mission4-20 鉄狼守護壁



 そこはまるで祭壇のようだった。凹凸おうとつのないなめらかな表面をした白い石に、通路からずっと繋がっているツタが宝玉を乗せた台座に対して血管のようにはびこっている。


「それが……あの扉を開く心臓とやらか」


 リュウが尋ねると、フロワはふっと温厚な微笑みを浮かべた。


「ええそうよ。欲しい?」


 改めて対峙すると、浅黒い肌で鎧を着る大柄な彼女は、女性とはいえリュウよりも背丈が高いくらいだった。橙色の豊富な髪が空間に吹きすさぶ風によって舞い、まるでこちらを威嚇しているかのようである。


「渡す気がないから貴様がここにいるのだろう」


 リュウがそう言うと、フロワはやれやれと大げさに肩をすくめる。


「また"貴様”ね。私はもうおばちゃんだからなんと呼んでくれても構わないけれど、坊や、念のためもう一度忠告しておくわ。若い女の子に対してはそういう言い方はダメよ? マナーを守れない男には厳しい世の中だからねぇ」


「すでにユナはんに一回怒られとるわな」


 サンド三号がぼそりと呟いたが、リュウはちっとも気にしていないようだった。体勢を低くし、両手を構え臨戦態勢に入る。


「もう一度俺と戦え、四神将フロワ」


「あらあら。坊や、この前私にあっさり飛ばされたこと、忘れちゃったのかしら?」


「あの時の貴様は俺をジーゼルロックから追い払うことが最優先だった。だからハナから俺とまともに戦う気は無かった。だが今は違う--そうだろう? 貴様から発せられている殺気はあの時とは比べものにならないからな」


 リュウがそう言うと、フロワは上体を反らしながらカッハッハと豪快に笑った。


「そうねぇ。残念ながらこの崖の中だと坊やをどこか違う場所に飛ばすわけにもいかないし……もしもこの先を進むつもりなら思う存分叩きのめしてあげようかしらね」


 フロワはパキ、と指を組んで鳴らす。高まる殺気。サンド三号はぶると身を震わせて、甲高い声で叫んだ。


「あかんて、リュウ! 一回引き返してルカたちと合流するんや!」


「そんな余裕がないからあいつらも俺を追ってこない。俺がここで四神将を一人仕留める、それが一番の近道だ」


「それができる可能性が低いから無謀やて言ってるやろ!」


「無謀……? だからこそやりがいがあるだろうが!」


 リュウは力強く踏み込むと、フロワとの間合いを一気に詰める。向かい風の強さとそのスピードに耐えきれず、それまでリュウの肩に乗っていたサンド三号は床面に放り出されてしまった。


「びえええええええ! もう知らん! リュウの阿呆あほう! 勝手にしいや!」



--ドカッ!!



 リュウの拳は、フロワの分厚い革手袋の中に吸収されていた。


「なっかなか良いパンチ持ってるじゃないの! でもそんなんじゃこの鉄狼守護壁てつろうしゅごへきは破れないよっ!」


 ぐいと身体を引っ張られる。そのことに気づいた時には既にリュウの身体の中央目がけてフロワのもう片方の拳が飛び込んできていた。間に合え--反射的に意識をそこに集中する。鬼人化で受け止めるつもりなのだ。ドゴッ! 鈍い音が響く。衝撃で胃の中のものを吐き出しそうになったが、なんとか堪えた。間一髪だった。少しでも遅れていたら--ゾクッと身震いがする。それは恐怖であり、しかし戦いの中でしか得られない快感でもあった。


 フロワは一歩退き、リュウの腹部に打ち込んだ拳をひらひらと振る。


「カッタいねぇ、坊や。そういえば鬼人族の血を引いているんだっけ? 金属板でも殴っているような感じだわ」


「ハァ……ハァ……いい加減その"坊や”ってのやめろ……俺は、リュウ・ゲンマだ」


「悪いねぇ、この歳になると人の名前をなかなか覚えらんないのよ」


「だったら--嫌でもその頭に焼きつけてやる!」


 リュウは再びフロワのふところへと飛び込んでいく。


「あーやだやだ、坊やみたいなカッタい子相手にしてたら私の手がパンパンにむくんじゃうわ。さっさとカタをつけようかしらね--」


 フロワは鎧をつなぎとめる腰のベルトに取り付けられていた革の鞭を手に取り、床面に勢いよく叩きつける。バチッという音ともに飛び散る茜色の光。湧き上がる白いもや


「いらっしゃい、”玄武”」


「リュウ、退くんや! また同じ手や!」


 サンド三号が叫ぶ。リュウは軽く舌打ちをして、「ああ分かっている!」と返すと、フロワが呼び出したものを避けるように左手に転がる。すぐに体勢を戻してそれを見上げた。この空間の天井を覆ってしまうほどの巨大な亀--岩のようにごつい甲羅に守られ、甲羅とその身の隙間から熱を帯びた白煙を噴出させるその姿は、創世神話に描かれている幻獣そのもの。


 フロワは愛おしそうに亀の首を撫でながら言った。


「どう、可愛いでしょう? 私の神石は神獣・四霊星君しれいせいくん。ここの狭さじゃ一体呼び出すのが限界だけど、坊や一人捻りつぶすには十分ね」


 呼応するように玄武がいなないた。鼓膜が裂けそうだ。鬼人族は普通の人間よりも感覚が鋭いがゆえに、強すぎる刺激は毒になる。リュウは耳を押さえたが、すでに三半規管が狂ってしまったのか足元がふらついた。その様子をフロワが見逃すはずもない。彼女は鞭でリュウのつま先を狙った。避けようとしてつまづく。地面に這いつくばる格好になったリュウの方へ、フロワは一歩一歩近づいていく。


「坊やは何のために戦うんだい?」


「何のため、だと?」


 リュウはフロワを見上げる。立ち上がろうとしたが右手を具足で踏み潰され、痛みで力が抜けてしまった。


「ぐあっ……!」


「そう、戦う理由だよ。坊やはどうも戦うこと自体が目的になってしまっている感じがしてねえ。そういう人間はもろいのさ--そう、かつてのヴァルトロのように」


「かつてのヴァルトロ?」


 リュウから離れたところで身を隠していたサンド三号は思わず尋ねる。フロワはリュウの右手の上に足を乗せたまま、ぬいぐるみに向かってニッコリと微笑んだ。


「ええそう。かつてのヴァルトロは、貧しい北国の荒くれ者が集まった、粗暴な傭兵集団に過ぎなかった。腕っぷしは各国に認められていたけど、彼らにはお金以外に戦う目的が無かったの。だから味方の陣営だろうと物資をくすね、報酬を高く出す国があれば平気で裏切り、勝利を得るためには残虐非道な行為もいとわなかった。彼らは戦うことで成し得たい夢や理想など欠片も持っちゃいなかった」


 リュウは浅く息をしながらフロワの足から逃れようともがいた。しかし彼女はしっかりと押さえつけており、抜け出そうにも甲冑の鋼が皮膚に食い込んでくるだけだった。激しく動こうとするとフロワは玄武に合図を出して嘶かせた。片手の自由を奪われているせいで耳を塞ぎきれないリュウにとって、それは直に脳に響き頭をガンガンと揺らした。


 フロワはしゃがみ込み、無理やりリュウの顔を上げさせる。


「だけどね、マティス様が現れてからは変わったんだよ! あのお方はとにかく強かった--力だけじゃない、その芯に掲げる理想も! 私らと同じ国のちっぽけな人間の一人だってのに、自分が世界をも支配できる可能性の持ち主だってことを信じて疑わなかったんだ! 最初はみんな馬鹿にしたさ。でも、誰もあのお方には敵わなかった。どんなに腕っ節の強い奴だって勝てなかったんだ。そしていつしかみんな惹かれていったよ。マティス様はご自分で言ったことを実現できなかったことはないのさ! しがない傭兵集団をガルダストリアの軍に引き入れさせたのも! ヴァルトロを国として成立させちまったのも! 二国大戦後の世界の覇者としてナスカ=エラに認めさせちまったのも! そして、破壊神の滅亡も--あの方ならきっと実現する」


 ギリ、と足に込める力が強まった。リュウは悲鳴こそあげなかったが、額に脂汗が浮かんでいた。潰されている右手をずっと鬼人化させている分、体力を消費し続けているのだ。ここに来るまでもずいぶん体力を使っている。このままの状態が続けば、何もできないまま限界を迎えてしまう。


「私はずっとあのお方の傍にいたからわかるんだよ。生半可な覚悟じゃ立ち向かうだけ時間の無駄。ブラック・クロス--君たちのことは悪くは思わない。でも足りないね。決定的に足りないよ。マティス様の偉大な理想の前には、君たちは赤子同然だ。ここは退きなさい。その方がお互いにとって--!?」


 フロワが急に口をつぐむ。温和な表情の中に、わずかに釣り上がる眉。そして彼女は頰についた液体を拭う。リュウが唾を吐いたのだ。




「ハァ……ハァ……うるさいな……ババアの話は長いから嫌いだ」




 フロワの足に全体重が乗せられ、玄武がのっそりと近づいてきてまた大きな声で嘶いた。リュウは身を縮こめながらも、なんとか立ち上がろうとする。


「年寄りの話は最後まで聞くもんだよ。でないと君たちは後悔することになる」


 先ほどよりも声を低める彼女に対し、リュウはふっと鼻で笑って返す。


「それでも良い。戦う理由など--『俺が俺であるため』ただそれだけだ。諦めが悪いのと、強い奴をぶっ飛ばしたくなるのは性分なんでな」


 リュウは自由の利く左手でなんとか後頭部のかんざしを外し、その先端を地面に突き刺した。




「できるだけ使いたくはなかったが、致し方ない--出番だ、トール」




 瞬間、萌黄色の閃光がほとばしった。




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