mission10-50 地に堕ちる太陽



 ルカとドーハは再び床を強く蹴った。


 次で決める。テスラのその言葉を胸に、疲れが蓄積し始めている身体に鞭を打って動かす。


「分からぬか……何度やっても同じことよ!」


 エルメの呪術、そして翼による攻撃が初めと変わらぬ勢いをもって襲いかかる。クレイジー、テスラ、ユナの三人がそれを食い止めようとするが、エルメと違って体力を浪費している彼らには全てを防ぎきることはできない。


 火をまとう羽がルカたちの皮膚の表面を裂き、爆破系の呪術によって火傷を負う。それでも二人は前に進み続けていた。


「行くぞドーハ!」


「ああ、分かってる!」


 エルメから鏡を奪うタイミングはなるべく彼女に呪術を使わせた後がいい。ルカはあえて一定の距離を保ったままエルメを挑発するように武器を振るう。


「届かんぞ!」


 しびれを切らした相手は小さな火の玉を連発して撃ってきた。ルカは後退せず大鎌を盾に受け止め耐える。


(まだ、まだだ……!)


 傷ならユナ遠隔で回復させてくれる。あとは自分たちが力尽きるぎりぎりのところまで粘るのみ。


 だんだん動きが鈍ってきたドーハは隙を突かれて翼で剣を弾かれてしまった。


 エルメが余裕の笑みを浮かべ鏡に手をかざそうとした、その時。


 ドーハが鏡にしがみついた。エルメの手から奪おうと、腕の中に抱え込む。


「何をするのじゃ! 離せ!」


 エルメは鏡を引っ張ったが、青年へと成長しつつある息子の腕を簡単に振りほどくことはできない。


「おのれ……! 我が息子といえどこうまで楯突くならば容赦はせん! ここで死ぬがよい!」


 ドーハの左胸に呪術式が浮かび上がった。捕らえられた時に施されたものだ。じりじりけつくように痛み、締め付けられるような感覚がする。おまけにドーハは武器を持たず無防備で抵抗はできない——かのように見えていた。


 彼は痛みをこらえながら懐から拳銃を取り出した。


 その銃口を向けた先は、椅子の上で眠ったままのライアン。


「母上。もしこのまま俺を殺す気なら……俺は兄さんを撃ちます」


「ふん、それで脅しのつもりか? 銃など、現人神あらひとがみとなったライアンには効か——」


「……ええ、普通の銃ならそうでしょう」


 ドーハの言葉にエルメはピクリと動きを止める。


「どういうことじゃ」


「これは四神将アランが作った対・破壊の眷属用の銃です。破壊神の身体にどう作用するかは、試してみないとわかりませんが」


 エルメの額に青筋が浮かぶ。


「悪い冗談じゃのう……! 笑えぬぞドーハ!」


「言っておきますが、ハッタリなんかじゃないですから……! 俺は本気です。母上を止めることができないなら、兄さんが破壊神なんかにされるくらいなら、俺はこの引き金を引いて全てを終わらせる!」


「くっ……分からず屋めが! ハリブル! ライアンを退避させよ!」


 ジーゼルロックの時のように破壊神を操って移動させるつもりなのだろう。


 だが、おかげでエルメにわずかな隙ができた。この瞬間こそ、ルカたちが狙っていた勝機。


「今だ!」


 ルカの合図とともに、ユナは高らかに歌い上げる。




蒼海に響かせよ

我が魂を響かせよ

想いは龍となりて空を昇り

遥か彼方へ稲妻を降らせん




「ッ……!?」


 感覚を狂わせるエラトーの歌。


 エルメがよろけ、動きを鈍らせる。


 母親の力が緩んだのを感じ、ドーハは残された体力を振り絞って鏡を奪い取った。


 ドーハが鏡を持って後退すると同時、入れ違いになるようにして彼女の翼を大量のナイフが貫いた。クレイジーの攻撃だ。翼に無数の穴が開いた翼ではもう自由に宙を舞うことはできない。


 落下。


 ついに女王はその場に手をついた。


「よくもやってくれたのう……!」


 エルメはふらふらと立ち上がりクレイジーを睨みつける。その瞳からは朱色の炎が消えかかっていた。鏡を奪われエネルギーを補充できなかったことで神格化を維持できるだけの体力が無くなってきているのだ。


「エルメ。もう、終わりにしよう」


 クレイジーが歩み寄っていく。右手にナイフを握りしめて。


 エルメのすぐ側まで来たところで、ルカがその手を引いた。


「待てよ。あんたさっきエルメを殺すって言ってたよな。……本当にそのつもりなのか?」


 クレイジーは頷いた。


「そうだよ。君の主義に反するのは知ってるけど、これはボクにとってのケジメなんだ。……約束、してるからね」


「約束って誰と——」




「くくく……はははははははは!」




 エルメの笑い声と共に、ドーハが短い悲鳴をあげて鏡を落とした。鏡面は朱色に染まり煌々と輝いて放射状に光を撒き散らしたのだ。


 手元になくとも、神石との共鳴が強ければ遠隔でその力を扱えてしまう。エルメは自らの体力が尽きることをいとわず、アマテラスの力で天から紅炎を降らす。


 ハリブルはどさくさに紛れてグレンとの戦いを抜け出し、影に溶け込み移動していた。そしてこの騒動の中にあっても眠り続ける破壊神にすり寄ると、自らの手首をナイフで浅く切ってにじむ血をすすった。


「破壊神様、どうかお母上のピンチをお救いくださいっ!」


 そうして血の気のない唇に口付けをしようとして、ハリブルはふと違和感を覚える。


「ありゃ……?」






 再び炎に包まれるルーフェイ城。


 敵味方ともに満身創痍。


 そんな中、エルメの笑い声が響いている。


 どこか悲しげな笑い声が。


「クレイジー。そなたはやはり変わってしまった! 約束のために妾を殺す? ふざけるな! 妾の居ぬ間にあてがわれたに毒されおって……!」


「あの女って、リアのこと?」


 クレイジーの問いにエルメは答えず、四連術式を展開する。


 だが、もう一度無効化できるほどの体力はテスラには残されていない。


「すまない、これ以上は……!」


 するとミハエルが自らの神器・光明の石版を抱えて進み出たかと思うと、ぶつぶつと呪文を唱え始めた。


「見よう見まねなので上手くいかなくても恨まないでくださいね……!」


 ミハエルの両眼がウグイス色に染まり、光明の石版が彼の瞳と同じ色の光を強く放った。それは四方からの呪術攻撃とぶつかり合い、やがて弾けてどちらも光の塵となる。


 相殺術式をやってのけたのだ。


 力が抜けたようにしゃがみ込むミハエルをテスラは慌てて抱きかかえた。


「驚いた……君は天才だな。将来は私を凌ぐ呪術師になれるぞ」


「ふふ……ありがとうございます。そう言っていただけて、光栄です」


 一方のエルメも限界が来たようだった。


 その場に崩れ落ち、意識はあるがもう動けるだけの体力はない。


「まだ……まだじゃ……ライアン、そなたは妾を助けてくれる、そうじゃろう……?」


 彼女が一縷いちるの望みを託す相手は。


 ゆっくりと立ち上がり巨大な怪物へと変化へんげしていく。


 ジーゼルロックで見た、破壊神そのもの。


 だが何かがおかしい。


 ライアンを操ろうとしていたハリブルが彼の足元で傷だらけの状態で倒れ、哀れな小動物のようにぶるぶると震えている。


「お逃げ……くだ、さい……エルメさ……ま……」


 彼女のかすかな声は、意識が朦朧としているエルメには届いていなかった。


 破壊神が拳を振り上げる。




 その矛先は、ルカたちではなく……エルメだった。




「なぜ、じゃ……?」


 理由を問うても無駄だった。


 彼は今、ハリブルの影縛りによって操られている人形ではない。


 生きとし生けるものを破壊し尽くす災厄の現人神だ。


 中途半端な『玖首蛇くずへびの式』であっても、本来の力の一部を取り戻し覚醒してしまったのである。


 ただ呆然と破壊神を見上げる女王に、無慈悲な拳が振り下ろされる。


 激しい震動。一面に粉塵が舞う。


「そん、な……エルメ様……エルメ様ぁぁぁぁっ!!」


 ハリブルの悲鳴が響き渡る。


 返事はない。その代わりに、




「……うるさい、なァ……。傷に、響く……」




 クレイジーのぼそりと呟く声。


 やがて粉塵が晴れるともにパキパキと何かが割れる音がした。エルメを庇うようにして立つクレイジー。その身体の前に形成された、ひびの入った赤紫色の盾。ひびを中心に盾は霧散し、クレイジーの腕の刺青へと戻っていた。


 盾があったとはいえ破壊神の拳による衝撃は抑えられてはいない。穢れのこもった一撃を受けたクレイジーの身体はぼろぼろで、彼はその場に膝をつく。いつも肌身離さずつけている陶器の仮面にも小さなひびが入っていた。


「なぜじゃ……なぜ妾を庇った!? 二度も裏切りおったくせに……なぜこんなことを……」


 エルメに肩を揺すられ、クレイジーは口元にくすりと笑みを浮かべた。そしてその手で彼女の顔を包み込んで囁く。


「だって……ボクがあなたを殺すと決めたのに、こんなところで死んでしまったら困るでしょう?」


「はは……はははは……狂った男じゃ。妾にはもう、そなたが何を考えておるのかさっぱりじゃ」


 呆れたように笑うエルメ。その頰を伝う涙をクレイジーは指ですくった。


「エルメ。ボクが毒されていたのはリアじゃない、あなたの方だよ。……そしてあなたもまた、ルーフェイの王女としての立場に毒されていた」


 パキ。


 仮面のひび割れが進み、右目のあたりが欠ける。クレイジーは……今はヴェニス・イージスとして、穏やかな眼差しをかつての主君に向けていた。




「だからボクは、ことにした。十二年前にリアとした約束を果たすためにね……」



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