mission10-61 鏡の試練



「ここは……」


 鏡の中に吸い込まれた一行。


 彼らの目の前には見覚えのある景色が広がっていた。


 情報収集をしていた時にターニャとミハエルが迷い込んだ、貧民たちが暮らす十二番街だ。


「いつの間に外に出てきたんだろう……?」


 自分たちを吸い込んだはずの八咫の鏡はどこにも見当たらない。代わりに、声だけが聞こえてきた。


“ここは外ではなく、現実を映した鏡の中の世界。ディノ、ドーハ。試練はすでに始まっていますよ”


「どういうことだ……?」


 首をひねるドーハ。試練と聞いて、てっきり何かと戦って打ち勝つことを想定していたが、どうやらそうではないらしい。


 周囲にはこの街に暮らす人々がうろうろと歩くか、呆然と座り込んでいて、突然現れたはずの一行にはまるで関心を示さない。ただただターニャたちがかつて見たようにどんよりとしていて暗い雰囲気が漂い、悪臭が鼻をつく。


「ええい鏡め! 余をこのようなけがららわしい場所へ連れてきおって! ここで何をしろというのだ!」


 鏡から返事はかえってこなかった。


「汚らわしい場所、ね……。言ってくれるじゃないの……」


 顔をしかめながら呟くハリブル。当然だ。貧民街出身の彼女からしたら気分の悪い言葉に違いない。


「あんたたちの王様さ、ずいぶん教育がなってないよね。少しはガツンと言ってやった方がいいんじゃないの?」


 ターニャがハリブルに囁くと、彼女は首を横に振った。


「仕方ないんだよねぇ。陛下が城の中に引きこもって、外に関心を持たないように仕向けたのはあたしたちだからさ。ルーフェイの現状がどうだなんて、考えたこともなかったはずだよ」


「……それは」


「ミハエル?」


 何か言いたげに口を挟んだミハエルだったが、彼は途中で言い止め「何でもありません」と呟いた。


「にしても試練って一体何をすればいいんだろうね? 鏡はドーハたちに何を求めて——」


 急に地響きがして、一行は思わずよろめき、地に手をついた。そして強い光が発せられたかと思うと、禍々しい咆哮がどこからか聞こえてくる。ここから見て街の中央、ルーフェイ王城の最上階の方からである。


「あれは、あたしたちがさっきまでいた場所だよね?」


「はい。この咆哮は……」


「ウルハ様じゃ!」


 どんよりとした貧民街に響く声。ターニャたちが以前会った、奇妙な言葉を口走っていた老人だ。彼は嬉々と目を輝かせ、火の手が上がる城に向かって両手を仰ぐ。


「皆の者! 破壊神ウルハヴィシュヌ様が降臨なされた! エルメ様が我々の願いを叶えてくださったのじゃ……!」


 老人の声につられてか、人々がぞろぞろと家の中から出てきて、彼の動きに合わせて城の方を仰ぎ見る。


「おお……!」


「救済だ……救済の時だ……!」


「儀式が成功したのか……!」


 歓喜の雄叫び、そして昂ぶったあまりむせび泣く声がざわめきとなって一行を包み込む。凄まじい熱気。破壊神信仰でなくとも、気を緩めると飲み込まれてしまいそうな勢いだ。


 ターニャたちが会った時は正気でないように見えた老人は、しっかりとした足取りで人々の前に立つと、ふところから小型のナイフを取り出した。


「時は来たれり! 今こそ我らの厭世の念を破壊神様に捧げるのじゃ!」


 その言葉を合図に、すっと前へ進み出る少女がいた。真っ白な服に、全身に施した装飾。格好があまりに違うので一瞬分からなかったが、彼女は三番街で薬を盗んで逃げた少女だった。


 彼女は老人からナイフを受け取ると、その刃にそっと口づけをする。


「どうか……この世界に終焉を」


 次の瞬間、鋭利な刃は彼女の首筋を走った。


 鮮血が舞い散る。


 彼女は、自らの首を掻っ切ったのだ。


「どうして……!」


 絶句し口を覆うミハエル。


 彼女がばたりと力なく地面に倒れたのを皮切りに、その場にいた人々が次から次へと自らの命を絶っていく。


 生臭い血の臭いが充満していく。


「やめろ! やめるんだ!」


 ドーハは人々の手を止めようとしたが、うまくはいかなかった。触れようとすると自分たちの身体がすり抜けてしまうのだ。よく見ると身体の周りには朱色の光が満ちていて、実体を伴っていない。


“それでは救えないのですよ”


 アマテラスの淡々とした声が響く。


“どんなに優れた力を持つ人間でも、手は二本までしか生えません。王の器に必要なのはその手ではなく志です。志が多くの人々を救う力になるのです。よくご覧なさい、彼らの表情を”


 自ら首を切る人々の顔は、安堵や喜びに満ちていた。彼らは心の底から信じているのだ。エルメが示した破壊神による救済の道を。


“エルメは彼女なりに悩み、考え、破壊神を降臨させるという答えを選んだ。さぁ……次代を担うあなたたちはどのような答えを出すのですか?”


「俺は……」


 考えている間にも、目の前で一人また一人と命を絶っていく。これが現実だろうと幻覚だろうと早くめさせたい。だが、ドーハの中ではまだ「答え」が何なのか見つかっていなかった。


 ディノの方はというと、すっかり腰が抜けてしまってその場に座り込んでいる。通常の貧民街の様子ですら目にしたことがなかったのだから、今のこの状況を冷静に見ていられるはずがなかった。


「もういい! やめてくれ! 余を早く元の場所に戻してくれぇぇぇぇっ!」


 しまいにはわんわんと泣き出してしまう始末。


“それではディノ、あなたは私との共鳴を諦めるということですね?”


「あ、当たり前だ! このような悪趣味な鏡などいらん! 悪魔の鏡! 呪われた道具じゃ! 元の場所に戻ったらどこかへ捨ててやるっ!」


“やれやれ……”


 アマテラスのため息が聞こえたかと思うと、その場からディノの姿がパッと消えた。試練失格、ということのようだ。


 残るドーハの様子を、ハリブル、ターニャ、ミハエルの三人は固唾を呑んで見守る。


 やがてドーハの背後に人影が浮かび上がってきた。はっと振り向いたドーハは目を見張る。


「父上……!?」


 ヴァルトロの覇王マティス・エスカレード。彼がこの場にいるはずがない。それでも実物と変わらぬ厳格な表情で、鋭い眼差しで、戸惑っている息子をじっと睨みつけてきた。


「ドーハよ、何を迷う必要がある? ヴァルトロの信条を忘れたか」


「……”世界の王となる者に、手に入らぬものなどあってはならない”、ですよね」


「そうだ。世界は強い者に傾くようにできている。目の前の弱者にほだされるな。奴らに同情する時間など無用。強者として必要なものが何かを考えろ」


「ですが……」


 目を背けても、貧民街の人々の血しぶきが顔にかかってくる。自らの軍服を赤に染めていく。


「迷う必要などない。強さだ。何事にも折れぬ強い志を示すのだ」


 父親の声が頭の中でこだまする。


(確かに父上の言うことは正しい。俺たちはヴァルトロだ。強さこそ全て。だけど……世の中の全員が強くなれるわけじゃない。それは、この人たちだけじゃなくて……俺だって、そうだ)


 ぐっと歯を食いしばる。


 自らの弱さを認めるのは、ヴァルトロでは屈辱的な行為だと教えられてきた。


 それでも、父親のようにはなれないから、彼とは違う道を拓いてみたいから、ここまで一人で乗り込んできたのだ。


 もう一つ、人影がぼうっと浮かび上がる。


 今度は母親の姿をしていた。


「ドーハよ、言ったであろう? 世の中にはどうにもならぬことがある。抜け出せない絶望がある、と」


「母上……」


「妾の志の何が間違いだった? 絶望に暮れる人々を救うにはこの方法しかなかったのじゃ。ライアンをあの男マティスの手から守るにはこうするしかなかったのじゃ。それでも、そなたは母を責めるのか?」


 ドーハは首を横に振る。


「いいえ、母上のことを責めようとは思いません。ただ——」


 顔を上げて、母親に向き合う。彼女の顔はどこか切なげで、諦めがあった。


「ごめんなさい、母上。もっと早くに気づけば良かった。あなたはずっと、お一人で苦しまれていたのですね……」


 確かに、彼女一人では破壊神信仰によって絶望に陥る人々に救いの道を示すのが精一杯だったのだろう。


「でも、俺は信じてみたい。強くあることを目指すヴァルトロと、人の弱さを認め救おうとしたルーフェイ、その二つの国の間に生まれた俺だからこそ……できることがきっとあると思うんです。俺一人じゃ無理だけど、俺の周りにはすごい奴らがたくさんいるから……!」


 ドーハは右手を天にかざす。


 その掌に、全身の朱色の光が集まっていく。


「俺は弱い人間だからこそ、一緒に進んでみたい。自分の弱さに苦しんでる人たちと、もっといい未来を目指して! だから力を貸してくれ、アマテラス!」


 朱色の光が強くなり、その場にいる者たちを温かく包み込んだ。貧民街の人々の動きが鈍り、ナイフを手放していく。


“そうです。弱い者の心を照らす強さ、それこそがアマテラスの共鳴の条件なのです。あなたの選んだ答えはエルメと似ているようで違う。親子とは、面白いものですね”


 光が弾け、目の前の景色が一瞬で切り替わった。


 ドーハたちは、元の城内の一室に戻ってきていた。


 全身太陽の光を浴びたような温かさを伴って。



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