mission13-25 再演
(あれ……あたた、かい……?)
肌に触れる何かの温かさで目を覚ましたアイラは、ゆっくりと上体を起こした。どうやら砂漠の中で倒れていたらしい。地面についた手はさらさらと柔らかい砂に浅く埋もれていく。さんさんと照りつける太陽は眩しくて、さっきまで暗闇に満ちた場所にいたことが嘘かのようだった。
見渡しても周囲には誰もいない。破壊神もソニアもブラック・クロスの仲間たちもどこにも見当たらない。
何が起こったのだろう。以前ルカたちに聞いた話によれば、あの感覚はおそらくソニアの神石の力『
(ここに立ち止まっていても仕方ないわね)
少し離れた場所には蜃気楼で揺らぐ小さなオアシスが見えた。もし仲間たちが同じ場所に迷い込んでいるのなら、きっとあそこに向かうに違いない。アイラは立ち上がってオアシスの方へと歩き出す。
一歩、また一歩。
(まさか……)
そのオアシスが——オアシスの泉の側にある建物の形が、はっきりと見えてくるにつれてざわざわと胸騒ぎがし始めた。
二階建ての泥でできた家。質素だが二十人くらいは住める広さがあり、背の高いヤシがそばに生えていることで日差しが直接当たるのを防いでいる。家の前には庭があって、木でできた遊具で子どもたちが遊んでいた。
それが、偽りの平穏を演じるためのものとも知らずに。
(知っている。この場所は、この光景は——)
「おねえちゃん」
急に話しかけられ、アイラは逸る鼓動を抑えながら声がした方を振り返った。
いつの間にか小さな男の子が立っていた。他の子たちとは違う、どこか沈んだ表情を浮かべた男の子。黒い髪の毛は伸びっぱなしになっていて、右眼をすっかり隠してしまっている。遊んでいる最中だったのか、手にはヤシの実でできたボールを抱えて持っていた。彼が幼い頃によく遊んでいたのと同じボールだ。
「ソニア……!?」
思わず名前を呼んでしまった。
幼いソニアは不思議そうに首をかしげる。
「ぼくのこと知ってるの?」
「え、えっと……」
どう答えたものか。
そもそもなぜソニアがここにいるのだろう。『屍者の王国』なら、死者かソニアの技に飲み込まれた人物しか存在しないはずだ。少なくとも以前ゼネアでソニアが同じ技を使った時には、ソニア本人はこの場所にいなかったはず。
(状況が分かるまであまり干渉しすぎない方がいいかもしれないわね)
普段の冷静な思考を取り戻しつつ、アイラは言い直した。
「ごめんなさい、知り合いにあなたに似ている人がいて、つい」
「そうなんだ……」
幼いソニアはしゅんと俯く。
思い返してみれば、この頃の彼はまだ今に比べて表情豊かだったように思う。当時のアイラには神石による聴力補助がなかったぶん、彼の言葉よりも表情の機微をよく見ていたせいもあるかもしれないが。特に当時の彼の左眼は口ほどに物を言うことが多かった。嬉しい時や興味がある時は眠たげな
今のソニアは落ち込んでいるように見えた。
「どうかしたの?」
アイラが尋ねると、彼は俯いたまま呟いた。
「ぼくね、気づいたらここにいたの。生まれたばしょも、お母さんのかおも知らない。……だから、ぼくいがいにぼくのこと知ってる人がいてくれたらいいなって、ちょっとキタイしちゃった」
アイラは黙ってソニアの頭を撫でてやる。
二人が育った施設には戦争孤児たちが集まっていた。住む場所や親だけではなく、アイラのように身体の機能の一部を失った子どもばかりだった。ただ、ソニアのように初めから何も持っていない子どもは珍しい。戦争に大切なものを奪われていく記憶がないだけ幸せだという見方もあるかもしれないが、きっと孤独を感じていたに違いない。死者が見える右眼のせいで、アイラ以外の人間から避けられていたこともあって余計に。
ソニアの小さな手が、ぎゅっとアイラのコートの裾を掴んだ。
「ねえ、こんなところにいたらあつくてたおれちゃうよ。ぼくたちのおうちにおいでよ」
ソニアはそう言ってオアシスの方へと歩き出す。断る理由もなかったアイラは、彼の歩幅に合わせてゆっくりとその後を追った。
ウグイス色の修道服に身を包んだ若い女が出迎える。彼女は「おかえりなさい」と聖女そのものの穏やかな微笑を浮かべて扉を開けたが、ソニアとその後ろに続くアイラを見てあからさまに表情を曇らせた。
「ソニア、その人は……?」
ソニアは無視して修道女の前を横切り、建物の中へと入っていく。修道女はうんざりしたようなため息を吐くと、アイラに視線を向けて棘のある口調で言った。
「うちも余裕がないんです。あまり長居はしないでくださいね」
修道女がキッチンの方へと姿を消すのを見届けて、アイラはどっと流れ出した冷や汗を拭った。
アイラは彼女の正体をよく知っている。
一見ミトス神教会の修道女に見えるが、それは子どもたちを出し抜くための仮の姿。本性はアトランティス民族解放軍と闇取引をしているファシャルだ。民族解放軍に戦争孤児を連れて来てもらう代わりに、彼らに活動支援金を手渡す関係にあった。
そして、九年前にソニアに殺されている。
他にも二人、施設に大人がいるが、二人とも彼女の仲間であり、同じくすでに亡き人となっているはずだ。
(これが、『屍者の王国』……)
自らを落ち着けるため深呼吸を繰り返す。
(呑まれちゃいけない……ルカたちと合流しなくちゃ……)
ソニアが向かった方へと足を進めると、彼の声が聞こえてきた。
「姉さん、ひとつだまっていたことがある」
小さな部屋で、ソニアが人形に向かって語りかけている。いつの間にか彼の背丈が伸びていた。砂漠で会った時は五歳くらいだったが、今は十歳くらい。つまり、彼が施設の大人たちを殺した時の姿。
どくどくと脈が早打つのを感じながら、アイラはソニアに近づく。
「信じてもらえないと思って、だまっていたんだ」
ソニアが話しかけている人形には、毛糸でできたえんじ色の髪に、灰色のボタンの目がついている。アイラにそっくりだ。
「この施設のシスターたちには……死霊がたくさんまとわりついてる。それも、子どもの死霊が」
人形は何も答えない。ソニアは一人で語り続ける。
「見た顔もいる。このあいだ里親に引き取られたはずのアレックスが、悲しそうな顔で訴えかけてくるんだ。……『助けて、痛い、苦しい』って」
一言一句、よく覚えている。
ソニアの語りかけている言葉は、九年前にアイラに語りかけた言葉と全く同じ。
「やめて……もう、分かってるから……!」
とっさに駆け寄り、ソニアに触れようとした。
だが、触れられなかった。
手が届く寸前、彼は振り向いた。その左眼に涙を溜めて。
「姉さん……どうして信じてくれなかったの?」
ソニアの足元から黒い霧が吹き出し、周囲を漆黒に染め上げる。
「っ!!」
退こうと思ったが遅かった。床に黒い霧が立ち込めたと同時、足が捕われ底なし沼に踏み入れてしまったかのようにずぶずぶとはまっていく。
あっという間に飲み込まれたかと思えば、次の瞬間には景色が一変していた。
日の射さない真っ暗な地下倉庫。染み付いた血の臭いが鼻をつき、何者かが近づいてくる足音がする。
(ここは、まさか……!!)
逃げようとするが、いつの間にか両腕に手枷がはめられ、冷たい鉄机の上に固定されていて動けなかった。
暗闇の中にぎらぎらと光る眼が浮かび上がる。
「ああ……あああ……」
頭が真っ白になって悲鳴すら出てこない。
九年前と同じだ。
優しかった大人たちの視線が、ただの食糧に向ける視線へと化した瞬間の絶望。
ソニアの言葉を信じてやれなかったことへの後悔。
「もう、やめて……」
縋る思いで絞り出した声は、どこにも届かない。
女ファシャルの鋭い爪が、どこから喰らうかを吟味するかのようにアイラの身体の上をなぞる。
「ごめんね。いけないことだって分かってはいるのよ。でも、やめられない。生きた子どものあの柔らかな肉の食感を覚えたら、もう二度とかつての食事には戻れないから。……ただね、冷静に考えてみれば分かることよ。少ない屍肉を味がしなくなるまでしゃぶるなんて……あんなの、私たち
彼女はぶつぶつと自ら言い訳をするように呟きながら、口の端から零れ落ちてくる唾を拭う。
「……さぁ、いただきましょう」
アイラの腕に爪を突き立て、女ファシャルが牙を剥く。
その時——
「アイラを放せ!!!!」
ビュンと風を切る音とともに、紫色の閃光がほとばしった。
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