mission6-35 そして今



「はぁっ……はぁ、はぁっ……」


 マグダラの記録が途切れてウグイス色の光で視界が埋め尽くされたかと思うと、ルカたちの意識は元の"祈りの間"へと戻ってきていた。


 石版の置かれている台座の前でミハエルが息を荒げながらうずくまっている。


「ミハエルくん、大丈夫?」


 ユナが駆け寄り少年の背中をさする。ものすごい汗だ。先ほどの記録を見るためにかなりの体力を使ったのだろう。


 ミハエルはゆっくりと顔を上げた。右の瞳は元の紫色に戻っている。


(やっぱりこの色は……)


 間近で見て、ユナは思い出す。


 以前スウェント坑道でルカが眠っている間、クロノスの中に宿る眷属であるジーンがルカの身体を動かしたことがあった。その時の瞳の色は、普段のルカのものではなく、クロノスの神石と同じ紫色に染まっていたのだ。


 エリィの一族の瞳の色は、神石ヘイムダルと同じウグイス色。そしてクロノ一族の瞳の色は、神石クロノスと同じ紫色。


 目の前にいる少年の左右色違いの瞳は、その両方の血を色濃く継いでいる証なのだ。


 やがてミハエルは息を整えながら呟いた。


「……すみません、まだには慣れてなくて、あまり古い記録を視ることは……」


「ううん、これだけでもすごいことだよ。それに……」


 ユナはちらと後ろに立つアイラとルカの方を見た。二人とも険しい顔つきになっている。むしろそうならない方がおかしいだろう。


 今ユナたちが見た記録はミハエルの出生の秘密であり、先代の大巫女を陥れた陰謀の証明であり、そして時の島の真実に迫る鍵。


 アイラが頭を抱えて深いため息を吐く。


「濃密すぎよ……時の島のことを知りたかっただけなのに、まさかマグダラが他殺された証拠が出てくるなんて」


 アディールは当代のイスラを失脚させようとしているだけでなく、自分の母親である先代のマグダラまでも死に追いやっていたのだ。そしてそれが二国間大戦の引き金にもなっている。


「アディールを止めよう。このままじゃイスラ様もミハエルも危ない」


 “祈りの間”を出ようとするルカ。アイラはその腕を掴んで引き止める。


「待って。止めるって言ったってどうする気? 私たちが今見たものは客観的な証拠にはならないわ。それにあのずる賢そうな神官長のことよ。追及したところでしらを切って、私たちが不審者扱いされるのが目に見えてる」


「でも……!」


「落ち着きなさい! ……いい? ちゃんと思い出して。私たちが何のためにこの国に来たのかを」


 アイラの三白眼が鋭く睨む。ルカはぐっと押し黙って力を抜いた。


「……分かってるよ。おれたちは創世神話の原典と、時の島のことについて確かめに来た。だけど、これじゃおれのやったことは……ジーンは……!」


「ジーン?」


 ミハエルが立ち上がり、ルカの方へとよろよろと歩きだす。


「その人……僕の父さまの弟、つまり叔父さんってことですよね? ルカさん、あなた何か知っているんですか?」


「いや……」


 ルカはごまかそうとするが、ミハエルの歩みは止まらない。


「僕、思い出したんです。母さまに抱きかかえられていたあの時、僕はヘイムダルの石版に触れて時の島のことを少しだけ知ったんです。どんな場所にあるかってことだけですけど。それで七年前、あなたによく似た人にその場所を教えました。そしてあなたが僕の前に現れた」


「ミハエル、それは」


「はい、分かっています。あなたの記憶があるのは三年前まで。僕と会ったかどうかは知らないんですよね。だけど——」


 ミハエルの右の瞳が再びウグイス色に染まっていく。


を使えば視れます。今の僕には、未来だけじゃなくて過去も視ることができるのだから」


 ルカはハッとしてミハエルの瞳を覆おうとした。だが少年はそれを躱しルカに対してまっすぐに視線を向ける。


「やめろミハエル! おれの過去を視たらお前は」


「それでももう……僕だけが知らないのは嫌なんです!」


 再び辺りが強い光に包まれた。


 そばにいたアイラやユナもミハエルの力に巻き込まれたらしい。


 ”祈りの間”の景色はいつの間にかナスカ=エラの市街地になり、ブラック・クロスの本部になり、ジーゼルロック封神殿になり、キッシュの街になり、コーラント王国になり……ルカがこれまで見てきたであろう景色が、分厚い本のページを強風でめくるかのようにめまぐるしいスピードで切り替わっていく。


 やがて、強い血の臭いに包まれた。


 赤い血だまり、歴史を感じる石畳、凄惨な光景とは裏腹によく晴れた空。


 そして目の前に横たわる、白髪で紫色の瞳を持つ少年。


 瞳の色は違えど、その容姿はミハエルのものと瓜二つであった。


 彼がジーン・クロノ。


 ユナがそんな確信を持ったその時だった。


 グラリ。


 景色が揺れて、少年の姿が歪んでいく。


『目が覚めたか……どうだ、私が手にするはずだった力を得た気分は』


 目の前にいるのに、声はずいぶん遠くから聞こえた。やがて耳鳴りがして、視界がウグイス色の光に支配されていく——






——ドサッ!






 その音はやけにはっきり聞こえた。


 気づいた時には、ユナたちの意識は再び”祈りの間”に戻ってきていた。


「ミハエル! おい、しっかりしろ!」


 ルカの叫ぶ声でユナはハッとする。ミハエルがルカの足元で倒れていたのだ。神石の力の使いすぎで体力が切れたのだろう。


 ルカがミハエルを抱きかかえようとする。


 だが、その手は振り払われた。


 ミハエルが拒絶したのだ。


 彼は”祈りの間”の床に横たわった状態で、うっすらと目を開ける。


「そういえばこれまで、あなたの神石についてちゃんと聞いていませんでしたね」


 ミハエルは弱々しい声で言った。そしてふっと微笑む。




「……人殺し。あなたもアディール兄さまと一緒なんですね」




 それだけ言うと、ミハエルは意識を失った。


 しんと静かになった空間の中で、ルカは少年の身体を背負って呟いた。


「そうだよ。おれは罪人つみびとだ。忘れたつもりはなかったのにな……」



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