mission7-34 天秤の杖




「シアン……!」


 差し伸べたリュウの手を、彼女はしっかりと握り返してきた。


 シアンはもう正気に戻っていた。いつもの力強い瞳が、リュウの顔をまっすぐに捉えている。


「リュウ、迷惑かけたわね……悪いけど、もう少しだけ踏ん張ってくれる?」


「ああ……!」


 とはいえシアンの下半身はすでに床のぬかるみに飲み込まれていて、彼女を支えるリュウの身体も徐々に引き込まれ始めていた。このままでは二人とも落ちてしまう。


「サンド三号!」


 シアンが短く叫ぶと、床にうずくまっていたサンド三号は「ひゃい!」と返事をしてガバッと起き上がり、すぐさまシアンの元に駆けつけた。


 サンド三号だけではない、先ほどリュウの雷にやられた他のサンドシリーズも集合し、シアンとリュウの身体を支える。


「うぎぎぎぎぎぎ……」


 やがてシアンの足がぬかるみから抜け出し、勢いのままに二人は床に倒れこんだ。サンドシリーズたちは力を使い果たしたのか、白煙を吹いて手のひらサイズの小さなぬいぐるみに戻っていく。


「はぁ、はぁ……やった、やったぞ……!」


 床に寝そべったまま両手を挙げるリュウの隣で、シアンがすっと立ち上がった。


「ありがとう、リュウ……まさかあんたに助けられるなんて、ね」


 彼女はふいとリュウから顔をそらし、目尻を拭う。


「嫌な夢を見てた。誰よりも強くなって、金のためだけに力を振るう夢。……確かにそういう風になりたいと思っていたこともあったよ。でも、途中で違うって気づいたんだ。私よりも強い人がいるからこそ、私はその人を守るために力を使う。そう決意したから今がある。……弟子に思い出させられるなんて、情けない話だよね」


 そう言いつつも、彼女の言葉に悔いや迷いの色はなかった。この場で次にやらなければいけないことは明白だったからだ。


「この借りはきっちり返させてもらうわよ、参謀キリ」


 シアンが指差すと、ヒュプノスの樹海本体の前に立つキリはやれやれと肩をすくめた。


「師弟対決はもうおしまいですか? どちらかが倒れるまで見ていたかったんですけどねぇ。ま、またヒュプノスの樹海で催眠をかければ同じこと」


 そう言ってキリは木の枝のような形をした杖の方を天井に向かって掲げた。先端の小豆色の石が鈍い光をたたえ、それに反応するようにして枝のように伸びたヒュプノスの樹海のパイプの先端から煙が吐き出され始める。


「そうは行くものですか!」


 シアンは背後に横たわるリュウに向かって合図をする。彼はほとんど力を使い果たしていたが、わずかに体力を温存していた。操られたシアンから一撃食らう時に受け止めるための分だ。だが、それはもう必要ない。リュウは残る力を振り絞り、再び神石トールの力を呼び起こした。全身にまとう必要はない。たった一点に集中する。シアンの足元に、雷の力を凝縮させた高エネルギー体を作り出す。


「……まさか」


 キリがシアンたちの意図に気づいたときにはもう、シアンは助走をつけてその球のような形をしたエネルギー体に向かって足を振り上げていた。


「覚悟しなさい——“雷神の蹴球ミョルニル・シュート”!」


 シアンが雷の球を蹴り上げると、それはバチバチと弾ける音を立てて風を切り、狙い通りヒュプノスの樹海本体に命中した。


 ドゴォン!


 轟音が響き、瞬く間に機械全体に萌黄色の電気が走る。やがてジジジジと何かがショートする音が響いたかと思うと、天井近くのパイプの先端から次々に爆発が起こった。爆破が起きたパイプは養分を失った枝のように力無く垂れ、もう小豆色の煙を吐き出すことはない。


 すでに目で見ても明らかだが、機械の不調を知らせるための警報器が鳴りだす。


「くっ、やはり雷の力は先に封じておくべきでしたか……! ヒュプノス、聞いているでしょう! 今すぐ主要機関をセーフティモードへ、被害を最小限にとどめるのです!」


 キリは自分の神石に呼びかけ、ヒュプノスの樹海の破壊を阻止しようと機械に向き合っている。


 シアンはその隙にキリたちの前で倒れていたルカたちの元へ駆け寄った。


「みんな大丈夫!?」


「シ、シアン……元に、戻ったのか……」


 ルカたちはゆっくりと起き上がる。外傷はないが、その表情はやけに疲れきっているように見えた。アイラは体勢を整えると、キリの方を警戒しながら呟いた。


「気をつけて……あなたがあいつの気をそらしたおかげで術が解けたようだけど、今度全員動けなくなったら勝ち目はなくなるわ」


「術って……一体何をされたの?」


「来るぞ!」


 ルカの短い叫び声を合図に、その場にいる全員がキリに注目した。ヒュプノスの樹海への対応はもう終わったのか、少年参謀は天秤の形をした杖を掲げてルカたちに向けてきていた。


「キャハハハハ……ヒュプノスの樹に次いで、樹海まで破壊されるとは……全く、ボクにとってはあなたたちこそが破壊神のようだ」


 キリは一瞬真顔になると、少年らしからぬ低い声で呟く。


「だが、破壊の力など恐るるに足りず……壊れたものはまた作り直せばいい。そうやって這い上がってきたのです。何度も、何度もね……!」


 キリがそう言うや否や、天秤の形をした杖の先端の石から焦茶色の閃光がほとばしった。


「あの光に当てられちゃダメだ!」


 ルカが仲間たちに呼びかける。


 光はまずシアンの方に向けられていたらしい。彼女はとっさに身を翻してかわす。うまく着地体勢を取れなかったせいで足に鈍い痛みが走った。催眠をかけられている間に負った傷のせいだ。


(けど、この痛みだけで済んで良かったかもしれない)


 シアンは自分が避ける前にいた場所を見てそう思った。


 キリが杖から発した光が当たった床は、彼女が目を覚ます直前に飲み込まれかけていたすり鉢状のぬかるみと同じ状態になっていた。


 どう考えても眠りの神・ヒュプノスの力ではない。


「おれたちはさっきその光にやられて身動きが取れなくなったんだ。身体が鉛みたいに重くなって、ただ床に這いつくばるしかなかった」


 ルカがそう言うと、キリの攻撃を避けて少し離れた場所にいたユナも同意した。


「あの天秤の杖の力……きっと光を当てたものを重くする力があるの。ジーゼルロックで岩が落ちてきたのも、きっとあの杖の力……!」


 すると、聞こえていたのかキリは首を横に振った。


「惜しいですねぇ。ま、これ以上もったいぶってもしょうがないですし、そろそろ種明かしと行きましょうか」


 キリは見せつけるようにして両手の杖を掲げた。右手には木の枝の形の杖、そして左手には天秤の形の杖。


「ボクは二つの神石と共鳴しているんですよ。一つは眠りの神ヒュプノス、そしてもう一つは重力を司る神アストレイア。つまり重くするだけじゃない。この力を使えば、物質の質量を自在に操れる——つまり、こういうことも可能なわけです」


 両の杖の先端の石が光る。


 するとキリの手前の床がぬかるみとなり、そこから黒い影がいくつも湧き出してきた。以前コーラントやジーゼルロックでも見ている、キリの支配下にある破壊の眷属たちだ。だが、これまでとは比べ物にならないほど数が多い。


 じりじりとルカたちに迫る破壊の眷属たちの背後で、キリは狂ったように笑う。


「キャハハハハハ……! さぁ、かかってきなさい、ブラック・クロス! 力の差を見せつけてあげましょう!」



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