mission8-37 拒絶する屍者



「ウォォォォォォオオオオオ!」


 獣のような雄叫びをあげて、クリストファー十六世は巨大なランスを振り回してきた。


 悪夢から目覚め、すっかり理性が飛んでしまったようだ。


(さて、どうやって戦うか……)


 ターニャは敵の攻撃を交わしながら思考を巡らす。


 一方は、砂漠の時と同じく、左腕のない状態でもランスを駆使するクリストファー十六世。立ち回り方はさほど変わらないが、足場が砂と違って安定している分、一撃が重い。鬼人族のリュウとヨギならまだしも生身の人間が受ければ軽く部屋の端まで吹き飛ばされるくらいの力強さだ。


 そしてもう一方は、松明の黒い炎や、爪に仕込まれた毒を飛ばして王には近づかせまいと妨害してくるメガイラ。彼女の範囲攻撃があるせいで、なかなか王の隙を突くことができない。


「それならまずは……補助から崩す! ミハエル!」


 ターニャの呼びかけにミハエルは頷くと、彼は神石が埋め込まれた石版を片手に抱え、もう片方の手で胸の前に円を描いた。


「”風を司る眷属よ、我ミハエル・エリィの魂を糧に汝の力を示したまえ”!」


 彼の言葉に応えるように、玉座のそばでつむじ風が吹いた。


 ミハエルが得意とする、触媒の代わりに神通力の高さを活かした強力な呪術だ。


 つむじ風はウーズレイの攻撃で片翼に傷を負っているメガイラのバランスを奪う。


「グッ……コノ、程度デ……!」


 メガイラは空中でもがきながら、腕を掲げる。ミハエルに向かって爪の毒を飛ばす気だ。


「させねーよ!」


 ヨギがメガイラに向かって鎖鎌を投げる。普段はトリシェ競馬場で激走する馬を的にしている彼にとって、本調子でないメガイラの足を鎖で絡めとるのは容易いことだった。


「ターニャねえちゃん、今だ!」


 身動きが取れないメガイラに対し、ターニャは裁きの剣の切っ先を向ける。王の悪夢を打ち砕いた時のように、”神格化”の力なら彼女に取り付いたハデスの力を消し去ることができるはず。


 だが——


「ヨギ、後ろ!」


 ターニャは踏みとどまる。メガイラを取り押さえることに集中しているヨギの背後に、ランスを高く掲げた王が迫っていたのだ。メガイラを仕留めるより、ヨギの救出が優先。彼女が剣を持ち替えた、その瞬間、


「させん!」


 全身に萌黄色の雷をまとったリュウが王を脇から蹴り飛ばす。


「グァァァッ……」


 王がひるむ。


「やるじゃん、ハーフ君!」


 ターニャは短く叫ぶと、再び剣を持ち直して視線をメガイラに戻す。


「はぁぁぁぁぁッ!」


 白銀の光を瞳に宿し、彼女はメガイラに斬りかかった。メガイラの耳をつんざくような悲鳴が響く。王の時と同様、傷口から血は流れない。代わりに、黒い煙が吹き出して、徐々に黒い翼や長い爪が崩れ落ちていった。


「う……うう……」


 浮遊するための翼がなくなり、床に横たわった彼女はもはや嫉妬の冥精の姿ではなくなっていた。床に広がる長い髪の下から、美しい女の顔が覗く。


(なるほどね。この女がウーズレイの母親……)


 ウーズレイは顔立ちこそは父親似であるが、まぶたを閉じた時のどこか儚げな表情は母親とよく似ている。


 ターニャがそんなことを考えていると、ユナを避難させたルカとウーズレイがやってきた。


「あの子の側にいなくていいの?」


「ああ、あれだけ離れていれば大丈夫。ハデスも直接手を出す気は無さそうだし」


「ハデス?」


 きょとんとするターニャに、ウーズレイはこの空間の主の存在について説明した。


「なるほど。君の仮説が正しければ、この世界の住人に嫌がらせをすることで、現実世界に追い出してもらえるってことか。全く、性格の悪い君の考えそうなことだね」


「恐縮です」


「はいはい、褒めてないから。で、その嫌がらせってのは具体的にどうするの?」


 ウーズレイは足元に倒れている母親をちらりと見やった後、リュウと交戦しているクリストファー十六世の方に視線を向けた。


「まずは王にもおとなしくなってもらいましょうか。正気に戻らないことには、嫌がらせも通じないでしょうし。そしてその後で——」


 ウーズレイが作戦を耳打ちすると、ターニャは顔をしかめた。


「それ、あたしがやんの?」


「ええ。だってあなたは世界を脅かす変装の名手、女スパイ銀髪女シルヴィアなんでしょう? これくらいの演技、簡単なことじゃないですか」


「やれやれ……ほんと、君と話してると退屈しないな!」


 ターニャはため息一つ吐くと、王に向かって駆け出す。


「けど、“神格化”はあと一回が限界だ! それをやったらあたしはしばらくヴァルキリーの力を使えないよ!」


「大丈夫です! そこからは、私がなんとかしますから」


「ウーズレイ……無茶すんなよ」


 ルカもターニャの後に続いて駆け出す。


 クリストファー十六世は二人が向かってきていることに気づいているようだった。武器を大きく振るってリュウを引き剥がし、ターニャとルカの方へ一歩踏み込むと巨大なランスを勢い良く振り上げる。


——ブンッ!


 衝撃波だ。風を切って一直線に襲いかかってくる。


 ターニャとルカは咄嗟の判断でそれを回避、だがその隙に武器を持ち直した王はとどめを刺さんとばかりに重い一撃をリュウに振るう。


「ぐっ……」


 歯を食い縛るリュウ。だが、ランスを受け止める棍を持つ腕はびりびりと震えている。身体を覆う雷も徐々に弱々しくなっていた。鬼人化しながら神石の力を解放する彼の戦い方はあまり長期戦に向いていない。


 力負けする——リュウがそれを覚悟した瞬間、急に相手の武器が軽くなった気がした。ヨギの鎖鎌が王の腕を絡め取り、後ろ側へ引っ張っていたのだ。


「やれ、ミハエル!」


 ヨギの合図でミハエルは再び呪術を唱えだした。


「”火を司る眷属よ、我ミハエル・エリィの魂を糧に汝の力を示したまえ”!」


 ヨギが持つ鎖鎌の周囲に踊り出す火の粉。金属でできた鎖はすぐさま熱を帯びていく。強靭な皮膚を持つ鬼人族ならまだしも、普通の人間なら火傷する熱さだ。剛力を誇るクリストファー十六世であっても、反射的に力を緩めざるを得ない。


「小サキ者ガ、煩ワシイ……!」


 クリストファー十六世はリュウへの攻撃をやめ、ランスを勢い良く鎖鎌に振り下ろす。ヨギとミハエルは目を疑った。鎖はあっけなく引き千切れ、せっかくの拘束が解かれてしまったのだ。


「余ノ邪魔ヲスルナァァァァァァッ!」


 今度はヨギとミハエルに向かって衝撃波を放つ。


「まずい……!」


 ヨギは悟る。先ほどのターニャたちと違って避けられない距離だ。王の攻撃を事前に予測できていれば良かったが、実戦経験の少ないヨギとミハエルは判断が一歩遅かった。


 思わず目をつむり、受身の体勢をとる。


 だが、衝撃波が彼らの身に襲いかかることはなかった。


「え……?」


 二人の目の前にリュウが仁王立ちしている。


 全身鬼人族の赤に染まっていた皮膚が、徐々に肌色に戻っていく。彼は二人をかばうために正面から衝撃波を受け止めたのだ。全身にできた切り傷から、赤い血がぽたぽたと溢れて床を濡らす。


「あんた、なんで……!?」


「俺の勝手だ……今度こそは、守るって、決めたからな……」


 リュウはそう呟き、膝から崩れ落ちる。神石の力を使った影響もあってこれ以上は戦えない。


「あとはおれたちに」「任せて!」


 跳躍して大鎌で上段から斬りかかるルカ、下段から剣で攻めるターニャ。


 一方クリストファー十六世も先ほどの衝撃波でかなりの体力を消費したのだろう。重心が先ほどよりもぶれ始めている。


「一気に畳み掛ける!」


 ウーズレイも剣を鞘から抜き、王の死角に回る。


「小癪ナ!」


 王はウーズレイの方を向いて力で押さえ込もうとした。だが、ウーズレイは間合いを詰めるわけでもなく、さっと後退する。フェイントだ。


 その隙にルカが大鎌の峰で王の背後から打撃を与えた。前のめりになって倒れそうになり、ランスで片腕の身体を支える。


「ターニャ!」


「ああ、分かってる!」


 彼女の瞳に白銀の光が灯る。


 この空間に来て三度目の“神格化”だ。


「くだけ散れぇぇぇぇぇっ!」


 彼女の言葉とともに、裁きの剣が王のランスを貫いた。たちまち白銀の光を帯びたひびが武器の全体に行き渡ったかと思うと、ターニャが剣を引き抜いた瞬間、粉々に砕けた。体重を支えるものがなくなった王はその場に倒れこむ。


「アあ……余ノ……余の力が……」


 片腕で立ち上がれない王は、その場で力なく嘆く。


 ウーズレイの母親は体力は尽きていたものの意識は取り戻したようだった。彼女も床に這いつくばったまま、王の哀れな姿を見て悲しげな声を出した。


「ああ陛下……おいたわしや……あなた様には私がおりますから……すぐにそちらに」


——カン!


 王の方へ向かおうとした彼女の目の前に、裁きの剣が突き立てられる。


「あんたさぁ……もしかして自分だけが王様のお気に入りだと思ってる?」


 少しだけ芝居掛かった口調でターニャは彼女を見下しながら言った。


「何それ、どういう意味かしら……!」


 怒りに声を震わせるウーズレイの母親。彼女にはターニャの言葉が挑発だと考える余裕はなさそうだった。


「分からないならはっきり言おうか?」


「嫌よ……やめて……!」


「王様の愛人はあんただけじゃない。あの王様、いや、はね、自分より弱くて、言うこと聞かせられる女なら別に誰だって良かったの。嘘だと思うなら聞いてみたら? あの男、あんたの名前なんてきっと覚えちゃいないから」


「やだ……そんな、そんなの嘘よ……。陛下……嘘ですよね、陛下……?」


 すがる彼女に、王は何も答えない。


 ターニャは追い打ちをかけるように言葉を続ける。


「だけどあたしは違う。王様はあたしのことを忘れない。ねぇ、そうでしょう、王様? だってあたしは……あんたが大好きだった女の娘で、あんたを殺した張本人だから!」


 床に伏せる王の顔は、怒りか羞恥か、真っ赤に染まっていく。


「何を、言うか……!」


「ああ、その反応、図星なんだ? どうりで時折母さんの名前を呼ぶと思ったら」


「黙れ……それ以上の戯れ言は許さんぞターニャ……!」


「許されなくて結構! あたしだっていい加減辟易してんだよ……! 地獄から逃げるためにあんたを殺したのに、本当の地獄にあんたらがいるなんてさぁ……」


 ターニャは乾いた笑い声をあげると、今度は王の方へと歩み寄り、彼の顔を覗き込むようにしてその場にしゃがむ。


「かわいそうにねぇ、王様。あたしがここに来たからには、この王国はあたしのものだ。現実世界と同じように、もう一度ここでも革命を起こして国を乗っ取ってあげる」


「やめろ……」


「そうだ、そうなった暁には、あんたにはどっかの薄暗い地下室にでも閉じ込もっててもらおう。そこで永遠に砂漠の悪夢を見ていればいい」


「やめるんだ……」


「だいたいさ、玉座で眠ってふてくされてたのだって、事実を目の当たりにしちゃって辛かったからでしょ? 気づかないふりをしたかっただけなんだ。この世界でも、どうせあんたが本当に欲しかったものは手に入らないって事実に」


「やめろぉぉぉぉぉ!!!!!」


 王が叫んだと同時、空間全体がガタガタと揺れ始めた。




“あーあ、これでしまいか。ソニアに謝らなくっちゃなぁ……”




 残念そうに呟くハデスの声がどこからか聞こえる。


 彼女の企みが上手くいかなかったということ。


 それはつまり、ウーズレイの作戦が成功したということ。


「これは……!?」


 ルカたちの身体の輪郭が徐々に透け始めていた。


「貴様らは余の王国にはいらぬ! 出て行け! ここはクリストファー十六世の治めるエルロンド王国なるぞ……! 国を乱す不穏分子などいらぬ! いらぬ……!」


 王が狂ったように喚き散らす。その度にルカたちの身体が透けていく。


 屍者たちに拒絶されることでこの世界から脱出できる、ウーズレイの仮説は間違っていなかったということだ。


 だが——


「離せっ! 離せよっ!」


 ターニャの身体だけは、はっきりと色を残したままだった。


 彼女の両足に、クリストファー十六世とウーズレイの母親がしがみついていたのだ。


「散々余に暴言を吐きおって……! 貴様だけは離さんぞターニャ……!」


「ええ、私もあなたには言い返したいことが山ほどあるの……!」


 玉座の間の形をした空間がどろどろと溶け、二人の姿が死霊と化していく。これが本来の屍者の王国の姿。そしてそれに染まっていくかのように、ターニャの足が黒ずんで、皮膚が崩れ落ちていく。


「ターニャ……!」


 ルカは彼女に手を伸ばすが、すでにこの空間から抜け出し始めているせいか、彼女の身体に触れられない。


「ちょっと待ってよ、こんなの笑えないって……!」


 ターニャは二人の拘束から抜け出そうと必死にもがくが、一向に身動きが取れないまま。


「帰サナイ……」


「返サナイ……」


「貴様ダケハ……」


「アナタダケハ……」


 亡霊たちの言葉がこだまする。


「くそ……! 離せ……! あたしは、まだ……!」




 その時、トンと身体を後ろに押された気がした。




 死霊の世界にあるとは思えない、やけに優しくて、温かな感触。




 気がつくと、ターニャはいつの間にか二人の拘束を逃れ、ルカたちと同様に身体が透け始めていた。




「どういうこと……?」




 顔を上げてハッとする。




「そうですよ、ターニャ。あなたにはまだ、やらなきゃいけないことがありますから」




 彼女の身体を押したのは、ウーズレイだった。


 ウーズレイの身体は、透けてはいない。


 死霊と化した両親の後ろに立って、ターニャに向かって優しく微笑んでいる。




「ウーズレイ……? 何やってるんだ、君も早く抜け出さないと……!」




 そう言いながら、彼女の瞳からつうと涙が溢れだしていた。


 分かっていたのだ。


 この状況で、自分が死霊たちから逃れられた理由を。




 ウーズレイは、穏やかな口調で告げた。




「私は……ここに残ります」




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