mission4-2 雨止まぬ森



 ザァ----ッ……


 職人の街キッシュからアルフ大陸北西部へ抜ける街道は、とある森へと繋がっている。雨止まぬ森・ウンダトレーネ。旅人たちの荷を濡らし、歩く気力をぐ森林道である。アルフ大陸からスヴェルト大陸へ陸路で渡るにはこの森を通らざるを得ないため、多くの旅人は出費を惜しまずキッシュ港から海路で渡る。


 ルカたちのように、スヴェルト大陸との狭間の僻地が目的というのは例外中の例外なのである。




「話に聞いた通り、本当に雨が止まないんだね」


 雨音にかき消されないよう、ユナはいつもより声を張り上げて言う。ブラック・クロス本部からの支給品である分厚い防雨コートを着たルカが振り返った。


「森を抜けるまではあとちょっとだ。今日で三日目だから、あと一日歩けばってとこだな」


 ユナの後ろを歩くアイラは何も言わない。乾燥地域で生まれ育ったという彼女は、この湿度の高い気候が苦手だった。長く癖のあるえんじ色の髪はうねうねと暴れ、煙草を吸おうにもしけって火がつかなくなってしまった。彼女の神石--砂漠の神・セト--もこの雨では上手く能力を発揮できないので、今は無防備に近い。つまり、彼女のストレスは極限まで来ているのである。なんとなくそれを感じ取ったルカとユナは自分たちからアイラに話しかけることはしないようにしている。



--ゴロゴロゴロ……ピシャッ!!


 急に辺りが明るくなったかと思うと、


--ドカーーーーン!!


「ひゃっ!!」


 ユナは思わず悲鳴をあげて前方を歩くルカにしがみついた。


「なななななに今の……!?」


「ははは。大丈夫、雷だよ。もしかしてユナ、雷見るの初めて?」


 ユナはこくこくと頷く。よほど怖かったのか、顔色が少し青ざめている。


「むしろ何でルカ平気なの!? コーラントでは雷なんて鳴らないのに--」


 言いかけてハッとする。普段何気なく接しているとつい忘れそうになる。ルカは失踪したユナの幼馴染・キーノに外見はそっくりではあるが、二人が同一人物である証拠はどこにもない。ルカには三年より前の記憶がなく、コーラントのことなど知らなくて当然なのだ。


「気にしなくていいって。おれもキーノってやつのことは知りたいからさ、少しずつ教えてよ」


「いいの?」


「ああ。もしかしたらおれの記憶の手がかりになるかもしれないし。それより大丈夫かな、これから合流するリュウの扱う神石は雷の神様なんだけど」


「大丈夫、仲間が使う力なら怖くないと思う……たぶん」


 ユナがそう言うと、ルカは満足気ににっと笑った。


「ん、何?」


「いや、仲間って言ってもらえるのがちょっと嬉しくてさ。ユナもブラック・クロスのメンバーになったんだなぁって実感が湧いたよ」


 ユナは少し照れたのか顔がほんのり赤らんだ。


「うーん、でも私はまだあんまり実感ないなぁ……神器は使えるようになったけど、二人と一緒に旅をしてるのは今までと変わらないし」


「なら一度ブラック・クロスの本部に来てみるといいかもな。あそこにはノワールやシアンもいるし、メンバーは滞在用の部屋を一つもらえるんだ。ほとんど任務で空けちゃってるけどね」


「本部かぁ……! いいなぁ、行ってみたい! どの辺りにあるの?」


 自分で言っておきながら、ルカは気まずそうにぽりぽりと頭を掻く。


「実はおれたちも場所は分からない」


「え、どういうこと?」


「ブラック・クロスの本部は動くんだ」


「動く!?」


“--さぁて、そろそろ行きますか”


「あれ、今アイラ何か言った?」


 ルカがふとアイラの方を振り返る。覇気のない顔を浮かべている彼女は首を横に振った。


「何も言ってないわよ。雨の音で空耳でも聞いたんじゃないの」


「うーん、幻聴ではなかったと思うんだけどな……」


 ルカが首をひねっていると、今度はまた別のところから声が聞こえてきた。





「おーい! 助けてくれぇぇぇぇーっ!」





 よく見ると、森林道の向こうから一人の青年が走ってくる。ダークブルーの髪にハチマキを巻いた短髪の青年だ。前開きのゆったりとした着物の中に黒い作業着を着ている。今までにあまり見たことのない服装だった。


「何かあったのかな?」


 ユナは青年の方に目を凝らす。ユナが気づくよりも先に、視力の良いアイラが言った。


「破壊の眷属けんぞく……!」


 青年がこちらへ近づいてくると、その姿はより鮮明に見えた。黒く澱んだジェル状の魔物が三体、青年を追ってきていたのだ。


「ひぃぃぃぃっ! 誰かぁぁぁぁぁ!」


 青年は涙目で必死に走っている。青年の走る速度よりも破壊の眷属のスピードのほうが速く、もう少しで追いつかれてしまいそうだ。ルカは防雨コートを脱ぎ、自身のネックレスに手をかざした。


「行くぞ、クロノス!」


 瞬間、黒の十字の形をしていたネックレスは液体のように弾け、大鎌に変化した。ユナもすかさず自らの腕輪に手をかざす。


「カリオペ、お願い!」


 ボウッ。腕輪にはめられた九つのうちの一つの石が薄桃色に光り、取り付けられた黒の十字が光をまとった円月輪へと変化する。ユナはそれを青年の方へ向かって投げ放った。


--ギュィィィィン!!


 雨の中でも速度を落とすことなく、円月輪は青年の周囲を一周した。すると、薄桃色のベールが彼の身を包む。


「!? な、なんだこれ……」


「頭下げとけよッ!」


 破壊の眷属たちがユナの作ったベールに弾かれたその隙に、ルカが瞬間移動で一気に間合いを詰めた。青年はあたふたと言われた通りに地を這い逃げる。


「この程度の相手、私は不参加で十分よね」


 天候のせいで神石の力を使えないアイラは後ろでぼそりと呟く。


「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 ルカが大鎌を思い切り振った。勢いよく魔物の身体を上下真っ二つに切り裂く。不定形の魔物だからかあまり手ごたえはなかったが、黒の澱みは雨の森の中に飛び散って消えた。


「ふぅ。なんだ、あっけなかったな」


 ルカがそう言って再び防雨コートを羽織ろうとした時、地を這っている青年がアイラの方を指差した。


「お、お姉さん、後ろに……」


「後ろ?」


「アイラ!!」


 アイラの背後にはさっきルカが蹴散らしたはずのジェル状の魔物の断片が結集して再び形を成そうとしていた。反応が遅れたアイラに、破壊の眷属が口のようなものをばかっと開けて、中から舌のようなものを出し--ベロリ。アイラの首筋を舐めた。




--その行為に、アイラの溜まりに溜まっていた苛立ちが頂点を突破したのは言うまでもなかった。




「……破壊の眷属ごときがこの私に触れようなんて……いい度胸してるじゃない、えぇ!?」




 アイラは手が汚れることもいとわず、粗相をした魔物の身体の一部をむんずと掴み、神器を発動させた。片方のピアスが黒い銃になる。アイラは舌を引っ張られて開きっぱなしになっている破壊の眷属の口の中にその銃身を突っ込むと、


「相応の罰を受けてもらうわ」


 そう言って、何発も体内に撃ち込んだ。ルカとユナはとにかく触らぬ神にたたりなしと言わんばかりに、彼女から距離を置いてその様子を見守る。体内に直接砂でできた銃弾を放たれた液状の魔物は、やがて水分を失いピキピキと固まっていく。それでもなおアイラは気が済まないのか、その形が崩れてボロボロになるまで撃ち続けた。





「ほらあんた、もう大丈夫--」




 ルカは逃げてきた青年に声をかけようとしてハッとした。彼の姿はどこにもなかった。


「!? あれ、さっきまでここに……」


「ルカ! アイラ! 大変だよ!」


 ユナの声に、さすがのアイラも銃を元のピアスに戻して振り返る。ユナは声を震わせながら、自分たちが先ほどまで歩いていた場所を指差した。




「私たちの荷物が、なくなってる……」


「は!?」


「何ですって!?」




 破壊の眷属と戦う前に置いたはずの荷物が跡形もなくなっていた。つまり、抜けるのにあと一日はかかる森の真ん中で、旅の資金や食糧が全て忽然こつぜんと消えてしまったのであった。




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