mission4-27 ルーフェイの王女と鏡



 声を聞く限りは女性らしかった。グレンは立ち上がろうとしたが、腰が抜けてうまくいかない。すると仮面の女が手を差し伸べてきた。ぞっとするほど白い腕だ。渋々その手を取り立ち上がる。


「取引、って言ったんだよな?」


 グレンが尋ねると、女は少しだけ口角を上げて微笑んだ。馬鹿にしているのか? 仮面のせいで彼女の真意がいまいち掴みきれない。釈然としない少年は腕を組んで彼女から目をそらした。


「俺と取引してあんたに何の得があるんだよ。言っておくけど、俺は呪術も薬も全然才能ないし、村のみんなに好かれてるわけでもないし、金があるわけでもないし、お前にやれるものなんて何もないぞ」


 自分で言っていて少し虚しくなり、グレンはため息をつきながら肩を落とす。仮面はふふふと柔らかく笑うと、囁くような声で言った。


「でも君は素敵な力を持っているよ……? あの村の誰もが持ち得ない、唯一無二の力を」


 何を言っているのか分からない。そんなこと誰にも言われたことがない。落ちこぼれとか、筋が悪いとか、そういうことを言われて育ってきたのだ。グレンは眉をひそめて首を横にかしげる。すると仮面の女はぐいと彼に近づいてきた。血を飛ばしたかのような赤い装飾が目立つ仮面が目の前にやってきて、夜にだけ咲く花のような甘い香りが鼻をかすめる。




「君はジーゼルロックを知っているかい?」




 その香りを嗅いでいると頭がふわふわとしてきて、周りのものがぼやけて見えていくような感じがした。このままだと、飲み込まれる--すんでのところで理性を取り戻し、グレンは慌てて一歩引いた。


「し、知ってるよそんなの。うちの村の聖水の水源がある場所だろ」


 そう答えると、仮面の女は小さくため息を吐いて首を横に振った。


「やはりそれしか知らないのだね……ジーゼルロックとは我らがルーフェイの誇る神聖な場所、先日世の中に現れたという破壊神を封じるために用意された封神殿ほうしんでんなんだよ」


「ええ!? そんなにすごい場所なのか」


 思わず大きな声が出たグレンの口に、女の指が添えられる。静かにしろ、ということらしい。恥ずかしくて顔に熱が昇っていくのを感じた。


「だけどジーゼルロックの封神殿を開くには鍵が必要だ。その鍵はヤオ村の民しか扱うことはできない」


「もしかして、水精の鍵のこと?」


 グレンがほこらを指差して言うと、女はこくりと頷いた。


「でもじっちゃんには水精の鍵は絶対使っちゃダメって教わったんだ。あそこに何か悪いものでも入ったら聖水が穢れるからって」


「私たちも同じことを言われたよ。だがそれは古い考えだ。君はこの小さい村の平和と世界の平和、一体どちらの方に価値があると思う?」


 諭すように、女の声が少しだけ低くなる。グレンはその音にどきりとした。自分たちはこの村のことしか見えていない井の中のかわずであると、責められているような気がしたのだ。


「もちろん、君が協力してくれるのなら望みを何でも叶えてあげよう。例えば--中央都での永久居住権とか」


 その言葉にグレンはばっと顔を上げる。反射のようなものだった。考えるよりも先に身体が動いてしまったことに、少年は自虐の思いに駆られる。中央都へ行ったところで、両親はどんな顔をするのだろう。もしかしたら息子のことなど忘れて、二人で仲睦なかむつまじく過ごしているのかもしれないのに。


 そんな思いを察してか、柔らかい手が彼の頭を優しく撫でた。


「救世主になるんだ、グレン。落ちこぼれの君が、世界の歴史すら変えられるかもしれないチャンスだよ」


 そうだ、もしこれが本当に破壊神をどうにかするための方法だというのなら、それを成し遂げればジジも、村の人々も、両親も、きっと自分のことを認めてくれる。




「俺--やるよ」




 心なしか、頭の中で雨のような音がざわついている気がした。







 グレンはいつも昼ごろまで寝ているのが習慣だった。しかしその翌朝だけはジジよりも早く起きた。そして彼の部屋から水精の祠の鍵を持ち出し、祠の前で仮面舞踏会の二人と待ち合わせた。


 背の高い方の男はグレンに対してこんな子どもに本当に務まるのかと疑うような視線を向けてきたが、決して口には出さなかった。ジーゼルロックへ向かう途中、仮面の女が一方的にその男に話しかける様子を見て、どうやら彼はものすごく無口かあるいは口がきけないのだろうとグレンは推測した。


 びゅうびゅうと強い風が吹き荒れる崖のふもとまでやってくると、仮面の女はここで待つようにと言ってその場を離れてしまった。話をしない男の方と取り残され、グレンは少しだけ心細くなった。自分は一体こんなところで何をしているのだろう。今頃ジジが目を覚まして、祠の鍵を持ち出したことを怒っているかもしれない。


 それに……頭痛がするのだ。祠から水精の鍵と呼ばれる群青色の弓を取り出してからというものの耳鳴りが止まない。歩いている最中は気も紛れていたが、足を止めてしまうと余計に意識してしまうのか痛みが強くなった気がした。


 グレンはその場にしゃがみ込み、膝を抱えてじっと過ごすことにした。無口な男の方がこの場に残ったのはかえって都合が良かったかもしれない。どれくらい時間が経ったのだろう。強風の中で、ただじっと頭痛に耐えていたのか、それとも眠りに落ちていたのか、意識の境目が曖昧になりかけていた頃、二つの足音が聞こえてきた。




「そなたがヤオ村のグレンか?」




 低く枯れた女の声がして、グレンはハッと顔を上げた。顔に薄いヴェールをまとい、仮面舞踏会と同じような丈の長いローブを着た女が目の前に立っていた。イバラの形の金冠、その正面に刻まれたポイニクス霊山を象徴した不死鳥の紋章。グレンは慌てて立ちあがった。


「ど、どうして王家がここに……!」


 めまいがする。王女の顔に浮かべられた微笑みは少年すら惑わすほどに妖艶で、母親と同じ歳くらいだろうかという考えは瞬時にして吹き飛んだ。色白の細長い指がそっとグレンの顎に添えられる。王女の顔から目が離せない。自分の心臓の音が耳から聞こえてきそうだ。


「エルメ様、おたわむれはそれまでに」


 戻ってきて王女の後ろに控えていた仮面の女が小さな声で言う。王女エルメは「ああそうだな」と言うと、グレンから手を離す。いつの間にか呼吸を止めてしまっていたらしい。グレンは足りない分を補うかのように大きく息を吸った。


「グレン、さぁ出番だ。水精の鍵で封神殿の扉を開けなさい」


 仮面の女に肩を叩かれ、いそいそと背負ってきた弓を下ろして構える。矢は必要無い。ヤオ村の者が弦を引くと水精の力が発動し矢になる、そう言い聞かされてきた。実際に使われたところを見たことはないが、弓を手にした瞬間なんとなく「できる」という自信が湧いてきた。


 もう後は弦を引くだけなのだが……グレンは恐る恐る気になっていたことを尋ねてみた。


「あんたたちは破壊神をここに封印する気なんだろ。だけど破壊神はどこにいるんだ? 見当たらない」


 するとエルメはクックと笑い、自分が抱えているものを指差した。




「おるだろう--ここにな」




 グレンは全身の身の毛が一斉に逆立つ感覚を覚えた。エルメが抱えている布に包まれた何か--布の隙間から見える限り、それは鏡のようであった--から、おぞましい気配を感じたのだ。あまり深くは関わらないほうが良いのかもしれない。急に不安が押し寄せてきて、グレンは弦に手をかけた。早く終わらせよう。弦を引くと、言い伝えの通りに群青色の光が集まってきて矢に変化した。


 そして矢を放ち、封神殿の扉を開く。




“ついに開いてしまったのね……”




 そんな声が頭の中で響いた。グレンは周囲を見渡したが、誰も口を開いた様子はない。


“私よ、私。あなたたちが水精と呼んでいる……”


(水精様!?)


“そう。いいから早く村に戻りなさい。このままでは村人たちが危険よ”


(へ……? どういうことだよ)


“いいから早く!!”


 強い口調で言われ、グレンはびくりと肩を震わせる。何がなんだか分からないが、仮面の二人やエルメの様子を見る限りどうやらこの声は自分にしか聞こえていないらしい。水精はこの土地の守り神だ。言うことを聞いておくにこしたことはないし、何よりグレン自身、何が起こるか分からないこの場から早く離れたかった。


「あの……村に戻ってもいいですか?」


「ああ、構わぬ。どのみちそなたを封神殿まで連れて行く気は無い。ご苦労であった、グレン・アイシャ」


 エルメは柔和な笑みをたたえて言ったが、最初ほど引き込まれるような感じはしなかった。むしろグレンはそれ以上彼女に踏み込んでいく気にはなれなかった。彼女の持っている鏡が恐ろしくて、あまりじっと見ていると吸い込まれてしまうのではないかと思ったのだ。


 仮面の女は何か言いたげであったが、エルメからの承諾を得た途端、グレンは村の方角へと逃げるように走り出した。



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