mission8-4 幻覚の中に生きる者


 霧が晴れると、すぐ目の前に仲間たちがいた。やはり山頂には着いていたのだ。少し開けた広場のような場所で、アイラとリュウはあてどなくその場をうろうろと歩き回っていて、やや離れたところにいるルカは何もないところに向かって大鎌を振っている。


"さ、他の子たちにもあなたの歌を聞かせてあげてー。そうすれば彼らも幻覚から解放されるわー"


(うん、そうなんだけど……何かおかしくない?)


"なーに?"


(ルカが言っていた、『ヤバい奴』がどこにもいないよ)


 ユナがそう言うと、ウーラニアは「あらあら確かに」とのんきな声を上げる。


 ルカの動きだけ追ってみれば何者かと戦っているようだが、その敵の姿はどこにも見当たらない。そもそも敵は実体ではなく幻覚に過ぎないということなのだろうか。


(とりあえず、まずはルカの幻覚を解いてみよう)


"それがいいと思うわー"


 ユナはルカのいる方向を意識して、再びウーラニアの歌を唱えた。ルカの頭上に薄桃色の光が集まり、歌が終わると同時にぱっと弾ける。すると、ルカは急に夢から醒めたようにきょろきょろとしながら大鎌を振り回すのをやめた。


「あれ、霧が……それに、あいつは?」


「ルカ! 幻覚が解けたんだね!」


 ユナの声で、ルカはほっとしたような顔を浮かべて振り向いた。


「ユナ! 良かった、案外近くにいたんだな。……それよりも幻覚って?」


「さっきの霧は破壊の眷属の仕業らしいの。視覚と聴覚を狂わせる幻覚……ウーラニアが教えてくれた歌で解くことができるみたい」


“そういうこと。私がそのウーラニアよー”


 ウーラニアが名乗り出ると、ルカは姿のない声の主に向かって軽く頭を下げる。


「そうだったのか。ユナ、それにウーラニア。助かったよ、ありがとう」


“あらあら、カリオペの言っていた通り、本当に神石の声が聞こえるのねー”


 試しに自分から声をかけてみたものの、実際に共鳴者以外の人間に声が届いたことに対してウーラニアはいささか驚いたようだった。


“あら、でもー、それならさっきの私とユナちゃんのやりとりは聞こえていなかったのかしらー?"


「ああ。あいつの……特異種の声がやたらとでかくて、他の音はあまり聞こえなかったんだ。あいつ、どこに行ったか見てない?」


 ユナは首を横に振る。ルカの幻覚が消えた後も、何かそれらしいものが姿を現わすことはなかった。


「おっかしーなー。さっきまでおれの目の前にいたのに……」


 ルカが頭を掻きながら周囲を見渡していると、まだ幻覚の中にいるアイラが急にピアスを神器に変化させて構えた。


「ルカ、破壊の眷属がこっちに来たわよ! あなた今どこにいるの!?」


 ユナとルカは顔を見合わせる。


 もしルカが見たのと同じ個体なのだとしたら、一体いつの間に移動したというのだろう。


(……ううん、考えるのは後だよね)


 ユナはそう思い直すと、すぐさまアイラのいる方に向かってウーラニアの歌を唱える。すると、ルカの時と同じようにアイラはハッとして武器を下ろし、きょろきょろと周囲を見渡した。


「あら……? 破壊の眷属はどこへ……?」


 すると今度はリュウが拳を振り回し、敵が来たと叫びだした。ユナはもう一度歌い、リュウの幻覚を解いてやる。やはり幻覚が解けると破壊の眷属はどこにも姿を現わさず、山頂はしんと静まり返った。


"これで一件落着かしらー?"


 ウーラニアがおっとりした声で呟く。だが、ルカはそれを否定した。


「いや、まだだ。あいつの声はまだ聞こえてる」


 だがそう確信を持っているのはこの場でルカだけだった。他の三人の耳には、破壊の眷属の声など聞こえてはいない。


「ねぇルカ、その破壊の眷属ってどんな声なの? 私たちがここに登ってくる前に聞いたうなり声とは違うの?」


「ああ。ああいう雄叫びみたいなものじゃなくて、人間の言葉みたいなんだ」


 ルカはまぶたを閉じて耳を澄ませる。


「ところどころかすれていて上手く聞こえないけど、誰かの名前を呼んでる……クリストファー十六世、って」


「クリストファー十六世……? どこかで聞いたことがある気が——」


 ユナが考え込んでいると、アイラが広場の隅にある塚のようなものを指した。


「何かしらあれ……あそこから何だかとても嫌な感じがする。ジーゼルロックの封神殿に入った時のような、暗くて冷たい感じ……」


 塚の前まで行くと、小さな石碑が建てられていてその脇に何本か剣が突き刺さっていた。柄のところには凝った装飾が施されているが、風雨にさらされているせいで刀身は錆びて朽ちかけている。


 ルカは石碑に記されていた碑文を読んだ。


—————————————————


謀反の疑いをかけられ処刑された

誇り高き騎士たちの無念のむくろ

臆病な保身家どもにより

エルロンド領内に墓を建てることを禁ぜられた

せめて我ら〈チックィード〉が

密かにこの場で弔うことくらい

とがめる者はいないだろう


—————————————————



「そうだ……クリストファー十六世って、確かエルロンド王朝最後の王様の名前だよ」


 ユナの言葉に、ルカたちは考え込む。


「王の名を呼ぶ、馬とも人とも見分けがつかない骨だけの化け物、か」


「首がないのは……処刑されたから?」


「つまり、私たちが見たあの破壊の眷属は、王様に不当に処刑された貴族たちの怨霊ってこと?」


 自分たちでそう言いながら、ぞっと背筋が冷える思いがした。


 ルカたちは互いに青ざめた顔を見合わせる。


「……ねぇ、どうするの? とりあえず相手の姿が見えない今、私たちにはなすすべがないけど」


 アイラは深いため息と共にそう言った。敵の正体が分かったところで、戦う手段がなければどうしようもない。


「でも、放っておいたら次に誰かここを通る時にまた幻覚をかけられて襲われるんだろ? おれたちはユナがいたから抜けられたけどさ」


「それは確かにそうだが……ならどうやって奴を倒す?」


 リュウが尋ねると、ルカはうーんと首をひねって言った。


「おれたちがもう一度あいつの幻覚にかけられるか、あるいは……あいつを幻覚から引っ張り出すかだな」


 確実なのは幻覚をもう一度かけられるのを待つことだが、その場合四人はバラバラになり一対一で迎え撃つことになる。


「大丈夫だ。俺がこの拳で」


「バカ、一人でかなうわけないでしょう。相手は特異種。それも怨念をたっぷり吸った、ね」


 アイラにたしなめられてリュウは食ってかかっていたが、ルカもユナもアイラの意見には賛成だった。


 ユナはもう一度石碑を見て、ふと思いついたように言った。


「ねぇ、もしかして……ここに埋葬された人がクリストファー十六世によって処刑された人なら、ターニャが起こした革命のことは知らないんじゃない?」


「そりゃそうだよな。だって王はターニャが殺したんだろ」


「じゃあ……目を覚まさせて、現実に引き戻すっていうのはどうかな」


 ユナはそう言うと、すっと大きく息を吸い——ブランク山地全域に響き渡りそうなほど大きな声で叫んだ。


「よく聞いて! クリストファー十六世はもういない! あなたの恨んでいる相手はもうこの世にはいないの!」


——ゴゴゴゴゴゴゴ……


 ユナの声に反応したかのように、地響きが鳴り始め、山頂の広場に砂塵が舞う。


「何か来るわ! みんな伏せて!」


 アイラの短い叫びをかき消すかのように、轟音を立てて地面の底から巨体が姿を現わす。


 それは、ルカたちが幻覚の中で見た破壊の眷属・特異種——ケンタウロスの姿そのものだった。


 ケンタウロスは骨の奥にまでずしりと響くようなうめき声をあげると、巨大な剣を振り上げた。


「……クリス……ファー……イナイ? ……ナゼ! ナゼ!? ワタシガ……オレガ! コロス……コロスハズダッタノニ!!」


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