インターネット最強妖怪

 みっちがうーん、うーんと唸りながら頭を悩ませているのを見て、僕は声をかけるべきか頭を悩ませていた。

「どうしたみっち?」

 見兼ねた部長が声をかける。なにせここは偽怪部の部室である。その中に僕と部長とみっち――とぬらりひょん――が詰めている訳だから、みっちの唸り声は全員に聞こえていた。

「集中してるんで話しかけないでくださいー」

 苛立たしげにみっちが部長を突っ撥ねる。どうやら声をかけないのが正解だったようだ。

「しかしな、狭い部室でうんうん唸られたたら一緒にいる俺らは堪ったもんじゃないんだぞ」

 正論である。

「じゃあ出ていきますー。ご迷惑おかけしましたー」

「待て待て。何をそう悩んでたのか説明してから行けよ。収まりが悪いじゃねえか」

 これは――あまり正論とは言えないだろう。殆ど自分から出ていけと告げたのも同じなのに、その説明を求めるのはどうだろう。

 しかしみっちは結局誰かに自分の悩みを聞いてほしかったらしい。くいと眼鏡を上げると、それでスイッチが切り替わったのか部長の方を向く。

「ネットの情報をどこまで信用していいのか――考えてるんですー」

「それは、あれか。ステマとかそういう」

「違いますー。妖怪についてですー」

「妖怪――ねえ……」

 みっちは鞄からスマートフォンを取り出すと、検索して出てきたページを僕と部長に見せる。

 河童のウィキペディア記事だった。

 まず冒頭には出典不足だと断り書きがされている。それから長々と河童について説明がされており、最後の方には出典が多数載せられ、関連項目、外部リンク、カテゴリと並んで記事は終わる。

「まず河童を未確認動物として扱っている時点で、この記事の信憑性は最初から低いですねー」

 未確認動物――UMA。ちなみにリンク先で確認したところ、UMAというのは日本語のみの表記らしい。

「でも、河童のミイラなんかは現存してるぞ」

「それを言うなら人魚や件なんかもありますよー。でも、それは所詮見世物ですー。初めから嘘だと承知で作られた偽物というのは誰の目にも明らかですよー」

「それを本物と信じる人も、いるにはいると思うけど」

 僕が言うと、みっちはやれやれといった様子で首を振る。

「箱根から先ってやつですー。江戸時代だって妖怪を信じてる人なんていなかったんですよー。現代のテレビで『これが河童のミイラだ!』って取り上げて、それを信じる人には何も言えませんけど」

 とにかく――みっちはもう一度眼鏡をくいと上げて、スマートフォンを鞄にしまう。

「問題点も多くて、情報自体不足していますー」

 僕はそこで先日会ったメドチの話を思い出す。

 確かカッパというのは元々関東の言葉で、それが全国に広まったことで「カッパっぽい妖怪」は全てカッパと同一視されていき、カッパという言葉がそれら全てを表すことばになってしまった。メドチは本来河童とは別の妖怪で、他の地域の妖怪もそれぞれ別個の名と姿を持っていたのが、河童に接収されていったという。

 だが、ウィキペディアにはそんなことは書かれていない。河童の外見は大きく分けて二種類です――地域によって呼び名が違います――くらいのものだ。

 無論、河童ともなればいくらでも記載すべき情報は出てくる。それを全て載せていては百科事典として成り立たないし、絶対に冗長で乱雑な記事になってしまう。情報の取捨選択は必要だ。

 僕がそんなことを言うと、みっちは首肯で答え、僕の言葉を引き継ぐ形で口を開いた。

「そうですー。問題は、ウィキペディア――もっと言えばネット上の情報が全てだと信じてしまう人がいるということですー。実際にはもっと知るべき情報があるのに、ネット上の情報だけで満足してしまうっていう問題ですー」

「ウィキペディアには間違いがない――そう思ってる奴って結構いるよな」

「これは実際にあった話なんですけど、ウィキペディアの記事内で固有名詞の誤字があって、その誤字版の固有名詞を検索すると無数のサイトが検出されるんですよー。ネット上のソースとして、ウィキペディアはあまりに高名すぎるんですー」

 さて――とお馴染みになった眼鏡を上げる所作をして、みっちは本題へと入る。

「空亡って、なんでしょうねー」

「そらなき? なんだそりゃ。初めて聞いたぞ」

 部長が首を傾げながら僕に視線を送る。いや、のっぺらぼうの僕が固有名詞を記憶していると思われても困るのだけど。

「ネット上で最強の妖怪は何か? という話題が出ると、必ずと言っていい程出てくる名前ですー」

「はあ?」

 部長は思い切り首を傾げた。

「ふふーん、いいですねーその反応。私も初めて目にした時は同じような気分でしたよー」

「まず、そもそも、妖怪で最強議論したって始まらねえだろ」

「確かにそうですねー。妖怪なんてちょっとした不快感を与える程度のことしか出来ないのばっかりですしー。バトルものの漫画で妖怪を扱いだしたせいでこんな話題が出るようになったのかもしれません。まあ元々妖怪とバトルものは相性がいいのも事実ですしー」

「ああもういい。とにかく、その空亡だ。なんなんだよそれ」

「よくわかりませんー」

 がくり、と部長は倒れそうになる。

「いや、部長が知らないってことは、つまりそういうことなんですよー。ネット以外の場では全く通用しない名詞なんですー。ネット以外でいくら調べても、多分出てこないですよー」

 そこで――みっちは再びスマートフォンを取り出す。

「ネットに頼ろうと思いますー。『空亡』で検索検索ー」

 みっちは検索結果の出た画面を僕と部長に見せる。一番目に出てきたのはウィキペディアの『天中殺』の記事だった。曰く十干と十二支を組み合わせた干支で、十二支のあまりが二つ出る。その二つに当たる時を天中殺、または空亡くうぼうと呼ぶとのことである。

 問題はそのすぐ下に表示されたページだ。ピクシブ百科事典の『空亡』のページである。こちらでは読みは「そらなき」になっている。

 曰く、元は『大神』というゲームのラスボスの初期案上の名だった空亡という言葉が設定資料集で語られた設定と共に一人歩きし、最強の妖怪空亡が三次的に生まれてしまったというものである。

「うん、つまりネット上だけに存在し、ネット上だけでしか語られない妖怪ということかな」

 僕が言うと、みっちはまあそうですねと頷く。

「そこに書いてある通り、空亡は百鬼夜行絵巻のラストに描かれる太陽を妖怪化したものらしいですー」

 確かにそう書いてある。それに加えてややこしい紆余曲折を経て成立した、なんというかよくわからない妖怪だ。

「でもあれは日の出じゃなくて陀羅尼の炎なんじゃないかって誰か言ってなかったか?」

「まあ石燕も日の出を書いてますから、その話は今は置いときましょうよー。問題は――」

 眼鏡をくい。

「この記事は、実に過不足なく空亡について説明してくれているんですよー」

「なるほど。つまりネット上で生まれた妖怪だから、ネット上でその性質を完全に網羅出来ているという訳だね」

「そうですー。逆に、空亡がネットから出て妖怪図鑑的なものに載ったら、この辺りの経緯は省かれて一妖怪として掲載されると思うんですー。つまり、この場合ではネットの方がより信用出来るようになるんですー。スレンダーマンって知ってますかー?」

「ああ、前にテレビでやってたな。アメリカの怪談みたいなのだろ?」

 部長が言うと、みっちは意地悪く笑った。

「踊らされてますねー。あれもネット上のキャラクターなんですよー。日本でいうところのくねくねみたいなものですねー。テレビではさも本当の怪談のように扱ったでしょう? でもネットで調べればきちんと成り立ちから何まで解説してるんですー。ここでもネットの方がソースとして優秀ということになりますー。共通点は――」

「どちらもネット発祥だね」

「ザッツライト」

 にやりと笑ってから、みっちは深々と溜め息を吐いた。

「この辺が難しいんですよー。今後ネットとリアルのミームの境界はどんどんなくなってくと思うんですー。だからネットをどこまで信用出来るかというのが、悩ましくてですね」

「そう言えば前に読んだ『密室の如き籠るもの』だったか。あれはメインはこっくりさんの話だったけど、小道具として明らかにコトリバコを意識した箱が出てきたな」

 コトリバコは僕に教えられて読んだんだと部長は補足する。どうやらあまりネットには関心がないタイプの人間らしい。

「まあでも、今のままで大丈夫なんじゃないかな」

 僕が言うと、みっちは目を輝かせて僕の言葉を待つ。期待されてもろくなものは出ないと思うのだけれど、一応続きを話していく。

「みっちはきちんと分別がついてるじゃないか。そのままの気の持ち方でいけば、踊らされることも騙されることもないんじゃないかな」

 ふふん、と微笑み、みっちは鞄からノートを取り出す。

「ではちょっとこれを見てくださいー。空亡のキャラデザがなかなか難しくてですねー。あんまり常闇ノ皇に似せすぎてもあれですし、そうなると今度はバックベアードにも引っ張られてしまってですねー」

「って、みっち、さんざん言っておいて空亡を漫画に出す気かよ」

「そうですよー。それで悩んでたんじゃないですかー」

 部長は呆れ果てたとばかりに苦笑した。

 なるほど、自分から境界をぶち壊すつもりらしい。

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