mission8-6 “常闇”たる由縁



***



 その頃、極寒の地・ニヴルヘイム大陸にそびえる”覇者の砦”、アラン=スペリウスの研究所の扉をノックする者がいた。


 長刀を携え、濃紺色の軍服の上に漆黒のマントを羽織る眼帯の青年、ソニア・グラシール。


 しばらくすると、目の下にひどいくまを作ったアランが扉を開けて出迎えた。普段以上に顔色が悪い。


「……何だ?」


「キリがあんたの部屋にいると聞いたが」


 するとアランは部屋の中に招き入れるどころか、研究所の扉を後ろ手に閉めてしまった。


「今は面会は無理だぜ。治療中だ。……ったく、このクソ忙しい時に手間かけさせやがって」


 そう悪態をついて、廊下の壁にもたれかかりながら小刻みに足を揺する。


「で、キリに何か用でもあったのか? そもそもお前、スヴェルト大陸前線基地の制圧任務があったはずだろう」


「もう終わった」


「は……!?」


 アランの声が裏返る。一方のソニアは平然とした様子で「だから次の作戦を聞きに来た」と言う。


 アランは慌てて左腕の神器を起動させ、手の平の部分からホログラムを映し出す。荒涼とした砂漠の景色がそこに現れた。ソニアの任務地であったスヴェルト大陸北部にある砦付近の映像だ。


「これは……!」


 アランは映像を見て唖然とした。


 濃紺色の軍服を着た自国の兵士たちが着々と基地設営の作業を行っている傍ら、点々と転がっている三日月印の腕章をつけたしかばね


 『アトランティス民族解放軍』の兵士だ。


 そもそもソニアの任務というのは、「ルーフェイとの戦争に向けて、スヴェルト大陸を足がかりに攻め込む準備を整える」こと。


 それを成し遂げるには、第一段階としてヴァルトロによる支配を拒む現地の人々を抑え込む必要がある。


 特に厄介なのが『アトランティス民族解放軍』という武装集団だ。


 彼らは二国間大戦の最中さなかに結成された、戦場となった自分たちの国を二大国から取り戻すことを大義名分に掲げる非公式の軍隊である。だが、その実態は単なる落ち武者狩り。二大国の負傷兵や捕虜となった人々を襲っては金銀を奪い、自国の復興ではなくその場しのぎの贅沢や軍備増強に費やしていた。


 七年前、『終焉の時代ラグナロク』による災厄が起き、二大国が戦争どころではなくなったことは彼らにとっての好機だった。


 和平条約において、スヴェルト大陸は両国が北と南を半分ずつ管理するという取り決めであったが、当時憔悴しきっていたガルダストリアとルーフェイには最早その体力は残っていなかった。両軍は一年経たずしてスヴェルト大陸から引き揚げ、代わりに『アトランティス民族解放軍』が幅を利かせるようになっていったのである。


 名目上はヴァルトロ配下のガルダストリアが所有する土地。だが、実態は武装した現地民が管理する無法地帯。


 そんな曰く付きの土地を支配下に置くというのは、いくら四神将とはいえ苦戦を強いられる任務だろう——アランはそう思っていた。


 だが、ソニアは一週間かけずして任務を成し遂げてしまった。懐柔でも交渉でもない、圧倒的な力で押さえつけることによって。


 そしてもう一つ、ソニアの経歴を思い出してアランは思わず背筋が凍るのを感じた。


「……お前、確かライアン様に拾われる前は『民族解放軍』にいたんじゃなかったっけ?」


 ソニアの表情は少しも変わらない。


「それが何か問題でもあるのか? たとえ生まれ育った土地だろうが、強制的に働かされていた組織だろうが、今の俺には関係ない。あの場所に惜しむものなど何もない。あんただって同じだろう?」


 ソニアの言う通りだった。アランも同じく、一度キッシュの街をめちゃくちゃにしようと計画を立てた身である。


「……ああ、確かにそうだな。俺たちはみんなどっかでねじ曲がってきちまってる。四神将の中で真っ当なのはフロワのオバサンだけだ」


 その時、研究所の中で鐘の鳴るような音が響いた。アランはちらと研究所の方を見やり、ため息を吐く。


「今度はゼネアの方に偵察に行かせている部下からの連絡だ。どうも最近、銀髪女シルヴィアがこそこそ何か企んでいるらしい。ったく、マティス様の大刀に、キリの治療、おまけにキチガイ女の見張り……こう忙殺されちゃ、もう二本くらい腕を移植しようかとも思っちまうよ」


 やれやれと肩をすくめ、アランは研究所に戻ろうとする。


「俺が行こうか」


「ん?」


 アランは眉間にしわを寄せて振り返った。単独行動ばかりのソニアがそんなことを言いだすなど、予想だにしていなかったのだ。


 一方のソニアは相変わらず真顔のままアランを見据えて言った。


「俺があんたの代わりにゼネアに行く。銀髪女の動向が気になるんだろう? だが、あんたが今何よりも優先すべきなのは王の武器を打ち直すこと。違うか?」


 どうやら本気で言っているらしい。


 何か裏があるのだろうか。アランは一瞬いぶかしんだが、ソニアという青年はそう器用なことができる男でもない。口数少なく無表情で何を考えているかは分からないが、案外素直で嘘をつけないところがある。


 以前、アイラ・ローゼンとの関係を問い詰めた時のことを思い出し、アランはにぃと口の端を吊りあげた。


 ああ、面白くなってきた。


「なら朗報がある。ブラック・クロスの連中もゼネアの方に向かっているらしい。お前がやけに甘くしているあの女もそこにいるって話だ」


「それが……何だ?」


 ソニアの声が低くなるのを聞いて、アランは手を口で押さえながらクックと笑った。


「お前が奴らと合流して、ヴァルトロに反旗を翻すようなことになったら面白ぇなと思っただけだよ」


 そう言った瞬間、眼帯の奥から刺すような視線を感じてアランは口をつぐんだ。ソニアは無表情のままだった。だが、どこからか笑い声が聞こえる。嘲笑あざけわらうかのような、おぞましい笑い声が。やがてその正体に気づき、アランは思わず息を飲んだ。ソニアの足元が暗い闇に包まれている。そしてその闇が、アランの足元まで忍び寄っている。笑い声はそこから聞こえてきていた。


「……反旗を翻す? 有り得ない。俺が考えているのはそんなことではない」


 闇はアランの腰の高さまで這い寄ってきた。足先から凍っていくかのように冷たく、気味の悪い笑い声が次第に近づいてくる。


 これが、冥王ハデスの神石の力。


 ソニアが滅多に使いたがらない、忌むべき右眼に秘められた力。


「まさか……お前、ゼネアでをやる気なのか……?」


 アランの問いに、ソニアは肯定も否定もしなかった。


 ただ、低い声で呟く。


「義賊ブラック・クロス……奴らにはそろそろ理解させなければいけない。この戦いは、お前たちが上がってきていい舞台ではない、と。俺はそのためにゼネアに行く」


 徐々に闇が引いていく。


 アランは自分の額から冷や汗が流れ落ちていくのを感じながら吐き捨てるように言った。


「分かった、分かったよ! 好きにしろ! 銀髪女とブラック・クロス、あいつらをどうするかはお前の勝手だ」




***


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