mission4-13 急変する病



「シーシャのおっさん! ユング! キユばあさん! 頼む……! 無事なら返事してくれ……」


 しかし応える声はなく、村人の家の戸の向こうからは何も聞こえない。グレンはドンと叩くと木戸に向かってうなだれた。


「畜生……! どうしてこんな急に……昨日までは普通にしてたじゃねぇか……!」


 グレンについて村の様子を見に来たルカたちであったが、突然変わり果てた村の様子を目の当たりにし、声が枯れるほどに村人たちの名前を呼び続けるグレンに対してかける言葉を見つけられなかった。


 ユナは村を見渡す。静かすぎて気味が悪い。昨日の時点では病で無気力だったとはいえ、確かにそこに人の営みがあるということを感じられていた。ユナは民家の様子を見てハッとした。


風車かざぐるまが今日は回っていない……?)


 ヤオ村の軒先には風車がいくつも取り付けられている。昨晩グレンに聞いた話によると、この辺りではジーゼルロックから吹き込む風の強さを利用して、風車の回転エネルギーを屋内の熱機器の動力にしているらしい。しかし昨日は絶えずカラカラと音を立てていたそれが、今日は微動だにしていない。


「ねぇグレン」


「なんだよ、関係ない話は後に--」


「ジーゼルロックからの風が止むことってあるの?」


「!! まさか……」


「?」


「ハリブル!」


「はーいよっ」


 グレンが声をかけると、少し離れたところにいたハリブルが地面に落ちていた木の枝を拾い、村の中央の池に寄っていった。彼女は枝の先端を池に浸す。すると--先端からボロボロと崩れ落ち、池の澱みの中にまるで飲み込まれるようにして沈んでいった。


 少し瞳を閉じたのち、グレンは声を落として言った。


「……やっぱりな。サラスヴァティーが言うなら間違いない。村の池のけがれが強くなってる」


「どうしてそんな急に……」


「ユナ、君が気づいた通りだ。年に一度、世界中の風の流れが滞りジーゼルロックの風が弱まる時期がある。それが今。俺たちは”凪の期”と呼んでいる。ジーゼルロックの風は悪しきものを浄化する聖なる風だ。それが弱まるってことは--」


「疫病の原因……ジーゼルロックに封印された破壊神による穢れが強まるってことね」


「そうだ」


「だけど年に一度起きるなら今までだって」


 アイラの言葉の途中でグレンはぶんぶんと首を横に振った。


「確かに”凪の期”に疫病が悪化することはあった。だがこんなにひどい状態になったのは初めてだ! 村人全員が意識を失うなんてよ……! クソっ、何が起こっているんだ……!」




--グォォォォォォ!!




 突如、骨まで響くような低いうなり声が村中に響いた。普通の人間よりも感覚の鋭いリュウは反射的に身構える。




「ム、この気配……伏せろ!!」




 側にあった民家が突如として崩落したのは、リュウが伏せろと言ったのとほぼ同時のことだった。ルカはとっさに神石を発動させて近くにいたユナとグレンを瞬間移動で退避させ、リュウはアイラとハリブルの前にかばうようにして立つ。


「な、なんだよ……何なんだよこれ……!」


 崩れ落ちた家から現れたものを見て、グレンは声を震わせた。全身赤黒くただれた肌にまとわりつく木片や金属の錆屑さびくず。距離を取っていても漂ってくる腐臭と人々を絶望に陥れる重々しい咆哮。


「破壊の眷属けんぞく……!」


 ルカはネックレスに手をかざし大鎌に変化させた。野放しにしていては村人たちが危険だ。ルカはすぐさま魔物に斬りかかろうとする--しかしぐいと服の裾を後ろに引っ張られた。グレンだ。彼はガチガチと歯を鳴らしながら、突如現れた破壊の眷属の方を指差した。


「待て……あいつの首の、あの襟巻きを見ろよ……! あれはユングが亡くなった奥さんからもらってずっと大事にしてたもんだぞ……! ハハ……なんで破壊の眷属がそれを持っているんだ? ユングは? あいつどこ行ったんだ? この家はあいつの家だぞ!」


 グレンは地に手をつき、嗚咽おえつ混じる声で笑い始めた。その間にも村の至る所でうめき声が響き、民家が崩れる音がする。



(まさか……人が破壊の眷属になってしまったってこと……?)



 ユナは腕輪を円月輪に変化させいつでも応戦できる準備を整えながらも、内心動揺していた。武器を握る手に力が入らず、首筋を嫌な汗が流れていく。そして一瞬頭に浮かんでしまったあの言葉に、できることなら耳を塞ぎたかった。忘れてしまいたかった。……だが気分の不愉快さと裏腹に、かつて銀髪の女が放ったその言葉は、あまりにも痛快すぎる事実だった。





--破壊神だって、神石と共鳴した人間の一人なのに--





「来るわよ!!」


 アイラが叫ぶ。破壊の眷属が牙を剥き、先頭にいたリュウに襲いかかる。彼はひるむことなく構え、鬼人族の赤い腕で魔物を取り押さえる。


「……やっていいか?」


 いつもと変わらぬ真顔で尋ねるリュウに、ユナは背筋がぞっと凍るのを感じた。しかし悟る。自分だって道中で遭遇した破壊の眷属を何度か倒してきた。もしその正体が人間だったとしたら--


「やめろ……! やめてくれ……!」


 グレンが地面を這いながらリュウの方へと向かう。しかしリュウは表情を変えない。


「ならどうする。全員破壊の眷属にやられるのを待つつもりか? 悪いが俺はそれには乗らん。貴様がそうしたければ勝手に死ね」


「ちょっとリュウ!」


「事実だろう! 現にこいつは貴様のことなどわかっちゃいない。ましてや人間だった時でさえ貴様を慕っていたかどうかは謎だがな」


 グレンは何も言わず唇を噛み締める。血がにじむくらい、強く。


 しかし何もできないのだ。それは彼にとって七年前からずっと変わらない事実だった。自分が犯してしまった罪を償うこともできず、想いは伝わらず、こうして村と死をともにすることもできない。


 グレンは知っていた。今こうして手が震えるのはリュウに言われたことが悔しいからだけではない。恐ろしいのだ。目の前に迫る死が。魔物に変貌してしまった村人たちが。我が身可愛さに震えているのだ。そんな自分が情けなくて、彼は両手で顔を覆う。




「俺は、どうして……! くそぉ……! どうして、どうしてこんなに無力なんだ……!」




 そんなことない、そう言いかけてユナは口をつぐんだ。たかが言葉じゃ慰めにはならない。自分だって無力だ。村人を元に戻すことなんてできない。やっと神器を扱えるようになっても、小さな村一つ救える力など持ってはいない。



--ブンッ!



 風を切る音がしてユナはハッとした。そう言えば先ほどまですぐ隣にいたルカがいない。するとグレンの家の方で何やら騒ぎが聞こえてきた。


「こりゃお前! 一体何をするつもりじゃ!」


 ジジの声だ。するとすぐにまたブンと音が響き、金髪の青年が姿を現した。ルカは地面に向かって俯くグレンの肩をぐいと掴む。


「おい。嘆いてないで顔上げろ」


「放っておいてくれ! お前らよそ者に何が分かる--」


「これが水精の鍵か?」


 ルカはそう言って、じゃらりと鎖の付いた鍵をグレンに見せる。グレンは目を丸くしたが、首を横に振った。


「違う……それは水精の鍵が収められてるほこらの鍵だ。だけどどうしてお前が」


「盗んできた」


「はぁ!?」


 アイラが呆れて溜息を吐く。グレンの家の方からは、突然姿を現していきなり消えたルカを探すジジの声が聞こえてきていた。


「だっておれたちは義賊だからな。それより疫病が流行ったのは破壊神が封印されてから、って言ったよな」


「ああ、そうだが……」


「なら封神殿ほうしんでんで原因をぶっ叩こう。破壊神を倒すんだよ。そしたら村の人たちも元に戻るかもしれないだろ。グレン、お前も来い」


「!? 何言って……」


 ありえない。破壊神を倒すなど、冗談にしか聞こえない。少なくともこの七年もの間、そんなことを提案してきた人間は誰もいなかった。口にするだけで馬鹿にされた。ジジには掟破りだ、無駄死ににしかならないと何度も言われた。


--だから、そんなことを自分に言ってくれる人間がいるなど、思ってもみなかった。


 グレンは周りを見渡す。アイラもリュウもユナも、皆真剣な顔つきだった。誰もルカの提案を冗談だと思っている様子はない。


「本気なのか……? 本当に、破壊神を倒すつもりなのか……?」


「ああ。倒すって言ってもどうやったらそれができるのかは分からないけどさ、おれたちの目的は元々『終焉の時代ラグナロク』を止めることなんだ。水精の鍵を使える奴がついてきてくれれば、おれたちは封神殿の中に入れる」


「ちょっと待てよ……どうしてそんな風に思えるんだよ……『終焉の時代』を止めるだって!? 相手は破壊神だぞ? 勝てる見込みなんてあるのか? だいたい世界のためにお前らが何かする義理なんてあるのかよ!」


「……ああもう、お前けっこう細かいんだな! 理由を綺麗に説明できるほど理屈っぽく生きてねぇよ! 世界が終わっちゃったら大事にしたいものが全部なくなる、それは困るからおれにできることをやろうと思ってる、ただそれだけだ」


 ルカの言葉に、グレンは押し黙る。


「だいたいさ、お前が村の人たちのためにやってきたことだって同じだろ。回りくどいやり方しやがって。どうにかしたいんならそう言えよ! おれたちが協力してやるから」


 村長代理の青年の拳がぎゅっと握られる。いつから自分の想いを素直に言えなくなってしまったんだろう。嘘ばかりついて、騙して、嫌われて……。だが本当に欲しいものなど手に入らなかった。いつの間にか遠回りしていたのだ。


 ルカがグレンに向かって手を差し伸べる。グレンはその手を取り、立ち上がった。そして、小さな声を絞り出した。




「……頼む。俺は村を救いたい。あんたたちも協力してくれ」




 ルカはにっと笑う。


「了解、任せろ! ユナ!」


「うん--」


 ユナは腕輪に手をかざしながら大きく息を吸った。



晴れて 曇るか 雨降るか

咲きて 枯れるか 種子たねなるか

うれうも笑うも一時ぞ

らばわずらうべきことか



 神器の力により、歌が村中に響き渡る。すると破壊の眷属たちの低いうなり声は次第にんで行った。リュウが抑えていた一体はがくんと力が抜けたようにこうべを垂れる。ミューズ神の一柱・ポリュムニアの力により眠ったのだ。


「そんなに長くは持たないよ。今のうちにジーゼルロックに行かないと」


「ああ、まずは祠で水精の鍵を取りに行こう」




 ルカたちは村外れの祠へ向かおうとする。しかしそれを阻むように一人立ち塞がる者がいた。ハリブルだ。


「やめといた方がいいよー。君たちは破壊神のことを何も知らない。倒すなんてできっこないよ」


 彼女の口ぶりはいつも通り軽いものだったが、その表情にはどこか緊張感が漂っている。


「そんなのやってみないと分からないだろ。近づいてみなきゃ正体はいつまで経っても掴めないし、倒すことだってできない。やる前から決めつけてちゃ何も変わらないんだ」


 ルカがそう答えると、彼女はふぅーっと息を吐いた。




「……やっぱり君はあたしの知ってるイージスの名を持つ人とは違うなぁー」




「どういうことだよ」


 ハリブルはくっくと不気味に笑い始めた。笑うたび、衣服に縫い付けられた鈴がシャランと鳴る。


「いやー残念だなぁ。君のことはタイプだった……だからこそ、あたしは更なる悲劇に向かっていく君を止めることはできないっ! さぁどうぞジーゼルロックへ! 破壊神の封印される場所へ! そこで絶望に暮れてっ! もっともっと悲劇の沼にはまっていく! ああ、そんな君を見たくなっちゃった……!」


 ハリブルは狂ったように腹を抱えて笑い続ける。もう道を塞ぐ気はなさそうだが、まるで不幸の予言をされているようでルカの足取りはとどこおる。後ろにいたアイラは彼の肩をポンと叩いた。


「ルカ。気にせず先を急ぎましょう」


「……ああ」


 ルカは苦笑いしながら頷く。そうして、グレンを加えたブラック・クロスの一行は村外れの水精の祠へと向かうのだった。






 一体の破壊の眷属が眠りから覚め始めていた。ルカたちがその場から離れてしばらく経ってもなお笑い続ける女商人の背後に忍び寄り、その腕を振り上げる--しかし、急に動けなくなった。まるで金縛りにあったかのようにピクリとも身動きができない。


 ハリブルは急に笑うのをやめた。だらりと全身の力を抜く。すると彼女の影がぬっと伸び、やがて二つの人影に分かれた。もう一つの影はハリブルの影とは異なる形を作っていって、やがて地面から抜き出て立体となった。それは髪の長い女性のようだった。ハリブルはその影に向かって膝をつき言った。


「エルメ様、ごめんなさいー。グレンが封神殿へ向かってしまいました」


 すると女の影は笑った。女性にしては低く枯れた、よく通る声であった。


『ああ、別に良い。どうせヴァルトロの者共もすでに封神殿に入ったのであろう。今更何人増えようと変わらぬ』


「そうですねー。彼らが何をしようと我々の計画に狂いはないですが、念のため後を追いますっ!」


『分かった。しかしあのオオカミ青年がジーゼルロックへ向かうとはのう』


「義賊ブラック・クロスですよっ! 奴らにそそのかされたんですっ!」


『ほう、我がルーフェイ領にまで手を伸ばしてくるとは……奴らも勘付いたのだな』


「そのようですー。ああ、あとエルメ様、もう一つ大切なご報告が」


『なんじゃ』


「ブラック・クロスの中に一人、イージスの名を持つ者がいますっ」


 しばらく女の影は何も答えなかった。怒らせただろうか、ちらりとハリブルが顔色を伺うと、影は急に笑い出した。


『そうか、か……! まさかこんな所でその名を聞くとはな……! くれぐれもその者から目を離すでないぞ。の行方を掴めるやもしれぬ。良いな--仮面舞踏会ヴェル・ムスケ・ハリブル』


「……はい、エルメ様」


 すると女の影は再び地面に溶け込み、ハリブルの影と一体になって消えた。彼女はゆるりと立ち上がると、口角を上げて怪しく微笑み、懐から陶器の仮面を取り出した。



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