mission10-49 八咫の鏡の秘密



 ルカとドーハ、二人の姿がその場から消える。


 光の速さは常人の目では捉えられないが、アマテラスと神格化したエルメにはそれでも見えてしまう。


「小癪な……!」


 エルメは彼らとなるべく距離を取ろうと上空へ舞い上がり、朱色の翼から羽を放出。羽は空中で火炎をまとい、無数の火矢のようにルカたちに襲いかかる。


「やらせないよ!」


 クレイジーが投げたナイフは一つ一つ的確に羽に命中し、勢いを削ぎながら床に落としてルカたちの進路を切り拓く。


 次手。エルメの呪術攻撃。テスラが再び眷属の主導権を奪い無効化する。


 その間にユナのタレイアの歌が響き、ルカとドーハの身体に力がみなぎっていく。


「うおおおおおおおおおっ!」


 武器が届く距離まで近づいたところでルカは大鎌を振るった。ドーハも続いて腰に差していた剣を抜く。


「甘いッ!」


 エルメは鏡をルカの方へと向けた。鏡面がきらめく。光線だ。


 ルカは咄嗟に身体をよじって光線を避ける。その隙にドーハが背後に回って斬りかかろうとしたが、朱色の翼で身体ごと弾かれてしまった。


「ドーハ!」


「よそ見をしている暇があるのか?」


 気づけばエルメの手の平の前に小さな呪術式が浮かび上がっていた。テスラの無効化呪術を使うまでもないが、至近距離ではもろに食らってしまう。ルカはとっさに後退、床に手をつき着地した。すぐそばでは受け身に失敗したドーハが倒れている。


「とりあえず近づけることは分かった。あとはどうやって攻撃を当てるか……」


「ああ。翼が厄介だな。あれのせいで母上に死角がない」


「うーん、一瞬でも動きを鈍らせられれば翼にダメージを当てられそうだけど」


 可能性があるとすれば感覚を狂わせるユナのエラトーの歌だ。


 ただ、どれだけ効くかは相手による。ヴァルトロだとアランには効果的だったが、キリに対してはあまり効かなかった。


 やるならもう少し相手の体力を削ってからの方がいい。


 ルカとドーハは顔を見合わせ、再びエルメに立ち向かっていった。エルメが彼らを遠ざけようと呪術を使う。テスラがそれを阻止する。間髪入れず鏡や翼を使った攻撃が降りかかるのを、クレイジーがナイフで相殺するか、ユナの歌によってサポートする。ルカたちは間合いを詰めて一撃ずつ当てるのに成功するものの、すぐに振り落とされてしまって決定打とはならなかった。


 少しずつだがダメージを蓄積できているはず。ルカたちは根気強く攻撃を続ける。


 ただ体力は有限だ。最も体力消費の激しい術を使っているテスラはだんだんと息遣いが荒くなっている。クレイジーも刺青として皮下に注入されている神器をほとんど放出してしまったらしく、回収しながらの攻撃になっていて序盤より隙が大きくなっていた。


 一方で、エルメは相変わらず余裕のある笑みを浮かべ、疲労を感じさせない。神格化は体力消費が激しいはずだが、ずっと維持したままである。


 おかしい。違和感を感じたユナはテスラの方を見やる。彼もまた気づいているようだ。


「いくらエルメ様でもここまで体力が無尽蔵にあるはずがない。何か理由があるはずだが」


 その時、テスラの影がぬっと伸びるのが見えた。


「危ないっ!」


 ユナはテスラを伏せさせる。彼の頭があった場所には影から飛び出したハリブルのナイフがかすめていた。彼女はその勢いのままくるりと身軽に宙で回転すると、けらけらと笑いながら右手のナイフを弄ぶ。


「あーあ、惜しいっ! さっきの仕返しに、そのおじいちゃんの首をすぱっと切り落としちゃおうと思ったのに」


 ユナはちらりとターニャとリュウの方に視線を向ける。ハリブルの力によって生み出された影の仮面舞踏会ヴェル・ムスケたちが二人を取り囲んでいた。応戦してはいるものの、何度でも立ち上がる影たちに消耗戦を強いられているようだ。


「あっちは影に任せておけば大丈夫そうだし、あたしはエルメ様のお手伝いをしちゃおっかなー」


「それなら直接彼女の側に行かなくていいのか? ルカ君とドーハ君が何度も攻め込んでいるぞ」


「今の状態のエルメ様なら、あたしがお側に行くまでもないでしょー。八咫やたの鏡がある限り、あなたたちがエルメ様にかなうはずないんだもんっ」


(八咫の鏡……)


 アマテラスの神石ではなく、あえて鏡と言う。ユナはその言い方に少しだけ違和感を覚えたが、今は深く考えている余裕はなかった。


「でもせっかくだからより悲劇的にしたいじゃない? だからね、まずは後衛の君たちから殺っちゃうの! 回復手段も呪術を防ぐ手段もなくなって、ルカ・イージスやクレイジーがじわじわ弱っていくさま……ねぇねぇ、最高に悲劇的でしょっ!?」


 その言葉と同時、ハリブルが影に溶けた。


(一体どこに……!?)


 周囲の様子をうかがうユナの動きがぴたりと止まる。


「どうした……?」


「逃げてください!」


 ユナの身体がひとりでに動き、円月輪をテスラに向かって放っていた。彼女の意思ではなく、ハリブルの支配した影に操られているのだ。


「そこにいるのは分かっているぞハリブル」


 テスラは術を唱え、影に向かって火を放とうとした。だが、ユナの動きを見て詠唱を中断する。戻ってきた円月輪を手に取り、ユナの首元につきつけたのだ。


「卑怯な……!」


 顔をしかめるテスラ。ハリブルは上半身だけ影からずずずと這い出てきてニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべる。


「ぷぷぷ。仮面舞踏会に正々堂々と戦わなきゃいけないなんてルールは無いんです〜っ! あたしはたくさんの悲劇が見られればそれでいいのっ! だからもっと見せて! 君たちの悲劇を——」


「……ねぇ、ハリブル。あなたって本当は悲劇なんて望んでないんじゃないの?」


 ユナの問いにハリブルがぴくりと眉を吊り上げる。


「んん……何が言いたいのかな?」


「悲劇って普通はあんまり見て気持ちのいいものじゃないはずだよね。知らない人のことだとしても胸が苦しくなったり、気が沈んだりするでしょ。なのにハリブル、あなたは出会った時から悲劇悲劇ってそんなに楽しそうにして……最初はただ悪趣味な人だと思ってたよ。でも、ルーフェイの現状を見て、もしかしたら違うのかもしれないって思った。他人の悲劇を見ることで、自分よりもつらい境遇の人がいるってことに安心するんじゃないかって」


 するとハリブルは肩を震わせて笑い出した。


「ふ……あはははは! だったら何? 可哀想だから同情するねってこと? ふっざけんじゃないわよっ!」


 ハリブルの語調の変化とともに、影の拘束が強まる。彼女は影からユナの顔を覗き込みながら囁いた。


「ねぇ、あたし知ってるんだよ。コーラントのお姫様……あんたのお母さんさ、このおじいちゃんの部下にひどい目に遭わされたんでしょう? 悲劇的だよねぇっ? ルーフェイ軍の人間が憎くてたまらないよねぇっ? だったらこのおじいちゃんが無残に切り刻まれる悲劇を見たくない? 親の仇は更なる悲劇によって殺されたって思たら満足しない?」


「……私はそうは思わない」


 ユナは静かに、だがはっきりと拒絶した。


「悲劇は重ねるものじゃない。食い止めるものだよ。どこかでぐっと堪えて、辛くても前を向いて、その先に幸せがあるって私は信じてる。だから、あなたの考えも、全て破壊すればいいっていう破壊神信仰も、賛成なんてできない」


「ああやだやだ、そんなきれいごと言っちゃってさ! これだから世間知らずのお姫様は困るなぁっ」


「確かにそうかもしれない。だから悔しいって思うよ。私たちがルーフェイの悲鳴を知らなかったことを、あなたたちがどんな思いでずっと過ごしていたのか知らなかったことを。でも、今からだって遅くないはずだよ。ヴァルトロとの戦争なんかやめて、他の国の力を借りれば——」


「うるさいうるさいうるさいうるさいっ!! 君たちにエルメ様のお気持ちが分かるものかっ! この国を救えるものかっ! あたしたちを救えるのは……更なる悲劇だけなんだからっ!」


 影の中からハリブルのナイフがきらめく。ナイフが身動きの取れないユナの身体を貫こうとした、その時、


 シュンッ!!


 風を切る音がしてハリブルが仰け反った。


 握られていたナイフがぽとりと床に落ちる。


 彼女の右肩には群青色の矢が突き刺さっていた。


「グ〜〜レ〜〜ン〜〜!」


 血を滴らせながら、ハリブルは矢を放ってきた相手の名前を呼んだ。グレンとミハエルがこちらへと駆け寄ってきていた。


 影縛りの力が弱まり解放されたユナは前のめりに倒れる。それをテスラが受け止めた。


「大丈夫かい?」


「はい。それよりグレンとミハエルがどうして……」


「みんなが時間を稼いでくれたおかげで消火がだいたい終わったんだ。ここからは俺たちも加勢する! ハリブルはなんとかするから、ユナとテスラさんは女王の方に集中してくれ」


 グレンはハリブルに対して弓を構えた状態のままそう答えた。


「なんとかするだなんて、言ってくれるじゃないのさ〜っ!」


「ふん。こっちはな、ジーゼルロックの時からずーっと、あんたに一矢報いたくてうずうずしてたんだよ!」


 二人が口論している隙に、ミハエルがユナのすぐ側までやってきた。


「どうしたの?」


「実は鏡のことで一つ気になってたことがあるんです」


 ミハエルはそう言うと、二人だけに聞こえるよう声をひそめた。


「女王が持っている八咫の鏡って、史実通りなら『不死鳥の逆鱗』の時にポイニクス霊山の溶岩を飲み込んでいるんでしたよね」


 ユナは頷く。リュウの父テオの持っていた本には確かにそう書かれていた。


「そして、皆さんが目で見た情報だと、あの鏡には中にあるものを出したりしまったりする力があるんでしたよね」


 破壊神がその典型例だ。鏡の中に封じられて移動させられている。


「つまり、数百年前に吸い込んだ溶岩も同じはずです。中に封じるだけでなく、自由に外に出すこともできる。ただ気になるのは『灼熱の災い陽光と転じて鏡の中へと消え失せる』という記述です。これによると、溶岩はそのままの形ではなく別の形に変換されて鏡の中に封じられているということになります」


「えっと、それってどういう……?」


 ユナにはちんぷんかんぷんであったが、テスラは合点がいったのか「なるほど」と頷いた。


「ポイニクス霊山にはそのものに神通力が宿っている。山を形成している溶岩も当然高い神通力を持っているといえよう。そしてそれが溶岩ではなくエネルギーそのものとして変換されてあの鏡の中にあるとすれば」


 テスラは上空のエルメの方を見やる。


 彼女が呪術を放った後、一瞬の間ができる。よく見ると彼女はそこで鏡に手をかざしていた。鏡の中から細い朱色の光の糸が出てきて、彼女の指先に吸い込まれるように消えていく。


「エルメ様は鏡の中にある『不死鳥の逆鱗』のエネルギーで自らの神通力を補って戦っている。だから体力を消費しないのだ」


「なら、母上がエネルギーを補充する前にあの鏡を奪えばいいんですね?」


 そう言ったのはドーハだ。いつの間にか話を聞いていたらしい。


 テスラはぽんと彼の肩を叩いた。


「その通り。さぁ、次で決めるぞ。やってくれるかな、ドーハ王子?」


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