mission11-35 最後の歌




たゆたう泡沫うたかた 何処どこへゆき何処で消えるの

何度も運べと風に願えども

彼方かなたに届かぬこの想いのように

いつか朽ち果て 消えるのであろうか

それともかすかに海の底

くすぶりくすぶり また湧き出るのであろうか




 ここから遠く遠く離れた小さな島国。


 そこで聴いた歌。


 聴かずにはいられなかった歌。


 ユナの元へと、導いてくれた歌。




 ぱき、ぱきと音を立ててユナの腕を覆っていた枝が枯れてしおれていく。


「……その、歌は……」


 ルカは頷き、ユナに向かって微笑んだ。


「おれさ、前にこの歌を聴いた時に記憶がないのに『懐かしい』気持ちになった、って言ったよな。けど、ユナのこと知って一緒に旅をしてみて分かったよ。この歌に惹かれたのは……きっと、悲しかったからなんだ」


「悲しい……?」


「そう。この歌は、どこにも行けなかったユナが、海の向こうに行っちゃったに呼びかけていた歌、なんだろ」


「っ……!」


「だから、優しい音なのになんだか胸が締め付けられる気がした。おれの記憶の底にある何かが疼くような気がしたんだ」


 ユナは頭を抱え、苦しそうにうめき声を上げ始めた。胸の中心から再び枝やツタが伸びようとしているが、何かに阻まれているかのように進退を繰り返している。


「う……、ああっ……!」


「でも、今はさ」


 ルカはゆっくりと立ち上がると、先ほどドリアードにやられた足を引きずりながら一歩一歩ユナの元へと歩み寄った。


「自分の足でここまで来ただろ! 大変なこともたくさんあったけど、乗り越えてこんなところまで来た。そしておれたちとの旅を、これからも続けたいって言ってくれた。……だから!」


 力強く彼女を抱き締める。


「ユナ、目を覚ませ……! そしてこの歌の続きを、おれたちと一緒に旅に出た後の歌を聴かせてくれ……!」


 その瞬間、ユナの虚ろだった瞳に光が灯った。


「ああ……うあああああああああああっ!!」


 薄桃色の温かな光が放たれ、二人を優しく包みこむ。


 ユナの身体を覆っていたものは枯れ落ち、右胸に生えていた芽も徐々に萎れて小さくなったかと思うと、やがて塵となって消えていった。


「……ユナ」


 ルカがほっとしたのもつかの間、ユナは瞳いっぱいに涙を溜めて、ルカの胸にしがみついた。


「ごめんねルカっ……! 私、私っ……!」


「謝らなくていいんだ。全部キリがやったことで——」


「違う、そうじゃないの……!」


 ユナは涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔でルカを見上げた。


「私、ルカにひどいこと言っちゃった……! 変わらない人なんていないのに、ずっと変わらない、変えないなんて……!」


 ユナはずずっと鼻をすすり、ぶんぶんと首を横に振る。


「違ったんだ……! 私が、ルカに伝えなきゃいけないことは……伝えたかったことは——」


 ルカの服を掴む力がぎゅっと強くなる。


「ルカが変わらなきゃいけないなら、私も一緒に変わるから。ルカに悩みがあるなら、弱さがあるなら、それを受け入れられるくらい、強くなるから……! だから……だから……!」


 ユナは唇を噛み締め、絞り出すように言った。


「……もう、私を置いていかないで……」


 ルカはハッとする。


(そうか、おれは……)


 キーノと同じことをしようとしていたのだ。


 彼女の気持ちを知りながら、気づかないふりをして、置いてけぼりにして。


 そんな彼女をコーラントから連れ出したのは自分のくせに。


(おれは、ばかだな……)


 自分に呆れて、笑いと涙がこみ上げてくる。


 でも、おかげでようやく分かった。


 決心がついた。


 これだけ想ってくれる人がいる。


 一途に支えようとしてくれる人がいる。


 ……人は、誰かを頼ってもいいんだ。


 当たり前のようなことに、改めて気づかされる。


(この先、何があっても一人じゃない。いつかこの旅が終わる時が来たとしても……ユナはきっとおれのことを覚えていてくれる)


 ルカは瞳の端に浮かんだ涙を拭い、ユナの身体をもう一度抱き寄せた。


「おれの方こそごめん。もう逃げたりごまかしたりしない。……約束するよ。この任務が終わったら、全部話す」


「ルカ……!」


「だから、今は」


 ユナはルカの胸の中で頷いた。


「うん。キリを——倒す」


 ユナはルカから離れると、キリの方へと向き直った。


 キリの表情は引きつっていた。ユナの催眠が解けたのが想定外だったのだろう。


「キャハ、キャハハハハハ……! 小娘が調子のいいことを! つい先ほどまでボクの支配下で仲間を傷つけていたあなたに、一体何ができるというんです!?」


「できるよ……! やってみせる……!」


 ユナは両腕を前へ伸ばした。腕輪にはめられた九つの小さな石が強く輝き出す。


 彼女のまっすぐな眼差しに、キリは苛立っていた。歯ぎしりをしながら杖を振るう。


「生意気な……! 己の無力さを思い知りなさい!」


 ドリアードが再び暴れ出す。


 だがユナは動じずに神石に意識を集中させていた。


"ねぇ、ユナちゃん。本当にいいんだね? 次が第九の歌、つまりあたしたちミューズ神の最後の歌"


 ユナの頭に響いてきた声は、神石と共鳴してミューズ神たちの声を聞いた時に最初に聞こえた声だった。明るくて、その声音を聞くだけで元気が湧いてくるようなそんな声だ。


 ユナはくすりと笑い、頭の中の声に答えた。


(分かってるよ。この歌を知ったら、私は第十の歌の資格者になる。いつかその歌を歌わなきゃいけない時が来たら、私は大事なものを代償にしなくちゃいけない。その代償が何なのか分からないけど……それでも強くなりたいんだ。ルカのために、そしてみんなのために)


"オーケー。それなら止めるのも野暮ってもんだよね。……よーし、じゃあ思いっきり歌っちゃって! このあたし、エウテルペの歌を!"


 自然と頭に旋律が浮かんでくる。ユナはすっと大きく息を吸うと、その音に身を任せた。




漂う草舟 何処どこへゆき何処で眠るの

何度も止まれと風がはばめど

彼方かなたに寄せるこの想いのように

荒波かき分け 突き進む

たとえ おのが帆 破れようとも




 ユナの身体を中心に、空間中に薄桃色の光の輪がキィンと拡がる。


「ううっ、何ですかこの歌は……! あの感覚を狂わせる歌とはまた違う、身体の中に直接響いてくるようなッ……!」


 キリは呻き、胸をかきむしる。


 一方でルカたちはというと、みるみるうちに傷が癒えて行き、それどころか神通力を使うことで消費した体力が元どおりになっていた。


「これは、一体?」


「はぁ、はぁっ……、エウテルペの歌……成功、だね」


 ユナはそう言うと、その場に膝を折って崩れ落ちる。


「ユナ!」


 ルカだけでなく、仲間たちが駆け寄ってきた。


 ユナはまだ意識はあるらしく、弱った表情で笑ってみせる。


「大丈夫か? 顔色が悪いし、ひどい汗が……」


「へい、き……。この歌は、私の体力を使って、みんなを回復させる……そして」


 ユナはターニャに支えられながら立ち上がると、苦悶の表情を浮かべているキリに視線を向けた。


「キリ、も」


「……ッ!? まさか……!」


 キリの額に脂汗が浮かぶ。


 ユナは腕輪に手をかざす。九つの石が、もう一度強く光った。


「正体を現して……! あなたの本当の姿を!」


「ぐ……ぐががぁぁっ! おおおおおおおおっ!」



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