のっぺらぼうとぬらりひょん

久佐馬野景

のっぺらぼうは誰でしょう

 僕とこの相棒――この言い方は芳しくないが友人でもないし知人でもないし人でもないので今はそういっておくことにする――が出会ったのは、なんて出会いの場面をつらつら語っても仕方がない。

 とにかく、そいつは今ここにいる。

 世間では凄い言われようで、やれ妖怪の総大将だ鬼太郎のライバルだ孫がいるだなどと言われている訳であるが、今僕と一緒にいるこいつはただの頭が長い変な何かである。

 皆さんご存知、ぬらりひょんということになる。

 どうやら彼は僕が感得したことによって形を成したらしく、そのせいか威厳というものを持ち合わせていない。

 それどころか、自分は偉くないだの、勝手なイメージを抱くのは止めてくれだのと言ってくる。

 終いにはこうなったのも全て僕のせいだ――と宣うのである。

 彼曰く、僕が中途半端にぬらりひょんのことを知っていたせいで世間で流布しているイメージで顕われることが出来ず、結局自信というものがすっぽりと抜け落ちてぽんと湧いて出てしまった――らしい。

 なるほど、僕はぬらりひょんのことを知っていたのか。などと過去の自分に思いを馳せてみる。

 折角だからはっきりと言おう。僕にはその過去の記憶がない。故に自分が誰かもわからないし、自分を認識しようにも出来ない。

 僕は、気付くとのっぺらぼうになっていた。

 しかしまあ、不思議というかご都合主義というか、物は見えるし音は聞こえるし臭いはわかるし食べたり飲んだりも出来る。

 という訳で日常生活に困ることはないのであるが、自分が誰だか顔を含めてわからないというのはなかなか困る。

 どうやら、僕がのっぺらぼうになったのはぬらりひょんが僕の許に顕れた直後らしい。僕の中に今はないぬらりひょんに関する記憶がなければ彼はこうして存在していないし、苦悩することもなかったのだからこれは疑いようがない。

 つまり、だ。このぬらりひょんこそが顔のあった頃の僕の最後の遺産。失った過去を繋ぎ止める一本の糸。

 そういうことで、このぬらりひょんを邪険にすることは出来ない。愚痴を聞いてやりつつ、僕が何者なのかを留めておかなければ。なので今は若干不本意であるが「相棒」と呼ぶことにしよう。

 さて、僕がぬらりひょんと出会い――つまりのっぺらぼうになってしまっていた場所は、どうやら学校の教室の中だったようだ。

 そこでぬらりひょんと色々と話をしていたのだが、お互い話すことも尽きてしまった。といっても僕が話せることなど殆どないので、ぬらりひょんが一方的に愚痴をこぼしていただけなのであるが。

 僕は制服を着ていた。落ち着いた黒のブレザーで、大きく着崩すこともなく、かといって徹底的に型にはまっている訳でもない。

 どうやら僕はこの学校の生徒らしい。これは大きな進歩と言える。生徒ならば必ず名前がある。調べる方法はいくらでもある。

 では少し校内を見ておこうかなどと思い、机の上から腰を上げようと――僕は机の上に座っていた――すると、教室の前のドアが開いた。

 僕はその時自分の顔がどうなっているのかということを失念し、そちらに顔を向けてしまった。

 制服を着た、二人の女生徒がこちらを見ている。

 一人はすらりと背が高い。大きな瞳と綺麗な眉。髪は首の辺りまで伸ばし、少し茶色が入っている。

 もう一人は隣と比べると背が低いが、全体で見れば平均くらいだろう。思い切りあどけなさの残る顔だが、真っ黒な髪の毛は大人っぽく少しウェーブをかけながら腰の辺りまで伸びている。

「先輩……?」

 背の低い方の子が僕の顔を見てぽかんと口を開け、隣の子が目をぱちぱちさせながら呟く。

「先輩が――のっぺらぼうになってる! どうしよういっちゃん!」

 背の低い子が漸く開いたままの口を閉じてそう言って慌て出す。

「あたしが知るか! でもまああの顔をもう見なくて済むと思えば、こっちの方がいいんじゃないか?」

「あ、確かにそうかも」

「ちょっと君達」

 君達? ――と二人揃って首を傾げながらこちらを向く。

「済まないけど、僕のことを知っているんだよね。僕が誰かを教えてくれないかな?」

「な、何言ってんだこいつ――」

 いっちゃんと呼ばれていた子が冷めた目で僕を見る。これが俗に言うドン引きという奴だろう。

「あ、そうか。のっぺらぼうだから自分のことがわからなくなってるんだよ。そういう小説読んだことあるもん」

「おお、流石にーこ。ってちょっと待て。それってあたしのことも覚えてないってことか?」

 射るような視線で僕を見る。

「申し訳ないけど、何も覚えていないよ」

「なんだと! あたしにあんなことしておきながら忘れたっていうのかよっ」

「うん。何があったか知らないけれど、本当に何も覚えていないんだ」

「ねえいっちゃん、あんなことってなあに?」

 訊かれていっちゃんは顔を真っ赤にする。ああ、僕は相当酷いことをしたようだ。省みることは出来ないけど形だけは反省しておこう。

「に、にーこは知らなくていいんだよ」

「それで、知っていることを話してくれないかな?」

 訊くと、いっちゃんは難しい顔をする。

「つってもなー、あたしら先輩のこと何にも知らないんだもん」

「知らないって、せめて名前は?」

「知りません」

 にーこと呼ばれていた子が清々しいまでにきっぱりと言い放つ。

「知らないって……」

「本当に何も知らないんだよ。何も教えてくれなかったし、自分のことは『先輩』って呼べの一点張りだったし」

 僕は一体何者だったんだ。いや、二重の意味で。

「入学してすぐに、私といっちゃんがこの空き教室に入ると先輩がいたんです。それでなんやかんやでよく三人で話すようになって。と言っても会うのは決まって放課後で、それ以外の時間に先輩を見たことはないんですけど」

「じゃあ、暫く待とう。それで長期間無断欠席している生徒がいたら教えてくれないかな。それが僕かもしれないから」

「候補が多すぎます」

 にーこが先程と同じようにばっさりと斬り捨てる。

「どういう意味だい?」

「まずこの真怪しんかい高校は、総生徒数三千人を超すマンモス校です。そして私達が入学して以降、断続的に生徒の行方不明事件が起きています」

「へえ、なかなか物騒だね」

 などと呑気に言うのも、僕がもう万策尽きてしまったことを察したからだった。

「じゃあ仕方ないなあ。まあ困ることはあるけれど、自然に治るまで放っておくしかないみたいだし。いっちゃんとにーこだったね。忘れてしまったけれど今まで通りに接してくれていいから。それから、こっちはぬらりひょんだ」

 僕の座っていた机の横にずっと立っていたぬらりひょんをここで漸く紹介する。二人は揃ってそちらを見るが、何も見えていないようだった。

「ふむ、見えないのか。彼は僕が感得したから、僕だけにしか見えないのかもしれないな」

「そういえば、昨日の話題はそのぬらりひょんだったよな?」

 いっちゃんが言うと、にーこが頷く。

「先輩お得意の中途半端なお話だったね」

「僕がぬらりひょんの話をしたのかい?」

「はい。先輩はよくそういうどうでもいい話をします」

「『妖怪畫談全集 日本篇 上』が妖怪の親玉説を唱えたんだよなー。つってもこれは完全に創作で、出版されたのは昭和四年で新しい」

「それで時々それを否定するように使われる『家に上がり込んで飲み食いをする』っていうのは実はそのさらに後、昭和四十七年の『いちばんくわしい日本妖怪図鑑』で出た設定なんですよね」

「でもそれを糾弾するのはお門違い。妖怪なんてのは所詮全部創作。後付け万歳――っていう話だったな」

 なるほど、これでぬらりひょんが自信を喪失した理由がよくわかった。僕が知っていた知識を元に顕れた彼は、自分にそんな設定がないということに気付いてしまったのだ。それまで大将面していたのが一気に足元が崩れ去った。哀れ。

「先輩、覚えてないんですか?」

「うん。ウィキペディアでも見ればその程度は語れるようになるとは思うけど、残念ながら今はさっぱりだよ」

「そういえば前にのっぺらぼうの話をしたこともあったな。一番有名なのはやっぱり小泉八雲の『むじな』?」

「あ、そうか。さっき言った私が読んだ小説ののっぺらぼうの呼び名もそこから取られてるんだ。『むじな』は所謂再度の怪っていうやつですよね、先輩」

「え? うん。そうなの?」

「朱の盤とかがそれだよな。中国の怪談がルーツで、一度出会って、逃げて一息吐いたと思ったら、もう一回どーん!」

「それは僕が話したのかい」

「そうですよ。先輩は会う度にそんな話をするので、私達もすっかり覚えてしまったんじゃないですか」

 僕はよっぽど物好きな人間だったようだ。それに付き合うこの子達もこの子達だとは思うが。

「のっぺらぼうといえばぬっぺっほうも類型になるよなーちょっと違うけど。あっちも顔がないけど、顔と身体の区別がない全身肉の塊だし」

「『忍者戦隊カクレンジャー』では顔を舐められると顔を奪われるっていう妖怪だったよね」

「あの設定は多分創作だろうな。あの中の妖怪は現代になって変わったっていう設定だし。でも作中で言われている『元々は寺に出る死肉の集まりだった』っていう設定も最近のなんだよな」

「そうそう。ぬらりひょんと同じ『妖怪畫談全集 日本篇 上』からなんだよね」

「つーか先輩、何か言えよ。いつもの中途半端な話はどうしたんだよ」

 いっちゃんが言うも、僕はのっぺらぼうなのでそういった記憶がなくなっている。

「うん、僕はくだらないことを知っていたものだね」

「全くです。それを延々私達に話す先輩はどうかしてると思います」

 にーこは僕に対して敬語を使うが、実際敬っているかと言われると疑問が残る。

「大体先輩はいい加減なんだよ。だからそんな顔になんだ」

 厳しい物言いのいっちゃん。

「ふむ、ではぬらりひょんの愚痴を代弁しようか」

「またそういうくだらない話をする」

「やっぱり先輩は所詮先輩ですね」

 話をして欲しいのか黙っていて欲しいのかどっちなのだろう。

「僕が女性だったら濠の縁で顔を隠して泣くよ」

 あ、と二人が同時に声を上げる。

「『むじな』だ」

「『むじな』ですね」

 二人揃って訝るような目で僕のなくなった顔を見る。

「先輩、本当に何も覚えてないのかよ?」

「うん、何も覚えていないのだったら喋ることすら出来ない。だからその言い方には語弊があるね」

「おちょくってますね。先輩らしいです」

「そんなつもりはないんだけれどな。君達の思う僕というのはよっぽど悪質な人間なのかい」

 頷く二人。

「参ったな。さて、これからどうしたものか」

 悩む素振りを見せると、いっちゃんは「勝手にしろ」と、にーこは「ご自由に」と言う。どちらも意味は同じである。

 僕が困った表情――はないので挙動を見せると、にーこは冷めた表情を見せたままだったが、いっちゃんが堪え切れないように声を上げた。

「行き場がないなら学校に泊まればいいだろ。部室棟の中には布団があるとこもあるし、飯ならあたしが弁当作ってきてやる」

「なるほどそれはいいね。では部室棟とやらに向かうとしよう」

 机から下りて立ち上がる。立ってみて初めてわかったが、僕の上背はいっちゃんと殆ど同じらしい。

「ぬらりひょん、やはり僕についてくるのか。全く君は勝手だね」

 妖怪の総大将にもなれず、人の家に勝手に上がり込むことも出来ない。そんなぬらりひょんだが、そうしてしまったのは僕のせいであるらしい。仕方がない。この時、僕は彼を相棒と呼ぶことに決めた。

「そういえば」と僕が教室の外に出ようとするとにーこが言う。「ぬらりひょんは石燕の絵では説明が何も書かれてないですよね。絵から意味を汲み取ることも出来ないから、結局何なのかわからない。先輩もそんな感じです」

「僕が?」

「姿形はあるのに、何なのかがさっぱりわからない。先輩は顔があった時からそういう人でした」

「そうそう。自分については何も話さないし。だからそうだな、気を抜くと先輩もぬらりひょんみたいになっちまうぞ」

 意地悪く笑いながら言ういっちゃん。

 なるほど、過去も顔もない僕は、周囲からいいように設定を付け加えられてしまうこともあるだろう。昔の僕や彼女達のような物好き以外には受け入れられて定着するだろう。そうなればもう、僕が何だったのかを捜し出すのは困難になる。

「それもいいかもしれないね」

 そんなことを言って、僕はぬらりひょんに目配せをする。やあ、僕と君は似た者同士だそうだよ。ぬらりひょんは見るからに厭そうな顔をした。

 僕も渋面を作って応えようとしたが、のっぺらぼうなのでそれは無理な相談だった。

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