mission8-38 ウーズレイ
「ここに残るだって……? こんな時にあたしをからかうのはやめろ……! 冗談なんでしょ!? ウーズレイ、君も一緒に……」
両親の後ろに立っているウーズレイに向かって手を伸ばす。
だが、この世界から拒絶されたターニャはすでに彼に触れることはできなかった。
ウーズレイが自ら死者になることを選び、彼がターニャをこの世界から拒絶したからこそ、クリストファー十六世たちからの束縛から解き放たれた。そんな、理屈は分かっている。
「どうしてだよ……! 君がそんな風に考えているなんて、少しも……!」
ターニャは自分で口にして気づく。
人の意志を読み取ることのできる彼女が、ウーズレイの考えを悟れなかった理由を。
「まさか、あたしに”神格化”を三回を使わせたのは——」
「ええ、私の考えを知られるわけにはいかなかったのです。あなたは絶対に反対したでしょうから」
限界まで”神格化”を行えば、彼女はヴァルキリーの力を使えなくなる。それは、意志を読み取る力も然りだった。
「はは……あはははは…………」
笑いとともに、彼女の瞳から大粒の涙がぽろぽろと落ちていく。
「そこまでして……そこまでして君は死人になりたかったのか? ああ、そりゃそうだよね。ずっと会いたかったお母さんもいれば、認めてほしかったお父さんもいる。気持ちは分かるよ。あたしだって、もしここで自分の親に会っていたら」
「ターニャ」
「そうならそうと言ってくれれば良かったんだ。別に君が望むならあたしは止めなかったのに。快くここに置いていってやったのに。そんなに信じられていなかったなんて」
「ターニャ、私は」
「ああもう、バッカみたいだ……! 砂漠の中で君を必死に探して、ボロボロになって、それでも諦めずに戦ったのに」
「そうじゃない。違いますよ、ターニャ」
「何が違うんだよッ!!」
彼女の叫びが響く。
柔らかな笑顔をたたえていたウーズレイの表情が、少しだけ苦痛に歪む。
それは、自らの手でターニャを傷つけてしまったという、彼にとってはどんな仕打ちよりも辛い痛み。
「私がここに残るのは……あなたのためです」
震える声で絞り出す。
「あたしのため……? これのどこがあたしのためだっていうの!?」
ルカたちは激昂するターニャを取り押さえようとしたが、強い力で振り払われてしまった。
彼女はつかつかとウーズレイの方へ歩み寄り、何度も何度も彼の頬を叩こうとする。透けた手は彼に触れることなく通り過ぎるだけだったが、それでも、何度も叩こうとした。
その度に、自分も、ウーズレイも、痛みを感じていることを知りながら。
「……あなたが先ほど言われた通りです。私たちは地獄から逃げるために王を殺して革命を起こした。だけど屍者の王国では依然として私たちを貶めた人々が支配している。ねぇ、ターニャ。正直がっかりしませんでした? 虚しくなりませんでしたか? 私たちがいつか死んだ時、こんなクソみたいな世界に放り込まれるのかって思ったら、何もかもどうでもよくなるような……そんな気分になりませんでしたか?」
ターニャはぎゅっと口を結び、彼の問いには答えない。
「だから私は、最悪の場合——誰かが死人になる決意をして、皆を送り出さなければいけなくなった時、自分がここに残ろうと決めたのです。いつかあなたやヨギ、苦しい思いをしてきた人々が寿命を全うしてこの世界にやってきた時に、心穏やかに過ごせる場所をつくるために」
ターニャはぶんぶんと首を横に振った。
「ふざけるな! そんなこと、君一人にできるものか……! それならあたしも一緒に……!」
「だめです。あなたは現実世界でやらなきゃいけないことがまだまだあります。ミハエルくんに言ったのでしょう? 力を持つ者がそれを使わないのは怠慢だ、って。あなたには神石の力がある。あなたを慕う者たちも多くいる。あなたは帰らなきゃだめなんです。あなたは現実世界に戻って、力に虐げられている者たちを救ってあげてください。いつか、地下室に閉じ込められていた私にそうしてくれたように」
「それを言うならウーズレイ、君もだよ! 君にはまだやってもらいたいことがあるんだ。だから……」
ターニャの言葉の途中で、ウーズレイは一瞬顔を伏せた。
そして、低い声で呟く。
「それは……あの廃墟に残された玉座に座ることでしょうか?」
「……!」
「すみません、あなたがあの玉座を残している理由については薄々気づいていましたが……ずっと知らぬふりをしていました」
「どうして……? 君だって分かっているはずだ。ゼネアがもっと大きくなったら、今のままの体制じゃやっていけない。いずれちゃんとした指導者を立てて、外交を始めなきゃいけない時が来る。その時必要なのは、あたしみたいな汚れた人間じゃない、れっきとした血筋を持つ君が」
「残念ながら、私には王の器はありませんよ」
ウーズレイは自嘲しながら言い放つ。
「王にふさわしいのは、自らの意志で道を拓き、顔も知らぬ人々を率いることのできる者です。私のような……たった一人の人のことしか頭にない人間には向いていません。だけどあなたは違う。あなたの中には抑えきれない強い意志と、行動力、そして人の思いを悟る力があるでしょう。手を汚していることがなんです? だからこそ、あなたはゼネアの人々に好かれているのです。汚れを知っているからこそ、あなたは弱い人々に寄り添ってあげられる。そういう人を、皆は求めているのです」
ウーズレイは嗚咽するターニャに手を伸ばす。その手は彼女の身体をすり抜ける。ウーズレイは困ったように笑った。
「もう、あなたの髪を
「バカだなぁ……だったらなんでこんなことしたんだよ……! 君は前に、あたしがいない世界は嫌だって言っていたじゃないか! あれは……嘘だったの?」
「嘘じゃありませんよ。確かにほんの少しの間、あなたと離れなければいけません……ですが、ここにいればいつか必ずまたあなたと会えますから」
「何のんきなこと言ってんだよ……! それってつまりあたしが死ぬまで、ってことでしょ? 言っておくけど、あたしは簡単に死ぬつもりなんかないよ。君のために早死にだなんて、そんなことするもんか。どんな恥をさらしても生きて、生き延びて、寿命が尽きるまでこの世界にしがみついてやる……! それでもなお、もう一度あたしに会えるっていうの?」
「ええ、大丈夫です。今度は五年と言わず、十年でも、五十年でも……どこにも行かずに待っています。だから、安心して歳を取ってください。あなたがしわくちゃのおばあちゃんになっても、私は見つけられる自信がありますから」
けろりと言ってのけるウーズレイに、ターニャもとうとう返す言葉がなくなったようだった。
「本当に頑固だなぁ、君は……」
彼女は困ったように嘆く。
ウーズレイはそれに返事をすることはなく、彼女のそばに歩み寄るとその場で
手の甲へ、優しい口づけ。
「……ウーズレイ。君は、ずるいよ」
ウーズレイは顔を上げる。「そうでしょうか」といたずらな笑みを浮かべながら。
そして彼は立ち上がると、ターニャの耳元で何か囁いた後、彼女の身体を後ろに押した。
触れることはなかったが、それを合図にターニャやルカたち一行の身体が宙に浮き始めた。
「さぁ、早く行ってください! 他の屍者たちに邪魔されないうちに」
リュウ、ユナ、ルカ、ミハエル、ヨギ……一人ずつその場から消えていく。残りはターニャだけだった。すでに身体のほとんどは消えかかっていたが、その時——
「サセヌ!!」
ぶわっと黒い影が立ち上り、ターニャの周りを取り囲んだ。
「な、何……!?」
「サセヌ……サセヌゾ……貴様ハ、余ト共ニ、永遠ニ、コノ世界デ……!」
その声はクリストファー十六世のものだった。もはや姿形が見当たらない彼の強い怨念がまとわりついているのだ。
「くそっ、ウーズレイが命がけで逃がそうとしてくれていたのに……! 邪魔、しないでよッ……!」
黒い影から逃れようと必死にもがくターニャ。
暴れるうちに、彼女の服の裾から形見の櫛がこぼれ落ちる。
「しまった……!」
櫛に手を伸ばそうとして、ターニャは息を飲んだ。
櫛が白銀色に光ったかと思うと、ふわりと温かい風が吹いて、黒い影が取り払われていったのだ。
櫛の光は徐々に収束し、やがて人の形になっていく。
それは、ターニャのよく知る人物の姿であった。
「母さん……!?」
櫛が落ちた場所には、イェレナ・バレンタインが立っていた。いつの間にか黒い影から人の形に戻ったクリストファー十六世を、取り押さえた状態で。
「離せ! どうしてそなたがここにおるのだ!」
クリストファー十六世は目を見開いてじたばたとその拘束を逃れようとする。だが、細腕で力のなさそうなイェレナの腕はしっかりと彼を捕らえている。
「クリス、お願いだからもうやめてあげてくださいな。あの子を捕まえたって、あなたの苦しみが癒されることはないのです。ますます苦しみが募るだけ……」
「だが、あやつは……!」
「それでも、もう時が流れてしまった……。とうに死んだ私たちの出る幕ではありませんわ。それに、あなた自身もせっかく色々なしがらみから解放されたのです。もう、王である必要はないのですよ。ただのクリスとして、幼い頃のようにやり直してみませんか?」
イェレナの背後には、ぼんやりとターニャの父・アーロンの姿も浮かび上がっていた。
「ああ、そうだよクリス。もう一度イェレナを取り合って喧嘩したところからやり直したっていい。僕は王としての君より、恋敵としての君の方が正直言って好きだったんだ」
「イェレナ……アーロン……。余は、そなたらに死罪を与えたのだぞ……? それでも、そのようなこと……!」
「ええ、だって私たちが本当にしたかったのは、あなたへの反逆などではなくて」
「孤独な王政に走っていた君を救うことだったのだから」
二人の言葉に、王はその場に崩れ落ちてむせび泣く。まるで、幼い子どものように。
王があのように泣く姿など一度も見たことがなかった。彼の不幸は、生前に自分をさらけ出すことのできる相手を失ってしまったことだったのだろう。それも、自らの手によって。だからこそ、罪の意識に苛まれ、ますます孤立していったのだ。
「父さん、母さん……!」
ターニャの声に気付き、両親の穏やかな視線が彼女に向けられる。
だが、すでにターニャはこの世界から消えかかっているのか、視界にもやがかかって二人の顔がよく見えなくなっていく。
(待って、待ってよ……! やっと会えたのに……! やっと、謝れる機会なのに……! 許されなくてもいいから、ごめんなさいってずっと言いたかったのに……!)
手を伸ばせど届かない。
だが、母親の声は、やけにはっきりと聞こえてきた。
「ターニャ。ずっとそばにいられなくてごめんなさい。だけど……これだけは覚えていてね。私たちはあなたのことを恨んだりしていない。ずっと、あなたの味方でいるってことを……」
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