mission12-1 馴染む漂流者



「おーい少年。深海ウミブドウ、獲ってきたぞ」


「ありがとうございます。そこの水を張った桶に入れてもらえますか?」


「おうよ」


 金髪の少年、キーノ・アウフェンの指示通り、島の漁師は深海ウミブドウを桶の中に沈めていく。中に入っているのは真水だ。深海ウミブドウの塩気を抜いて、元から薄味の海藻をさらに薄めてから、天日干しにして乾かす。そのあと地上に生える薬草や香辛料と一緒にすり鉢で擦って粉にして、毎食後お湯に溶いて飲む。


 これで、過潮症かちょうしょうと呼ばれるアレルギー症状を抑え、弱った臓器を回復させるのだという。


 初めは半信半疑だったが、効果は如実に現れた。


 薬を飲み始めたその日にはポカポカと身体が温まってきて、翌日には吐血が収まった。一週間経つ頃には、潮の匂いがする尿も出なくなった。そして三週間経った今、ずっと続いていた風邪のような症状はすっかり引き、少しの距離なら走り回っても息切れを起こすことはない。


 迷信深いじいやが「悪魔でも取り憑いたのではないか」と無駄に心配したほどだ。


「やあジーン。来てたんだ」


 キーノが私に気づき、薬の材料を擦りつぶす作業を止めて顔を上げる。


 浜辺近くの空き小屋。彼はそこに住み着いていた。暇さえあればこうして薬を作るか、手製の釣竿で釣った魚を島民たちに振る舞っているようだ。


「調子はどう? 薬は欠かさず飲んでるかい」


「ああ。おかげで同じ身体とは思えないくらい具合がいい」


「それは良かった! ただ、海の近くで過ごす限りは飲み続けないとダメだよ。過潮症は一度発症したら根本治療は難しいんだ。薬で症状を抑えていくしかない」


「む……そう毎日言われなくても分かっている。それよりそなたの釣竿、やけによく釣れるようだが何か細工でもしてあるのか? 島の漁師が驚いていたぞ」


「そう? うーん、釣竿っていうより餌の問題かなぁ。どうもこの島の近くに住んでる魚は、島の近くに住む虫は食べ飽きてるみたいだから、ちょっと手間はかかるけど小エビを捕まえて」


 キーノの話は、私が今まで浜辺で拾ったどの本の内容よりも面白かった。


 初めは外海の者は皆こう知識が豊富なのかと思ったが、どうもこれは彼の性分によるものらしい。


 彼は冒険家の父親とともに世界各地を旅していて、見たことのないもの・聞いたことのないものには何でも飛びついてきたのだ。だから色んなことを知っているし、技術も持っている。


 この時の島を訪れたのだって、聖地ナスカ=エラで地図に載らない島の噂を聞き、手探りで船を出したのだという。


「なぜそこまで危険を冒そうとするのだ?」


 実際、彼が乗っていた船は大時化おおしけにやられて大破した。波にさらわれ、彼は父親を始めとして同乗していた者たちとはぐれ、今ここにいる。


 その大時化が私の父さまによって人為的に引き起こされたものだとは……まだ、言えていなかったが。


「僕たちには使命があるんだ」


「使命?」


「そう。世界で見たもの、聞いたもの、体験したもの、全部自分たちの国に持って帰る。それが僕たちの使命なんだ。僕たちが住んでいた国もここと同じような小さな島国でさ——」


 私とキーノが話しているところ、島の少女が一人おずおずと訪ねてきた。


「あのぉ……」


「どうしたの?」


 キーノが彼女の目線にしゃがむと、少女は手に持っていたわら編みのカゴを差し出した。


「これ、ママがお礼にって」


 中に入っているのは焼き菓子だった。ふわりと香ばしくて甘い香りが漂ってくる。シマキビ糖を使ったクッキーのようだ。


「わぁ、ありがとう! お母さん、あれから元気になった?」


「うん、キーノのお薬のおかげ」


 少女は嬉しそうに顔を綻ばせる。


 島の中には、私以外にも過潮症を患っている者たちがいた。キーノは彼らの分も薬を作って配ってやっているのである。


「とにかく、薬を飲むのを忘れないようにってお母さんに言っておいてね。なくなったらまた僕が作ってあげるから」


「うん! ありがとう、キーノ」


 少女がぺこりと頭を下げて立ち去っていく。


 彼女の小さな背中を見送った後、私の口からは思わずため息が漏れ出た。


「全く……すっかり馴染んでしまったな」


 私の言葉に、キーノはきまりが悪そうな表情を浮かべた。


「あはは、ごめんよ。薬を作るのに夢中になっているうちに、自分がよそ者だってことすっかり忘れてた。僕がここに住み着いてること……迷惑、かな?」


 深緑の瞳が、じっとこちらを見つめてくる。


 違う。迷惑なんかじゃない。


 むしろ逆だ。


 彼がここにいれば時の島の寿命の総和が増える。


 それだけでなく、彼が作った薬は島民たちの寿命を延ばしている。


 時の島にとって、都合のいい存在。


 だからこそ、早く追い出してやらなければいけなかった。この島に滞在するということは、いつクロノス覚醒のための生贄になってもおかしくないことを意味する。そうなる前に、船を与えて逃がしてやらなければいけなかった。


 それなのに、私は今の今までずっと彼を追い出せないでいた。


 私の代で『終焉の時代ラグナロク』が訪れることはないだろうと言い聞かせて、うやむやにしてきたのだ。


 そんな保証、どこにもなかったというのに。



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