mission6-36 一緒に進もう



 一行はルカの瞬間移動の力で大聖堂を脱出し、再び地下通路に戻ってきていた。牢獄塔の前まで来ても、ルカに背負われたミハエルは目を覚まさない。


「ミハエルくん、大丈夫かな……」


 ユナが不安げに呟くと、アイラが励ますように彼女の肩を叩いた。


「大丈夫よ、ね。人間の身体は、神石で体力を消耗し過ぎると防衛本能で強制的に休息を取ろうとするの。だから意識を失ったり眠くなったりするってわけ。その制御がある限り、神石を使うことで命を削られるなんてことはほとんどないわ。ただ」


 アイラはルカの背で眠るミハエルの白髪を優しく撫でる。しっかりした話しぶりや人並み外れた神通力にばかり目がいってつい忘れそうになるが、こうして見るとまだまだ幼い少年だ。


「この子、立ち直れるのかしら。あんなことを知ってしまった以上、きっと今までどおり牢獄塔で大人しくしているなんてできないわよね」


「そうだね……」


 ルカは一旦ミハエルの身体を下ろし、牢獄塔の鉄格子の鍵の解錠に取り掛かる。時間はかかったが、やがて鍵が外れて鉄格子の扉が開く。


「それでも大聖堂に置き去りにしたりおれたちと一緒にいたりするよりは、きっとこの中の方が安全だ。まずは休んでもらって、明日もう一度ここに来よう。そして、ミハエルとちゃんと話そう。ミハエルがここを出たいって言うんなら、おれはその手助けをしてやってもいいと思ってる。問題は……おれたちと一緒に行きたいと思ってくれるかどうかだけど」


 ルカは自信なさげに呟く。


 アイラもユナも、彼にかける言葉を見つけることができなかった。ミハエルがどうしたいかを知っているのは、彼自身の他にはいない。






 宿に戻るとガザが部屋の中でソファに座って待っていた。その脇にはソル金貨の詰まった皮袋がいくつも並べられている。


「いやー、なかなか儲かったぞ。ミトス神兵団のやつら、最近武器を拡充させているらしくてタイミングが良かったみたいだ。ま、この街じゃせっかく稼いだ金を使う場所がなくてつまらんが」


 ガザはそう言ってルカたちに骨つき肉を差し出す。ヴィナパカの肉を骨がついたまま燻製にした高級品らしい。


「……で、お前たちの方は何か問題でもあったのか? 辛気臭い顔しやがって」


「問題だらけよ。一体何から話せばいいのやら」


 アイラはタバコに火をつけて、ここまで我慢していた分を堪能するかのように口からゆったりと煙をくゆらせる。


 ルカは部屋のベッドに腰掛けた。柔らかいクッションに触れると、今日の疲れがどっとあふれ出すような感じがした。思えば彼も今日は神石の力を使うことが多かったのだ。だが不思議と眠気はなく、目が冴えている。頭の中にはミハエルに言われたことがずっと響いていたから。


 ルカは向かいに座るガザに説明する。


「とりあえず、原典の解読はまだ終わってない。だから明日もう一度解読を頼んでたミハエルってやつに会いに行こうと思う。ただ」


「ただ?」


「ちょっと複雑なんだけど、実はそのミハエルってやつは先代の大巫女マグダラ様と、昔ナスカ=エラに漂流してきた時の島の人の間に生まれた子どもだったんだ。それで、おれが以前時の島をめちゃくちゃにしてクロノスの力を持ってるってことを知っちゃって、どうやら嫌われちゃったみたいだ」


「そんなことが……時の島に縁がある人間がいたことにもびっくりだが、まさかルカの過去を知られちまうなんて」


「ミハエルには”千里眼”があるのよ。本来は未来を視る力のはずだけど、どうやら彼には過去まで視えてしまうらしいわ」


「過去も……? そんな話、マグダラ様が大巫女だった時でさえ聞いたことがなかったがなぁ」


 腕を組んで首をかしげるガザに、今度はユナが説明を続ける。


「それだけじゃないよ。マグダラ様が亡くなったのは老衰ではなくて……神官長の陰謀なのかもしれないの」


「ハァ!? なんだよそれ、陰謀って……!」


「それは過去だけの話ではないわ。神官長のアディールはイスラ様の現体制も崩す気でいる。彼の狙いは、ヴァルトロをバックにつけて戦争に加担し、その混乱に乗じてナスカ=エラの大巫女による統治制度を変えてしまうことなのよ。ちなみにミトス神兵団はおそらくアディール派についていると思うわ。師団長のジューダスが彼と話しているのを見たから」


「おいおいまじかよ……どうりで中立国が武器を仕入れるには多すぎる量を揃えていたわけだ」


「そしてヴァルトロに加担する一歩として、銀髪女シルヴィアの処刑を決行するそうよ。……死刑だって」


 アイラがそう言うと、ガザは頭を抱えて「お前らがそんな暗い顔して戻ってきた理由がわかったよ」と呟く。


「おれたちは明日ミハエルにもう一度会いに行って、原典の解読をなんとか進めてもらえないか頼んでみようと思う。それに、できればイスラ様にももう一度謁見してアディールのことを伝えたい」


 ルカがそう言うと、ガザは頷いて立ち上がる。


「わかった。そういうことなら俺は明日ヴァスカランの方に行ってこよう。バルバラ様なら何か手を貸してくれるかもしれない」


 確かにバルバラのことは信頼できる。マグダラの記録の中でも、彼女はイヴォルのことを知りながら誰にも口外しなかった。そのおかげで、ミハエルはまだアディールに正体を知られることなく生き延びられているのだ。


「ありがとう、ガザ。助かるわ。とにかく、あまりのんびりはできないかもしれないわね。銀髪女が処刑されたら間違い無く政局がアディールに傾く。それまでに何か手を打っておかないと」






 夜が更け、街がすっかり寝静まった頃。


 ベッドの中に入っても寝付けなかったユナは、アイラと共用の部屋を抜け出して宿屋の一階に降りた。ラウンジの明かりはすでに落とされていたが、暖炉の中の火だけ小さく燃えていてぼんやりとした光を灯している。その前にはソファに座る人影があった。


「……ルカも眠れないの?」


「ユナ」


「私も。何だか頭がごちゃごちゃしちゃって」


 ユナはルカの座っているソファの向かいに腰掛ける。ルカはクロノスの大鎌を膝の上に乗せて手入れをしている最中だったようだ。


「ユナも、見たんだよな」


 ルカが声を絞り出すように言う。


「見たって、ルカの記憶のこと?」


「そう」


「うん……見たよ。あれが時の島と、『ジーン』なんだね」


 ラウンジは暗く、互いの表情はよく見えない。ルカは返事をする代わりに小さなため息をひとつ吐いた。


「……前にも言ったけど、おれはあんまりユナには過去のことを知られたくなかったんだ。隠しごとをしたいわけじゃない。ただ、ユナがショックを受けるようなものは見せたくなかっただけで」


「ルカがそうやって気にしてくれていることは嬉しいよ。でも私は知れて良かったと思ってる」


「どうして?」


「だって、ルカが苦しんでいる理由が分かったから」


「……!」


「自分が何者かも分からない状態であんな景色を見たら……誰だって辛くなるよ。自分は死んだ方がいいって思いたくもなるよ。ルカの苦しみが少しでも分かったような気がして、こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけど、私はちょっと嬉しいんだ」


 ルカが息を飲む音がする。


 この部屋が薄暗くて良かった。面と向かってだったら、上手く話せなかったかもしれないから。


「それに、あんな過去があってもクロノスの力を使って戦おうとするルカのこと、改めてすごいって思ったよ。だってほら、マグダラ様が記録の中でミハエルに向かって言っていたでしょう。『力を持つ者は、必ずそれを活かさなければならぬ』って。これってきっと、神石の共鳴者みんなへのメッセージでもあると思うんだ。私たちが立ち止まったら『終焉の時代ラグナロク』をどうすることもできないし、アディールみたいに悪用しようとする人に狙われてしまうかもしれない。だから——」


 ユナはすっと息を吸った。目の前にいる彼に、ちゃんと届けるために。




「ルカ、一緒に前に進もう。つらいことはいつでも話を聞くし、どんなことがあっても私はルカの味方であり続けるから」




 しばらくの間、まるで時が止まってしまったかのように静寂が続いた。暖炉の中の薪がパチパチと燃える音だけが聞こえる。ユナはじわじわと自分の顔に熱が昇ってくるのを感じた。


 もしかして、ルカは寝てしまったのだろうか。今かなり思い切ったことを言ったつもりだったのに。いや、むしろ寝ていてくれた方が良かったかもしれない。


 いたたまれなくなって、ユナはソファから立ち上がり部屋に戻ろうとした。


 その手が、ぎゅっと掴まれる。


「……ありがとう、ユナ。おかげで気分が落ち着いてきた」


「そ、そっか……それなら、良かった」


 ルカの手に引かれ、ユナは彼の隣に座り直す。ルカは大鎌を黒十字のネックレスに戻すと、ユナの手を握ったまま口を開いた。


「おれ、ミハエルのことをどっかでジーンと重ねて見てたんだ。あいつ、ジーンに見た目がそっくりだからさ、消えたジーンにまた会えたみたいで嬉しかった。けど……ユナの時と同じだ。あいつと親しくなりたいと思ったら自分のことを話すのが怖くて、それで結局ああいう形でおれの過去を知られてしまった。あいつの力になってやりたいってのは本心なのに、おれ自身が壁を作ってて、それがすごくやるせなかった」


 それは普段よりもゆっくりとした口調だった。ひとつひとつ言葉に落としながら自分の頭の中を整理しているような、そんな話し方だ。


「きっと話せば分かってくれるよ。ミハエルくんは賢い子だから」


 ユナがそう言うと、ルカは隣で頷く。


「そうだな…‥明日ちゃんと伝えよう。あの島で何があったか、それにおれたちがあいつに対して何をしてやりたいか」


 その時、誰かが宿の階段を降りてくる音がして二人は思わず互いの手を離した。階段の方を見ると、どうやら別の宿泊客がラウンジに置かれている飲み物を取りに来ただけだったようだ。


「明日もまた早いだろうし……そろそろ寝ようか」


 ルカが気まずそうに頬をかく。


 ユナも「そうだね」と言って部屋に戻ろうとしたが、ふと気づく。ルカの過去を見たときに、ひとつ違和感を感じたものがあった。”祈りの間”にいる時に言えばよかったのだが、とてもそんな雰囲気ではなく頭の片隅に留めるだけにしていたことが。


 ユナは独り言のように呟いた。


「そういえば……ジーンはどうしてルカにクロノスの力を奪われてしまったんだろう? ジーンの顔、全然悔しそうに見えなかったの。むしろ分かっていてルカに力を託したみたいな、そんな表情に見えて……」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る