mission13-24 ソニアの目的




 ルカたちがマウト旧市街に着く少し前のこと——


 ヤハンナム大砂漠の中心地。かつて強大な二国同士がぶつかり合い、長きに渡る戦いの末に破壊神が生まれ、そして『終焉の時代ラグナロク』が引き起こされた場所。


 そこに一人の青年が立つ。


 ソニア・グラシールだ。


 彼の通ってきた場所には点々と血が落ちている。


 ここまで激しい戦闘があったわけではないが、その身にまとわりつく厭世の念によって傷が癒えるのを妨げられ、古傷が開いているのである。


 不死の身とはいえ蓄積された痛みと疲労が彼の身体を蝕み、つつけば簡単に倒れてしまいそうなくらいに満身創痍。


 そんな状態で破壊神の前に立つなど正気の沙汰ではない。ましてやヴァルトロでの地位や家族を棄ててまで、一体何がしたいのか。さすがの神石ハデスも呆れておしゃべりな口をぴしゃりと閉ざしてしまっている。


 その場に響くはただただ渇いた砂嵐の音だけ。黒ずんだ砂塵は無秩序に渦を巻き、命あるものを喰らいつくさんと鎌首をもたげる蛇のようである。


 足場はばきばきとひび割れていて、一歩踏み外せば底なしの深淵に誘われるだろう。実際、七年前の『終焉の時代』の幕開けで、多くの兵士たちがこの地割れの中に飲み込まれて命を落とした。ソニアはその瞬間に居合わせたわけではないが、前線に出ていた者たちのほとんどが帰らぬ人となり、残された者は皆呆然とした状態で引き揚げていく様はいつまでも目に焼き付いて離れない。


「……ライアン様。約束を果たしに来ました」


 気づけば周囲は大型な破壊の眷属たちや特異種たちによって取り囲まれている。ソニアの持つ厭世の念に惹かれているのだ。彼らの咆哮が耳障りな合唱を奏で始める。それでもソニアは動じることはなかった。じっとその場に佇んで待つ。


 かつてのあるじの訪れを。


 やがて地面がぐらぐらと揺れ始めた。


 大地を二分するかのように東西に走る最も巨大な亀裂から、白く膨張した人の手のようなものがぬっと現れる。


「オオ……オオオオ……」


 緩慢な動きで這い上がって姿を見せた破壊神は、以前ジーゼルロックで対峙した時よりも一回り巨体になっていた。ルーフェイで行われた『玖首蛇くずへびの式』によって完全体を取り戻したのだ。ぽっかりと空いていたはずの胸の穴は埋まり、今はそこに不気味な赤黒い瞳がぎょろりとはまっている。


 向かい合うだけでぞわぞわと身体の内側を虫が這いずり回るような悪寒が襲いかかってくる。嫌でも慣れた死者たちの気配とはまた違う、あらゆる絶望や憎しみを混ぜて煮詰めたような気味の悪さだ。


「ウウ…………ウオオオオオオオオ!!」


 おぞましい雄叫びと共に地面が再び振動する。


 全ての命を否定し、世界を終焉に導く存在。だがそれ以前に、彼はライアンという一人の人間であったことを、そして善良な人間であったがゆえに今の姿があることを、ソニアは誰よりもよく知っていた。


「もうすぐです……もうすぐ楽になれます。俺が、あなたの苦しみを引き受ける」


 眼帯を外す。その下に隠された光を映さない瞳——ハデスの神石から、ぽたぽたと黒い涙がこぼれ落ちる。涙は砂の上で染み広がり、黒い煙を放ちだした。煙の中からは死者たちの嘆く声が折り重なって響く。ソニアの手によって葬られた、おびただしい数の死者だ。彼らの怨念が、ソニアにまとわりつく厭世の念を一層強めていく。


「ぐっ……!」


 胸が締めつけられる。身体中がきしむ。全身から汗がどくどくと流れ、傷口は疼き、生きるのに必要なものがざくざくと削られていく感覚。


 周囲の破壊の眷属たちの合唱が大きくなり、脳が直接揺すられているかのように平衡感覚がおかしくなりそうだった。


 そんな彼の様子を、破壊神の胸にある瞳が何かを見定めるかのようにじっと見つめている。


「ウルハヴィシュヌ……そうだ、そのまま俺を見ていろ……。好物なのだろう? 人々の厭世の念が……!」


 ソニアは長刀を鞘から抜くと、その切っ先を破壊神に向けた。


 破壊神の胸の瞳孔がワッと開いたかと思うと、赤黒い光を帯びた稲妻が走った。稲妻はとぐろを巻いてソニアの長刀にまとわりつく。


「ッ……!」


 武器を持つ腕を太い針で何度も何度も刺すような痛みが襲う。少しでも気を緩めればあっという間に意識を持っていかれる。ソニアは唇を噛み、そのまま耐え続けた。胸の瞳が興味深そうに目を細める。稲妻が一層激しく降り注ぎ、痛みがどんどん増してくる。


(これほどまでに強いのか……! ライアン様を苛む苦痛は……!)


 それでもここで退くわけにはいかない。


 今この瞬間のために、あらゆるものを棄ててきたのだから。


「ぐ……ぁぁぁぁあああッ!!」


 意識を保つべく、長刀で自らの左手の甲を貫く。その傷口から赤黒色の閃光が入り込み、ソニアの皮膚の表面が徐々にその色に染まっていく。呻きながらもまだそれを受け入れようとするソニアに、ハデスはついに口を閉ざしてはいられなくなった。


"愚か者め! 何をする気だソニア!? ウルハヴィシュヌが入ってくる!! 奴の力は圧倒的だ……!! ワタシが追い出されてしまう!!"


 するとソニアは苦痛に顔を歪めながらも口元を緩めた。


(……そうか。それなら本望だ)


"なん、だと……!?"


(あらゆる者から恨まれ、忌み嫌われることで厭世の念を引き寄せる。その対象は神であっても、だ)


"お前……まさか……!"


 その時、ソニアの背後で青白い光が灯った。ウラノスの瞬間移動だろう。そして共に行動している者たちは……サマル遺構群の襲撃に向かわせていた屍兵たちを通じて把握はしていた。


「ここまで、来たか……」


 ソニアはゆらりと振り返る。


 彼の漆黒の右眼には今、禍々しい赤い光が不安定に揺れている。


 ルカたちはひと目見てただごとではないことを察した。


「ソニア……! あんた一体何を——」


「伏せてください!!」


 悲鳴にも似たミハエルの叫びに、ルカたちは反射的にその場に伏せた。頭のすぐ上を赤黒い光を帯びた衝撃波が通り過ぎる。


「なんだ、今の……?」


 恐る恐る顔を上げる。どうやらソニアが長刀を薙ぎ払ったことで生まれた衝撃波のようだ。だが今の威力、光の色は彼の本来の力とは別物。よく見ればソニアの背後に佇む破壊神の巨大な身体が少しずつ萎んでいた。それに伴い、ソニアにまとわりつく赤黒い稲妻が強さを増していき、彼の身体に侵食していく。


「これはまさか……共鳴権の、移動……?」


 ミハエルは息を飲む。


 その現象自体はこれまでも何度か遭遇していた。マグダラからミハエルへ、エルメからドーハへ。神石はより適性のある者を共鳴者に選ぶ。確かに破壊神の神石ウルハヴィシュヌもその例外ではない、が。


「ふざけないで……! もしかして、そのためにあなたは……!」


 アイラは言葉を詰まらせる。


 これまでの彼の不可解な行動の意味が繋がってしまったからだ。


 破壊神の共鳴権を奪うには破壊神を惹きつけなければいけない。破壊神とは厭世の念の象徴だ。つまり最も多くの厭世の念をまとう人間に関心を持つのは必然。


 だからこそソニアは神石の力を容赦なく行使して、多くの人々を死に追いやった。そしてアイラが彼を憎むようにも仕向けた。


 ソニアは肩で息をしながら、ふっと笑う。


「その通り……だが、どうやらまだ足りないらしい」


 ルカたちの足元から黒い霧が吹き出す。『屍者の王国』の予兆。だがいつもとは少し雰囲気が違った。時折赤黒い煙が混ざっていて、煙の勢いもまばらである。


"いい加減にしろ! こんな不安定な状態で力を使えば——"


「どうなっても構わない。ブラック・クロス……それに姉さん……悪いがライアン様のための犠牲になってもらおう」


 ソニアは長刀を高く掲げ、その切っ先を地面に向かって勢いよく突き刺した。


「……”冥帝の名によりて命ずる。の地に眠る屍者ししゃたちよ、今こそ輪廻りんねの境界を解き放ち、生にしがみつく者どもをその常闇とこやみへといざないたまえ”——」


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