ここのつめの話 新月と一緒に車窓から ×ページ目
五ページ目。
望月達がリュックを回収しに部屋に戻った際、フランは帽子屋から望月を取り戻そうとはしなかった。
女王が死んだことで、帽子屋に恐怖を抱いてしまったのだ。
「いいわよ。その子はあげるわ。その代わり、私の命は助けなさいよね」
それがフランの捨て台詞であり、望月が最後に聞いた彼女の言葉だった。
元のページに戻ることもできなくなったフランは、このページに住み着くことにしたらしい。
そして今は、元のページに居た頃と同じように、コンサートをおこなっている。
中々盛況のようで、歌声に交じって大きな歓声も聞こえてきていた。
その歌声が聞こえる場所、五ページ目の商店街に望月と帽子屋はやってきていた。
そこで二人は買い物をする。
帽子屋が買ったのは、百五十色もある色鉛筆とスケッチブック、それから睡眠薬だった。
帽子屋曰く、彼は最近寝つきが悪いらしい。
望月は、何も買わなかった。どうせ死ぬなら意味がないからだ。
一通りの買い物を終えると、二人は大通りに出た。
十分程して、空からシャンシャンという音が聞こえてくる。
望月がその音に顔を上げると、空に汽車が飛んでいた。それが、ゆっくりと下降してきている。
「あの電車は、ドア以外で唯一他のページを行き来できる代物なんだ。
半日もすれば表紙に着く。切符がないと乗れないけどね」
「私、切符持ってないよ? 帽子屋さんが持ってるの?」
望月がそう尋ねるとほぼ同時、車は大通に降りて望月達の前で止まった。
汽車から車掌が降りて来て、
「切符を拝見します」
感情のない声でそう言った。
「はい」
帽子屋はそう言って、左手で望月の体を抱え、右手で望月の前髪を上げた。
車掌がむき出しになった望月の額に判子を押す。
「えっ? えっと」
帽子屋は、混乱する望月の様子を面白がるように笑った。
二人は汽車に乗り、食堂へと向かう。
歩きながら、帽子屋は望月にこの汽車について説明する。
「この汽車はね、行き先を示せばなんでも切符になるんだよ。
例えば、これとかね」
そう言いながら、帽子屋は胸ポケットから赤い栞を取り出す。
それを望月へと見せた。
「これは、この世界の九ページ目に挟まっていたもので、私は偶々これを持ってこの世界に来たんだ。
私が最初に落ちたのは五ページ目だったんだけど、これが九ページに行く切符になってくれたから、私は九ページ目に行けたんだ」
「じゃあ私は、本の口に行くための切符なの?」
望月が尋ねると、帽子屋は静かに、
「そうだね」
と答えた。
食堂に着くと、望月と帽子屋は窓際の席に向かい合うように座る。
着席してから少しすると、汽車がゆっくりと走り出し浮上していった。二人は、しばらくの間車窓からの景色を楽しむ。
ゆっくりと遠のいていく五ページ目の景色。その景色がかなり遠くなると、二人はテーブルの上にあったメニューを開いた。
帽子屋はメニューを開いてヤマネを起こす。ヤマネと一緒にメニューを見ながら、テーブルの上のベルを鳴らした。すぐにウェイターがやってくる。
帽子屋はメニューを見ながら、目についたメニューを片っ端から注文していった。
望月はその光景に気圧され、茫然と見守った。
「最後の晩餐なんだ、好きな物頼みなよ」
帽子屋にそう言われ、望月はようやくメニューに目を通した。
しかし、食欲は湧かない。結局、彼女はジュースだけを頼んだ。
ヤマネは、品切れになるまでマシュマロを頼んだ。
注文を終えて、二人はメニューを閉じる。望月は、なんとなく外へと目をやった。
眼下には五ページ目の町が微かに見える。後方に目をやると、大きな城が――。
「そういえばさ」
帽子屋にそう声を掛けられて、望月は視線を帽子屋へとやった。
自分で声を掛けておきながら、帽子屋は数秒の間何を言うべきか考え込んだ。
やがて、
「どうして私の名前分かったんだい。覚えていたわけじゃないだろう」
そう尋ねた。望月は答える。
「勇者の絵本に、新月から満月へってあったでしょ。
新月のままだと人の名前にはならないから、別称の朔月、朔かなって思ったの」
望月の答えを聞いて、なるほどね、と帽子屋は頷いた。
帽子屋はしばらく考え込んだ後、静かに尋ねる。
「ねぇ――望月はさ、本当にこれで良かったのかい? お祖母さん、一人ぼっちになってしまうよ」
私が言うことじゃないけどさ、と帽子屋は付け足した。
望月は、いいの、と答える。
「おばあちゃんは、先月亡くなっちゃったから。私友達も居ないし、私が居なくなって困る人は誰もいないの」
寂しげに答えた望月に、帽子屋は複雑な表情を浮かべた。
「それは、君が知らないだけかもしれなよ。君自身も知らぬうちに、誰かが君を必要としているかもしれない」
複雑な表情のまま、帽子屋はそう言った。
そうね、とヤマネが同意する。
「少なくとも、私と帽子屋は貴方が居てくれて良かったと思っているわ」
「それは、私が居ることで帽子屋さんが外に出られるから?」
望月は、帽子屋とヤマネにそう尋ねる。ヤマネは答えようとしたが、帽子屋に睨まれたので止めた。
「ご注文の品をお持ちしました」
ウェイターがやってきて、次々に料理を並べていく。
ステーキに寿司、オムライスにハンバーグ、節操のない料理がテーブルを埋め尽くした。
一つのテーブルでは収まりきらず、隣のテーブルをくっつけて料理が並べられていく。
帽子屋はそれらを一口づつ摘まんで食べていった。その光景におなか一杯になりながら、望月はジュースを飲む。
「えっ?」
望月は強い睡魔に襲われた。先ほどまで、眠気などなかったというのに。
抵抗する間もなく、望月は眠りに付いてしまった。
「ちょっと怖いぐらいの効果だな」
望月が熟睡したのを見て、帽子屋はそう呟いた。
帽子屋は、望月のオレンジジュースにそっと睡眠薬を仕込んでいたのだ。
「よく効くのが欲しかったんでしょう」
ヤマネが淡々と言う。そうだね、と帽子屋は同意した。
ウェイターを呼んで、望月に毛布を掛けさせる。
それから、帽子屋は買ったばかりのスケッチブックと色鉛筆を持って、展望デッキに出た。
帽子屋は展望デッキの椅子に座り、時折外の景色を眺めながら、スケッチブックに絵本を描いていく。
そうしながら、5ページ目での出来事を思い出していた。
帽子屋が氷の呪縛に囚われていた頃。
氷に体を貫かれた帽子屋の意識は、完全に眠りに付いていた。
「朔さん!」
そんな帽子屋の耳に、名前を呼ぶ声が届いた。
その声で、微かに帽子屋の意識は僅かに覚醒した。けれど、酷い倦怠感がすぐに襲ってきて、再び意識は闇の中へ消えようとしていた。
「私、朔さんがあの絵本をくれたから、頑張ってこれたんだよ」
また声がした。
そういえば、少女に絵本をあげたこともあったかと帽子屋は微かに思い出した。
「あの絵本が無くなった後も、私が朔さんを忘れてしまった後も、あの絵本の内容を覚えていたから前へ進めたの。
だから私、ずっと感謝してたの」
霜月 朔が絵本を描き始めたのは、世界に自分の事を覚えていて欲しかったからだった。
いつか自分が死んで、何十年何百年と経ったら、朔の事を覚えている人間は居なくなってしまう。
それが嫌だった。世界に自分が生きた爪痕を残したいと、朔は願った。
その願いを叶える為に、絵本を描き始めた。元々絵を描くのが好きではあったし、物語を考えるのが純粋に楽しかった。
それから朔は、毎日のように絵本を描き続けた。そんな時だ、青柳 望月と出会ったのは。
自分の描いたものを純粋に喜んでくれる。それが嬉しかった。
そしてこの世界で再会した望月は、朔の事を忘れてしまっていたが、彼の分身である絵本の事だけは覚えていた。
「覚えていないけど、忘れてしまったけど、それでも貴方の手の体温や言葉や、色んな物が私に力を与えていてくれた」
きっと、そうなのだろう。
望月の中には今でも確かに、霜月 朔という人間が生き続けている。
「今だって助けてもらってる。
朔さんが、迷惑かけてもいいって言ってくれて、こんな私でもいいんだって思わせてくれて。
それが、凄く嬉しかったの。だから――」
私はもう朔ではないんだよ、と帽子屋は思った。
帽子屋は、とうの昔に朔が描いた絵本など忘れてしまった。
その心も、この本の世界によって歪められてしまった。
朔ならば、望月を殺したりはしないだろう。けれど、帽子屋は違う。
朔と帽子屋の心は、もう決定的に離れてしまっていた。帽子屋が今更元の世界へ戻ったところで、霜月 朔が戻ってきたことにはならないのだ。
「私はこのまま朔さんを失いたくなんてない!」
私もだよ、と帽子屋は心の中で答えた。
このまま望月を殺してしまえば、彼女の中に生きていた朔も死んでしまうだろう。
そうして、朔は完全に死んでしまうのだ。
もはや帽子屋の選択肢は一つしかなかった。帽子屋は選ぶ。
他でもない、自分自身の為に。
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