ふたつめの話 帽子屋と一緒に9ページ目

「これでよしっと」

 帽子屋が望月にウサギの耳を付けて、満足げに言う。

 そこはお菓子の家のすぐ外。帽子屋は既に旅の準備を済ませており、二つのリュックが用意されている。

 望月は付けられた耳に違和感を覚えながら、怪訝そうに帽子屋を見た。

「これで、君が外の世界の人間だってことは分からなくなる。

 ほら、あの二人は耳としっぽがあったろう。この世界の人間は、皆耳としっぽがあるのさ」

「でも、帽子屋さんは耳見えないよ」

 望月が帽子屋の頭部を見る。帽子に隠れているのか、耳は見えない。

 その視線に気づいた帽子屋が、少し恥ずかしそうにする。

「あー、私は似合わないから隠してるんだよ。しっぽは見えるから外の人間に間違われることはないし。

 そうそう、自己紹介まだだったね。私は、帽子屋。で、この肩のがヤマネ。君は?」

「あっ、私は青柳 望月」

 望月の名前を聞いた瞬間、帽子屋の表情が一瞬険しくなる。

 望月はそれにびくりとし、思わず半歩後ろへ下がった。

 帽子屋が望月を安心させるため、軽く笑う。

「悪い悪い、怖がらせてしまったね」

 帽子屋は一つのリュックを背負い、もうひとつのリュックを望月に渡した。

 それを受け取った望月が思わず仰け反る。思いの他、重たかった。

「さて、あの兄妹が起きる前に行こうか」

 望月はリュックを背負い、先行する帽子屋の後を追う。

 それから二人は特に会話もなく、黙々と歩いた。

 歩いて、歩いて、歩き続けて。

 ――辛い。

 望月の歩みが遅くなっていた。帽子屋との距離もどんどん離れていく。

 望月は休みたい衝動に駆られるが、中々言いだせずにいた。

 昔学校で登山をした時、班の人達と一緒に登った。

 結局、自分が遅かったせいで友達と共に最後に登頂する羽目になり、山頂で遊ぶ時間が減ってしまった。

 誰も文句は言わなかったけれど、そうなったのは明らかに望月のせいで。

望月は、申し訳なく思っていたのを今も覚えている。

 その時みたいに迷惑をかけたくなくて、望月は言いだせずにいた。

 いつ言おう、いつ言おう。そう考えている内に、帽子屋はどんどん先に進んでしまう。

 帽子屋の姿が完全に見えなくなる。

 慌てて後を追いかけようとするが、もう走る気力はなく、歩くので精一杯。

 どうすればいいのか分からず困っていると、帽子屋が駆け足で戻ってきた。

 望月は思わずドキリとして、逃げ出したい気持ちになった。帽子屋が、少し怒っているのが見えたから。

「こう、呼びとめるとかなんとかあるだろう。こっちは、後ろみえないんだからさ」

「ごめんなさい。迷惑……掛けたくなくて」

 望月がそう言うと、帽子屋のため息が聞こえてきた。

「何も言わない方が迷惑だよ。君しか次のページへの扉開けられないんだから。

 で、歩ける?」

 帽子屋の問いに、

「少し、休みたい。ずっと歩きずめだったし」

 望月はそう素直に返した。

「分かった、お茶にしよう。次からちゃんと言ってくれよ、まったく」

 帽子屋はリュックを置いて、中から大きめの敷物を取りだす。

「そっちのリュックにコーヒーの入った水筒と菓子が入っているから、食べていいよ。

 ただ、クッキーだけは駄目だ。あれ食べると、大きくなってしまうからね。

 それは、小さくなった時だけ食べるんだ」

 望月は頷いて、リュックを開ける。

 中には、水筒一つ、お菓子の入ったタッパー二つ、スケッチブックが二冊入っていた。

 望月が思わずスケッチブックを一つ取りだす。

「帽子屋さん、これ」

「ああ、それ私の。中は多分緊急時用マニュアルのはずだよ。

 いい機会だ、ちゃんと読んでおいてくれよ。この世界じゃ何があるか分からないんだから」

 望月はそっと、スケッチブックを開いた。

 その冒頭には、

『とりあえず分からないことは、ヤマネに聞くこと。彼女は何でも知っているから。文字通り、何でも。未来だって、過去だって、彼女に分からないことはない』

 と書かれていた。

 その文から察するに、このマニュアルは、ヤマネからの情報を基に作ったらしい。

 その下には綺麗な文字で、簡潔に緊急時の対処法が書かれている。

 読んでいると自然と不安な気持ちになってきた。

 そこには、この世界のありとあらゆる危険が書かれていたのだから。

 首を狩る女王、ネズミを狩る猫、人の心を冷たくしてしまう空から降る氷。

 この先のページにあるあらゆる危険。

 あまり読みたくはなかったが、身の安全の為には読まなければならないという気持ち湧いてくる。

 ふと、スケッチブックの隅に目をやると、そこに絵が描かれていた。

 絵には、傘を持った大男とドレス姿の女性が描かれている。色鉛筆で描かれていて、優しいタッチをしている。

 絵の上には、『死んだ女王のあいうえお』というタイトルらしき文字。

 望月の手が、思わず止まる。その絵は、望月が昔好きだった絵本のものに酷似していた。

 数秒ほど絵を凝視して、望月は恐る恐る帽子屋を見た。

「帽子屋さん、この絵……」

 言葉が続かない。帽子屋が不思議そうに望月を見た。

「その絵がどうかしたのかい?」

 浅く息を吸い込んで、望月は帽子屋へと尋ねる。

「この本の世界の物が、外に出ることってあるの?」

 帽子屋が息を飲む。変な質問をしてしまったかと、望月は不安になった。

 そんな望月の思いを知ってか知らずか、帽子屋は軽く微笑みながら答える。

「外の世界の人間が、この世界の物を持って脱出すればありえるね。

 といっても、本の力ですぐ消されてしまうけど。

 なんで、そんなこと聞くんだい」

 望月は絵へと視線を落とし、愛おしそうに軽く絵を撫でた。

「私の好きな絵本の絵に似てたの。でも、違ったみたい」

「へぇ、私の絵に似た絵本か。どんな本なんだい」

 望月は、軽くあらすじを話した。

 不死の魔王は、人々を困らせていた。魔王を倒すことが出来る唯一の存在である勇者は、困ったことに剣も魔法も使えなかった。

 このまま戦えば、勇者は魔王に負けてしまう。

 そこで勇者は、高名な剣士や魔法使いに弟子入りするが、才能がなくて中々上達しない。

 しかし、何十年にも渡る修行を乗り越え、彼は強くなっていく。

 やがて魔法剣士となった勇者は、無事魔王を討伐する。

「私その絵本が好きで、いつも読んで、私も頑張ろうって気持になってたの。

 内容も一字一句覚えてる。でも、失くしちゃって、本の事調べたけど何も出てこなくて……。

 だから、帽子屋さんの絵を見た時、やっと手がかりが見つかったって思ったんだけど、違ったみたい。

 ヤマネさんなら、何か知ってるのかな?」

 望月は帽子屋の肩の上に居るヤマネを見る。ヤマネはぐっすり眠っていて、起きる気配はない。

「何でもって言っても、この世界の事だけだからね。外の世界の事はさすがにわからないと思うよ」

「そっか」

 望月は少しがっかりしつつ、スケッチブックへと視線を戻した。

 二枚目に描かれた絵を見て、望月はめくろうとしていた手を思わず止めた。

 真っ黒な人間が描かれていて、その横に『女王様アリに食べられ真っ黒だ』の文字。

 絵を良く見ると、ただ黒いだけでなく、蟻の群れが精密に描かれていた。蟻の隙間から、ドレスらしき布まで覗いている。

 望月は慌ててスケッチブックを閉じ、恐る恐る帽子屋を見た。

 帽子屋は、水筒のカップにヤマネの頭を突っ込んでいた。

「――ッ!」

 思わず、望月は帽子屋から距離をとった。

 本当は逃げだしたかったが、この場所で一人になる方がより嫌だ。

 そんな彼女に気づくことなく、帽子屋はヤマネの頭をカップから放す。

 今までずっと眠っていたヤマネはそれで目を覚まし、敷物の上に立った。

 それから、トコトコと歩いて、敷物の上に置いたタッパーからマシュマロを取り出し、食べる。

 その目はとろんとしていて、少し寝むそうだった。

 帽子屋が望月へと視線を向ける。震える望月に、帽子屋は優しく声をかける。

「ヤマネは、これくらいしないと起きないんだ」

「そ、そうなの?」

 望月は帽子屋ではなく、ヤマネに尋ねる。

 ヤマネは眠そうな顔でマシュマロを食べながら、

「そうね、人より寝起きが悪いのは認めるわ。並大抵のことでは、起きない自信があるもの」

 少し甲高い声でそう答えた。どこか得意気で、望月はなんだか力が抜けた。

 ――本人がいいなら、いいの、かな。

「さて、私もお茶にするかね」

 そう言って、帽子屋はヤマネを起こすのに使ったのとは別の水筒を取り出す。

 そして、水筒のカップに中身を入れた。色が黒いことからコーヒーらしい。

 湯気は出ておらず、すっかり温くなっているようだった。

「私の感覚だと、さっき入れたばかりなんだけどね。多分、君のも温くなっちゃってる。

 悪いね」

 帽子屋は少し寂しそうな表情しながら、ため息を吐く。

 望月は慌てて自分の水筒を取り出し、水筒のカップに中身を入れる。そして、思い切りそれを口に含む。

 味は結構しっかりしていて、温くても美味しかった。

「温くてもコーヒーはコーヒーで、美味しいよ」

 そう素直な感想を言う。望月なりのフォローだった。

「いや、別にそれはどうとも思ってないよ。でもまぁ、ありがとう」

 寂しい表情のまま、帽子屋がそう言った。望月はそれ以上なんて言えばいいのか分からなかった。

 だって、そもそもその表情が意味するものが分からないのだから。

「それより、それを読み終わったら言ってくれよ。そしたら、行くからさ」

 望月は頷いて、スケッチブックを再び読み始める。

 各ページにある女王の死亡イラストをできるだけ見ないようにしつつ、望月はじっくりと時間をかけて全て読んだ。

 その間、帽子屋とヤマネはコーヒーを飲んだり、お菓子を食べたりして過ごす。

 ようやく望月がスケッチブックを読み終えた頃には、空はオレンジ色に染まっていた。

 二人でその場を片付けて、再び歩きだす。

 歩きに歩いて再び疲れが見え始めた頃、それは目の前に現れた。

 ブーツをはいた猫が描かれた大きなドア。次のページへの入り口。

「ほら、開けて」

 帽子屋に促され、望月はドアを開けた。

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