mission10-67 いにしえのわらべ唄



 じりじりと身を焼くような灼熱。地の底から響く、マグマのたぎる音。


 ドーハとリュウはポイニクス霊山の火口付近に立っていた。


「これで、最後なんだよな?」


「ああ」


 リュウが頷いたのを合図に、ドーハは八咫の鏡を掲げた。火口から鏡の鏡面に光が集まっていく。伝承通り、噴火に備えて蓄えられたマグマをエネルギーに変換して吸収しているのだ。


 やがて光は弱まっていき、ドーハは腕を下ろして額に吹き出た汗を拭った。


「……ふう」


 ここは磁場が強く、神石との共鳴が弱まってしまう。だから一回では噴火のエネルギーを吸いきれず、こうして何度も通って、これが最後。


「大変だったな。……まぁ、噴火しそうになったのはお前たちヴァルトロのせいでもあるんだが」


「悪かったよ。でも、俺もアランがどこで何をしてるのか詳しいことは知らなかったんだ。ほんと、四神将の統括って役割は名ばかりだ……」


 ドーハは溜息を吐きながら、崩れ落ちて塞がれたスウェント坑道に繋がる道の方を見やる。あれからヴァルトロの兵士や鬼人族たちが何度も調査しているが、未だに自爆したアランがどうなったのかは分からないままだ。遺体は見つかっていない。一方、どこかに抜け出した形跡もない。


 ドーハにはあのアランがこんなことで死ぬとは思えなかった。彼はしぶとくて、時にしつこい男なのだ。だが、どこか神々しさをまとうこの不死鳥の山においては、そんな彼の生命力をかき消されてもおかしくないように思えてくる。


(アラン。お前には悪いけど、今が停戦交渉をする絶好の機会になりそうだ。メンテナンスできる人間がいなきゃ、『プシュケーのはこ』で生きながらえてるキリやウラノスが自由に動けるのも時間の問題だからな……。ヴァルトロが最強だった時代は、終わるのかもしれない)


 そんなことを考えていると、鬼人族の里に繋がる山道の方から誰かが走ってくる音が聞こえた。


 グレンだ。


「おーい、ルカたちが里に戻ってきたってよ!」


 その言葉を聞いて、ドーハの表情は思わずほころぶ。そして隣にいるリュウに見られているのに気づいてハッと我に返ると、誤魔化すようにぶるぶると首を振った。


「む? どうしたんだ急に」


「な、なんでもない! よよよ良かったなぁ、ルカ・イージスがちゃんと復活できて! あいつが目覚めないなら今頃ユナ姫は俺の嫁になって」


「くだらん。それはユナが決めることだろう」


「うっ……」


「俺たちも里に戻るぞ」


「あ、ああ! そうだな!」


 冗談で言っただけなのに……ドーハは胸の内でぼやきながら、リュウの後について里へと向かうのであった。






「はー、これは懐かしい! もうすっかり失くしたものだと思ってた!」


 ルカから届け物を受け取ったテオは、少年のようにきらきらと瞳を輝かせて箱の中身を漁りだした。久々に会ったルカたちのことなどすでに眼中にないようだ。


「まったくこの人は……」


 ファーリンは呆れたようにぼやいて、ルカたちを家の中へと招き入れた。テーブルの上には豪勢な料理が並べられ、ホカホカと湯気を立てていた。特大の猪肉が入った鍋、燻した干し肉の細切れを混ぜ込んだ炒飯、山菜がたっぷり入った薬膳スープ。独特の風味の香辛料が鼻腔をつき、疲れを吹き飛ばして食欲をかきたてる。


「ほら、あんたら中央都からずっと歩き詰めで疲れたろ? 精力のつく料理を用意しといたから、たんと食べな」


 ちょうどポイニクス霊山に出かけていたというリュウ、グレン、ドーハの三人も戻ってきて、大勢でテーブルを囲んだ。食事の美味しさもさることながら、わいわいと話しながら食べる料理はまた格別だ。


 ルカは食事をほおばりながら、リュウたちに中央都でエルメから聞いた話を伝えた。


「……というわけで、次のおれたちの目的地はヴァルトロだ」


「ふん、ようやく乗り込めるってわけか。ノワールにはもう報告したのか?」


「ああ。ここじゃサンドシリーズの通信が効かないから中央都にいる時にね。今回はノワールも来るってよ。シアンとアイラと一緒に現地で合流だ」


 グレンは緊張した面持ちでゴクリと唾を飲み込む。


「女王様からの依頼か……。ついこの間までダイアウトの村人の一人だった俺には話が大きすぎるよ」


「グレン、そう思ってるのは君だけじゃないよ。だけどあたしたちみんな、くすぶってたところから這い上がってここまで来た。次はヴァルトロの狼に喰らいつくだけって話」


「そうだね。ドーハ、君もボクたちと一緒に行くってことでいいのかい?」


 クレイジーの問いに、ドーハは迷わず縦に頷く。


「アマテラスの共鳴者になった時点でもう覚悟は決めたよ。ヴァルトロへは湿原に停めてある俺の飛空艇ふねで行こう。そしたら堂々と中に入れる」


「それは助かる。ありがとう、ドーハ。……で、ノワールたちとの合流場所はどうしようか。たぶんカゴシャチで来るから——」




「なんだこれは……!」




 会話を遮ったのは、食卓につかずに研究資料を漁っていたテオの声だった。


「あんた、突然大きな声出すんじゃないよ!」


「ああごめん、ただ驚いてね……! なんで若い頃の僕はこんな大事なものを中央都に置いていったんだろうか……まったく、信じられないよ」


「一体何の資料なんですか?」


 ミハエルが席を立ってテオの広げている資料を覗き込む。だが、ミハエルが見てもそこに何が書かれているかは分からなかった。


「これは中央都の学府の倉庫に保管されていた、数少ない鬼人語の文書だよ」


「文字? 鬼人語は文字のない言語だと聞いていましたが……」


「現在は、ね。実はかつての鬼人族の中には自分たちの言語を文字に起こそうと試みた部族があったと言われている。だが、彼らの血は文字を体系化させる前に長い歴史のどこかで途絶えてしまっていてね……資料が残っていても解読できる学者がいなくて、当時の僕も研究を断念したんだ」


 だけど、とテオは付け足す。


「鬼人族の里に長く暮らしてきたおかげで、今の僕は鬼人語の語彙や構造を理解している。これなら、この文書も解読できるかもしれない……!」


 賑やかだった家の中がしんと静まり返る。


「読んでみなよ、テオ」


 ファーリンが促すと、テオは一語一語大切なものを拾うようにそこに書かれた鬼人語を読み上げた。




「クン イルハ ドゥ ウルハ、ジャッ ウルハ シ ガン ウーシュッ。サイ サ ヴィスヌ ソッ ホウ クン。クン イルハ ドゥ ウルハ、ジャッ ウルハ シ イ ラッケツ。サイ ソ ヴィスヌ イー キョ シ。イ イルハ ドゥ イ イルハ。ゼン イ ウルハ アヴターラ」




「どういう、意味なんだ……?」


 ルカたちはもちろん、鬼人語の分かるクレイジーとリュウでさえ首を傾げている。古い時代のもので、かつ鬼人族の里とは別の場所に住んでいた部族の言葉がゆえに現在話されている鬼人語とも少し違うようだ。


 テオはしばらく黙って考え込んでいたが、やがて合点がいったように一人頷いた。


「もしかしたら意味は特にないのかもしれない。この内容、そしてリズム……おそらく、わらべ唄だね」


 そう言って彼は手元にあった羊皮紙に解読した内容を書き出した。




 君はいい子か悪い子か 悪い子なら出ておいで

 ヴィシュヌさまさえ呆れるぞ

 君はいい子か悪い子か 悪い子なら突き落とそう

 ヴィシュヌさまはもういない

 いい子にしよう そうしよう

 悪いアヴァターラになる前に




「ヴィシュヌ……? アヴァターラ……?」


 机に広げられたその羊皮紙を皆で覗き込んでいると——


 ドサッ。


 椅子が倒れる音がした。


 ミハエルが勢いよく立ち上がったせいだ。


「そういう、ことですか……!」


 そう呟くと、ミハエルはテオの書棚に収められていた創世神話を引っ張り出してきて、分厚いその本のページをぱらぱらとめくり出す。


「ずっと疑問だったんです。ウルハヴィシュヌなんて神様は創世神話には登場しない。だから破壊神になる前、禁忌の領域タブーを犯す前はどんな神様だったのか分かりませんでした。それは、どんな契りを持ってライアンさんと共鳴したのか分からないというのと同義です」


「要は、破壊神の状態からライアンを解放する手段が分からないってことだよね?」


 ターニャの問いに、ミハエルは頷く。


「はい。先の戦いでドーハさんの力が有効だということは分かりましたが、それも完全じゃなかった。やはりライアンさんと神石の共鳴条件が分からなければ根本解決にはならないのではと思っていたのですが……先ほどのわらべ唄は、そのヒントになっているんです」


「どういうこと?」


「これです」


 ミハエルは創世神話のとあるページを開いてみせた。


「創世神話第十一章……確か、この章は各地を守るいろんな土地神さまのことをまとめた章だったよね」


 ユナは幼い頃に創世神話を読んだ記憶を思い返してみた。


 創世神話は全部で十三章にもなる壮大な物語がゆえに、人気の章とそうでない章がある。世界の創世を綴った第一章、そして来る『終焉の時代ラグナロク』に向けて神々が議論する最終章は最もよく知られているが、その間の章についてはミトス神教会の神職かよほどの神話好きでなければ読まない、読んでいたとしても内容を覚えていないのが普通である。


 特に第十一章に関しては各地の言い伝えを元に編纂されたと言われている外伝に近い立ち位置の章で、それぞれの神についても情報が薄いせいで印象に残りにくい。


「ほんの少しですが、ここに先ほどのわらべ唄に登場するヴィシュヌ神という神の記述があります」


 ミハエルは該当する場所を指し示した。


 そこには簡単な説明で、ヴィシュヌ神とは人々の心に寄り添う慈悲の神、アヴァターラと呼ばれる化身を使って人々を救う、と書かれている。


「ん? でもおかしくないか。さっきのわらべ唄じゃ『ヴィシュヌさまはもういない』って」


「いや、待って。テオさん、もう一度さっきの唄を聴いてもいい?」


「ああ、もちろん」


 テオがもう一度わらべ唄を読み上げる。


 そして皆でテオの解読した羊皮紙を見比べる。


「そういう、ことか……!」


 ルカは思わず息を飲んだ。


 わらべ唄の中に何度も出てくる単語「ウルハ」——これは古い鬼人語で「悪い」という形容詞を表す。


「このわらべ唄の時代にはヴィシュヌ神がいなくなって、悪い子は悪いアヴァターラになってしまう……」


 ミハエルは頷く。


「破壊神のことなんですよ。ウルハヴィシュヌとは悪に堕ちたヴィシュヌ神、破壊の眷属はヴィシュヌ神が本来持っていたアヴァターラの力によって生み出された存在だったんです……!」



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