第2話 端点3


わたしは、今日も学校へ通う。



しかし、学校には彼女も、浅沼くんもいない。



当然といえば当然のことだけれど、わたしはどこかつまらなく思っている。


だれかといっしょに学校に行けたらいいのに……、と。


だれかといっしょに学校へ行くのは、昔から自分のあこがれだった。


そうすれば、学校へ行くのも、こう億劫にならないのではないかと。


いっしょに学校へ行く途中にはいろんな話をして、ゲームをして、はしゃぐのだろう。


それが所謂いわゆる青春と言うやつなのではないだろうか。



わたしの親友にはすでに彼氏がいる。少々難ありの彼氏がいる。



彼女は彼氏を好きでいる以上、わたしからはそれ以上なにも言えない。



ただ、彼女がしあわせであればいいと願うばかり。


彼女を喜ばせてあげられるのは、彼氏だけである。



それが、ほんの少し、わたしは、かなしい。



うちの学校は、進学校だ。


どこの学校も同じかもしれないけれど、よき友人関係を築くというよりは、あくまで表面的な付き合いである。



切磋琢磨しあう関係とかそんな美しいものじゃなくて、単なる蹴落とし合い、もしくは個人主義の集まり。


学校は学びに行く場所だから、当然といえば当然かもしれない。


それでもなんだか、さびしさは拭えない。


「あったまいいー」と言い合う仲とか、そういうのは正直、要らない。


よくある青春学園ドラマを演じたいとも思わないけれど、これはこれでまたさびしい。



べつに友だちがいないとか、居場所がないとかそういうのじゃなくて、心のつながりがなにより欲しいと思う今日この頃。


友だちが欲しい。


友だちは欲しいが、薄っぺらい関係を築きたいわけでもない。


ネットを駆使して友だちを作ったところで、それは画面の向こうだ。


オフ会などを設けて会ってみたところで、理想は崩れ去り、現実を目の当たりにすることになる。


所詮、現実に居たところで、心はとおい。


わたしの中でいちばん近い距離にいるのは彼女だ。


彼女と遊んで歩いて、ちいさなやんちゃをしたときのことをぼんやり思い出す。



「こんな明け方だからだれも居やしないって」


「変じゃないかな?」


「多少変でもだいじょーぶ」


「見つかったらまずいよ」


「だいじょーぶだって」


「ここらへん行き止まりが多いから、逃げるにしても注意しなきゃいけないね」


「そうだね、下手すると逃げられなくなるね」



意気地があるのか無いのか、その程度の笑いのツボもどこか似てて、彼女とずっとそんなことをしていたいと思う。


彼女はピンポンダッシュついでに人の家の牛乳を勝手に飲んでいた。


わたしは牛乳より断然ヨーグルト派なので、牛乳は飲まなかったが、その代わり、そんな彼女が飲んだ牛乳のフタだけをもらっていた。


なにかに使えると思っていたけれど、わりとゴミだった。


間違いなく、ゴミだと思う。それは今になってわかること。


空瓶はその場に残していたが、いま思えば空き瓶のほうが、なにかに使えたのではないだろうか。


明け方にはカラスが鳴いていて、通行人なんてほとんどなくて、朝陽だけが地面に差し込んだふたりだけの空間みたいだった。



学校終わりに、ふらふらと宛もなく人が行き交う賑やかな街中を歩いてみる。


街ではあいさつのことばを耳にすることは、いまは少なくなった。


街を歩いていて、おはよう、こんにちは、ありがとうということばはめったに聞かなくなり、目礼をするといった挨拶すら見なくなった。


その代わりに街でちょくちょく目にするようになった、不思議な光景がある。


こちらから歩いてゆく人が、向こうから歩いてくる人に気付かない。


すると相手に気付いているほうが足を止め、そのまま黙って突っ立って、相手が気付くまで、近づく人を待つ。


そしておたがいに顔は背け、目を合わすことなくすれ違う。


声をかける、かけられるということが、とりわけ最近の人たちのあいだでは面倒なこと、厄介なことだと感じられているようである。


「挨拶」は、「アイ」は「押す」、「サツ」は「押しかえす」と言う意味の、相手があってこそのことばだ。


口にすることばだけがあいさつではない。


一口に、コミュニケーションだ。


コミュニケーションと言うのは、ぺらぺら、べらべら話をすることではない。


あいさつのもち方がコミュニケーションだ。


わたしは、コミュニケーションをとりたい。


もしあの人だったら、どんな場所に出没するのだろうかと、頭をすこし働かせている。


あの人とは、浅沼くんである。


どうやら、わたしは彼に会いたいらしい。とても。今すぐにでも。



店や公共の建物などを頭に思い浮かべてみるけれど、なにがどこにあるかは、ぼんやりしかわからない。


いつもいつも、そんな感じ。



だから道を聞かれても、一緒に行って案内するほうが早かったりする。


頭で分かっているものを、口で説明するのが苦手だった。



そういう人間は、補足事項が多くておしゃべりになるか、説明するのを諦めて無口になるかのどちらかである。



言うは易く行うは難しというが、実践に移したほうが、自分のためになる。



ゲームショップ、ゲームセンター、カラオケ、ネットカフェ、書店、古本屋、CD販売店、コンビニ、ライブハウス、塾……?



さまざまな予測を立ててみたけれど、どこにも彼が居そうな雰囲気がない不思議。


さすがに現実的に考えて、家には上がりこめない。


やっぱりはじめて彼と会ったところに行くのが妥当だと考えた。



例の隠れ家のようなBARに訪れた。


ひとりで来るのははじめてで、わずかながら緊張する。


というか、とても緊張する。


学校終わりにすぐ来たのだから、もちろん開店しているはずもなかった。


前回来たときとは違った雰囲気に感じられ、なお怖じ気づく。


開店までの時間、またどこかをさまよい歩くのも微妙だし、ここで待っていようとドアの前で座りかけたとき、


「あれ……、きみってたしか…、このあいだ店に来てくれていた子だよね?」


と、この店のマスターが声を掛けてくれた。


なんとなく状況を察してくれたのか、そのまま営業的な笑顔とともに紳士的に開店前の店の中に促される。


「よかったら、店のなかに入る?」


そう言って門を潜ると、またあの晩のようなにおいと感覚に包まれた。


マスターはさり気なくわたしの腰を引き寄せてエスコートする素振りを見せた。


その一連の動作には厭らしさが感じられなく、別段拒絶する理由もなくて、突き放すタイミングを失ってしまった。


マスターはわたしから察するに、けっこう歳が上のはずだけれど、それがまた味を出している。


三十代後半といったところか。


かと言っておじさん臭い感じはしなくて、どこかフレッシュで若々しい。


今日も細身なジーンズと白シャツの上にジャケットというラフな感じのファッションに、シンプルな銀アクセサリーというアクセントを身に付け、粋に着こなしている。



男女問わず、このマスター目当てで来ているお客も多い。


それが、店が成り立つ理由でもあるのだろう。


経歴もなかなかの人物で、大学は理系に進み教員免許を取っており、実際に学校で教えていたこともあるそうだ。



音楽関係の仕事に就いていて、サポートなどもしている。


有名人の名を連々と並べ挙げられたが、わたしには少々理解に疎い分野だった。


ミュージシャンの名もたくさん挙げていた気がする。


ポンポンと弾む軽快な会話で、しゃべりが上手なんだなーと頭の片隅で思っていた。



音楽の話をしている彼は、随分と少年っぽく、キラキラと輝いた眼をしていたから、むしろそちらに気を取られていた。



それでもわたしと盛り上がった話題といえば、やっぱり彼が専攻していた理系分野のこと。


男女間でも恋愛を経たって、結局は遺伝子だよなっていう話になった。



「この人の子どもが産みたいとか、この人の遺伝子を残したいって、女の子は本能的に察することが出来るんだよ」



マスターの話に相槌をうつ。きっとマスターはわたしの好むような話題を選んでしてくれているのだと気付いた。


そして彼は話題を自分のフィールドへと持って行く。



「格好良かったり、文武両道だったり、それこそ背が高かったり、家庭的だったり、一芸に秀でていたり、人徳者だったり……きみは人のどこを見る?」



マスターに真正面からじっと見つめられ、すこし考える。



「これと言ったタイプはないかもしれないです……気付いていないだけかもしれないけど」



マスターは、わたしの曖昧な回答にも頷いてくれた。



「それでいいと思うよ、おれは」



柔和な笑みを浮かべるマスター。



「女の子は男に比べて、内面を見る能力に優れている。見栄や虚勢、嘘を見破ることが出来る」


「……男はその逆で、大概、見た目で選んじゃうからね」



苦笑しながらグラスを白い布巾で拭いている。


グラスが曇りが晴れて、蛍光灯の明かりを反射してキラキラと光る。




「女の子はさ、子どもを産むに当たってリスクが高い。男は精子とSEXに対するカロリー消費だけだし。今じゃ出産での死のリスクは低くなったけど、やっぱ命がけだよな」


「約十ヶ月もの間、子どもを自分のお腹のなかで育てなければならないですもんね」


「そうそう」



マスターは携帯で時間を確認し、スタッフに業務連絡を入れたりしていた。


ここには、テレビもノートパソコンもiPadも設備されている。


レコードが飾ってあるのに、この現代の文明機器とのギャップ。



きれいに管理の行き届いているレコードなどに感心する。


マスターは人当たりがとても良いけれど、ゆえにどこか人間関係に神経質そうだ。


それは接客業をしている人間に見られる独特の傾向のように思う。


気遣いが行き過ぎているというか。


話している最中もグラスを拭いたり、テーブルを拭いたり、掃除をしたりと抜かりない。


話に夢中になることもないけれど、作業に没頭することもない。


「先日、地下鉄に乗っていたら、駅のホームにムチャクチャ自分の好みの女性が立っていたんだよねー」


マスターがそんなことを不意に話しだした。


「確率で言うと、『5年に1回会えるか会えないか』くらいの自分の好みのタイプだったわけ。で、『うわー』と思って、ついつい電車のなかからすごい勢いで見つめてしまってね。そしたら彼女がおれの『すごい視線』に気がついて、『チラッ』とおれのことを見る」



「マスターは自分の思いに率直に行動が伴うんですね」


「歳だからね。躊躇している時間がもったいない」


「たぶん彼女は、30代の半ばくらいだと思う。手入れの行き届いた艶のあるショートカットで、薄い水色の流行のトレンチコートを着ていて、すごくお洒落な雰囲気だった。一方自分はといえば、すごくむさ苦しいオッサンなわけで、こういう瞬間、彼女の目に『地下鉄のなかからすごい視線のオッサン」ってどんなふうにうつっているんだろう、ってすごく気になるんだよね〜」


「『うわー、オッサンに見られてる……気持ち悪い……』なのか、それとも『なんか今の男性すごくわたしのこと見てたけど、わたしのこと好みなのかな?』なのか、そういう『街で今のこの姿の自分はどういう位置づけなのか?』って気にならない?佐倉ちゃんはまだないか……」


「わたしは女性であろうと、男性であろうと、他人に見られていると落ち着かない気分になります」


「よく『きれいな女性』からも聞くんだよね。『昔は歩いていたら、そういう視線がいっぱい飛んできたんだけど、ある年齢からガクッと減るんです。あれ悲しいんですよねえ』ってさ。あるいは、われわれも20歳前後のころは『すれ違うときに目がばっちり合えば』、『これは恋に発展するかも』ってわけもなく妄想したりしたわけ」


「でも、それなりに歳を重ねると、当然だけど、その位置からはいつの間にか『下ろされている』もんなんだよね。世の中には『それなりにいいお年』なのに、相変わらず遊んでいる人たちっているわけで……」


「『自分もモテたい』とか『自分も若い人と遊びたい』とかって考えているわけではないんけれど、『自分は街を歩いているとき、どのくらい男性的魅力があると思われているのか』を具体的に知りたいとは思うね」


「で、こういうのって周りの女性に『おれってどのくらいオジサンだと思う?』とかって質問すると、『マスターは、そんなにオジサンじゃないですよ』なんて言ってくれるんだけど。それってもちろん『おれに気をつかって』言ってくれてるわけなんだよねえ。いくらおれでもそのくらいはわかる」


「で、思いついたんだけど、こういうインターネット・サービスをつくるのはどうだろうか?自分の普段の雰囲気がわかる動画を送るのね。で、一切、自分の職業や年齢なんかは教えない。そして、20代、30代、40代、50代の女性たちのモニターさんたちがその『自分の動画』を見て、『どこまで恋愛対象として見れるか』というのを判断してくれるというサービスって良くない?」


「『そうかあ、30代女性は、お食事は奢ってくれるんなら行ってみたいな』って感じてる人が40%かあ。お、40代女性は『話とか盛り上がればセックスしても良い』と感じている人が20%なんだ。ということは40代女性5人に声をかけたら1人とはセックス可能ってわけなんだ。ふむふむ」とかってわかるシステム」


「さらに『ジーンズの形がオジサンっぽい』とか、『やさしそうな雰囲気が好印象』とか『ヒゲがちょっと不潔な感じがする』とかいろんな『本気の証言』もコメントで残せる」


「そう。このサイトのサービスはおれみたいなオジサンだけじゃなくて、普通の人も利用して『そうかあ。おれの服装って結構気持ち悪いって感じるんだ』とか、男性のモニターが女性を評価するのもつくって、『ええ?! わたしって胸を強調させる服を着た方が色っぽく見えるんだ』とかいろいろと自分を客観的に見れるという特徴もある」


「やっぱり普通は周りに聞いてもそんなに正直には教えてくれないでしょ?でもこのサイトのサービスがあれば、『自分が街でどれだけ恋愛市場価値があるのか』がわかる。うん、すげーいけると思うけど、どうだと思う?」


「いいと思います。いろいろ課題があるとは思いますが、いいと思います」


「まあこんなくだらない話ばっかりしてるけれども。それで、きみの御眼鏡にかなった徹は、いつここに現れるんだろうな」



茶目っ気を含めて、マスターはウインクした。


わたしは、マスターが浅沼くんの名前を知っていることに驚いていた。



彼もここの常連ということか。


浅沼くんとこのBAR空間……。


なんの違和感も感じなかった。


そして、マスターの洞察力に思わず苦笑してしまった。


わたしの苦笑に、マスターはゆるい微笑みを返した。



「なあお嬢さん、追う側と追われる側、どっちが良い?」



マスターが拭いていたグラスを定位置に並べた後に、カウンターから身を乗り出して質問してきた。


ただでさえ狭い空間での距離感が一気に縮まった。


そう尋ねるマスターはまるで追う側の狩人のような鋭さを兼ね備えていた。


笑顔なのに瞳の奥は笑っていないような。



そのときちょうど、ドアが開く音がした。


振り返ると、噂をしたばかりの浅沼くんがいた。


思わず、目が点になる。


浅沼くんと自然と視線が合う。


浅沼くんの瞳の奥は、ふかさがあった。


深奥に引きずり込まれるような感じがする。



「……マスター、また女の子口説いてたの」



浅沼くんはこの状況に動じることもなく、わたしと目が合っても別段動揺する様子も見せなかった。


小型ゲーム機の電源を落として、耳にかけていたヘッドホンを外し、パーカーのフードを軽く直してから、ちらっとわたしを一瞥してひとつ席を空けて座った。


そしてその空けた席に、自分の荷物を置いた。 


浅沼くんにとって、このBARのなかでお決まりの定位置とかあるのだろうか。


浅沼くんの一連の動作を観察していると、


「ああ……、このあいだ、徹がガン見してたから、俺も気になっちゃってねー」


と、マスターはへらっと笑って、その乗り出した状態でわたしの手を握った。


視界に入れていなかったマスターの突然の行動に驚くも、マスターの手は大きく、わたしの体温よりあたたかい。


その手は粗雑さよりも幾分繊細さが見え隠れしていた。


わたしを包むように扱うその手のあたたかさに懐かしさを感じる。


浅沼くんがそれを見て静かにマスターの手を叩き落としていた。


わたしの手からマスターの手が離れる。



「佐倉さんが汚れるから止めてくれる?」



ここでまたも驚くのだった。浅沼くんがわたしの名前を知っているだなんて。


わたしは自慢じゃないけれど、そこまで目立つほうじゃないし、目立つようなことをした覚えもない。


そりゃあそうだ、あんな学校で他人より目立つ行動をすれば、やっかまれるに決まっている。



「ほら、やっぱりなんでわたしのこと知ってるの?って顔してるじゃん。ね、びっくりしたでしょ。っていうか、自己紹介をまだしていなかったね。佐倉、ね。じゃあ佐倉ちゃんって呼ぶね」



マスターは笑って手を引っ込めて、そのままわたしに語りかける。


なんだか、ふたりは既知のことを話しているようだった。


このふたりの話について行けていないのはわたしだけで、いわゆる男の人同士の結託を現在進行形で目の前で見せつけられている。



「別にいいんだよ、そんな些細なことは。……佐倉さん、この人と話していても勉強しろだの、部活やれだの、将来のことを考えろだの、交友関係を広めろだの、そういう説教じみたことしか言わないよ。おっさんだもの」


「そもそも俺ァそういう歳なんでね……微妙で繊細なお年頃なんだよ、それを察しておっさんとか言うな。傷つくだろうが。それだけ人生の酸いも甘いも経験してきてるんだっつの。今を謳歌していないお前ら見ると老婆心ならぬ老爺心からもったいないと思うわけだよ」


「えっ、謳歌していない?」


それは心外だと思い、わたしは口を挟む。


「マスター、そういうのウザいんだよね。ありがた迷惑だっつってんだろ。俺らも現在進行形でそういう歳なんだよ。微妙で繊細なお年頃なの。他人に口出しなんかされたくない」


「世の中は、お前らが思っているよりもずっと、絶望的なものだからさ。それだけは言っておかないと」



(そこはふつう希望的とか言うんじゃないの……?)



「期待してない」


「ね、佐倉ちゃん、こいつ普段もなに考えているのか、ぜんっぜん教えてくれねーの、オニーサン相談に乗ってやるって言ってんのによ。佐倉ちゃんからもなんとか言ってや……って、なにゲーム始めてんの?」



ふたりの会話が白熱していきそうだったので、わたしは置いてあった浅沼くんの小型ゲーム機を勝手に起動させていた。



浅沼くんもいつの間に?という顔をしている。



「え、ふたりの話にはとても入っていけそうにないから……勝手にごめんなさいね」



起動させたゲーム機から序曲のような音楽が流れ出す。



「あ、このゲームの音楽聴いたことある」



わたしの意識はすでに手元のゲーム機にいっている。


ちいさな画面のなかで移り変わるスクリーンの映像美と音楽に心が奪われる。



「別にいいんだけど……あぁ、でしょ。けっこう有名なんだよね。これリミックスでさ……」



何度も自分でプレイしていて観たであろう浅沼くんですら、話に乗ってきた。


おそらくこのゲームがとても好きなんだろう。



それを見たマスターは大笑いして、きれいに磨かれたグラスにわたしたちふたりを小馬鹿にしたようにオレンジジュース果汁100%を入れて出してきた。


コースターには、ここの店の名前のロゴが入っていて、グラスのなかに反射してぐんにゃりと歪んでいる。


オレンジジュースのオレンジ色と、店内の照明と、木製のテーブルの色と、それらは、すべてあたたかみのある温度だった。


会話に詰まることもなく、自然と時間が流れてゆく。


それは、アットホームな空間だった。



「お寿司屋での作法みたいなのを詳しく説明できる人っているよね」


「『本来、寿司っていうものは江戸時代のファーストフードだから』とかなんとか言いながら、『今は貝ならつぶ貝が美味しいんだよ。大将、つぶ貝はもうある?』なんて言えたりする人」


「おれ、本当はそういう『大人がすべき会話』が出来ないんだよね」


「たとえば、女の子とバーで飲んでいて、『あれ、この曲、わたし知ってる』なんて言われることがあるとする。それが『ジャズのスタンダード』だったりすると、『これはもともと○○というミュージカルの曲で、シナトラが歌って1954年にヒットさせたんだよね。たぶん君が知っているのはサラ・ヴォーンのヴァージョンじゃないかな。一度カメラのCMで使われたんだよね。ええと今かかってるのはマイルスのヴァージョンだね。マスター、ジャケット見せてもらって良いですか?』なんて言える大人っているよね。おれ、そういう会話が出来ないんだよ」


「ええーするかぁ?ふつう」


「そういう大人の会話ってせっかく大人になったんだからしてみたいなあと思うんだけど、むりなんだよなぁ。あこがれはあるよ」


「『お金とか経済の話』をわかりやすく出来る大人っているじゃん?税金とか上場とか、よくわかんないけどストックオプションとかフェアトレードとかそういう話が出来るのも『大人っぽくて』カッコいいと思う」



「あるいはフランス革命とか第一次世界大戦とかの流れがちゃんとわかっていて、『だからドイツは』とか『アラブの世界って本来は』とか説明できる人もいる。あれもカッコいいよね」



「小さいころから憧れていたことがあって、『星の名前』と『お花の名前』が言えたらすごくカッコいいんじゃないかって思ってたんだ」


「ああ、それすごくわかる」


「女の子と夜道を歩いていて、『ほら、あれがシロクマ座なんだ。あの東京タワーのずーっと上あたりの星わかる?あの大きい星が目なんだ。昔の人はシロクマが音楽の女神に恋をしたって考えたらしいんだよね』とか言うと、すごくカッコいい。もう女の子が『浅沼くん素敵!』って思うんじゃないかなって夢見てた」


「あるいは街を歩いてて、『あれ、もう沈丁花が咲いてるんだ。沈丁花って中国の随の皇帝が愛したの知ってる? 皇帝が夏にはないはずの沈丁花をヒマラヤまでとりにいかせて、愛する人に贈ったんだよね』とか女の子に言ったりすると、女の子の目がハートマークになるんじゃないかなって思ったりしてたこともあった」


「でもそういう『大人っぽい男性』にはまったくなれていないね。言いたいと思う女の子もなかなかいない。人は選ぶ必要がある。まあ、次の人生でトライしようかなと思っているわけです」


「徹にもそんな若いころがあったわけか〜……ああ、ひとつ言っておくけど、ここではなにも偏見的には見ないんだ」


「どういうことですか?」


「ここではさ、同性愛的な人間がいても、特殊な性癖があっても、みんな平等。日常では隠さなくちゃ生きていけなくても、ここではおおっぴらにしたっていい。日常でだって、本当は隠さなくたっていいはずのに、他人の違いを受け入れられない人間が多いからね。人はどこかで吐き出さなくちゃいけないから、そういうのを赦した場所を、ここでは提供しているんだ」


「要するに、変人の集まりってこと。社会不適合者でもいいってこと」


「どんな人間にも居場所は必要だ。ほら、徹もこんなに変人だろ?」


「マスターもね」


「人はどこかで人とのつながりを求めるものだからね」


「だから気をつけるんだよ、だれと付き合ったり、関わりを持ったりするかは、自己判断だ」


「自分の身を守るのは自分ってこと」


「どこに居ても、そうなんだけどね」


「まあ、ここに来ると、知らなかった世界にも誘われちゃうかもしれないからな」



店内を見渡せば、本当にさまざまな人種の人間が集まっていた。


国籍だってバラバラ。性別だってバラバラ。職業も、年齢もすべてバラバラなような、そんなごちゃまぜな場所。


それなのに、どこか統一感を感じるのはなぜなのだろう。


不思議な居心地の良さを感じていた。


そんな空間に長々と浸っていたような気がする。


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