あくまで個人的な意見

 そんなことがあったんだよ――と、いっちゃんとにーこに昨夜――もとい今朝の出来事を話してみた。

 放課後。僕は例の空き教室に朝からずっと入っていた。夜が明けてから陽が傾くまで――かなりの時間を同じ場所で何もせずに過ごした訳だが、退屈といったものは感じなかった。そういったものも顔と一緒になくなったのか、僕が元々何もせず何も考えずに延々過ごせる体質だったのか。わかるはずもないのでどうでもいいか。

 ちなみにぬらりひょんも僕と一緒に無為に時間を過ごしたが、たまに僕に話しかけるだけで後はずっと黙っていた。多分自分について鬱々と黙考していたのだろう。

 僕の話を聞くと、二人は確かに目を輝かせた。

「いつもの調子に戻ってきましたね、先輩」

 にーこが少し嬉しそうに言う。

「そういう中途半端でどうでもいい話こそが先輩の持ち味ですよ。トイレの花子さんの話は初めてですよね」

「うん。僕は聞いたこと、体験したことをそのまま話しただけなんだけどね。それに初めてかどうかわかるはずもない」

「この調子なら今までと変わらずに話が出来るかもな。あ、それからこれ弁当」

 いっちゃんは鞄の中から弁当箱を取り出し、僕に渡す。

「あ」

 僕が弁当箱を受け取り声を上げると、いっちゃんは鋭い目付きになる。

「なんだよ、感謝の言葉もないのか? 先輩がそこまで酷い奴だとは思わなかった」

「いや、違う。弁当はありがとう。感謝しながらいただくよ。しかし、僕は少なくとも昨日の夕方のっぺらぼうになったことを自覚してから今まで、何も口にしていないんだよ。うん。妙なことにお腹が減らないみたいだ。喉も渇かない」

 と言いながら、弁当箱を開けて中のおかずを食べていく。驚いたことに冷凍食品の類は一切なく、全てが手作りだった。

「先輩はもう人間じゃないんじゃないですか? のっぺらぼうですし」

「第一元々人間だったかも怪しいしな」

「何を言われても言い返すことが出来ないなあ。もどかしい」

 弁当を食べ終え、蓋をしていっちゃんに渡す。

「ありがとう、おいしかったよ」

 いっちゃんは鼻を鳴らして弁当箱を鞄にしまった。

「てことは、もう明日からは作ってこなくていいんだな?」

「うん。状況が変わって飢え死にしそうになったらまたお願いすると思うけど」

 もう一度鼻を鳴らし、いっちゃんはそれよりトイレの花子さんだよ――と話を切り替えた。

「その花子さんが言ってた通り、最近の怖い話は霊が多いよな」

「都市伝説はそうでもないみたいだけど、恐怖体験では霊の仕業になってるのが多いよね」

「何よりみんな霊を全面的に否定しようとしない。『いるかもしれない』っていうスタンスの奴が多いのも、霊が受け入れられやすい要因かもな」

「あの子は『霊を信じてお化けを信じないなんておかしい』と言っていたよ」

 僕が言うと、意外なことに二人はうんうんと頷いた。

「そうですよね。柳田國男も『妖怪談義』で幽霊や妖怪がいないなんてことはもうわかり切っているって言ってますし」

「どっちも同じなんだよ。元々は幽霊も妖怪も一つの括りの中なんだし」

「ふむ。普通の人間の考え方を言ってみてもいいかな」

 僕が水を差すと、二人はまるで獲物を見つけた猛獣のように目を輝かせた。

「幽霊と妖怪は違うんじゃないかな。幽霊は人間が死んだものだろう? 妖怪はまた違うじゃないか」

「こんな先輩は新鮮です」

 心なしか侮蔑を含んだような調子でにーこ。

「前ならあたしらが突っかかって先輩がそれを否定してたもんなー。立場逆転だ。じゃあそうだな、妖怪は創作物だってのはわかるよな? じゃあ霊は?」

 いっちゃんに言われ、僕は少し考えてみた。果たして空っぽの僕に思考という行為は可能なのかという疑問はあって、それは僕が結論を出して声を上げた後も続いた。

「妖怪は創作物だ。これは少し考えればわかる。では霊はというと、これもある種の創作物だ。考えても納得出来ない人もいるかもしれないけど、当たり前のことなんだよ」

「あれ、先輩話せますね。確かに言われた通りですよね。完全に精神文化として根付いた霊という概念を創作物と言うのは乱暴と思ったりもしますが、人間の想像力が生み出した概念なのでそう言うことも出来ちゃうんですよね」

「死後の世界を考えたいっていう欲求が邪魔をしてるんだよな。結局想像でしかないんだから、妖怪と変わらないんだよ」

「では何故こうも霊がもてはやされるんだい?」

 訊くと、二人は揃って唸りながら考えた。暫くすると、にーこがはいと手を上げた。

「『個人』が社会の中心になったからじゃないでしょうか」

「ちょっとわからないなあ。いっちゃん、フォローしてくれない?」

「そうだなー、今までのもこれからのも全部先輩から聞いたことだけど、昔の日本は共同体中心の生活だったんだよ。ムラ社会だ。そこでは今はもうなくなった憑き物なんかが生きていた。この仕組みもムラ社会に根差したものなんだよな」

「それがどんどん一つの家族単位になっていって、今はもう一人一人が別々に社会で生きています。『個人』が最大単位になった、とでも言えるんじゃないでしょうか。で、今言われる霊は祖霊ではないですよね」

「祖霊って?」

「先祖の霊。その集合体。だからつまり今言われる霊は大体個人の霊なんだよ」

「確かに生きていた、思いのある、そういった個人が対象でないと落ち着かないんじゃないでしょうか」

「そういうのなら素直に信じられるんだろうな。でも今は怖いものとしてばかり話になるんだよ。さっき言った祖霊をきちんと信じてない――知らない奴が、怖い話として霊を出す。なんか歪んでるよな」

「なるほど、リアリティということかな。はるか昔の先祖よりも、認識出来る範囲の死人。もはや人ではない妖怪よりも、人間としての霊」

「でも人間が妖怪になる話もあるんですけどね。入内雀(にゅうないすずめ)とか」

「人間は人間のままじゃないとリアリティがないってことなんじゃないかな」

 僕が言うと、いっちゃんはつまらなそうに声を上げた。

「藤原実方が入内雀になるのも、人間が霊になるのも変わらない気がするけどな。どっちも人間じゃないんだしさ」

「それは普通の人間の感覚からしたら納得出来ないと思うよ」

 僕の言葉に、いっちゃんとにーこは顔を見合わせた。

「先輩、前なら絶対そんなこと言いませんでしたよ」

「今の価値観は馬鹿げてる――なんて言ってたもんな。のっぺらぼうになって考えまで変わっちまうなんて……」

「以前の僕はやはり変な人間だったみたいだね」

「心配しなくても今も変ですよ。のっぺらぼうですもん」

 その言葉には、どこかむなしさが漂っていた。それはきっと僕の顔がないということからではないはずだ。

「先輩はさ、変な人間だったよ」

 声自体は大きいが、悲壮とも取れる妙に震えた声。いっちゃんは目を伏せ、僕と目を合わそうとしない。まあ、僕に目はないのだが。

 にーこが苛むような目で僕を見る。

 果たしてどんな顔をすればいいのか。さっぱりわからなかったが、そもそも僕には顔がない。こんな時は少しだけのっぺらぼうでよかったと思うのだが、まっすぐに二人を見ることは、何故か出来なかった。

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