mission8-7 ならず者の街・ゼネア



 ブランク山地から見えたゼネアの街は、確かに緑豊かな土地に建物の白さが映えていて、かつては"花薫る都"と呼ばれた街の面影を残している——かのように見えた。


 実際ウェスト・キャニオンを抜け、旧エルロンド城下町を目の前にして、その期待はすっかり裏切られることになった。


 美しい家屋であっただろう白い建物はいずれもどこかしら破壊されており、あちらこちらにがれきが転がったまま放置されている。


 かろうじて破壊を免れ残った白い壁は砂埃と煙草のヤニでくすみ、あちこちに下品な落書きが施され、ツタで覆われ、半分腐りかけた木の板を立てかけるようにしてつくられた仮設住宅のようなものが点々としている。


 路上で寝ている人、住宅のそばにあるゴミを漁る人、地べたに座り込んでぶつぶつと何かを唱えている人。


 エルロンドのシンボルでもあったはずの道端の花壇には、花の代わりに雑草が生き生きと茂っている始末。


 街の入り口の前に立った瞬間漂ってきたウェスト・キャニオンの谷底のゴミと同じ臭いに、ユナは思わず鼻を覆った。


 ならず者たちの吹き溜まり、確かにそれにふさわしい街並みだ。


 ルカたちの足音に気づいたのか、居眠りをしていた門番がはっと顔を上げた。ルカたちは身構えたが、門番の方は寝ぼけまなこでルカたちを見た後、へらっとだらしない笑みを浮かべた。


「へへっ、ウェスト・キャニオンから人がやってくるなんて珍しいや。あんたらキレイなカッコしてっけど、ガルダストリアの方からやってきたのかい?」


 ここは正直に来訪の目的を話すべきだろうか。それとも門番の話に合わせてごまかすべきか。


 だが、ルカが何か答えるより先に門番は「ああー、別に話さなくていいって!」と拒絶した。


「この町には何かしら事情があるヤツらしかいねぇんすわ。勘ぐるなんて無粋なマネしちまって悪かった」


 そう言ってペロリと舌を出し、門番はルカたちにへこへこと頭を下げた。よく見ると、ハイネックの上着の下、首元に桜色の入れ墨がある。彼もエドワーズやターニャと同じエルロンドの奴隷兵士出身の人間なのかもしれない。


 門番は顔を上げると、何のためらいもなくルカたちに道を開けた。


「さっ、どうぞ新入りさん。臭いと汚れが気になるのも初めだけ。住めば都ってもんだ」


「あ、ありがとう」


 ルカたちが中に入って行こうとすると、「あ!」と門番が大きな声を上げる。まさか、正体がばれたのだろうか。恐る恐る振り返ると、門番は相変わらずヘラヘラとした様子で言った。


「こんな町ですが殺しだけは勘弁ですぜ」






「さて、中に入れたはいいけどこれからどうしましょうか」


 やるべきことは、ターニャを見つけて同盟について話し合うこと。だが、ゼネアの街は広く、彼女がどこにいるかは分からない。街の人々に話を聞いてみるのはありだが、あまり嗅ぎまわるのは門番が言った通り「無粋なマネ」ということで警戒されるかもしれない。ターニャに会う前に街を追い出されるようなことになっては本末転倒だ。


 ぐう。


 ルカたちが考え込んでいると、誰かの腹の音が鳴った。ユナがうつむいて顔を真っ赤にしている。


「……とりあえず食事にしようかしらね」


 アイラがそう言うと、ユナはますます顔を赤らめた。


「ごめん……」


「腹が減ったのはおれたちも同じだよ。峠越え用の食糧がシアンの弁当だけだったからね……」


 ルカはげっそりとした表情で言った。シアンが作った弁当はどう考えても砂糖と塩の配分が間違っており、完食できたのは味に無頓着なリュウだけだったのだ。


 ルカたちは食事が摂れそうな店を探して町の中を歩いてみることにした。


 しばらく進むと、ひときわ幅の広い通りに出た。馬車が四台くらい横に並んでもまだ余りそうな広さである。どうやらここが街の中心地らしい。今まで通ってきた通りよりも人が多く、店らしき建物も何軒か並んでいる。道は南北に伸びていて、南側が現在封鎖されているという港、北側には城のような建物——街の家屋と同じくところどころ破壊のあとが残っている——がそびえていた。


「あれが旧エルロンド王国の城か?」


「そうでしょうね。ターニャはエルロンド革命のリーダー……拠点にするとしたらあの場所かもしれないわ」


「けど、王城に繋がる橋が壊れているみたいだ」


 ルカは道の北側を指差した。王城は川を挟んで向こう側にあるのだが、その川を渡るための橋が途中で崩れ落ちてしまっている。この通りから城の中に入るのは難しそうだ。


「あら、ステキなお兄さんたち。何かお困りかしら?」


 猫なで声が聞こえて振り返ると、薄いサテン生地の青いドレスを身にまとった少女が立っていた。首元にはターニャと同じようなチョーカー。香水をつけているのか、甘い花の蜜ような香りが漂ってくる。


「君はこの街の人? ちょうどよかった、どこかで食事できそうな場所を知らないか」


 ルカが尋ねると、少女はパンと手を叩いてにっこりと微笑んだ。


「それならうちにいらっしゃいよ。寂れた店だけど、味はちゃんと保証するわ」


 そう言って彼女はスタスタと大通りから東側の路地に入っていった。他にアテがあるわけでもない。ルカたちは彼女の後についていく。


 少女が案内したのは地下にある小さなバーだった。店の扉を開くとチリンとベルが鳴って、カウンターの奥にいた白髪の男が顔を上げた。


「コゼット。お客さんかい」


「ええ、パパ。うちの自慢の料理を食べさせてあげて」


 コゼットと呼ばれた少女は、ルカたちの方を振り返ると「うちの店は狭いから荷物は預かっておくわね」と言い、店の奥へと入っていた。


「気が利く子ね」


 アイラが感心したように言うと、料理の準備をしていた彼女の父親はカウンターの向こう側で首を横に振った。


「そうでもありませんよ。ああ着飾ってはみても、所詮はならず者の街で育った娘。とんだじゃじゃ馬でしてね……さ、お座りなさい」


 ルカたちが席に着くと、しばらく経たないうちに美味しそうな料理が出てきた。鳥の骨つき肉に果物のソースをかけたメインディッシュに、草花を彩り良く混ぜ合わせたサラダ。サラダの中には香ばしく焼き上げた鶏肉の皮が入っていて、風味が効いている。


「おじさん、美味しいよこれ! これがこの街の名物なのか?」


 ルカが興奮気味に尋ねると、店主は少し照れたように笑った。


「いやいや、ゼネアには名物料理がなくてね。これは旧エルロンド王国の料理を元にアレンジしたものだよ」


 そう言って店主はカウンターキッチンにある料理本をとってるかに渡した。表紙には『エルロンド王国宮廷料理大全』と書かれている。開いてみると、大きな皿の中心に肉の切り身をちょこんと載せた、ほとんど飾りのような料理の絵ばかりが載っていた。


「これじゃ腹は膨れなさそうだなぁ」


「はっは。エルロンドの王族や貴族たちはとかく食材の選定にうるさくてね。肉の骨や皮は全て捨てなければいけなかったんだよ。だから可食部が減って、こういう量よりも見た目を重視した料理が多くなるんだ」


「へぇ……おれはおじさんの料理の方が好きだけどね」


「そう言ってくれると嬉しいよ。君たちは最近この街にやってきたのかい? あまり見ない顔だが」


「うん。今日来たばっかりだよ」


「ならこの街の汚さに驚いたんじゃないかい?」


 店主に尋ねられ、ルカは気まずそうに頭を掻く。


「まぁ……正直、エルロンドのイメージとはあまりにも違って驚いたよ」


「そうだろう、そうだろう。だけどね、今のこの街はゴミが目に見えるだけまだマシなんだよ」


「どういうこと?」


「旧エルロンド王国は見た目にこだわるあまり、汚いものを隠そうとする文化があった。ゴミはウェスト・キャニオンに捨て、身分の低い人々を陽の当たらない場所に追いやった……表面のかりそめの美しさの裏側にあるのは、今のこの街よりも汚いものばかりだったのさ」


 店主はどこか遠くを見つめるような様子でそう言った。彼もまた、首元をハイネックの服で覆っている。この街には、傷を負っていない者など存在しないのかもしれない。


 食事を終えたユナはふと気づく。そう言えば奥の部屋に入って行ったきり、コゼットを見かけていない。


「私たちそろそろ行こうと思うんですが……コゼットさんは?」


 店主もすっかり彼女のことを忘れていたらしい。呼んでくると言って店の奥の部屋へと入って行ったが、やがて肩を落として戻ってきた。


「コゼットはいなかったよ。そしてすまない、君たちの荷物だが……」


 店主が告げた事実にルカたちは愕然とした。


 どうやらコゼットに預けたはずの荷物が跡形もなく消えていたというのだ。実際に部屋の中を見せてもらったが、確かにどこにもない。


「どうしよう……鞄の中にメイヤーさんから預かった木箱とかも入っていたのに」


 ユナは不安げな声を上げる。


 それだけじゃない。旅をするのに必要な地図や資金、テント……あらゆるものが一つ残らずなくなってしまったことになる。


 店主は深いため息を吐く。


「あの馬鹿娘、手癖の悪さは相変わらずか……何度もやめろと言っていたのに」


「おじさん、コゼットの行き先に心当たりはない?」


 ルカが尋ねると、店主はしばらく考え込んだのち、ふと顔を上げて言った。


「ああそうだ、もしかしたら東のトリシェ競馬場にいるかもしれない。あいつはあそこによく出入りしているようだから」



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