mission4-17 神石の加護




 封神殿ほうしんでんの中には、外光が一切入ってこないらしい。


 入り口の扉が閉まってしまうと真っ暗闇で、目が慣れるまでは何も見えなかった。ルカたちは一列になって壁伝いに進む。通路は両手を伸ばせば届くほどの道幅で、しばらく一本道で続いているようだ。


 入り口の扉が見えなくなるまで進むと、壁面にぼんやりと松明たいまつのような明かりが見えた。グレンはそれに近づいてふっと息を吹きかける。光は少し揺らいだが、消えることはない。


洞穴どうけつホタルだ。呪術式で縛られて明かりの代わりになってるみたいだな」


 ユナも近づいて見てみた。確かにそれは松明の光ではなく、小さな黒い虫が集まって発光しているようだった。その虫たちは壁面に描かれている何かの記号の上をなぞるようにして動いている。ユナはその色を見てゾッとした。一瞬血のように見えたからだ。


「ああ、紛らわしい色してるだろ。それは血じゃなくてルーフェイの呪術式を描くための塗料だ。ポイニクス霊山で採れる粘土と呪術用の薬を混ぜ合わせて作るから、赤紫色をしてることが多いんだよ」


 そう言われてユナは恐る恐る呪術式に鼻を近づけてみる。塗料からは確かに薬草のような香りがした。


「グレンは呪術を使うの?」


「いや、俺は全然。薬も毒薬ぐらいしか作れないし、神通力はあるけど呪術はからっきしダメだ」


「私と同じだね。私も神石の力を使えるようになるまでは、みんなが当たり前のように使っていたコーラントの魔法が使えなかったの」


 ユナがそう言うと、グレンはいささか驚いたようだった。


「へぇ、ユナも? だとしたらちょっと心強いな。俺の親はちゃんとした呪術師だったから、呪術が使えないってのはけっこうコンプレックスでさ」


「神石と共鳴している人間は知らず知らずのうちにその力を身にまとっているもの。その土地の眷属けんぞくたちとうまく同調できないのは、神石の力が強すぎるからよ」


 アイラが口を挟む。グレンは小さく笑った。


「そっか、そうだったんだな。もっと前から知っていれば……いや、いずれにせようちの村じゃ信じてもらえねぇか」


 話を聞いていたのか、先頭を歩くルカが一瞬立ち止まった。


「神石といえばなんだけどさ」


 そう言ってくるりと振り返る。


「なんか封神殿に入ってからずっと石が熱いんだ。力を発動してる時みたいな状態で」


 そう言ってルカは後ろにいるユナに自分のネックレスを差し出す。黒の十字の中央にはめられている紫の石に触れてみると、確かに熱を感じた。ユナは自分の腕輪の石にも触れてみる。同じだ。


「セトの石も熱くなっているみたい。こんな風になるのって、普通は戦闘の時くらいなんだけど……」


「そういうものなのか? 俺にはよく分からん」


「リュウ、あなたは滅多に神石を使わないし、かんざしにしてたらそりゃわからないわよ」


 アイラは半ば強引にリュウの後頭部に挿してあるかんざしを抜き取った。その先端にはめられている萌黄色の石に触れてみると、やはり熱を帯びているようだった。


「どうして……?」


 ユナは首をかしげる。意識を集中して、ミューズ神に理由を尋ねようとしたその時だった。




--ポフッ。




「!?」


 ユナは足元に柔らかい何かが触れる感触を覚えた。何か踏んだのかもしれない。慌てて後ずさりする。


「どうしたユナ……!?」


 彼女の足元を見て、ルカは思わず息を飲んだ。アイラたちもそこにあるものを見て驚愕する。



「人の服……!?」



 そこには二着の服が脱ぎ捨てられていた。いや、脱いだというよりも着ていた人間の体が突然消えてしまったかのような、そんな状態に近い。濃紺の軍服で、裾には黒い煤のようなものがこべりついていた。色褪せているわけではない。つい最近ここに置かれたかのようだ。


「確かこれは……ヴァルトロ兵の軍服よ。私たちより先に封神殿の中に入っていたのかもしれないわね」


 服を調べたアイラは苦い顔をして言う。服に染み付いていた臭いは、破壊の眷属のそれとまるで同じだったのだ。そして実体がすでにないということは、誰かが倒して消滅させたということを意味する。


(服があるのに人がいない……だけど破壊の眷属の消滅の跡がある……)


 ばくばくと心臓の鼓動が早まっている気がする。ユナが胸を押さえながら考えを巡らせていると、頭の中でカリオペの声が響いた。


“ユナ、あなたも感じているでしょう? この空間はひどく穢れている……普通の人間なら、少しここにいるだけで穢れに染まってしまいます。あのヤオ村の者たちのように”


 そう、さっきまで目の前で見ていた。人であった者たちが、異形の者へと姿を変えてしまう瞬間を。


「じゃ、じゃあ、この服を着ていた人たちは」


“……神石の加護を受けられる人間しか、この先は進めない。そういうことなのでしょうね”


 ぞわっと寒気が背筋を這い寄ってくるような気がして、ユナは震えを抑えるように両腕で自分の身体をぎゅっと抱き締めた。ここは外よりも気温が低くひんやりとしている。だがそう感じるのは気温のせいだけではなかったのだろう。腕輪の石に手をかざすと、そこには不安を和らげるようなじんわりとした温もりがあった。


(知らないうちに、守られていたんだ……)


 もし神石を持たずに封神殿に入っていたら自分もこうなっていたかもしれない。ユナはしゃがみ込み、二着の服に対して震える手を合わせる。


「おい、先に進むぞ。微かだが風の音と水の音が聞こえる。こっちに何かあるようだ」


 いつの間にかリュウが先頭を切って歩き出していた。ユナも立ち上がってその後を追う。軍服が落ちていた場所から少し進んだところで一本道の通路は途切れていた。代わりに彼らを待ち受けていたのは--



「な、なんだこれ!?」




 ドーム状の空間。円形の広場のようになっているその場所は、石畳の床も、天井も、壁面もびっしりと赤紫の塗料の文字で埋め尽くされていた。


「これはルーフェイの呪術文字……!」


 グレンが壁の側に寄ってそこに記されている文字に目を凝らす。


「……”神々はつどった。彼らは気付いてしまったのだ。自らが創りたもうた人間たちの欠陥を”」


 グレンが読み上げた言葉に、ルカたちは顔を見合わせる。それはこの世界の人間なら誰しもが知っているであろう文言だった。


「なぁ、その一節って……」


 ルカが尋ねると、グレンは振り返って頷く。




「ああ、これは創世神話の第十三章……だが俺たちがよく知っている十三章とは少し違う。おそらくハリブルが言ってた--””、だ」




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