いつつめの話 異形の姫の7ページ目

 リンゴのドアの先。そこには、不気味な町があった。

 湾曲した家々、お辞儀するように曲がった街道の樹木。

 空には大きな目が一つあって、キョロキョロと忙しなく動いている。

 住人達は、皆体に大きな傷を持っていた。体の一部が欠落した者も多い。

 五体満足で大きな傷がない望月達は、その町では異様に浮いていた。

 その町の端にある小高い丘、そこに望月は居た。

 前のページで付いた血もそのままに、不安げに町を眺めていた。

 リュックにはヤマネが紐で吊るしてあった。

 帽子屋曰くヤマネの睡眠防止の処置であったが、望月は少しばかり申し訳なく思っていた。

 そのすぐ後ろには、氷の結晶の描かれたドアがある。それこそが、次のページへと続くドアだった。

 そんな一人と一匹の傍に、帽子屋は居なかった。

『七ページ目。

 この国の王女は自分より美しいものが大嫌い。

 自分より美しいものは壊そうとする。

 だから、王女に見つからないように気を付けながら、次のページを目指そう。

 ちなみに空にある目には、下手なごまかしは利かないよ。一気に突っ切ろう。』

 それが、スケッチブックに書かれていた注意書き。

 体に傷がある風に偽装しても空の目に見抜かれるし、さすがに自分で傷をつけるわけにもいかない。

 そうなると、逃げるしかない。

 しかし、二人で逃げたのでは足の遅い望月が枷となって、二人とも捕まってしまう。

 そこで、帽子屋は自分が囮になると言った。

 割と平均的な容姿の望月と比べれば、帽子屋はどちらかと言えばイケメンの部類には入る。

 だから、先に狙われるのは帽子屋だ。

 彼が逃げている隙に、望月が次のページのドアまで行く。帽子屋は、後から追っ手を振り切って望月の所までたどり着く。

「万一捕まっても、私は不死身だし。足には、そこそこ自信あるしね」

 望月は当然反対したが、他の方法も浮かばず、結局その案は採用された。

 そうして望月は、無事に六ページ目へと続くドアの前に立っていた。

 こうして居られるのは、帽子屋が囮になったことと、ヤマネの的確な案内のおかげなのだろう。

 帽子屋はまだ来ない。

 彼はヤマネからこの場所を聞いているので、迷うはずはない。

 望月は、心配げに帽子屋を待った。

 そうして十分程たった。ヤマネもすっかり眠ってしまい、望月は探しに行こうか考え始めていた。

 そんな時、突如頭上から声がした。

「はいはーい! 皆のアイドル、フランでーす!!」

 耳をつんざく大音量。それに続いて、町の方から喝采が上がる。

 望月は、思わず耳を塞ぐ。そのままそっと空を見上げると、空に浮かぶ目の中に一人の女性が居た。

 美しい女性だった。

 亜麻色の少し癖のある髪、灰色のきれいな瞳、赤い唇、白い肌を持つ。

 少し垂れた犬の耳が生えていて、それが愛くるしかった。

 ピンクを基調としたフリル付きの長袖のドレスを着ていて、その姿はどこかアイドルを彷彿とさせる。

 怪我でもしているのか、その顔の右半分が包帯で覆われていた。 

「さっそくですが、今日のゲストを紹介しまーす!」

 相変わらずの大音量で、フランが嬉々として言う。

 続いて目の中に映ったのは、

「帽子屋さん!」

 望月は思わず叫んだ。そこに、両手を縛られた帽子屋が居た。

 意識を失っているようで、ぐったりとしている。

「鍛冶屋、例の物を」

 フランが言うと、一人の男性が現れた。

 鍛冶屋と呼ばれた男の手に火はさみがあり、それで何かを挟んでいた。

 挟まれていたのは、熱せられた赤い鉄の靴だった。

「まさか……」

 望月は嫌な予感がした。

 その予感が当たっていることを、フランは淡々と告げる。

「はーい、皆注目! ここにあるのは熱した靴! 一度履いたら死ぬまで踊り続ける魔法の靴よ!!」

 町から再び歓声が上がる。

 大音量の歓声に耳を痛くしながら、望月は気が付くと走っていた。

「これから、彼のダンスをお見せするわね。なんと彼死ぬことがないらしいの。

 だから、皆ずっと彼のダンスを観れちゃうわね。まぁ、素敵!

 もちろん、冷めてきたら次の靴にちゃんと交換するわよ!」

 フランの笑い声と歓声。

 その中を望月は、帽子屋の居場所まで無我夢中で走る。ヤマネが、淡々とした様子で案内をした。

「来るな!!」

 突如頭上から帽子屋の声がした。

 思わず望月は足を止め、上を見上げる。いつの間にか意識を取り戻した帽子屋が、望月達を睨んでいた。

「私のことは放っておいて先に行くんだ! こんな靴履いていたって、私は君の所までたどり着くことができる!

 こいつの狙いは、君を――」

 そう叫ぶ帽子屋の姿を鍛冶屋の背が隠した。すぐに帽子屋の絶叫が聞こえてきた。

 鍛冶屋はすぐにその場を離れる。

 帽子屋が絶叫を上げながら、右往左往し、時折壁にぶつかったりしながら、出口を探していた。

 その足には、あの靴が履かされていた。

 町から歓声が上がり、フランの笑い声が聞こえてくる。

 望月はその光景から目を逸らすように俯き、必死に両耳を塞ぎながら、帽子屋の元へと走る。

 望月が走るたびにヤマネの体が大きく揺れる。時折辛そうな声を上げながら、ヤマネは望月を案内した。

 望月は無我夢中で走り、息を切らしながら、やがて町の中心にある巨大な城へと辿り着く。

 形は古風で立派なのに、ピンクに塗られた派手な城に。

 幸い、見張りの姿はない。怪しくはあったが、望月は躊躇うことなく城の中へと入っていった。


 城の中は、若い女の子の家という印象を受けた。

 家具の選択が可愛らしく、あちこちに人形やぬいぐるみもある。

 ただ、それら全てが大きく傷つけられているのが、不気味だった。

 城の作り自体は古く立派なものなので、それらはどこか噛み合っていない。

「ヤマネさん、帽子屋さんは――」

 どこにいるのと言いかけて、2階からガラスの割れる大きな音がした。

 続いて水に何か重い者が落ちる音がする。

「なっ、何?」

「帽子屋が二階から、一階のプールに落ちた音よ。

 真っ直ぐ行ったら中庭があるわ」

「水中って……」

 ぞくりと、背筋に悪寒が走る。水中では服を着た状態でも碌に動けないのに、その上鉄の靴なんて履いていたら――。

 望月は再び走り出した。すぐに観音開きのドアに突き当たる。

 ドアがするりと開く。

 足元には割れたガラスが散乱し、少し血痕も付いている。

 プールに近づくと、プールの淵を掴む二つの手が見えた。手は縄できつく縛られている。

 見えるのはそれだけで、それ以外の部分は既に水中に沈んでしまっている。

「帽子屋さん!」

 望月はその手を握り引っ張る。しかし、力が足りなくて持ち上げることができず、気を抜けば望月まで落ちてしまいそうな有様だった。

「大変そうね、助けてあげようか」

 背後から、聞き覚えのある声。それは、フランのものだった。

 恐る恐る望月は振り返る。フランは両手で大きな鏡を持っていた。

 フランの隣には、鍛冶屋も居る。

「この鏡ね、あの目が見たものを映すのよ。

 おまけに、鏡に映ったものを目に映すこともできるの。

 さっきの中継はそれを利用してたんだけど……さらに面白い効果があるのよ。知りたい?」

 鏡に、望月の姿が映る。鏡に映る望月には、ウサギの耳がなかった。

「これは、真実を映すの。これが、あなたの真の姿」

 そのウサギの耳は、望月がこの世界の人間に成りすますためのものだ。

 つまりそれがないということは、望月が外の人間だということを表していた。

 望月は思わず息を飲む。

「その男は、あなたを誘き出す為の餌にすぎない。あれよ、人質って奴。

 知ってる? 外の人間をこの本に食べさせると、本が願いを叶えてくれるって」

 フランが楽しそうに笑った。

 つまり、フランの目的は最初から望月だったのだ。

「この包帯の下ね、体腐っちゃって目も当てられないのよ。

 もしちゃんとした綺麗な体になれるなら、これ以上嬉しいことはないわ!

 私の願いを叶えてくれるなら、その男を解放してあげてもいいわよ?

 でも逃げ出したりしたら、その男をまた捕まえて死ぬまで見世物にしてやるわ。

 まぁ断っても、拘束して無理やり同行してもらうけど!

 で、どうする? 答えは簡単だと思うけど」

 悲願を前に徐々にテンションを上げていくフラン。

 望月は、帽子屋の手を見る。いつの間にかその手からは力が抜けていて、少し冷たくなっていた。

「本当に帽子屋さんを助けてくれるの?」

 フランではなく、ヤマネへと望月は訪ねた。ヤマネは、大きく頷く。

「私が居るから嘘は吐けない。だから、彼女はちゃんと帽子屋を解放するわ。

 で、どうするの?」

 このまま望月が逃げたのなら、彼は今後も死んでは蘇らされる、拷問みたいな日々を過ごすのだろう。

 逃げなかったなら、望月は本に食べられるが、帽子屋は助かる。

「今すぐ帽子屋さんを助けてください! そしたら、私はあなたの願いを叶えるから!」

 迷いはさほどなかった。

 きっと帽子屋は怒るだろう。それでもやはり、望月は自分のせいで誰かが傷つくのが嫌だった。

 それなら、自分が傷ついた方がいいと思っていた。そしたら、「他人を傷つけた自分」に嫌気がさすことだってないのだから。

 けれど本当は、そんなことより、望月は帽子屋が傷つくのが嫌だった。

「ふふ、いいわよ」

 フランは嬉しそうに小躍りすると、歌うように鍛冶屋に帽子屋を引き上げるよう命じた。

 鍛冶屋は望月の横にしゃがむと、両手で帽子屋を一気に引き上げる。

 帽子屋の体は冷え切り青ざめていて、はた目からでも生きているようには見えない。

 鉄の靴は水に冷やされ、完全に熱を失っていた。

「鍛冶屋、彼をお願い。それじゃ、一緒にランデブーと行きましょうか!」

 フランは望月にウサギの耳をつけてから、楽しそうに望月の手を引く。前のめりになりながら、望月はなんとか立ち上がり、フランに着いていく。

 プールを出る直前、望月は軽く振り返る。

 そして、

「さよなら」

 帽子屋に別れを告げた。

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