墓場のぬらりひょん

 ドキドキさんに呼び出されたのだと言って、僕と部長、みっちの三人――とぬらりひょん――で工作部の部室に出向いていた。

 とは言っても僕が寝床にしている偽怪部の隣なので、そんな大仰なことはない。ただし工作部部長のドキドキさんは違うようで、何やら勿体ぶった様子で椅子に身を預けている。

「ぬらりひょんの新しいイメージを作るという話だが――」

 そう切り出したので、僕はそういえばそんな話もあったかとない記憶を手繰った。ぬらりひょんは僕にしか見えないにも関わらず、やけに緊張して畏まった態度を見せた。

「正直、僕にはいい案が思い付かなかった」

 言われた途端、がくりと肩を落とすぬらりひょん。

「だが、そこに好機――という言い方は好ましくないが、とにかくいい機会が訪れた」

 ドキドキさんは組んで手を眼鏡の前に運ぶ。

「先日、水木しげるが亡くなった」

 うう、とうなだれるみっち。

おお先生……いつかお会いしたいと夢見てましたのに――」

 水木しげるという偉大な才能は、とても一言で言い表すことは出来ない。こと妖怪に関して言えば、「妖怪」という単語を巷間に流布せしめた一大転換点を担い、消えいく像なき妖怪に新たに像を与え、ステレオタイプを生み出した。『妖怪ウォッチ』において本来像がなかったはずの塗り壁や一反木綿の――水木キャラの姿の――パロディキャラクターが登場することからも、その影響力の途方もなさが窺い知れる。

 だが、ある意味では水木しげるはその生涯において限界を超えた想像の創造を行ったと言える。次の担い手は未だに現れないことは大いに悔やまれるが、水木しげるの生み出した地盤はこの国を強固に支えている。ならば我々は次のフェーズに目を向けなければなるまい。再びのパラダイムシフト――

「あれ? 僕は何を考えてたんだ?」

 自分の思考が自分でも理解出来ないことになっていたことに気付いた僕は首を傾げる。

「急に何言い出すんですかー」

 眼鏡を上げて涙を拭いながらみっちが僕を見る。何を考えていたのか思い出そうにも、そもそも僕はのっぺらぼうなので記憶がない。

「いや、なんでもないよ。どうぞ続けて」

 ドキドキさんは若干虚を突かれたようだったが、すぐに真面目な顔になって続きを話し始めた。

「水木しげるといえば妖怪。彼が亡くなったとなれば、妖怪にも注目の目が向けられるかもしれない」

「確かに書店でも水木しげる追悼コーナーとか出来てるよな」

 部長が言うと、みっちはううむと唸った。

「悔しいですけど、それで多くの人が水木漫画を読むか、妖怪に興味を持つかというと微妙なところですねー」

 それに――みっちは僕のない顔を見て溜め息を吐く。

「ぬらりひょんも、水木漫画に限って言えばそんな大層なものじゃないですし」

「そうなのか? でも妖怪の総大将っていうのは鬼太郎のイメージだけどな」

「それはアニメの三期から始まった設定ですねー。大元は藤澤衛彦の『妖怪畫談全集』に載せられた鳥山石燕のぬらりひょんの画に、『まだ宵の口の燈影にぬらりひよんと訪問する妖怪の親玉』という説明が付けられたことが初出だと言われてますー」

 いっちゃんとにーこもそんな話をしていたはずだ。

 で、とみっちは眼鏡をくいと上げる。

「水木漫画では、『墓場の鬼太郎』時代のラスト二話に渡って登場する敵妖怪がぬらりひょんです。このぬらりひょんは人間のふりをして爆弾テロを起こしながら鬼太郎が出てきたらどうしようと怯えている、まあ総大将を張るには小物な奴です。鬼太郎とねずみ男をコンクリ詰めにするくらいの可愛い敵ですよ」

「つまり、なんだ。原作に触れれば、ぬらりひょんのイメージはここにいるぬらりひょんが望むようなものにはならないってことか」

 頷くみっち。

「大先生が亡くなって、アニメの方を見ようと思う人は少ないんじゃないですかね。触れるならやっぱり原典っていう感覚があると思いますー」

「まあ、暫くは静観がベストか。妖怪ブームが起こるかどうか、見極めてからでも遅くない」

 ドキドキさんが言うと、ぬらりひょんは口惜しそうに首を振る。

「ブームは去るもの。けど、妖怪ブームは去らない――」

 部長がそう呟くと、みっちが頷く。

「鬼太郎で言えば、60年代から十年期に一度アニメ化されてますもんねー。妖怪ブームはもう、ブームなんて言うより、発作みたいなもんじゃないですかー」

「発作」

「はい。日本にはもう妖怪が文化の一面として確実に根付いています。それはアカデミックなものではなくて、恐ろしく大衆的なイメージとしてです。『画図百鬼夜行』の妖怪を三つ上げろなんて言われて即答出来るような人はあんまりいませんけど、『妖怪って?』と訊くとはいはいこんな感じのあれでしょと大体同じイメージを持つことが出来ます。ここはもうそういう土壌なんですよー。で、そういうとこの人間は、ある日うっと発作を起こすんです。妖怪足りないよーって」

「禁断症状か」

「まあ似たようなもんですねー。慢性的な妖怪中毒って、言い方悪いですけどそんな感じじゃないですかねー。ふとしたことで妖怪への欲求が高まって、世間に妖怪が溢れるんですよ。妖怪は幸福の権化みたいなとこもありますからねー」

「逆じゃないのかい」

 妖怪をカテゴライズするなら、ホラーやオカルトということになるだろう。

「妖怪を楽しむには豊かな心が必要不可欠ですよー。そもそも江戸時代だって妖怪は恐怖の対象ではなく娯楽として楽しまれてたんです。妖怪は昔から極めて大衆的なキャラクターなんですー。幸福がなければ、多分妖怪はそんなに流行んないですよー。まあそれはホラー全般なんかにも言えると思いますけど」

 凄惨な時代に凄惨な話が溢れても、あまりいい気はしない。平和で、豊かで、幸福であればこそ、おぞましい話は活きてくる。

 おっほん、とドキドキさんが咳払いをする。

「そういった話は自分達の部室でしてくれないか。ここは工作部だ」

「なんだよドキドキさん、こういう話嫌いか?」

 部長がおどけた調子で訊くと、ドキドキさんは大真面目に頷いた。

「僕には工作部としてのプライドとポリシーがある。部活にはあくまでストイックに打ち込む。そして何より、僕は妖怪というものに全く興味がない。ぬらりひょん云々も、工作部として意義のある活動だと思ったからだ。だからぬらりひょんに関する話ならば歓迎するが、全く脈絡の異なる世間話を横で聞かされ続けるのは御免被る」

「つれないなあ」

 僕が呟くと、ドキドキさんはふんと鼻を鳴らした。

「そうは言ってもドキドキさん、君が何も思い付かないというから僕達は水木しげるからあっちこっちに話を飛ばしていたんじゃないか。ぬらりひょんの工作を請け負ってくれたのなら、妖怪に関する話はなんでもかんでも入れておいた方が得策だと思うよ。妖怪はそれこそやたらめったらに方向性を伸ばしている――っていっちゃんが言っていた気がするし、違う方向のコンテンツに興味を示さないことはやがてその人をどん詰まりに陥れるんじゃないかな」

「君――」

「僕のことは」

「ああ、わかった。先輩」

 僕はそれを聞いて顔を綻ばせる――ような気持ちになる。

「とは言っても余計なことを話し過ぎたと僕達も反省しているよ。じゃあぬらりひょん、いつまでも拗ねてないで、いっちゃんとにーこのところに行くよ」

 僕はぬらりひょんを引っ張って部室を出た。

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