学校の怪談最メジャー系少女

 いっちゃんとにーこに別れの挨拶をして、校内に人がいなくなるのを待った後、僕は部室棟に向かった。部室が占めるだけの棟が一つあるというだけで、この学校の巨大さが窺い知れる。

 部室棟にはその名の通りいくつも部室が並んでおり、施錠がされているところもあったが殆どが開け放たれていた。

 僕はその中の一つに潜り込み、中に安っぽいソファーと布団があったのでこれ幸いとそこで眠ることに決めた。

 さて、僕が布団に入ってどれくらい経っただろうか。真夜中であることは間違いない頃、僕はぱちりと目を覚ました。

 この目覚めは何と言うかやけにはっきりとしていて、もう一度眠ることは不可能に思えた。

 そこで僕は折角なので誰もいない内に全体像を把握しておこうと校内を見て回ることにした。

 ぬらりひょんは僕が起きたのに気付いたらしく目を覚まし、しょうがないから一緒についていくなどと言い出した。

「悪いね」

「お前が迷惑なのは身をもって知っている」

 ぬらりひょんと二人で校内を歩く。電気を付けるのは見つかるとまずいのでやめておくことにしたが、思いの外よく見える。

 部室棟から渡り廊下を通って別の棟に入り、一階をうろうろしていると、女子トイレの前でばったりと女の子と出会ってしまった。

 しかしこの子、どう見てもこの学校の生徒ではない。身長は小学生程で、着ている服も制服ではなく古臭い赤いスカートで、おかっぱ頭をしている。

「こんばんは」

 どう対応するべきか迷った僕は、結局こんな間抜けな挨拶をしてしまった。

「こんばんは」

 それに笑顔で返答する少女。

「私、トイレの花子さんなんです」

 えへへ、などと笑う。

「トイレの花子さん――それは何だい?」

 僕が言うと、少女は驚いたように目を見開く。

「そ、そんなあ。最近は確かにあんまり言われなくなったけど、一昔前は学校の怪談の最メジャーだったんですよ?」

「済まないな。こいつは見た通りののっぺらぼう。記憶がないのだ」

 ぬらりひょんがそう言うと、花子さんは僕の顔を見てひゃあと悲鳴を上げた。暗くて気付かなかったらしい。

「トイレの花子さんはですね、学校のトイレのどこかの扉を何回かノックして、『花子さん』と呼ぶと返事がするっていう怪談なんです」

「なるほど、君もお化けという訳か」

「そうなりますね。近頃はそうでもなくなってきたみたいですけど……」

 暗い顔をする花子さん。

「君も色々と訳ありか。暇だから話してごらんよ。聞いてあげるから」

 そう言うと花子さんは花が咲いたように笑った。

「そもそも私のルーツの一つは厠神なんです」

「厠というとトイレのことだね」

「はい。厠には古くから神がいると信じられてきました。中国の紫姑神しこしん、神道ならハニヤマヒメやミヅハノメ――。そういった信仰に、様々な俗信が現代――と言ってももう大分前ですが――に姿を変えて形を成したのが私なんです」

 それがですよ――と花子さんはぐっと僕に近付いて力説する。

「なんたることでしょう、私はある一人の人間の霊なんだと言われるようになったんです! 脈々と続く伝承の変異体だった私が、ただの個人の怨霊になっちゃうんです。そして悲しいことに、今の人達にはそっちの方がわかりやすいみたいなんです。名前もある、生まれた年もわかる、趣味嗜好もわかる、そんな正体の方が受け入れやすいんですよ。それは違うでしょう? 私の正体を明らかにするって、そういうことじゃないでしょう? おかしいですよ。霊を信じてお化けを信じないなんて」

 ついには花子さんはわんわんと泣き出してしまった。

 僕は頭を掻きながら花子さんを何とかなだめる。花子さんはどういう訳か僕を恨みがましげな目で見上げた。

「こうなったのも、多分あなたのせいですよ」

「どういうことだい?」

「あなたがそういうことを知っていたから、私は今こうして悩むようになったんです。あなたなんですよ。今の私を顕したのは」

「君も、ぬらりひょんと同じということか」

 ぬらりひょんの方に目をやると不満げに顔を逸らす。

「おや、でもおかしいな。今の僕にはそんな記憶はないよ?」

「知りませんよ。でも、私のお仲間はまだいると思います」

「それはつまり、僕によって感得された妖怪達ということかな」

 花子さんはこくりと頷いた。

 ということは彼らは僕に関する記憶を持っている可能性がない訳でもない。自分を取り戻すために、彼らと話すのもいいかもしれない。しかし、まあ――

「面倒臭そうだね。だから僕の方から捜すなんてことはしないことにしよう。面倒臭いのは今のところ相棒だけで充分だ」

 自分が誰かなど、わからなくともどうにでもなる。そもそもまず、自分が誰かなどということを、真の意味でわかっている人間などいないのである。そしてそれは当たり前のことで、「自分探し」など愚の骨頂。自分とは探すものなどではない。自分で常に築き続けていくものなのだ。

 だから、僕は別段困ることはない。

「おや、そろそろ夜明けだね」

 白み始めた外を窓から見て、僕は欠伸をする。

「まあ、君も大変だろうけど頑張って。僕はのんびり構えているから」

「じゃあ、じゃあ、今度はきちんと作法通りに私を呼んでみてくれませんか? このところ誰もやってくれないので――」

 僕は自分の今立っている場所を確認し、肩を竦めた。

「それは無理だよ」

「な、なんで――」

「ここ、女子トイレじゃないか」

 花子さんは、がっくりと肩を落とした。

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