逃げ出したくなってしまうだろう。

 その背を見送りながら、マリアラは考えた。


 ――あの人は、強いなあ……。




 それから、三時間が過ぎた。


 ララはまだ来ない。マリアラは本を読んでいたが、一冊読み終えてもまだ連絡がこないことに、さすがに不安になってきた。日は既にとっぷりと暮れ、さっきのマヌエルが溶かした雪も、また元どおり積もり始めている。休憩所に残っている人たちはもはや全員が男性だった。あれから何度かマヌエルが来て、女性をひとりずつ送って行った。吹雪はいよいよ激しくなり、残っている人たちは既に寝支度を始めている。


 〈アスタ〉に連絡しようか。どうして自分で帰ってはいけないのだろう。マリアラは居心地が悪くて身じろぎをした。休憩所にいる人たちも不審に思っているらしく、ちらちらと視線を投げて来る。

 制服のままだから、マリアラが仮魔女であることは一目瞭然だ。

 だから、なぜマリアラが帰らないのか、不思議なのだろう。マリアラ自身も不思議だった。どうしてこんなところで、ひとりで待っていなければならないのだろう……


「帰らないの」


 声をかけられ、びくりとする。見ると壮年の男がひとり、酒瓶を手に近づいて来ている。つんと酒の匂いが鼻をつき、マリアラは反射的に身を強ばらせた。

 男は少し呂律の回らない声で言った。


「あんた仮魔女だろ。箒ないの」

「あ、あります」マリアラは咳払いをした。「でも……〈アスタ〉の指示で、ここで待機って、言われて」

「へー。まーこの吹雪だしな。あんたみたいな仮魔女がひとりでふらふら飛んだら、風に巻かれて吹き飛ばされそうだもんな」


 がはははは、と男は笑う。マリアラは心が萎むのを感じる。

 魔力の弱い自分を、見透かされたような気がした。


「あんたイリエル? レイエルか?」


 マリアラの隣にどかっと腰掛けながら男が言う。マリアラは首を振った。


「いえ……ラクエルです」

「ラクエル!?」


 男が目を剥き、聞き耳を立てていたらしい周囲がざわついた。マリアラは身じろぎをした。しまった、と思った。正直に言う必要なんかないのに。


「ラクエルの左巻きの仮魔女って、……もうすぐ試験じゃないの?」


 背後から声が投げられる。マリアラはさらに身を堅くした。マヌエルはみんなの憧れの職業であるがゆえに、その動向はちょっとした注目の的だ。マリアラは特に希少なラクエルなので、仮魔女期なのはマリアラひとりだ。ちょっとマヌエルのニュースに詳しい人間なら、それくらい把握していてもおかしくない。マリアラは縮こまり、周囲に人が集まり始めていることにぞっとした。

 どうしよう。逃げ場がない。


「マリアラ=ラクエル・ダ・マヌエルだろ。試験……ああ、明日じゃないか!」

「へえー、明日! 頑張ってね!」

「じゃあなんで帰らないんだよ。早く帰ってゆっくり休んどかないと」


 隣の壮年の男がマリアラの肩に手をおき、軽く揺すった。手は重く、不躾で、じっとりと熱かった。振り払うこともできず、ただただ身を縮めるしかない。


「相棒は? ゲームあんの?」

「あー、あるある。候補が三人いる。へえー、全員男だ。派手なゲームになりそうだなー」


 さっきから情報を提供しているのは背後にいる若い男で、本棚からもって来たらしい雑誌を捲っていた。『月刊マヌエル通信』というタイトルの雑誌はマリアラも知っている有名なものだ。マリアラは走って逃げ出したくなる衝動に必死で耐えていた。ゲームの話なんて聞きたくない。明日の試験を乗り切れるかどうかで頭がいっぱいで、ゲームのことまで考えている余裕なんかない。


 なのに、みんな興味本位で、ゲームの行方を取り沙汰する。

 マリアラにとっては一生にかかわる大事だ。明日の“ゲーム”の行方で、マリアラの相棒が決まる、ようなものだ。到底気楽に楽しむどころではない。

 マリアラの肩に手をおいたままの男が、さらに身を寄せ、その手をマリアラの背に回した。


「三人の男があんたを巡ってゲームか。いい気分だろうなあ」


 ――冗談じゃない!

 マリアラがその腕を振り払う、寸前。


 ばあん。

 休憩所の扉が音を立てて開いた。

 みんながそちらを振り返った。マリアラは驚いた。

 そこに立っていたのは、さっきの、背の高いマヌエルだった。

 黒々とした瞳がマリアラを見た。間違いない。さっきの、あの人だ。


「マリアラ=ラクエル・ダ・マヌエル」


 低い声が、マリアラの名を呼んだ。


「ララは今夜帰って来られなくなった。仮魔女寮まで送るから、支度して。返事しなくていーから」


 はい、と言いそうになり、マリアラは慌てて口を押さえ、立ち上がった。あの人はマヌエルだ。仮魔女は、〈親〉以外のマヌエルとは言葉を交わしてはいけない、という謎の伝統がある。

 でも、助かった。

 本当に本当に、助かった。

 人垣を擦り抜けて、小走りに扉の方へ向かう途中、ポケットの中で無線機が鳴った。


『マリアラ、遅くなってごめんなさい』


 〈アスタ〉の声だった。


『フェルドが手が空いたから、迎えに行ってくれるって――ゲームは明日からだから、今日のところはまだ、言葉を交わさないように気をつけてね。もうすぐ着くと思うわ、その近辺の雪かきの担当だったの』


「も、もう来てる。えっと」

「貸して」


 フェルド、と呼ばれたマヌエルが手を差し出し、マリアラは黙って無線機を渡した。フェルドは〈アスタ〉と何か言葉をかわし、はい、と返してよこした。〈アスタ〉の声がまた聞こえる。


『その子がフェルドよ。仮魔女寮の玄関まで、送ってもらいなさい』

「でも――」

『ちょっと事件があったのよ。あのね、狩人が侵入していたの』


 唐突に衝撃的なことを言われ、マリアラは目を丸くした。


「は?」

『狩人がエスメラルダの中に侵入していたの。それで、仮魔女を狙っているようだったのよ。だから警戒していたんだけど――さっき捕まったって連絡があったから。だから大丈夫。試験もちゃんと行われるから』

「そ……そう、なの?」


 何それ? 何の話? 何の冗談?

 理解がちっとも追いつかないのに、〈アスタ〉はさっさと話を進める。


『でももう暗いし、吹雪もひどいから、フェルドに送ってもらいなさい。それじゃ』

「あっ」


 通話が切れた。マリアラは呆然と、今の情報を咀嚼しようとした。狩人がエスメラルダの中に入った? 仮魔女を狙っていた? でももう、捕まった?

 ――何それ?


「行くよ」


 フェルドが言い、休憩所から外に出た。マリアラは慌てて後を追った。この休憩所から逃げ出せるのは、心底ありがたかった。残っている人達に頭を下げて、ブーツとコートを身につけ、吹雪の中に出た。

 マリアラは自分の箒を取り出したが、フェルドは振り返って言った。


「後ろ乗って。風が結構すごいから、はぐれると厄介だし。保護膜一枚で済むから」


 返事ができないのが本当にもどかしい。マリアラは恐る恐る、フェルドの後ろに乗った。箒の二人乗りなんて初めてだ。


「しっかりつかまって」


 その声を最後に、体が浮いた。

 マリアラは言われたとおり、フェルドのコートにしっかりしがみついた。少し浮くや否やフェルドが保護膜を張り、暴風と雪片から逃れられてほっとした。ふたりは黙ったまま、すっかり日の暮れたエスメラルダの町中を飛んで行った。


 荒れ狂う吹雪が嘘のように、保護膜の中は穏やかだった。

 ごうごうという音は確かに聞こえ、たたきつけて来る風と雪片は小刻みに保護膜を揺らしている。でも箒はまっすぐに飛んで行く。右巻きってこんなにすごいのかと、マリアラは圧倒されていた。マヌエルにふさわしい魔力量があれば、空もこんなふうに飛べてしまうのか。


 この人はきっとイリエルなのだろう。夢のようにゆるやかに行き過ぎていく白と黒の町並みを見ながらそう考えた。


 エスメラルダの町中は街灯が多く、吹雪の中でも真っ暗というほどではなかったが、それでもかなり暗い。光を媒介に魔力を使うラクエルには、こんな芸当はできない――はずだ。


 マリアラはラクエルだ。だから絶対に、このフェルドという名のイリエルとは、相棒になれない。

 それを少し、残念だと思っている自分に驚いた。




 魔女の相棒は、自分の意志で選ぶことはできない。学問の国エスメラルダの誇る巨大コンピュータ:〈アスタ〉が、さまざまな条件を考慮して選ぶ。“ゲーム”の勝敗が、その考慮にかなりの影響を与えると言われる。


 ラクエルの右巻きたちには、“ゲーム”に挑むか、それとも放棄するかの選択権が与えられる。


 でも“ゲーム”の“賞品”であるマリアラには、何の選択権もない。拒否権はあるそうだが、初対面の相手だというのに、どんな理屈をつけて拒否すればいいというのだろう。ただの言い掛かりに近い理由しか挙げられそうもないし、本人の目の前で〈アスタ〉相手に駄々をこねる勇気など持てるはずもない。そもそも、なぜ候補の中に、男性しかいないのだろう? 相棒が同年代の女の子だったらそれほど人見知りもせずに済むのに、マリアラには同性の相棒ができる可能性はゼロなのだ。その事実も憂鬱に拍車をかける。


 宙ぶらりんの仮魔女期を終え、ちゃんとした魔女になる日を夢見ながら、初対面の相棒を宛てがわれるその日を、心のどこかで恐れていた。――でも。


 今、初めて。

 独り身の若いマヌエルの中にも、こういう人がいるのだと、知って。

 それなら少し、希望が持てるかもしれないと、思った。マヌエルだって人間だ。いろいろな人がいる、それは当然のことだ。それならラクエルの相棒候補の中にも、こういう人がいるかもしれない。人に嫌な仕事を押し付けるような人じゃなくて。押し付けられた雪かきを、投げ出さずにちゃんとするような、人がいてくれたら――


 そんな風に、初めて、考えた。

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