mission12-7 契り



 身体が引き裂かれるかのようだった。


 父さまのナイフが私の腹を抉り、痛みと熱が、全身のあらゆる感覚を支配する。


「あ……ぐ……」


「ジーン、なぜ……!」


 父さまは震えながら数歩あとずさった。


「分からぬ……! なぜそうまでして彼にこだわるのだ! 私はそなたのためを思って、ここまで……!」


 思えば父さまもまた、哀れな男だった。


 島長の使命を一身に背負い、減りゆく島の寿命の総和を保つために様々なことを画策した。そこには私たち子どもには推し量れない苦悩もあっただろう。にも関わらず、継承者である兄さまが島からいなくなった時には、一体どんな心持ちだったのだろうか。


「申し訳、ありません……。ですが、私は、彼に……救われたのです」


「救われた、だと?」


「ええ……。キーノは、私を孤独から救ってくれた……大切な友です。その友の、望みを叶えてやりたいと願うことは……いけないこと、でしょうか」


 身体に力が入らなくなってきた。


 仰向けに倒れると、父さまの呆然とした表情と、よく晴れた青い空が見えた。


「私も、知りたい……」


 父さまはぼそりとつぶやき、膝から崩れ落ちる。そして私の傍らに突っ伏してさめざめと泣きだした。誰に向けてか分からない詫びの言葉を繰り返しながら。


 空は、高く……遠い。


 手を伸ばせど届かない。


 だから、ただ祈る。


 もしも星の向こうに別世界に住む私たちがいるのならば、彼らが使命に縛られることなく自由に生きていますようにと。


「死ぬなジーン……! 死んじゃダメだ……!」


 祭壇の方から、キーノの声が聞こえる。


 彼は神石から手を離そうとしていたが、ぴったりと張り付いてしまったのかその場から動けないようだった。


 ……それで、いい。


 キーノの言葉と神石の光の明滅が連動している。


 神石は意志の強い者を共鳴者に選ぶ傾向にあるという。


 彼は、選ばれたのだ。


「さぁ……唱えるんだ……。クロノス覚醒のための、詠唱を……そなたの約束を……守るための、歌を…………」


「ううっ……ああああああああああああッ!」


 慟哭がその場の空気を激しく揺り動かした。


 祭壇から紫色の光が溢れ、それが地面に描かれた術式に灯っていく。


「お願いだ、時間よ止まってくれ……! 僕はこんなところで死なない! ジーン、君のことも救ってみせる……!」


 キーノは息を大きく吸って、詠唱を始めた。


 術式を満たす光は祭壇から外へ外へと伸びていき、島中を駆け巡る。島全体が時計となって、針が高速で回っているかのように、地面の下で何かがぐるぐるとうごめていているような感覚がする。


 いよいよ覚醒の儀式が始まった。


 ……ただ、どうも私はもうクロノスの生贄にすらなれそうにない。


 身体が重く、声が、音が、遠ざかっていく。


 視界がかすんで、何も見えなくなっていく。


 キーノ。


 約束を、果たせよ……。


 私の意識は、そこで途切れた。







 やがて光は逆流しだした。今度は島の外から内へ、大小さまざまな光の粒が術式に乗って神石の中へと流れ込んでいく。


「うっ。ぐあぁぁぁ……っ」


 キーノはもがき苦しみ、神石の上に覆いかぶさる。それでもなんとかその場で踏ん張ろうと、足の先に力を込める。


"耐えろよ。お前はこれからこの島の人間の命を背負っていくんだ"


 どこからともなく声が響いた。


 辺りを見渡しても誰もいない。


 何かが頭の中に直接語りかけてくる。


「もしかして君が、時の神クロノスなのか」


"ああ、そうだよ"


「はは……意外と、若々しい声で驚いたよ」


"なんだ、老人とでも思っていたのか"


 不服そうな声が響く。


 神と言っても、彼の口調からして同世代の少年と話しているような気分だった。


 少しだけ、苦痛が和らいだような気がする。


「ごめんごめん。でも、これなら頼みごともしやすそうだ」


"頼みごと?"


「この儀式が終わったら……僕は、君の力を使えるようになるんだよね?」


"そうだな"


「なら、時の神の力で……この島全体の時間を止めてくれ」


"悪いけどそれは無理だ。今のお前の神通力じゃ——"


「無理でもやらなきゃいけないんだよ!」


“は……?”


「このままじゃここにいる人たちみんな死んでしまう。僕だって、この傷じゃ海には出られないだろう。それじゃダメなんだ。……だから、誰かが助けに来てくれるまで、この島の時間をこのまま止める」


"本気で言っているのか? この島は地図に載らない僻地だ。お前みたいな物好きは滅多にいない。何年かかるかわからないぞ"


「それでもいい……!」


 引き下がろうとしないキーノに、クロノスは深いため息を吐いた。


"あのな。おれの力を好き勝手に時間操作できる力だと思っているなら大間違いだからな。特に島全体とか、他人や物質の時間を他の時間軸から隔絶するような力は、相応の代償が必要になる"


「その代償ってのは、どんな?」


"そうだな……"


 クロノスは少し考え込んだ後、ふっと笑った。


"この島の時間を止める分だけ、お前の時間をいただく。そのあいだ、おれは自由だ。お前の身体を好きに使わせてもらう……ってのはどうだ? たとえば五十年この島に誰も来なかったら、お前が次に目を覚ますのは六十五のじいさんになった時、ってことだ"


 クロノスは茶化すような口調で言った。


 無理な条件をつきつけて、諦めさせるつもりだったのだろう。


 だが、キーノは。


「いいよ」


 即答した。


 迷うことすらせずに。


"いや、ちょっと待て、いくらなんでも今のは冗談"


「それで、生き延びることができるなら構わない」


"まじか……"


 うなだれるような声を出すクロノスに対し、キーノはひるまずに尋ねた。


「それより君は? どうして僕の身体を借りたいなんて言い出したんだ」


 まさか自分のことを聞かれるとは思っていなかったらしい。クロノスは言葉を詰まらせながら気まずそうに答えた。


"どうしてって……創世の頃から興味があったんだよ。時間に縛られて生きるってのはどんなものなのか、一度体験してみたかったんだ。神には寿命がないからな"


「そっか。君も冒険せずにはいられない性分なんだね」


 時の神はむすっとして唸る。キーノは神でさえも自分のペースに引き込んでしまったようだ。


"ったく……変なやつだな、お前。クロノ一族ですらおれと共鳴するのをためらってたっていうのに。使命を押し付けられて嫌じゃないのか? 諦めるって言葉はお前の中には無いのか?”


「押し付けられたとは思っていないよ。ジーンに……友だちに託されたんだ。諦めるわけにはいかない。それに、守らなきゃいけない約束があるから。僕の、小さなお姫様と」


"約束、か。……お前の意志が固いことはよく分かったよ”


 神石の輝きが次第に強さを増していく。


“もう、後戻りはできないぞ”


「うん。何年かかっても構わない。ユナにもう一度会えるなら、しばらく僕の身体は預けるよ。勝手に死ぬのだけは……絶対に許さないけど」


 キーノの深緑の瞳が、少しずつ紫色に染まっていく。


"神相手に傲慢なやつだ。だが、気に入った"


 神石の光が天へ高く昇る。


 そして太陽に負けじと強く煌めいたかと思うと、無数の小さな光に分裂した。まるで流れ星のようにきらきらと、島じゅうのあちこちに落ちていく。


"……契約成立だ、キーノ・アウフェン"






 かくして時の島は一時的に時間軸から切り離された。


 この島の時間が再び時を刻みだしたのは、ミトス創世暦九九三年——つまり、四年後。


 ノワールとアイラがマグダラの眷属に導かれてこの島を訪れた時から、「彼」の物語が始まった……。






*mission12 Complete!!*

十二章完結、ここまでご愛読ありがとうございます。

次の十三章でいよいよ最終章になる予定です。

構想のため、二回分更新をお休みします。

次の更新は10/5(土)です。お楽しみに!


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