mission13-41 神の死


 ライアンが破壊神と化す瞬間を目の当たりにした直後、ルカたちは再び真っ暗な空間に放り出された。天も地もなく、果てしなく広がる闇。冷たくて、静かで、何もない。


"ここが『屍者ししゃの王国』の本当の姿さ"


 暗闇から溶け出すようにしてハデスが現れた。白と黒の二色で描かれたような姿をしているせいで、うっすらと輪郭にたたえる光がなければ周囲の漆黒に紛れて見失ってしまいそうだ。


「今の、おれたちが見たものは一体……?」


"破壊神の誕生を間近で見た死者たちの記憶を紡いで作ったものだろう。いつの間にそんな器用な真似ができるようになったのやら……なぁ、ソニア"


 ハデスの呼びかけに応じるように、少し離れた場所で暗闇が揺らいだ。ソニアだ。その左半身の軍服はぼろぼろに焼け落ち、皮膚は赤黒い光に侵食され、怪しく明滅を繰り返す。


 そして彼の背後には巨大な影——破壊神の姿があった。巨大といえど、砂漠の中央で見た時よりもさらに縮んでいて、今や人の二倍程度の大きさになっていた。厭世の念が徐々にソニアに引き寄せられ、共鳴権が移ろうとしているのだ。


「これでようやく果たせる。ライアン様からの最後の命令を」


 ——私が私でなくなる前に……君の手で殺してくれ。


 ライアンがソニアに言い残した言葉。


「お前はずっと、それだけのために……?」


「そうだ」


 『終焉の時代ラグナロク』が始まって、前線の近くにいた者たちのほとんどは地割れの中に飲み込まれるか、破壊の眷属と化した。それはソニアのいた拠点も同じだった。かろうじて生き残った者たちが身を寄せ合っているところに、顔に傷を負ったマティスが戻ってきて告げたという。


 ライアンは死んだ、と。


 だがソニアはその言葉を信じなかった。感情に任せたわけじゃない。彼は知っていたのだ。おびただしい死者たちの声の中に、ライアンの声が混ざってはいないことを。


 話を聞いていたアイラはぎゅっと自らの拳を握りしめた。


「だからって、あなたがやってきたことの言い訳にはならないでしょう……! どうして破壊神と共鳴することに繋がるのよ……!」


“それは……神が死ねないからだ"


 答えたのはハデスだった。彼女は普段あまり見せない苦い表情を浮かべて続ける。


"神には死という概念が存在しない。ワタシたちのような創世期の神だけでなく、現人神あらひとがみも同じだ。だから、神となった者を殺すにはその者の神格を剥奪するしかない。確かに、それをあいつに教えたのはワタシだ"


「ああ。だから俺はハデスと契りを結ぶことにした。死神の力があれば厭世の念を手っ取り早く集められる。不死の契約があれば無茶が効く上に、どのみち俺が破壊神と共鳴すれば契約は破棄される」


"……つまり、まんまと利用されたわけだな"


 ハデスが歯ぎしりをしながら口の端を吊り上げる。笑っているように見えるが、横にいる彼女からはびりびりと殺気が伝わってきた。


“ソニア、お前がこの日をいかに待ち望んでいたかはよーく分かった。……だがね、お前には無理だよ"


「この期に及んでうそぶく気か? 悪いがお前のおしゃべりをのんびり聞いている余裕はない」


 ソニアが長刀を抜き、薙ぎ払う。赤黒い光を帯びた衝撃波がルカたちに襲いかかった。


「ぐっ!!」


 ユナがとっさにカリオペの歌で守りのヴェールを張るも、軽減できるダメージは僅かだった。『屍者の王国』に引きずり込まれる直前に受けたものと同じ技だが、格段に威力が上がっている。


 さらにルカたちを近づけさせまいと、赤黒い炎が壁のように立ちはだかる。ソニアはくるりと背をむけると、破壊神に向き合った。


「さぁ来い、ウルハヴィシュヌ。俺の身体をくれてやる」


 ドクン!


 空間全体が大きく揺れた。破壊神の胸元に開いた禍々しい瞳がソニアを凝視し、赤黒い稲妻が彼の周囲をぐるぐると駆け巡る。


 そんな中、ハデスがよろよろと立ち上がって笑い出した。彼女はルカたちと同じく衝撃波を受けていて、ルカたち以上にダメージを受けているようだった。黒いドレスはボロボロに破れ、白い肌が露わになっている。それでも彼女は狂ったように笑う。


“甘い、甘いねぇ! 破壊神になろうという者が、この程度の攻撃とは! 本末転倒、笑止千万! 覚悟があるなら殺せばいい! なのになぜそれをしない!? ええ!?”


「お、おいハデス、あんまりソニアを刺激するなよ!」


 ドーハは彼女の口を塞ごうとしたが、ハデスは不敵に笑ってひらりとかわす。


"大丈夫だ。ワタシには勝算があると、そう言ったろう?"


「けど……!」


 赤黒い光はすでにソニアの全身に達しようとしていた。


「うっ……うおおおぉぉぉおおおぉぉぉおお!!」


 身をよじり苦痛に悲鳴をあげながらも、途中で投げ出す気配などない。このままでは本当に破壊神と共鳴してしまう。


「私が、止めなきゃ……!」


 アイラが銃を構え、ソニアに照準を定めた。だが、ハデスが彼女の前に立ち塞がって邪魔をする。


退きなさい! あの子を止めるには、今しか——」


“まぁ、そう焦るな。今にわかる”


 赤黒い稲妻が収束していく。


 ソニアの全身に灯っていた赤黒い光が消えていく。


 ただ、何かがおかしかった。


「……な」


 破壊神の胸の瞳が、気だるげにまぶたを閉ざす。


 するとソニアの身体から何かが抜け出し始め、彼の周りにもやを作り出した。やがてそれは吸い込まれるように破壊神の方へと流れていく。


 厭世の念が逆流しているのだ。


「なぜだ……!? ウルハヴィシュヌ……なぜ俺の元に来ない……!」


 ソニアはもう一度長刀の切っ先を向け、ウルハヴィシュヌに呼びかけた。だが、閉ざされた瞳はぴくりとも動かない。


 ルカたちにも何が起きているのかさっぱりだった。


 皆が唖然としている中で、ハデスがクスと笑う。


“ソニア。お前は厭世の念とは何かを勘違いしている”


「何……?」


 ゆらりと振り返るソニア。


 赤黒い稲妻を浴び、あちこち火傷のような傷を負った上半身が痛々しい。だが痛みなど感じてはいないだろう。普段無表情な彼から、今は何よりも強い感情が発せられている。


 怒りだ。


 もはや赤黒い炎の壁は消え去っていた。


 苛立つソニアとは裏腹に、ハデスは愉悦の笑みを浮かべながら一歩一歩もどかしい歩調で彼の方へと歩き出した。


“分からんなら教えてやる”


 彼女はそう言うと、唄うような口調でペラペラと話し始めた。


 そもそも厭世の念とは、世界と自らの存在のあり方について疑う、生物の生存欲求とは相反する感情のこと。世界は間違っている、こんな世界は無くなってしまえばいい、自分に存在価値などない、死んだほうがましだ——そういう感情が集まって厭世の念となり、世界を破壊する原動力となる。


“ところがお前はどうだ”


 ハデスのか細い腕が、一直線にソニアを指した。


“世界がどうこうなど関心がない。おまけに自分の存在意義など微塵も疑っちゃいない。なぜか!”


 ハデスはちらりと破壊神に視線を向けた。


“お前の思い出の中のライアンが、お前を肯定してくれているからだ”


「っ……!」


 自分を見失いかけていたソニアを拾ってくれたこと。死者が見える眼を気味悪がらず、友として接してくれたこと。そして、別れ際にソニアに生きる目的を与えてくれたこと。


“だいたいな、考えてもみろ。恩に報いようとして生きる者が厭世の念など持つはずがない。お前がいくらその手を汚そうと、お前の意志は綺麗なままだった”


 ついにソニアの目の前まで来て、ハデスはその腕を彼の首に回す。




“……もう分かるだろう?”




 耳元で囁くと、ハデスはすっと息を吸って、言い放った。




“本人がちっとも穢れていないから、ウルハヴィシュヌも呆れて手を引いたのだ!”




 空間がぐらぐらと揺れ始める。


 黒い雨が降り注ぐ。


 いや、雨じゃない——『屍者の王国』が溶け始めていた。見上げれば雨となって溶けた場所から光が差し込んでいる。




「…………ふざ、けるな…………」




 ソニアの声が、震えている。




「……それなら俺は、神をも殺す力を手に入れる」




 ——グサッ!!




 ソニアの長刀がハデスの身体を貫いた。


 短い呻き声の後、力無く首をだらりと後ろに垂れる。


 彼女の漆黒の唇は、それでも笑みを作っていた。




“……本、望だ……。ワタシの神格を奪い、次の冥府の王となれ、ソニア……!”




 二人を中心に漆黒の霧が渦巻く。


「何だ!? 何が起きている……!?」


 慌てふためくドーハの問いに答えられる者はいない。だが、今この場所が危険であることだけは確かだった。『屍者の王国』の崩壊は勢いを増し、底のない奈落へと落ち始めている。


「みんな、こっちへ!!」


 ウラノスが青白い光を帯びた羅針盤を描く。


 どこへ転送できるかはウラノス本人にもわからない。ただ、この場で全滅するよりはましなはずだ。ルカたちは迷わずその光の中へと飛び込んだ——



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