mission10-26 八番街の学府



 グレンとリュウは学者たちが集まる八番街を訪れていた。


 ここは他の住宅街区域より一回り広い。中心に呪術研究所とルーフェイ国内最大の図書館があり、それを取り囲むように呪術師や学者たちの住居が軒を連ねているのだ。


 路上では赤紫色のローブを着たこの区域の住民たちが小難しい議論を繰り広げていた。


「……先日発見されたアルフシロキノコモドキダケの分類だが、成分分析の結果、胞子に内包された菌の一部がアルフシロキノコに類似していることから……」


「……いや、だからといって派生型に分類するのはいささか早計、薬師の調合ミスを招く要因にも繋がる可能性もあるのだから、養殖実験を成功させて生態を正しく把握してから学会での発表を……」


 ルーフェイの学府は、世界最高峰の学府であるナスカ=エラのヴァスカランとは別に独自の分野で発展を遂げてきた。呪学、薬学、アルフ大陸系の地学・生物学においてはヴァスカランに劣らず研究が進んでおり、より実用性に特化していることから、これらの分野を学びたい学生はヴァスカランではなくルーフェイ学府を志望することが多いという。


 ゆえに、例えばミハエルのような好奇心旺盛な少年にとっては憧れの場所でもあるのだが——


「なぜ俺がここの担当なんだ?」


 リュウは苛立ち混じりにぼやく。


「そりゃたぶん、お前の父ちゃんが学者様だから……」


 グレンはフォローするつもりでそう言ってみたが、かえって火に油を注ぐことになったらしい。


「俺は父さんと違う。こういう雰囲気の場所は苦手だ」


 不機嫌さを露わにし、早足で先に歩いて行ってしまった。


「ったく。仕方ないだろ、あの人クレイジーが勝手に決めたんだからさ」


 とはいえグレンもまた、自分がなぜこの場所の担当になったのかはよく分かっていなかった。薬師の村の出身だからだろうか。とはいえ彼の知識は学術的なものではなく現場での薬の作り方くらいなもので、それも頭では知っているだけで実際には薬作りも呪術も得意ではない。


(俺たち二人で一体この場所の何が分かるのやら……)


 聞き込みをしようにも、皆どこか忙しそうで話しかけてもてんで相手にされない。


 研究所や図書館の中を見ようにも、セキュリティチェックが厳しく、所属研究員しか中に入れてもらえない。


 学者たちの話を盗み聞きしようにも飛び交う用語が難しすぎてさっぱりだ。


 このままでは何の成果もないまま待ち合わせ場所に向かうことになるのではないか……途方に暮れていると、どこからかがやがやと賑わう音がした。


 リュウが歩いていった先——生物学研究所の前に人だかりができている。


「まさかあいつ……!」


 嫌な予感がしてグレンは騒ぎが起きている方へと駆け寄った。


「いいぞお! やっちまえ!」


「もっと! もっとだ!」


 学者街らしくない怒号が飛び交っている。


(おいおい、こんな場所でケンカとかやめてくれよ……!)


 グレンは急いで人だかりをかき分けていく。


 だがその中心までたどり着き、目の前の想定外の事態に思わず言葉を失った。


 そこにはリュウと、興奮した様子の学者が一人。


 グレンが懸念したような状況ではなかった。


 いや、むしろだ。


 掴みかかっているのはリュウではなく学者の方だった。ケンカをしているわけではなく、学者がリュウの身ぐるみをはがそうとしているのだ。


「な、なんだこれ……?」


 リュウは必死で抵抗しているが、相手が武人ではない分本気を出せないのか、上手く抜け出せず身動きできない状態のようだ。


「もっと、もっとだ、君の身体を見せてくれぇぇぇっ」


 鼻息の荒い、小柄で丸顔の学者がリュウの下衣を引っ張り出す。


「こら、やめろ! いい加減ぶっ飛ばすぞ!」


「はぁはぁ……やめられるものか……! 君みたいな子に会えたのは運命……っ」


「ふっざけ……!」


 ついに耐えきれなくなったのか、リュウは鬼人化した拳を振り上げる。学者はそれすらも興味津々な様子で眺めて避ける様子がない。


 これ以上はまずい。


 グレンは慌てて前に進み出ると、リュウと学者を無理やり引き離した。


「やめろって! あんたら一体何やってんだよ、こんな公共の場で!」


「ぬぬ……! なんだね、君は! 今は私の学者生命をかけた一大研究の最中なんだ! 邪魔しないでくれたまえ!」


「は? 研究だと……?」


 小柄な学者は縦に頷いたかと思うと、ビシッと勢いよくリュウの方を指差した。


「人の姿をしているが額に一つのツノ……彼は新種の生物に違いない! もっと隅々まで調べて身体構造の調査に、細胞採取による分析を——」


 それ以上は聞くに堪えず、リュウは黙って彼の胸ぐらを掴んでいた。


「……あ、あれ?」


 学者の額に冷や汗がにじむ。


「おいグレン、こいつ一発殴ってもいいか?」


 低い声で言うリュウに、グレンは長い溜息を吐いた。


「……ああ、その人の目が覚める程度だったら」


——ドゴッ!


 グレンが最後まで言い終わらないうちに鈍い音が響き、小柄な学者は気を失った。


 周囲はまだざわついている。だが、よく聞いていると学者を殴ったリュウを咎める声はほとんどない。


「何かと思えばレオナルド博士か」


「まったく、よくやるよな。こんな騒ぎを起こして……」


「仕方ないさ。奴なりに必死なんだよ。ほら、ここんとこ学会で失敗続きで研究費が出てないらしいし」


「まあ、今どきアルフ大陸の未知の生物の研究なんてウケが悪いしなぁ」


 グレンとリュウはレオナルド博士とやらによって迷惑を被っていた立場ではあるが、周囲のうわさ話を聞いていると木の板の上でのびている学者のことが少し気の毒に思えてきた。


「殴っちまった手前、この人のこと家まで運んでやるか」


「……ああ、仕方ないな」


 グレンの提案にリュウが渋々学者を背負おうとした、その時だった。


 パン、パンと乾いた手拍子の音が響く。


「はいはーい! 野次馬の皆さんは撤収撤収ー! ウチの博士は見世物じゃないですよー! これ以上見てるようなら見物料とりますよー!」


 やけにトーンの高い声が響いたかと思うと、周囲の人々はぶつぶつ言いながらもその場から離れ始めた。人ごみがなくなって現れたのは、過剰なまでに短い丈の白衣をワンピースのように着て、すらっと伸びた素足を晒している、学者街にはあまり見ないタイプの人物だ。


 彼女は薄暗いルーフェイ中央都の中では眩し過ぎるくらいの赤いハイヒールでつかつかと歩いてくると、学者のそばにしゃがみ込みペチペチと彼の頰を叩く。


「もしもしレオナルド博士ー? 生きてますー? 愛しのロビンちゃんがお迎えにあがりましたよー」


 すると学者は「ふがっ」といういびきのような音を立ててハッと目を覚ました。


「あれ……ここはどこ……? 私は……?」


「ここはルーフェイ中央都八番街、生物学研究所前。あなたはレオナルド博士、うだつの上がらない生物学研究者、最近体脂肪率がお悩みの四十二歳独——」


「わー! いいからもう! わかったから!」


 レオナルド博士と呼ばれた学者は耳を塞いで子どものようにギャーギャーわめくと、先ほどまで気を失っていたのが嘘かのようにけろりとした様子で立ち上がる。


「それより聞いてよロビンちゃん。私ね、さっき不思議な人種を見かけたんだよ」


 するとロビンはちらりとリュウの方を一瞥、


「彼のことですか? 不思議な生物も何もあれは人間と鬼人族のハーフじゃないですか」


「はうっ!?」


「だってほら、研究成果だって学府に残ってますよ。昔あなたの同期の民俗学者さんが書いた論文が」


「ぬぬぬ……あいつめ、またしても先取りしおって……!」


「それよりも」


 ロビンはレオナルドの丸い顔を両手で挟むと、無理やりその視線をグレンの方へと向けさせた。


「彼の方があなたにとってよーっぽど興味をそそる人物のはずですけどねぇ」


「お、俺!?」


 突然の振りに、グレンの声は思わず裏返ってしまった。


 当然この奇怪な二人組には今日初めて会ったし、未知の生物を研究している学者に興味を持たれるいわれもないはずだ。


「グレン、今のうちに逃げるか」


「あ、ああ。他の奴らには悪いけどこのままここにいるのは身の危険を感じる……!」


 グレンたちは隙を見計らい、彼らに背を向けてこの場を後にしようとした。


 だが、レオナルドの言葉にグレンは思わず足を止める。


「グレンって……君、もしかして薬師のアイシャ夫婦の息子さんかい?」



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