mission7-25 第五工場最奥部
ルカたちは意を決して最奥部へ続く扉を開く。
すると、扉の隙間から漏れ出すように小豆色の煙が出てきて視界を奪った。部屋の中の様子はよく見えない。
「気をつけて進みましょう。この煙も、なるべく吸わないように」
アイラの言葉に従い、鼻と口をおさえながら慎重に進んでいく一行。部屋の奥の方から聞こえる機械の稼働音が徐々に近づいてくる。
やがて霧が晴れるように小豆色の煙が薄らいでいき、ルカたちは目の前に現れた光景に思わず息を飲む。
まるで木のような形をした、床と天井にパイプを幾重にも張り巡らせた柱がいくつも立ち並んでいる。飛空挺ウラノスで見たヒュプノスの樹の集合体——まさに「樹海」がそこにあった。それぞれの枝にあたるパイプの先からは小豆色の煙がとめどなく放出されている。
「あの時と同じにおいがする……」
リュウがぼそりと呟いた。
「あの時……?」
ユナは何のにおいも感じていなかった。感覚が鋭敏な鬼人族でしか嗅ぎ取れないにおいなのだろう。
「ジーゼルロックの『聖水』だ。あの水と同じにおいが、この部屋に満ちている」
そう言われてもやはりにおいは感じなかったが、「聖水」のことはよく覚えていた。
アルフ大陸北西にある、破壊神が隠されていた場所・ジーゼルロック。その中には近隣のヤオ村で呪術薬を作るのに使われる特殊な水が湧き出ている。村人たちはそれを『聖水』と呼んでいたが、実際は穢れを祓ったりするようなものではなく「目に見えない力を増幅させる」力を持つ水であった。
ゆえに破壊神が封じられている間、破壊神の持つ穢れを増幅させた水によってヤオ村では疫病が流行していた。原因を突き止めた後、水の女神サラスヴァティーと共鳴したグレンとユナのカリオペの力を組み合わせて浄化し、今では元通りになっているはずだ。
「どうして『聖水』がここに……?」
とはいえそれらしきものは見当たらない。ユナがもう一度ぐるっと部屋を見渡してみようとした時、耳障りな甲高い笑い声が響いた。
「キャハハハハハ……ジーゼルロックのあの水の力に気付いたのはあなたたちだけじゃないってことですよ!」
声とともに、ヒュプノスの樹海の手前で小豆色のもやが濃くなり、やがてそれは二人の人影となって姿を現した。キリとシアンだ。
「従来型のヒュプノスの樹では眷属の力を停止することはできても、催眠をかけることはできませんでした。ですが例の水にヒュプノスの力を浸透させて気化し、それを眷属の力を操ることのできる人間に取り込ませる……そうすることで間接的に眷属の力を思いのままにコントロールできるようになったんですよ」
キリはそう言って天井のパイプが吐き出している小豆色の煙を指差す。
「ま、残念ながら現時点では神石を支配下にする力はないので、まだまだ改良は必要ですけどね」
少年参謀はにやりと意味ありげに笑みをたたえてルカたちの方を見た。まるで「あなたたちも標的ですよ」と言わんばかりだ。
「ヴァルトロの理想は圧倒的な力による世界統治! 破壊神ごとルーフェイを潰せばそれはもう実現間近でしょう。そしてそのために欠かせないのがこのヒュプノスの樹海。これさえ完成すれば、例えあなたたちが我々に逆らおうと神石の力は強制的にヴァルトロのものになるというわけです」
キリは再び不快な笑い声をあげた。
もしキリが言ったことが実現すれば、共鳴者の意志とは関係なしに神石の力を利用されてしまうということだ。確かにそれなら世界各地の神石の力を集めて破壊神を打倒できるかもしれない。だが——ルカが考えを言葉にする前に口を開いたのはジョーヌだった。
「道を誤るな、参謀キリ。力で無理やり従えても人心はついてこないぞ。ヴァルトロの描く理想の先には、再び人と人とが争い合う混沌の未来しかない」
一瞬、キリの細い目が薄く開いたように見えた。常にその幼い顔にたたえられている彼の愉悦が、ジョーヌの言葉によって妨げられたかのように。キリは俯いて深くため息を吐くと、急にばっと顔を上げて言った。
「ボクに説教ですか、ジョーヌ・リシュリュー元宰相。手配犯がのこのこと現れるとは……年を取ってついに
ジョーヌの隣にいたアイラは「あなたそんなに地位のある人だったのね」と呟く。ジョーヌは自嘲気味に笑って小声で返した。
「昔の話さ。リゲルの先代の宰相だからもう二十年以上前になるね。リゲルに王政から追放されてからは、今までずっと王に逆らう犯罪者として追われる身だよ」
キリの表情には再び薄ら笑いが貼り付いていたが、先ほどまでとは違いどこかぴりぴりとした雰囲気を発している。冷徹・残酷と評される少年参謀がこんな風に感情を見せるなど滅多にないことなのではないか——そう思ったジョーヌは敢えて余裕のある口調で返した。
「君こそ子どものくせによく私のことを知っているなぁ! 歴史のお勉強は履修済みなのかい? そうだねぇ、ご指摘の通り物忘れとギックリ腰に怯える老体だが、残念ながらまだまだ引退はできないのだよ……君のように無知な子どもが、再び戦争を引き起こしてガルダストリアの人々を危険に晒そうとする限りね」
キリの表情は変わらなかった。だがまるで彼の胸の内と連動するかのように、ヒュプノスの樹海から吐き出されている小豆色の煙がそれまでよりも強く噴き出し始めた。
「キャハハハハ……! 王政を追われた者が何を偉そうに語っているのです? ああ煩わしい、本当に……あなたのそういうところが昔から気に食わないんですよ!」
「ちょっと待て、『昔から』って君は一体……!?」
ジョーヌの言葉の途中でズンと重い地響きがしてルカたちは体勢を崩す。いつの間にかキリが天秤のような形をした杖を掲げていた。杖の先端にある焦茶色の石が怪しく光っている。
(あれは……!)
直接見たことはなかったが、キリはヒュプノス以外にもう一つ神石の力を扱える。ユナはそれをジーゼルロックで体験済みだった。どんな能力かははっきりは分からない。だがおそらくジーゼルロックで天井の石が落ちてきたのも、今のこの地響きも、ヒュプノスではない方の神石の力のはずだ。
「さぁ、無駄話はここまでにしてそろそろ最終段階の実験を始めさせてもらいますよ!」
未だ地響きで上手く立ち上がれないルカたちに向かって、キリは高らかにそう宣言した。
「来るわよ!」
アイラが警戒したのと同時のタイミングで、キリの横に控えていたシアンが姿を消す。
「一体どこへ……!?」
周囲を見渡してみても、小豆色の煙が充満していて視界が悪い。ヒュプノスの樹海の稼働音も常に響いていて、足音を聞き取りづらい状況だ。
ルカたちが神器を取り出して身構えようとした時、ガンと強い音がジョーヌの背後で響いた。まるで金属に何かを強くぶつけたような音。
ルカたちは音がした方を振り返る。
そこにはジョーヌを狙って蹴りを繰り出してきたシアンと、それを鬼人化した腕で受け止めているリュウの姿があった。
「……らしくないな、師匠」
リュウはぼそりと呟くと、一気に鬼人化させた両腕で彼女の脚を弾き体勢を低く構える。その様子はいつになく落ち着いて見えた。師匠に守られて自分だけが逃げ延びた罪悪感と、早く彼女を救わなくてはという焦りはもう見られない。やるべきことが明確になっていたからだ。自分は師匠の目を覚ます。他のことは仲間がやってくれる。単純なことだ。それ以外考える必要はない。
「あんたに教わったこと、そっくりそのまま返して叩き起こしてやる。組み手みたいな手加減はナシだ……行くぞ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます