mission12-6 覚醒の儀式
鈍い音が響き、キーノは私に覆いかぶさるように倒れた。
私を庇って化け物の攻撃を受けてしまったのだ。
「キーノ、キーノ! しっかりしろ!」
「う、うう……」
彼の身体を支えようと背に手を回して気づく。ベトリとした感触。どくどくと波打つ皮膚。肩に深い傷を負っていて、出血がひどい。
急いで止血しなければ。
だが、ほとんど何も持たずに家を出てきてしまったせいで今は包帯も薬も何も持っていなかった。
「市街地まで戻るしか……キーノ、歩けるか」
キーノは痛みに顔を歪めながらも、よろりと自らの足で立つ。
「うん、平気……けど、もし彼が追ってきたら僕を置いて逃げて」
「何を言う……! 傷を負ったそなたを置き去りになどできん。それに、どのみちこの島の中に逃げ場など……」
無い。
無くなってしまった。
アリーであった化け物が、キーノに渡すはずの船を破壊していた。船大工として誰よりも船を大切に扱ってきたはずの男が、憎い仇を相手にするかのように船に対して何度も何度も殴りかかる。
私の肩に身を預けながら、キーノは弱々しく笑った。
「船は、仕方ないよ。ひとまず今は、生き延びることを考えなくちゃ」
「ああ……」
化け物が船に注意を引かれている間に私たちはその場から離れた。キーノはなんとか自分で歩いてはいるものの、息遣いは荒い。
頼む、持ち堪えてくれ……!
前方から足音がして、はっと顔を上げる。
「おや、ジーンさま。こんなところにいらしたのですか」
じいやだ。
助かった。
安堵して全身の緊張がほどけていく感じがした。
じいやなら常備薬を持ち歩いているはず。包帯も、もしかしたら。
「キーノが大変なんだ。浜辺でアリーに……いや、突然現れた化け物に襲われて、それで」
じいやはキーノの様子を見てもあまり動じなかった。年の功、というやつだろうか。そんな風に感心していたら、じいやは懐からすっと白い布を取り出した。
「それは大変でしたな。ですが……まずはあなたが落ち着かれませ、ジーンさま」
「え?」
白い布はキーノではなく私の口元に押し当てられた。気だるく甘い香り。
しまった。
この香り……布に染み込ませてあるのは、催眠効果のある薬草のエキスだ。
身体から力が抜けていく。
崩れ落ちる私の身体を支えようとした隙に、キーノもまた布を押し当てられてしまったようだ。ふらりと倒れる彼の姿が、重い瞼で狭まる視界に映る。
「……困りますよ、そんなに血だらけで市街地へ来られては。島の民たちが動揺してしまうでしょう」
遠のく意識の中で、じいやはぼそりと呟いた。
「さぁ、ジーンさま。お父上の元へ行きましょう。あなたさまには大事な使命があるのですから」
頭の中に直接何かの音が響く。
声というより、歌のようでもあった。
聞き慣れない言語のせいか、うまくその音を捉えられない。
ただなぜだか昔から知っているような気がする。
全身の細胞という細胞が、その音に合わせて歌い出そうとする。
さぁ、後はお前の口だけだと、急かしてくる。
無理だ、私は知らない。
そう跳ねのけようとしても、口を開けば自然と口ずさむからと、甘くそそのかされているような気になる。
違う、そうじゃない。
私が口に出さなければいけないのはこんな歌じゃない。
キーノ。彼は無事なのか?
指先に力を込めると、少しずつ現実の感覚が戻ってきた。
手に触れる何かが、熱い。
その熱で掌が溶け合い、一つになろうとしているような……急に恐ろしくなり、私は慌てて手を引いた。
すぐ目の前に、祭壇があった。
私が触れていたのはクロノスの神石だった。
深い紫色の光が、石の中でぐるぐると蠢いている。
「だめではないか、手を離しては」
すぐ後ろで父さまの声がした。振り返ろうとしたところでがっしりと腕を掴まれ、私の手は再び神石へと誘導される。
「やめてください、父さま……! 儀式をするには、まだ」
「早いにこしたことはない。少々手荒な方法をとったことは謝るが、事態を先延ばしても何もいいことはない。アリーが、魔物と化したのだろう?」
「っ!? なぜ父さまがそれを知って」
「じいから聞いた。想定の範囲ではあったがな」
「どういうことです……?」
「『終焉の時代』の訪れを知れば、取り乱す者は少なからずいる。そして自らの運命に絶望し憎しみを抱いた時、人は破壊神の力に呑まれて魔物——破壊の眷属となってしまうらしい。これは、代々クロノ家の長男にだけ伝えられてきた伝承だ。現実にならなければと、願ってはいたが」
「っ……!」
「ジーン、よく聞きなさい。そなたは賢い子。冷静に考えてみるのだ。破壊の眷属を倒せるのは神石との共鳴者しかいない。時間が経てば経つほど奴の手によって無防備な民の命が奪われ、神石を覚醒させるのに必要な寿命が足りなくなってしまう。そうなってからでは遅いのだ」
「確かにそうかも、しれないですが……。せめて、キーノだけでも……!」
キーノは祭壇のすぐそばに倒れていた。肩の傷の手当てはされておらず、彼の着ている服は真っ赤に染まっている。まだ、意識は戻っていないらしい。
「だめだ。今この状況で例外を作るわけにはいかない。彼には悪いが、クロノスの糧となってもらう」
父さまはそう言って私の手を神石に触れさせた。
再び掌と石が一つになろうとする。そこから歌が流れ込んできて、頭の中がいっぱいになる。歌え歌えと急かされて、口が勝手に動き出そうとする。
嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
キーノまで生贄となれば、私には一体何が残る?
何も無い……!
クロノ一族に課せられた使命か?
知らぬ!
私の知ったことではない……!
そんな実感のない使命よりも大切なものは今目の前にあるのだ。
失うわけには、いかない……!
まなじりを決して、私を飲み込もうとするものを全身で拒絶する。
「うう……あああああああああっ!」
自らの手を神石から引き剥がし、その勢いで背後に立つ父さまを突き飛ばした。
「ぐっ!」
倒れる父さまを顧みず、私はキーノの元へと駆け寄った。キーノの瞼がうっすらと開く。
「う……痛っ……」
息遣いは先ほどよりも弱々しくなっていた。
今から治療しようにもこの状況では難しい。
ここから逃げるすべもない。
だから、私が彼にできることは一つしかなかった。
「……これは、私の勝手な願いだが」
「……?」
「そなたには、そなたを待つ姫との約束を守ってやってほしい。大切な人の帰りをただ待ち続けるような……そんな惨めな時間を過ごすのは、私一人でじゅうぶんだ」
「ジーン……?」
「そなたがクロノスと共鳴しろ。そしてこの島を出て、
「っ……! それじゃ、君は——」
問答している暇はない。
私はキーノの身体を抱き起こして、祭壇に寄りかからせる。その手を神石に触れさせると、彼はうめき声を上げ始めた。
「頭の中に響く音に従い口ずさめ! それがクロノス覚醒のための詠唱だ」
キーノは口を閉ざして首を横に振る。
「頼む、キーノ……! 私には何もない。だが、そなたにはあるではないか……! この島の外に、帰るべき場所が……!」
そうしている間にも、倒れていた父さまがゆらりと立ち上がるのが見えた。うまく聞き取れないが、何かをぼそぼそと呟いている。
「……せぬ……させぬぞ……!」
父さまの手元がきらめくのが見えた。
ナイフだ。その切っ先は祭壇にいるキーノに向けられている。
そこからは、頭で考えるより先に身体が動いていた。
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