mission8-3 ウーラニアの歌



 特異種——それは通常個体とは明らかに大きさや能力の高さが異なる破壊の眷属の一種。神石の使い手であっても苦戦を強いられる相手だ。


「下で聞いたうなり声はこいつのものだったのか……!」


 全身骨だけでできている目の前の特異種は、背丈だけでもルカの身長の二倍はゆうに超え、鉛のように硬そうなひづめでその場を踏み鳴らすたび地面が揺れる。


 よくよく見上げてみると、特異種には首から先がなかった。


「さっきの声は一体どこから出してんだよ……」


 ルカは苦笑いを浮かべ、大鎌を地面に水平にして胸の前に構える。防御態勢だ。仲間と連携がとれない今、下手に刺激して攻撃を受けるのは得策ではない。


 だが、特異種の方は待ってはくれないらしい。身体と同じく骨でできたような巨大な剣を振りかざし、雄叫びをあげてルカに襲いかかってきた。


「ルカ!? そっちで何が……」


姿は見えないが、アイラの声がどこからか聞こえてくる。ルカは特異種の剣を大鎌で受け止めながら、どこにいるか分からない仲間たちに向かって叫んだ。


「ヤバい奴がいる! 一旦おれのところに引きつけるけど、一人じゃこいつの相手はキツい……みんなは霧をなんとかする方法を探ってくれ!」





 その頃ユナは、ルカと同様白い霧に包まれて一人彷徨っていた。四方へ歩き回ってみたが霧は一向に薄くなる気配がない。


 破壊の眷属らしきうめき声や、それに相対するルカの声ははっきりと聞こえてくるのに、霧を抜けられず駆けつけることができない歯がゆさ。


 だんだん焦りが生じてきて、心臓の鼓動が速くなっていく。


(何か……この霧を払う力があれば……)


"あら、あるわよー"


(!?)


 ユナの頭の中に、おっとりとしていてどこか余裕のある艶やかな声が響いた。おそらくミューズ神のうちの一人だが、あまり聞き覚えのない声だ。


"うふふ。そうねー、こうして話すのはずいぶん久しぶりかもしれないわー”


(あなたは……)


"ウーラニアよー。あいさつが遅れてしまってごめんなさーい。カリオペがうるさいから、もー"


(カリオペが?)


"そー。だってあなた、今いくつの歌を知っているのか、ちゃんと把握してるのー?”


 そう言われて、ユナは頭の中で数えてみた。


 守りの力を持つカリオペの歌。眠りをもたらすポリュムニアの歌。敵を感覚を狂わせるエラトーの歌。傷を癒すクレイオの歌。戦いの力を引き出すタレイアの歌。逆に敵の気力を削ぐメルポメネの歌。


(六つ……かな)


"うふふ。そして私が歌を教えたら……残りは二つ"


(ってことは、つまり)


"そー、あなたはもう少しで第十の歌の資格者になるってこと。そしてカリオペはそのことを不安に思っているのよー"


 ユナはコーラントの入り江の洞窟でカリオペに言われたことを思い出す。


 第十の歌とは、ミューズ神の共鳴者が九つの歌を覚え、その上で代償を払うことによって知ることのできる強大な力を持つ歌のことだ。


 代償は「共鳴者の、共鳴者たり得るもの」。


 それが何であるかは分からないが、カリオペはユナが第十の歌に触れることを望んでいないようなことを言っていた。


(カリオペがそこまで懸念するもの……第十の歌って一体何なの?)


 すると、頭の中でクスクスと笑う音が響く。


"その答えは、私に聞く必要ないんじゃなーい? だって、あなた、すでに知っているんだもの”


(どういうこと……?)


“気づいていて、あえて気にしないようにしているのよー。あなたの力の可能性と、そして危険性に”


 ユナはしばらく黙っていた。


 はじめはウーラニアの言っていることの意味が分からなかった。だが、「危険性」と言われてふと気づく。


(もしかして……第十の歌は、『神格化』と何か関係があるの?)


 ナスカ=エラでミハエルが残した『神格化』についての解読文にも、「共鳴者の、共鳴者たり得るものを代償に捧げよ」と記されていた。


 そしてジューダスに聞いた話だと、『神格化』は神と人との境目をなくす力であるがゆえに、方向性を間違えれば破壊神のような暴走した現人神あらひとがみになってしまう可能性があるのだという。


 ウーラニアは否定も肯定もせず、相変わらずおっとりとした調子で言った。


“で、どうするのー。あなたは私の歌を知りたい? それとも”


(知りたいよ。それがみんなを助けることに繋がるのなら)


 ユナは迷わずに答える。


 神石を手にとってブラック・クロスに入ったのは、仲間たちと旅を続けるためだった。たとえそれが危険な力であろうと、仲間のためになるならば出し惜しみはできない。


(それに、もし私が道を間違えそうになったら……きっとルカたちが正してくれる。だから、大丈夫だよ)


 腕輪の神器が、ほんの少しだけ温かみを帯びたような気がした。


 ユナの頭の中に美しい旋律が響き始める。聞いたことはない、だが昔から知っているような、そんな旋律だ。


 音が鳴り止んで、再びウーラニアの声が聞こえてきた。


“綺麗でしょー? 今のが私の歌よー。神通力によってもたらされる身体の異常を解く力があるの”


 ユナは首をかしげる。確かに美しい旋律であったし、ウーラニアの歌はこれからの戦いで役に立つことは間違いない。


(でも、それがこの霧を払うことに何か関係があるの?)


“うふふ。そうよー。だってこれ、霧じゃないんだもの”


(!?)


“あなたたちが霧だと思っているものは幻覚。破壊の眷属が神通力であなたたちに見せている幻覚よー。さ、ユナちゃん、思いきり歌っちゃってー”


 ユナは促されるまま、大きく息を吸って先ほど頭に響いた旋律に歌を乗せる。




目にはまぶたを 歯には唇

よりどりみどり 癒しのいろど

穢れぬひとこそ なにより美し




 目の前の景色を見て、ユナは思わず息を飲む。


 ウーラニアの言った通りだった。


 まぶたが少し軽くなるような、そんな感覚がしたかと思うと、あれだけ歩き回っても薄まる気配のなかった霧がどんどん晴れていった。



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