mission6-41 秘められし力



 ジューダスの情報をもとにルカたちはもう一度牢獄塔内部へと引き返し、大聖堂の方へと向かおうとしていた。


 時は一刻を争う。ミハエルは今、目的のためなら人殺しも厭わないターニャと共にいる。


「アディールは……殺されるかもしれないわね」


 後ろを走るアイラの呟きに、ルカは前を向いたまま首を横に振った。


「あいつはそんなことはしない。いや……させるもんか」


 だが、地下通路につながる道へと差し掛かった時、物陰から急に声をかけられた。ルカたちは立ち止まる。やがてそこから出てきたのは一人の看守だった。


 他の看守たちは皆囚人にやられて倒れていたが、彼だけは無傷だ。


「あんた襲われなかったのか?」


「ええ……危ないところをミハエル様に見逃してもらったんです。自分はミハエル様のお世話係のようなものでしたから」


 看守は肩を落として言った。彼とミハエルがどれほどの関係だったのか分からないが、牢獄塔にはちゃんと彼の支えとなっていた人物がいたということだ。だが、ミハエルはそれでもここを出ることを選んだ。


「あの……ミハエル様から、もし皆さまがここに来たら渡すようにって言われていたものがありまして」


「おれたちに?」


「はい。どうぞこちらへ」


 そう言って看守はとぼとぼと歩きだす。


 彼の後を追っていくと、やがて小さな部屋にたどり着いた。間取りや雰囲気はさほど独房と変わらないが、布団や壁にかけられた衣服などから囚人の部屋ではないことがわかる。床には所狭しと本が積まれていて足の踏み場がほとんどない。


「ここはミハエル様のお部屋です。皆さまに対して伝言を預かりました。『約束を果たせなくてごめんなさい。いつかまた会えた時に、今度こそゆっくり旅の話を聞かせてください』と」


「約束……? まさか!」


 ルカは部屋の奥にある小さな木机に駆け寄った。そこにはミハエルに渡していた創世神話原典の写しと、その横にミハエルのものらしい手書きの文字が書かれた紙があった。


 そこに書かれている内容を見て、ルカは確信する。


「あいつ、本当は解読を終わらせてたんだ」


「どういうこと?」


「昨日おれたちに会った時にまだ終わってないって言っていたけど、あれはきっと嘘だったんだ。たぶん、大聖堂で神石を使ってここに書かれていることを試すために」


 ミハエルが自分たちに嘘をついたなんて思いたくはなかった。だがルカの脳裏にはしっかり焼き付いていた。ミハエルが石版に触れた時やルカの過去を視ようとした時、色違いの両眼がどちらもヘイムダルの神石と同じウグイス色に染まる瞬間が。


「一体なんて書いてあるの……?」


 ユナが不安そうにルカの横に来てミハエルのメモ書きを覗き込んだ。そこにはこう書かれていた。




—————————————————



 『契りの神石ジェム』をただ覚醒させるだけでは、破壊神を滅することはできない。


 なぜなら破壊神とはすでに人であることを棄てた存在であるからだ。『契りの神石』の禁忌の領域タブーを踏み越え、世界に蔓延する厭世の念を取り込み、現人神あらひとがみとなった存在であるからだ。


 ならば、それに立ち向かう共鳴者もまた、自らの格を引き上げなければいけない。


 共鳴者の、共鳴者たり得るものを代償に捧げよ。


 その瞳に映るものを、神と同じ色に染めよ。


 そうすればその身は神と融け合い、神石に秘せられた力を発現するだろう。




 この力のことを、”神格化”と呼ぶ。



—————————————————




 ルカたちはすぐさま牢獄塔を出て、大聖堂へと向かった。牢獄塔から大聖堂の大巫女の部屋につながる地下通路にはすでに何人もの足跡が残されていた。おそらく脱獄者の中でも神石の共鳴者や、それに準ずる神通力の持ち主はここを通って大聖堂へ向かったのだろう。ターニャとミハエルもこの道を使った可能性が高い。


 大巫女の部屋の暖炉から外に出ると、目の前に見える景色は昨日とまるで様子が違っていた。家具が倒され、カーテンは破られ、美しく整えられていた部屋はすっかり面影を失うほどに荒れている。


「イスラ様は無事なのか……?」


「昨日もイスラ様はここにいなかったし、”御隠れの日”の間はどこか別の場所にこもっているんじゃないかしら」


 アイラがそう言ったのとほぼ同時のタイミングで”謁見の間”につながる扉が開いた。身構えるルカたちであったが、部屋に入ってきたのがイスラと彼女の侍女だとわかりすぐに居直る。


「イスラ様! ご無事だったんですね」


「ああ……アタシは別室にいたからな」


 そう答える彼女は以前に増して物憂げで顔色が悪い。侍女は心配そうに「やはり”御隠れの日”はお部屋にいた方が……」と言ったが、彼女はそれを「今はそんなことを言っている場合ではない」と制す。そして彼女はルカたちに向かって弱々しく微笑んで言った。


「お前たちがそろそろここに来るだろうと思ってな。部屋を抜け出してきたんだ」


「イスラ様は、今この大聖堂で何が起きているか知っているんですか?」


 イスラは縦に頷く。


「バスティリヤの囚人たちが大聖堂で暴れている……これを導いたのは、アタシの弟なんだろう?」


「そうです。ミハエルは死刑になるはずだったターニャと組んでここに来ています。目的はおそらくヘイムダルの神石と……神官長アディール」


 ルカの言葉にイスラが驚くことはなかった。”千里眼”である程度のことはすでに視ていたのかもしれない。彼女は、驚く代わりに額に手を当てて深いため息を吐いた。


「アタシはいつでもあの子に大巫女の座を譲るつもりだったが、あの子はその道を選ばなかったんだな……」


「もしかして、それが狙いでわざとおれたちをミハエルに会わせたんですか?」


 イスラの口角がゆっくりとつり上がる。


「ふふ。アタシは言っただろう。お前たちがこの退屈な国に何か変化をもたらすのを視た、と。ルカ・イージス……お前がジューダスを破るのを見て、お前ならミハエルを救ってやれるんじゃないかと思っていたんだよ。だけど」


 イスラのウグイス色の瞳が、まっすぐにルカへと向けられる。その色はミハエルの左眼と瓜二つであるが、今の彼女の瞳には悲しみと呆れが灯っているように見えた。


「……どうやら違ったようだね」


 その言葉がルカの頭にはずしりと響いた。


 自分はミハエルを救ってやるどころか、彼を追い込んだ元凶だ。本来ならミハエルの拠り所となっていたはずの時の島の人々。彼らの命を奪ったことを知られてしまったのだから。


 ルカが返答しないうちに、イスラの身体がふらついた。侍女が慌ててそれを支える。どうやら相当体調が悪いらしい。


「イスラ様、もう戻りましょう。ここは危険ですし……」


 半ば侍女に押されるようにして部屋を出ようとするイスラ。


 その時、凛とした声が響いた。




「まだ分かりません!」




 進みかけていた大巫女の足が止まる。


 彼女を引き止めた声の主は、ルカでもアイラでもなく、イスラの目には一番気弱そうに見えていたユナであった。


「あの……私たちがちゃんとミハエルくんと話をしてきます! だってこんなの……こんなの、彼だって苦しいはずだから。お兄さんを手にかけるなんて……どれだけ恨んでいたとしても、それだけはやっちゃいけないことだと思うから」


 まるで今にも泣き出しそうなくらい必死な表情で訴えかける少女を見て、イスラは思わず吹き出す。あの孤独な弟に対してこれだけ強く思ってくれる相手ができたのなら、心配はいらない。彼女にはそう思えたのだ。


 イスラは柔らかい微笑みをたたえ、ユナに向けて言った。


「頼むよ。アタシが大巫女やってる間に面倒が起こるなんてごめんだからね。ただの兄弟喧嘩に収めておきたいんだ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る