mission10-62 ちいさな反抗、おおきな前進



 元の場所に戻ってきた時、八咫の鏡はすでにドーハの手元にあった。


「アマテラスの声が、聞こえる……」


 ドーハはぼそりと呟いた。


 神石の声が聞こえるということは、共鳴者になった証だ。今、神石アマテラスはエルメからドーハへと受け継がれたのである。


「ほー。神石の共鳴権が他人に移るなんて、本当にそんなことがあるんだね」


 ターニャが感心したように言う。


「僕も間近で見たのは初めてです。ヘイムダルの神石は一瞬母上と共鳴した後で僕に共鳴権が移りましたが、その時のことはよく覚えてませんから……」


「そっか、そういやそうだったね。共鳴権の移動……別の見方で言えば、共鳴者だからってのんびりあぐらかいてると、自分以上に適性を持つ人間が現れた時に力を奪われることもあるってわけで」


 ターニャはふと途中で言葉を止めて考え込む。


 彼女の中で何かが引っかかっていた。


(神石の力を奪う……? そういやそんな話をどっかで聞いたことがあるような)


「なぁ、八咫の鏡」


 ドーハの声で、ターニャは一旦考えるのを中断する。


「母上はこれでいいんだろうか。母上はもう鏡の力が使えないってことだよな」


 すると、鏡面にうっすらと文字が浮かんできた。


"その通り。ですがこれは元々エルメの意向です。彼女以上に志を示せる者が現れた時には鏡を譲る、彼女はそう考えていました"


「……どうして、エルメ様はそのことをあたしに言っておいてくれなかったのかなっ」


 拗ねているハリブル。


"自分のことを慕ってくれている者にこそ、弱みを見せたくないものですよ"


「弱み……?」


"そう。ドーハ、あなたも分かっていますね? 私の力を使うことによる代償を"


 ドーハは険しい顔つきで頷いた。


「それでも志を果たすために力を手に入れるってきめたんだ。今さら退かないよ」


「ふぅん。かっこいいじゃん、王子」


 ターニャがそう言って彼の背中を小突くと、ドーハの顔は真っ赤に染まった。そういうところは相変わらずだ。


「さて、鏡も取り戻せたことだし、そろそろ最上階に戻って戦いに合流しないと——」




「なぜだ!」




 ベッドの上にうずくまっていたディノが、悲痛な声を張り上げる。彼はよろよろと立ち上がると、憎々しげにドーハを睨みつける。


「なぜそなたなのだ……! そなたはヴァルトロの人間のくせに……! なぜ、余ではなくそなたなのだ……!」


 なぜと言われても理由は明白だ。


 鏡の試練を打ち勝った者と、勝てなかった者というだけ。試練は平等に行われた。どちらかに有利に働くように仕組まれていたわけではない。


 そんなことはディノも分かっているはずだ。


 ドーハは言い返そうとした。


 だが、すっと前に進み出たミハエルによって遮られた。


「ディノ陛下。一つ質問があります」


「なんだそなたは! 今、余はドーハに問うて」


「あなたはあの時、どうして鏡を奪って逃げたんですか?」


「! それは……」


 気まずそうに視線をそらす。そんな彼に、ミハエルは優しい口調で話を続けた。


「あの、こう言ったら失礼かもしれないけど、僕にはあなたの気持ちがちょっと分かります」


「なんだと?」


「ミハエル……」


「僕は物心ついた時からずっと牢獄塔の中で過ごしてきました。会いに来てくれるのは一番年上の兄さまだけで、僕はその兄さまのために色んなことをしました。……でも、本当は僕を牢獄塔に閉じ込めた張本人がその兄さまだったんです。利用されているだけだって、気づこうと思えば気づけたのでしょうけど、僕は気づかないふりを続けたんです」


「っ……!」


「あなただってきっとそうだ。本当は気づいていたんじゃないですか? お父上を亡くした時に、自分が利用されただけだってことに……。それでも気づかないふりをしなければ生きていけなかった」


「うう……それ以上は……!」


「だけど、女王様が儀式であなたの命を奪おうとしていることを知って、あなたは焦ったんだ。このまま愚かな王を演じたまま死ぬのは嫌だ、って。本当の自分を認めてもらいたくて、鏡を盗んだ——違いますか?」


「う……うわああああああっ!」


 取り乱すディノ。彼はミハエルに迫り、その襟首を掴んだ。身構えるターニャ。だが、ミハエルは手出しをしないよう視線で牽制する。


「そなたが何者かは知らんが、わかった風なことを言うな! 憐れんでおるのか!? 王の器を持たぬ余のことを馬鹿にしておるのかっ!?」


 ミハエルはゆっくりと首を横に振った。


「いいえ……僕はただ、似ていると思っただけです。あなたのお祖父じい様、ジクード王と」


「は……?」


「僕は一度、母マグダラの記録を見たことがあります。その中には若きジクード王に出会った日のことも記録されていました」


 ミハエルは語る。


 マグダラが初めてジクード王と会ったのは、十代の彼がルーフェイを無断で抜け出し、身分を偽ってナスカ=エラの学府に通っていた時のことだという。


 周囲はごまかせても、マグダラの千里眼を欺くことはできなかった。王族ならこんなことをしなくとも特例枠で入学できるはずなのに、なぜか。理由を問うと、ジクードは答えた。


『嫌気が差したのだ。あの小さく薄暗い国の中で、政治の駒として使われることに』


 当時のルーフェイは諸外国と一切の交易を行わず、国の最大の関心事といえば誰が次の王となるか、であった。


 ジクードは上から数えて三番目の王子で、十分王位を狙える位置にいる。貴族出身の母親は彼を次期王にしようと躍起になり、根回しや周囲の蹴落としにご執心。ジクード本人には何も伝えられないまま物事が進んでいく。いつしか仲の良かったはずの腹違いの兄とぎくしゃくし始めたり、他の王子の派閥の人間に毒を盛られそうになったことがあるという。


『つまらぬ争いに対し、つまらぬ反抗をしてやっただけのこと。今ごろ母上や側近の者たちが必死に余を探しているであろうな』


 そう言って、彼は乾いた声で笑った。


 生まれ育った境遇のせいで彼は国内のことにはちっとも関心を持たなくなった。当然自らの王位についても。その代わり、ルーフェイという国の外側のことについては並々ならぬ興味を持っていた。


 それが高じて彼は学府で熱心に学び、様々な単位を取得し、ミトス神教会からも一目置かれる存在になった。学会での活躍はいつしかルーフェイの学府にも届き、当時呪術学研究にいそしみながら国内の現状を憂いていたテスラが手紙を出して面会を申し込んだ。そこで二人は意気投合し、ともに国を強くするための盟友として、時にマグダラの予言の力を借りながらルーフェイの国外進出、キッシュの街との交易、国内体制の強化を推進してきたのである。


 その後ジクードの兄たっての申し出で王位を継ぐことになるのだが、彼にとって王位はおまけに過ぎなかった。以前と変わらず、テスラをはじめとする議会の面々と協力して国力を強め、ついにルーフェイはガルダストリアと共に世界に君臨する大国となったのだ。


「やはりお祖父様は立派なお方だ……。そんなお祖父様と余の何が似ているという? こんな話をされても惨めになるだけであろう……」


「僕が言いたかったのは、かの偉大なジクード王の人生も、取るに足りない反抗心から始まったということです」


「っ……!」


「あなたはエルメ様に反抗したじゃないですか。今はそれが結果に結びついていないかもしれない。それでも、この一歩はもしかしたらあなたの未来を変えるおおきな一歩なのかもしれません」


 ディノがごくりと唾を飲む音が聞こえる。


「だからどうか、自分から可能性に目をつぶらないでください。少なくとも僕は、あの牢獄塔から逃げ出して、見える景色が変わったんです。あなたもきっと、同じはずだから……!」


 ディノはしばらく黙り込んだままだった。


 じっと彼の様子を見守るミハエルの肩を、ターニャがとんと叩く。


「そんなすぐに答えは出ないよ。君だって時間かかったでしょ?」


「そうですが……」


 放っておけない、そう言いたげな色違いの瞳を向けられて、ターニャはやれやれと肩をすくめた。


「少し考える時間をあげたら? あたしらはあたしらでやることがあるんだしさ」


 そう言って天井を見上げる。


 はるか最上階の方では激しい戦闘が続いているのか、時折地響きがしたり、破壊神の雄叫びが聞こえてくる。


 仲間たちのためにも、もう行かなくては。


 部屋を出る直前、ミハエルははっと思い出したように自らのカバンの中をごそごそと漁ると、何かを取り出してディノに手渡した。


「あの、これ良かったら食べてください。僕の故郷のお菓子です。あと、戦いが終わったらちゃんと戻ってきますから! 待っててくださいね。約束ですよ……!」


 ディノからの返事はなかった。だが、受け取ったということは、きっとミハエルの言葉が届いたという証。


 一行は彼を置いて、再び最上階へ向かう。


 その途中で、ドーハがぽつりと呟いた。


「……俺も、兄さんの気持ちが少し分かったかもしれない」


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