mission4-1 断崖のふもとにて




(さて、どうしたものか)



 一風変わった格好の青年が一人、腕を組んで崖のふもとの岩肌にす。つやのある黒髪は男にしてはやや長く、前髪ごと後ろでまとめてかんざしを挿している。かんざしの先端には中央に萌黄もえぎ色の石をはめた黒の十字がチェーンで取り付けられ、崖に吹きすさぶ風によって不安定に揺れる。しかし何より彼の異質さを際立たせていたのは、額にある人間らしからぬ一つの突起--ツノであった。


 しかしそんな彼のことを奇異の目で見る者はここにはいない。人里離れた断崖絶壁、常時強い風が吹き続けて立っているのすら一苦労するこの場所こそ、アルフ大陸の北西部に位置する"風のく崖・ジーゼルロック"であった。



(ノワールには待てと言われたが……何もせずあいつらを待つのも暇なものだな)



 青年はうーむとうなりながら首をひねる。



(よし、せっかくだから鍛錬でもするか。どちらがいいだろうか。このまま座り続けて精神統一をするも良し、あの崖を登ってみるも良し--)





 彼は急に立ち上がった。修行の方法が決まったからではない。気配を感じたのだ。一般人ならば近づかないであろうこの険しい場所に、自分以外の他人の気配を。しかも、その気配が明確に自分に向かってきているということを。


「あらま、気づかれちゃった? これだけ風の音でうるさければ背後まで近づけるかと思ったのにねぇ」


 青年が座っていた場所から少し離れたところに、鎧を着た浅黒い肌の大柄な女が立っていて、豪快に笑う。殺気はない。しかし青年にとってその仕草は強者の放つ余裕とも取れた。


「なんだ貴様は」


 青年は腰を低くし、相手に向かって両手を構えると低い声で尋ねる。女は彼の態度にはお構いなしにまた大きく口を開けて笑う。


「カッハッハ、女性に対して"貴様”とは失礼な子ねぇ。ま、私はおばちゃんだから気にしないけど、若い女性相手には気をつけなさいよ。私はヴァルトロ四神将のフロワ。ところで坊や、飴ちゃんいる?」


 フロワが腰につけているポーチから飴玉を取り出し、青年に向かって差し出す。しかし彼は警戒を解かないままその手を払った。小さな飴玉は風の勢いに乗ってどこかへ飛んで行ってしまった。


「見知らぬ人間に坊や呼ばわりされる筋合いはない。俺はリュウ・ゲンマだ」


「やれやれ……食べ物を粗末にする上に、ルールも守れない子は--ちゃんとお仕置きをしないとねぇ!」


 フロワがバッと手を振り上げる。すると岩陰から何匹もの獣が現れた。赤い瞳のニヴルウルフ。本来ならばアルフ大陸ではなく北の極寒の地域にしか生息しないはずの獣たちが続々と集まってきて、リュウと名乗った青年を取り囲む。リュウは表情を崩さず、獣の群れの指揮を執る四神将に向かって問う。


「ルール? なんだそれは」


「やだもー、しらばっくれる気? ここへ来る道の途中にある看板に立入禁止って書いてあったでしょ」


「知らん。俺は字が読めん!」


 彼がそう言った瞬間、一番手前にいたニヴルウルフが牙をむいて飛びかかる。リュウはその場に足をつけたまますっと重心をそらしてかわす。間髪入れずにもう一匹が向かってきた。今度は避けず、構えた拳をまっすぐ獣の腹部に叩き込んだ。


「ギャンッ!!」


 鳴き声とともに、人間と同じくらいの体重はあるはずのニヴルウルフの体がフロワのいる辺りまで飛んで行った。彼女はヒュウと口笛を吹く。


「あーら、少しはやるようねぇ!」


 リュウは言葉で返さず、チッチッと人差し指で挑発した。それに乗るかのように、獣たちの群れが一斉に襲いかかる。二匹が跳躍しリュウの首筋に噛みつこうとした--が、青年は避けるどころか手前の一体に向かって腕を伸ばし、獣の前足をむんずと掴むと、そのままもう一体に向かって打ち付ける。ニヴルウルフたちは仲間がやられても怖気おじけ付かなかった。すぐさままた飛びかかってくる。標的になっている青年は獣の殺気を感じる方へと素早く構え直した。上空から攻めるものは手で打ち払いつつ、背後から迫るものには蹴りを繰り出しぎ払う。リュウははじめいた場所からはほとんど動かず、前後左右から襲い来る獣たちを一体一体確実に仕留めて行った。


「ギャウッ!」


 ニヴルウルフたちもさすがに学習したようだ。一体がリュウの鉄拳を受けて吹き飛ぶその死角から、もう一体が急に飛び出してきた。さすがのリュウも攻めには転じられず、左腕で急所をかばう。鋭い牙がその腕を捉えた--はずだった。




「ギ……ギギッ?」




 鋭利な牙がボロリと欠けて地に落ちる。牙を失ったニヴルウルフは息を荒くしながらじりじりと引き下がった。その瞳は不安げに光を揺らす。その視線の先、リュウの左腕を見たフロワは納得したように言った。





「あらま……。肌が白いから気づかなかったけど--君は、鬼人きじん族の子だねぇ」





 獣が噛みついたはずのその肌には傷一つ、血の一滴すら付いていない。代わりにリュウの腕は真紅に染まっていた。その色は鬼人族と呼ばれる異種族特有のものである。本来火山地帯に住む彼らの身体は普通の人間の何倍も頑丈に出来ており、その赤い皮膚は熱耐性があるだけでなく鉄のような硬さを持ち、刃物さえ通さないと言う。


「だけど不思議ねぇ。鬼人族は普段から全身真紅の肌をしているのに、坊やはそうじゃない。ツノも確か二本生えていると聞いたことがあるけど、坊やは一本。もしかして、ってことかしら」


 その言葉がそれまで無表情だった青年の中で何かの引き金になったのは間違いなかった。


「それが--どうした!」


 リュウの足元の岩がボコッとめり込んだ。その瞬間、一気に間合いを詰める。獣たちはスピードに反応し切れず、主人のガードに回れない。青年の肌は左腕から真紅が広まって全身を染めていく。すっかり鬼人族の姿に変化へんげした青年は、右の拳を振り上げフロワに向かって殴りかかった。しかし彼女はニコニコと微笑んだまま動じない。


「そうねぇ、鬼人族相手ならこれがいいかしら」


 そう呟いたかと思うと、フロワは腰に手を回し、鎧に取り付けられていた得物を手に取る。それは革の鞭だった。持ち手のところに茜色の小さな石が四つはめられている。


--バチッ!!


 フロワが鞭を岩肌に叩きつけると、四つの石のうちの一つが煌々と光を発した。


「……いらっしゃい、"玄武”」


「何をしようと無駄だ! 俺の力を舐めるな--!?」


 リュウの拳が四神将に届く、その直前だった。フロワが鞭で叩きつけた岩肌から半透明の何かが湧き上がる。人の体よりも大きい、それは巨大な亀のような姿をしていた。その甲羅がこちらを向いていることに気づいた時にはもう遅く、リュウの全身は勢いをつけすぎて後に退くことはできない。ええい、そのまま突き破ってやる。拳がそのもやのような幻獣の甲羅に触れた。



--ビリリリリリリリッ!!


「ぐっ……」



 拳と甲羅の間で火花が散る。前方へ放たれるはずの衝撃が自分の身体の中に逆流してくるかのようだ。右腕の神経が暴れ馬のように波打っているような感覚で、身体の内に痛みが走る。



「弾き飛ばしちゃいな!!」


 フロワがそう言うと同時に、巨大な亀--玄武はのそりと全身を縮こめたかと思うと、


「ブォォォォォォォォォ!!!!!」


 耳をつんざくいななき。甲羅とその身の隙間からブワッと白い蒸気が湧き出てくる。


「--ッ!?」


 まるで自分が与えようとした打撃が何倍にもなって跳ね返ってきたかのようだった。リュウの身体はいとも簡単に弾き飛ばされる。反撃に移ろうにも、もう一度リュウの足が地につくことはなかった。ジーゼルロックの強風にさらわれ、みるみるうちにその場から離れたところへ吹き飛ばされていく。



「じゃあね、坊や」




 フロワは遠くへ飛ばされていく鬼人族の青年に向かって、にっこりと微笑んだ。




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