創造者

「水木しげるはあまりに偉大すぎます」

 にーこが真剣な顔をして言うので、僕はにーこが持ってきていた「水木しげる漫画大全集」のゲゲゲの鬼太郎その1をぱらぱらとめくってううむと唸った。

 この巻に収録されているのはまだタイトルが墓場の鬼太郎だった頃のもので、見上げ入道が初登場するのは「墓場」時代だと言っていた気がするがこれには収録されていない。

 例の空き教室。今日はいっちゃんとにーこ以外に、部長とみっちの姿もある。いっちゃんは部長がいるのが気に喰わないと思いっきり表情で示していて、みっちは眉間に皺を寄せながら欠伸をして何故自分がこの集まりに参加しなければならないのかと静かに訴えている。顔のない僕には出来ない芸当だなあ、などと思いながら高橋留美子の解説に目を通す。

「妖怪は目に見えないもの――って言ってたよな、確か」

 いっちゃんが言うとにーこはうんうんと頷く。

 ちょっと待てよ、と部長が割って入る。

「それにしては随分妖怪の絵を描いてるじゃねえか」

「見えないものを死ぬ程努力して見ようとして、見えないものを絵に落とし込む。それが出来るから凄いんだよ」

 不機嫌そうに言い返すいっちゃん。

「でも鳥山石燕の絵からの流用も多いんだよね。先輩が昨日会った見上げ入道もそうですし」

 そう、僕は昨日の見上げ入道との邂逅を話したのだ。それをにーこが急に水木しげるの話に持っていった。

「後は郷土玩具というようなものから、文楽人形、さらには現代アートの類までから流用してますよね。で、何が凄いってそれを漫画にして『これは妖怪だ!』と思わせてしまうところですよ。妖怪漫画の殆ど元祖という立場も関係してるのかもしれませんけど、とにかく説得力が桁違いなんです」

創造者いたりつくるひと――」

 みんなが僕を見ているのに気付いた後で、自分が覚えのない言葉を口にしていたことに気付いた。

「それは――創造者っていう意味かよ?」

「さあ?」

 いっちゃんに訊かれるが、首を傾げることしか出来ない。

「まあ、水木しげるはまさに創造者の中の創造者ですよ。創造主と呼んでもいいくらいです」

「現代日常的に使われてる『妖怪』という言葉の意味を定着させたもんな。まさに妖怪の創造主か」

「でもよ」

 ここでもう一回部長が割って入る。

「本来あった妖怪の性質や姿を歪めてる――とも言えるんじゃねえか? 実際、先輩の許に顕れたぬらりひょんなんかもそれで困ってるんだろ?」

「馬鹿ですかー」

 みっちが、今日初めて声を上げた。

「妖怪なんてのは適当なもんなんですよー。だから使うのも適当でいいんですー」

 水木しげるは相当厳選して使ってると思うけど――というにーこの言葉を無視し、みっちはさらに続ける。

「大体妖怪をキャラクターとして漫画に登場させるとして、伝承そのままの性質で出してどうするんですよー。妖怪なんて局所的に発現する現象への後付け説明が大半じゃないですかー。それをそのまま出すとしたら、音を立てるとか転ばすとか袖を引っ張るくらいのことしか出来ませんよー。バトル漫画だとしたら致命的ですよー。まず姿が描かれていないものだってごまんといますし、設定なんか自分で作らなけりゃまともに動かせないじゃないですかー。水木先生は創作者として当たり前のことをしてるだけで、それが大衆に受け入れられて妖怪の基盤になったんですから、非難するのはお門違いもいいところですー」

 ふう、と息を吐き、みっちは部長への攻撃を終えた。

「ず、随分ムキになったな、みっち」

「私一応漫研ですからー」

「初耳だぞおい」

「言ってないですからー」

「先輩、偽怪部って兼部オーケーなのか?」

「知らないけど、別にいいんじゃないかな」

 僕がいいと言うならいいのだろう。部長は一人納得した後でみっちに向かって溜め息を吐いた。

「確かに、妖怪はその時代の創作者によって形を変えていくよね」

 にーこが言うと、みっちは照れるように唸った。まだあまり慣れていないのだ。

「鳥山石燕なんて洒落で新しく妖怪を作ったけど、それが後世まで残ってる。がしゃどくろなんかも最近の創作だし、先輩のぬらりひょんなんかも前に話した通り後付けで設定が付けられていった。しかもそれが定着してるっていうのがすごいよね」

「妖怪を書いたり描く側の人は、だからといって別に気負う必要はないと思いますー」

 言いたいことは言ってしまいたいらしく、みっちは物怖じすることなく口を開く。

「妖怪なんて調べれば調べる程作品に出しにくくなるもんですー。最低限の情報だけ得て自分の好きなように書いたらいいと思うんですよー」

「なるほど、みっちは妖怪漫画を描いているんだね」

 僕が言うと、みっちは驚いたように眉根を寄せた。

「多分みっちは、さっきあんなことを言いながら実際は妖怪を扱いあぐねてたんだろうね。でも部長の言葉がきっかけになって吹っ切れることが出来たんじゃないかい」

「ぶ、部長、この人何者ですか」

「のっぺらぼうだな」

 眼鏡をくいと上げて僕の何もない顔をしげしげと眺めるみっち。表情で表すことが出来ないので、頭をぽりぽりと掻いて照れていることを示す。

「ただ者じゃないですねー、先輩。ご明察ですー」

「あはは、そうかい?」

 少しは尊敬でもしてくれたのだろうか。みっちは眼鏡越しにきらきらとした視線を送ってくる。

「そうです――そうなんですよー。気負う必要も、一次資料に拘泥する必要もないんですよー。自分の好きなように描いて、なんなら勝手に妖怪作っちゃってもいいんですー。妖怪が出てくるとか言っておきながら出てくるのは作者オリジナルの妖怪だろうが文句を言う筋合いはないんですー。妖怪の怪奇さ、人間と妖怪の隔たり、交流、それがあれば、いや、なくても問題はナッシングー」

「でもね」

 僕が思わず口を開いたので、それまで舞い上がっていたみっちは虚を突かれたように声を上げる。

「のっぺらぼうになってからの僕の経験から言わせてもらうと、調べるのは怠っちゃ駄目だよ。先人達の作った設定やキャラクターを念頭に置くのも大事だと思うよ」

 そこで、おお――と声が上がった。いっちゃん、にーこ、部長の三人である。

「何だか前の先輩みたいだ」

「妖怪と話をして、見えてきたものがあるんですね」

 自分でもよくわからないのでううんと唸る。

「先輩が感得した妖怪はまだいるんじゃないか? 先輩、そういう知識は色々持ってたし」

 部長が言うとああそうかぁといっちゃんが声を上げた。

「先輩が感得した妖怪は、きっと先輩の記憶のピースなんだよ。妖怪と会って話をしていけば、先輩も元に戻るんじゃないか?」

「いや、それは妙だと思うよ」

 僕は率直にいっちゃんの意見を一蹴する。その考えは以前に僕も考えたが、今は違うと断言出来る。

「僕が感得した妖怪は、僕の中途半端でややこしい知識から顕現している訳で、それは確かに僕の記憶の一部なのかもしれないけど、狭く人口に膾炙した知識であるという事実もある。だからきっと、僕の個人的な記憶が入り込む余地はないんじゃないかな」

 第一――自嘲気味に、しかし他人事のように。

「僕の個人的な情報は、そもそも誰も知らないじゃないか。それがそうも都合よく妖怪の中に入り込んでいるとは思えないなあ」

 自分の説を真っ向から否定されたいっちゃんは不機嫌そうに眉を顰める。だがよく見ると口元は緩んでいた。

「なんか、久々に食らわされたな。大分本調子になってきたじゃねえか」

 いっちゃんの言葉の後、暫く思案顔をしていたにーこが口を開く。

「というより、先輩が自分が何者なのかなんて思い出さなくても困る人はいないんじゃないでしょうか」

 全員が押し黙った。確かにその通りかもしれないと考えているのだ。僕はのっぺらぼうになっているせいかどうかはわからないが、特に何の感情も抱かなかった。何と言うか、まるで他人事の体なのである。他人の方が真剣に僕の処遇について考えている中、僕はといえば、おやみんな何を考えているのだろうと別の方向に思考が向いていた。

「家族とか。心配してんじゃねえか?」

 部長がもっともなことを言うが、いっちゃんがそれを遮る。

「というか、先輩に家族なんているのか? そんな話聞いたことないぞ」

「聞いたことがないからいないってことにはならないよいっちゃん。先輩が人の子だと仮定するなら、当然生物学上の親はいるんじゃないかな」

「死んでるかもしれないですよー。ほら、よく天涯孤独の一人暮らし設定とかあるじゃないですかー」

 何だか物騒な話になってきた。しかし僕はといえば自分のことがわからないので当然蚊帳の外である。

「まあ今のご時世じゃ、心配する親は五万といるんだよな」

「ああ、例の行方不明事件かい」

 いっちゃん達が入学して以降、断続的に起きている生徒の行方不明事件。おかげで僕がこの学校の生徒だと仮定したとしても、連絡が取れなくなっている生徒として僕をあぶり出すという手は使えない。

「全くはた迷惑な話だよなー」

 しかしいっちゃんを初め他のみんなも完全に他人事である。まあこの学校は総生徒数三千人を超えるマンモス校だそうだし、行方不明になったのも顔も知らない生徒なのだろう。どうも彼女らは僕という目先の問題にばかり目が行っているらしい。

 僕としては自分のことなどまるで他人事なのに、周囲の人間は僕のことを考えている。なんというか、申し訳ない気持ちになる。

「君達の知っている僕は、そんなに魅力的な人物だったのかい?」

 全員が一斉に怪訝な顔をする。

「それは思いっきり語弊がありますね」

 にーこが虫けらでも見るような目で僕を見ながら吐き捨てると、いっちゃんと部長も同調する。

「先輩はおかしい奴だったんだよ。クレイジーだ」

「ああ、魅力的っていうのは大分違うな。確かに俺は先輩一番だけど、そういう意味じゃないんだよな」

「なら、僕は余程酷い人間だったんだろうね」

 そう言うと、三人は満面の笑みで頷いた。僕としては恥じ入るつもりで言った言葉だったのだが、それを見てすっかり脱力してしまった。

 僕は酷い人間だそうだ。だが、何故かみんなを笑顔にしている。

 なんとなくだが、僕は自分が少しだけわかったような気がした。

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