mission10-24 三番街の市場
中央都は区画ごとに街の特徴がはっきり分かれる構造になっているため、何番街に何があるのか覚えてしまえば必要以上にさまよう必要はない。
ターニャとミハエルが向かうことになった市場のある三番街は、入り口の高床広場から隣接していることもあって迷うことなくすぐにたどり着いた。
ここでは市場は一日に三回開かれる。見渡すと近隣で収穫された食品や呪術の素材、あるいは遠方から仕入れてきた書物や工芸品など様々なものが雑多に並んでいた。行き交う人々の顔ぶれも多彩で、一般市民から学者、呪術師、軍人に至るまであらゆる人々が買い物をしに来ているようだ。
「ターニャ、ターニャ! ちょっとこれ見てくださいって!」
「はいはい、今行くってば」
「すごいんですよ、これ! この樹海にしか生息しない蛇の抜け殻……高級薬の素材として貴重なのでこうして全身が見られるのはほとんどなくて……! それにこっちはアルフモンキーの毛皮を使った弦楽器だそうで音色が意外と繊細な……」
未知の商品が多数並ぶ市場でミハエルが好奇心を抑えられるはずはなく、ターニャはまるで彼の保護者のようにあちこち引っ張られていた。
(まぁ、そうなる気持ちも分かるけどね)
陳列されている商品を眺めながら、彼女は胸の内でミハエルに同意する。
鮮度の問題で中央都の外では取引されない幻の果物・ミストグレープに、ルーフェイ独自の解釈で記された創世神話の書。
特に、湿地帯の泥で練られた美白石鹸にはさすがのターニャも思わず財布を取り出しそうになった。
ルーフェイの女性は肌がキメ細やかで美人が多いと言われており、ルーフェイ産の美白石鹸は世界中の女性が喉から手が出るほど欲しがる商品だ。関税と稀少性により、中央都の外では滅多に手に入らない高級品なのだが、驚くことにこの市場ではそれが飲料水と同等の値段で取引されている。
だがすぐ隣で店を構えている武器商人の片腕がないのを見て、ターニャは伸ばしかけていた手を引っ込めた。
(はは……忘れてた、わけじゃないんだけどなぁ)
彼女にとって、ここは二国間大戦における敵国。奴隷兵士として最前線に駆り出されていた彼女は、多くのルーフェイ兵士の命を自らの手で奪った。そして同時に、多くの同胞の命を奪われてもいる。
「どした、お嬢ちゃん? 顔色が悪いぞ」
武器商人に声をかけられてターニャははっとした。
「なんでもない、ちょっと立ちくらみがしただけ」
「そうかい。あんたそんなヤワには見えねぇけどな」
武器商人はそう言ってけらけらと笑った。
(ヤワじゃない、か。見た目だけであたしのことをそう判断したなんて……やるじゃんか、この商人)
ターニャは変装して各地を回ることが多かった名残で、街を歩く時は長袖やローブを着て武器を持っていることや身体つきがわかりにくいようにしている。それでも彼女に体力があることを見破ったということは、それなりに客を見極める目を持つ商人ということだ。
(よーし……ちょっとカマかけてみますかね)
ターニャは武器の陳列棚にもたれかかると、背中越しに話しかける。
「おじさんさ、見たところ兵士崩れでしょ。先の大戦で利き腕失くして、その後はしがない武器商人。自力で鍛治をすることはできないから、キッシュの街で仕入れたものをこの街で売ってる。……違う?」
すると武器商人はくっくと笑う。
「いきなり痛いところついてくるねえ。ああ、その通りさ。この身体じゃ戦場には立てねえし、とはいえ学もなくってよ。こうするしか食っていく道がなかったのさ」
「そっかぁ、大変だったんだね。けど……商売もあんまり向いてないんじゃないのかな」
「んん?」
商人の声音が低くなる。
上手くこちらの挑発に乗せられたようだ。もう一押し。ターニャはわざとらしく煽るような口調に切り替える。
「だって、さっきからちっとも客がつかないわりに余裕こいて座りっぱなしじゃん。そんなふんぞり返ってちゃ客もビビって話しかけられないっての。ただでさえおじさんいかつい顔なんだからさぁ。ねぇ、それでちゃんと生計立てられてるの?」
商人の顔が一瞬歪んだ。
なぜ見ず知らずの若い女にここまで馬鹿にされなければいけないのか、そういう苛立ちが露わになっている。だが、ここが大勢集まる市場であることを思い出して冷静になったのだろう、商人は自分の気を紛らわすように豪快に笑った。
「がはは。世間知らずなお嬢ちゃんよ、あんまり大人をからかうもんじゃないぜ」
そしてぐいと商品カウンターから身を乗り出すと、声を潜めてターニャに耳打ちした。
「……ひとついいことを教えてやろう。商人ってのは客に見せてる商品だけが商売じゃないんだ。世の中にゃ見えない場所で動いてる金もある。俺にとっちゃここに店を構えてんのは暇つぶし。本業は別にあるのさ」
それは大人が生意気な子どもを諭すような声だった。
——狙い通り。
ターニャはあえて聞き分けの良い子どものようにうんうんと頷いた。
「なるほどなるほど、本業は別かぁ。例えばそれは……王家直属部隊・
「んなッ……!」
商人が思わず言葉を詰まらせるのを見て、ターニャはにやりと黒い笑顔を浮かべた。
「あ、図星なんだ」
「な、ななな……お嬢ちゃん、一体どこまで知って」
「なーんにも知らないよ。適当に言ってみただけ。けどおじさんが丁寧に教えてくれたからよーく分かったよ」
「ぐぬぬ……!」
「でもいいのかなぁ? おじさんが扱っているその短剣、キッシュの街じゃルーフェイ人嫌いで有名な鍛冶屋のやつでしょ。勝手にルーフェイに流してたことがばれたら仕入れ差し止めになったりしないかな?」
商人の額に冷や汗が浮かぶ。
彼は再びカウンターに身を乗り出すと、ひそひそ声で言った。
「おい、あんたさっきから何がしたいんだよ……! 俺なんか揺さぶったって金は出ねえぞ。これでもけっこうギリギリの生活なんだ」
「お金はいらないよ。あたしが欲しいのは情報。ルーフェイ王家とお近づきになるための方法を——」
その時、ターニャの声は少し離れた場所で上がった悲鳴にかき消された。
「泥棒! 泥棒よーッ!」
薬売りの老婆が喚いている。その周囲の人だかりは何者かが逃げ去った後なのか不自然にかき乱され、人々は混乱しているようだ。
「待っていてください。僕が犯人を追います」
すぐそばにいたミハエルは落ち着いた声で老婆をなだめると、犯人が逃げたらしい方向へと駆け出した。三番街ではなく別の区域につながる方角だ。
「ったく、あの子は勝手に……!」
ターニャは舌打ちすると、「おじさんまた後で」と言ってミハエルの後を追いかけた。
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