古今便所考
「この高校のトイレは綺麗ですよね」
僕の話を聞き終えると、にーこはそう言った。
「そうだよな。あたしらが入学する前は汚かったらしいけど、改装したんだってさ」
「河童はどちらかというと汚い、それも汲み取り式に出そうな気がするよね。水洗だと流したら流れていきそうだし」
「でも学校のトイレと言えば赤い紙青い紙っていうのもいるしな。トイレの花子さんとの住み分けはどうなんだろうな」
「赤い紙青い紙? 徴兵でもされるのかい?」
二人とも僕を見下したような目をして溜め息を吐いた。つまらないジョークと捉えられたのだろう。
「学校のトイレに入るとどこからか『赤い紙やろうか、青い紙やろうか』という声がして、それに答えると死ぬんです」
「ざっくりだなあ」
「元々先輩があたしらにした話なんだけどな」
「赤い紙と答えると血だらけになって殺される。青い紙と答えると全身の血を抜かれて真っ青になって死ぬ、という話です。でもこの話、トイレの花子さんより古いんですよね」
「そうそう、昭和初期くらいから言われてるんだよな。で、妖怪としてのルーツを辿るとカイナデに行き着く」
「カイナデ? メジャーなのかい?」
「いや、どマイナーだな。そもそも地域限定だし」
「京都地方だよね。節分の夜に便所に入るとカイナデに撫でられる。これを避けるには『赤い紙やろうか、白い紙やろうか』という呪文を唱えればいい」
「うん? 白い紙? いや、それより――」
逆じゃないか。僕が言うと、二人は楽しげに顔を見合わせた。
「ちょっと巻き戻すと、赤い紙青い紙は場所によっては『赤い紙やろうか、白い紙やろうか』という場合もあるんです。これでまず一つは疑問を解決出来ましたね」
頷く。
「で、この赤い紙青い紙のルーツのカイナデのルーツは、便所神なんだよ」
「花子さんと同じという訳かい」
「そうですね。節分の夜というのは、春分の前日――つまり古くは年明け前ということになります。大晦日に便所神を祀るという風習は各地に残っています」
「
ここでにーこが手短にがんばり入道なる妖怪について説明を入れる。
「元々は『がんばり入道ホトトギス』と唱えると妖怪を見ないという俗信で、石燕の『画図百鬼夜行』にも出ています。大晦日の夜に便所で『がんばり入道ホトトギス』と唱えると下から入道の顔が出てきて、その頭を持って出ると小判に変わるとも言われています」
「悪いにーこ、脱線したな」
「いつものことでしょ」
笑って言って、にーこは話を元に戻していく。
「便所神の祭祀には、紙で作った青と赤、あるいは白と赤の男女の人形を供える風習があったんです。『やろうか』という言葉が示すように、本来は神に供えるものをやるから何もするなと妖怪を見下しているんですね」
「妖怪は零落した神っていう説は妖怪全般に言えることじゃないけど、カイナデは便所神からの系譜が見られるんだよな」
「ああ、赤と青、赤と白の紙か。それで『赤い紙やろうか、白い紙やろうか』になるんだね」
「そうですね。カイナデはある意味純粋に神の零落の道を辿ったことになりますが、赤い紙青い紙は噂が広まったのが小学校ということもあって、より一層通俗化、妖怪化したといったところじゃないでしょうか」
「なるほど、怖い話を生み出したいという土壌にあって、ディティールを選び取って学校の怪談に仕立て上げたということだね」
うんうんと頷く二人。
「でもやっぱり、学校のトイレは汚くないと怪談にはなりにくいよなー」
「ああ、この学校のトイレは綺麗なんだよね?」
「はい。でも、使う人達が美意識を持たないといつまでも綺麗ではいられませんよね」
「『トイレは綺麗に』っていう張り紙があるしなー。でもなんかこれ命令口調であたしは嫌い」
にーこは小さく笑って、
「じゃあ『いつもトイレを綺麗に使ってくれてありがとうございます』っていうのはどう?」
うーんといっちゃんは思案顔になる。
「それ、へりくだって言ってるみたいだけど半分強迫だよね」
「やっぱり先輩ですね」
僕が言うと、にーこは満足げに顔を綻ばせた。
「あっ、なんか変な感じがしてたけどそういうことか。その言い方だとまるでみんながみんなトイレを綺麗に使ってて、自分もそうしろと迫られてるみたいに感じるんだな」
「エスニックジョークの『船から飛び下りさせる言葉』の日本人用の言葉と同じ原理だよね。『みんな飛び下りましたよ』っていう」
「日本人特有といやあこの高校のトイレって音姫はないよな」
「音姫?」
僕が首を傾げると、いっちゃんが呆れたように説明を入れた。
「トイレでの排泄音とか衣擦れの音を消すための音を出す機械だよ」
「え、いっちゃんそういうの気にするの?」
「えっ?」
「だって日本人だけでしょ。そんな細かいこと気にするの」
まさか水を流しっぱなしにしてないよねとにーこは僕の時とは違う大人しい口調で言う。
「『節水』の張り紙は――してないよな、そういえば」
なるほど、水を流し続けることで音を掻き消すのかと僕は納得した。そんなことをすれば水道代が馬鹿にならないだろう。だから音姫なるものが作られたということか。
「してないからといってやっていい訳じゃないよね」
にーこが間延びした声で言う。僕の場合とは違い棘がないが、逆に怖くなってくるから不思議だ。
「うぅ、恥ずかしいものは恥ずかしいんだよぉ」
いっちゃんは堪え切れなくなったようにそう言った。
「美意識を持たないとね、いっちゃん」
「う――はい」
「にーこ、もしかして……」
この会話の一番最初を思い出し、僕は推量する。思えば随分遠くへ来たものだ。だが、この結果に行き着くのをにーこはあらかじめ決めていて、脱線に脱線を重ねて脱線見せかけて、ここまで話を持ってきたのでは――。
にーこは珍しく、僕に優しい笑顔を見せた。少し、ぞっとしたのは内緒にしておこう。
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