第二部第八話 好敵手と後の先
灯りを落とした第三呪術研究室のセミナー室で、
この娘は先行研究の調査や実際の実験だけじゃなくて、プレゼンも上手い。そう感じるには十分の発表だ。はたして、僕は修士の頃にここまで出来ていただろうかと考えると、結構落ち込む。
・・・逆に、なぜここまで出来て前の
「・・・このように現状では、一部の呪術コードを外部保存することまでは成功しています。ただ、複雑な
一応、呪具の開発については目処が立ってきたので、これからは後者の『素材』の問題を中心に実験していこうと思ってます。以上です。」
そういうと、僕や斉藤先生、松田先生からの質問を待つようにポインターを教卓の上に置いて、後ろで手を組む。半袖の白いブラウスにミニスカート、その上から黒のオーバースカートという普段からよくしている格好で、いつも通り胸のあたりが窮屈そうになっているのが、後ろで手を組んでいるせいで余計に強調されている。しかも、本人にはその自覚はないらしくて、僕が黎花ちゃんの方を見ている時の背中に感じる田中さんの視線が痛い。
「呪具の素材については、種村研究室の協力を得られることになっているので、ボクと朝比奈さんで22行政区に来週伺おうと思ってます。向こうで所蔵している古い文献の複写依頼も出してますし、種村研で過去にやっていた産業動物用の呪具のデータと併せて持ち帰ろうと思ってます。」
黎花ちゃんの直接の指導教官になっている斉藤先生が付け加える。
「もう来週か。しばらく会ってないけど、種村さんによろしく伝えて。・・・それじゃぁ、次は君の番だな。ジャーナルクラブ(論文紹介)も兼ねるんだっけ?」
松田先生がそう言って僕の方に視線を移す。僕は「はい」と応えて、黎花ちゃんと入れ替わりに講演台の前に立って、スライドを自分のものに切り替える。
■
もう一度灯りの落ちたセミナー室で、僕はLiliたちの開発した新しいアンチスペルの説明を始める。6文字の
「何度聞いても、落ち込むほど完成した仕事だなぁ。」
松田先生がため息と一緒に吐き出す。まだ落ち込んでいるのが目に見えてわかる。学部の頃からこの研究室にいるのに、ここまで落ち込んでいる松田先生を見るのは初めてかもしれない。もちろん、あの2年前の魔研費の不採択の報せの時も含めて。
「・・・いえ、そうでもありませんよ。」
僕が松田先生に向かってそういうと、「えっ!?」と驚いたように松田先生が聞き返す。
「彼女たちの新型アンチスペルは、『どの呪術式にも効く』を重視したことがインパクトのある結果ですけど、そのせいで逆に『汎用性がなくなる』という問題があります。」
「うん?? 回りくどい言い方をするのは、君の悪い癖だと思うけど・・・」
僕の説明に松田先生がチクリと刺す。
「うっ・・・・す、すいません。」
僕はさっきの黎花ちゃんのプレゼンを思い出して、軽くショックを受ける。
「さっきも説明したように、彼女たちの新型アンチスペルは、元の呪術式には無かった『6文字の
でも、この
(1)ドミナント・ネガティヴが100%の効率で働かないといけない、
(2)対象になる呪術式に含まれている6文字の
って制限があるんです。
特に元の呪術式がわかってないと、それに組み込む配列はわからないわけですから、まだ広く汎用されているマリスのジェネラル・アンチスペルのように『どの呪術に対してもすぐに効力を発揮する』はまず実現出来ないです。いわば、"後の先"といった感じのアンチスペルですね。それに――」
「それに?」
僕が一旦話を止めると、急かすように松田先生が促す。
「一つ目の条件もクリアされることがないってことは、僕がジェネラル・アンチスペルの研究の時に証明していますからね。
マリスのジェネラル・アンチスペルは組み込む
「あっ」松田先生と斉藤先生が声を揃えた後で、松田先生が続ける。
「・・・なるほど、確かにまだ解決するべき点は多く残されているわけか。」
「でも、さっきも言いましたけど、"後の先"というか元の呪術式がわかっている呪術については、例えドミナント・ネガティヴ自体の効率の問題が残っていても、このアンチスペルの効力は絶大だと思います。
年配の方たちのように、先の魔導大戦の呪術障害で悩んでいるようなヒトにとっては、凄く有用なものだと思います。」
僕がそう返すと、松田先生が顎をさすってから、左手で自分の手元のノートにメモを取る。
「なるほどね。その目的で応用されることを見越して、
「・・・僕もそう思って、ちょっとこの間、Lili本人にメールしてみたんです。さっきの問題点もあわせて。」
「ええっ!?」松田先生が吃驚して、椅子ごと後ろに転びそうになるところを、すんでで身体を起こす。僕はそれを見て、少しだけニヤリとして、続きを話す。
「やっぱり、彼女も僕の気づいた点はすでに把握していて、これから幾つか
あと、『あなたの論文を見て衝撃を受けたけど、新しいアンチスペルの開発は負けない』だそうですよ。」
「・・・ずいぶんと楽しそうだね。」
松田先生が少しだけ笑みを浮かべながら尋ねる。
「ええ。同年代の呪術研究者とこうやって競い合うなんて、これまでほとんどなかったですし、まぁ僕も、負けるつもりなんてないです。」
僕はまだ会ったこともない好敵手を思い浮かべながら、まずは彼女たちのアンチスペルの追試をして、そこからどういう実験を行おうと思っているかということを松田先生にプレゼンする。2年前に博士論文研究を始めた時にはなかった研究の楽しみを感じていた。
■■
「・・・それで、田中君は何でそんなに機嫌悪そうなのかな?」
学生二人と斉藤が実験室に戻ったセミナー室の片付けをしていた田中に向かって、松田が尋ねる。
「別に。機嫌ナんて悪くアりませんけど。」
(いや、明らかに機嫌悪いだろ)と、松田は思ったがあえて口にしない。すると、片付け作業をしながら「あんなに楽しそうに別の女の話するナんて」とか「同年代とかアりえナい」とかブツブツ言っているのが聞こえて、思わずプッと吹き出してしまう。
「くっ・・・君って、そんなにわかりやすい性格だったっけ? まさか、さすがにこれだけ一緒に居て、"まだ何もない"ってわけでもないんでしょ?」
松田がそう聞くと、田中は返事をする代わりに顔を真っ赤にして沈黙する。
「それなら、どっしり構えてても問題ないと思うけど。
ああ、そう言えば、蒼鷺館の女将からお誘いを受けていてね。『夏休みの予約客がキャンセルになったんでどうか』って。彼とまた行ってきたらどうだい?」
返事らしい返事もせずに、「いや、それは彼の都合も」とかゴニョゴニョとつぶやいている田中を見て、また吹き出してしまう。
田中が恥ずかしさを誤魔化すためにセミナー室のブラインドを上げる。差し込んできた夏の日差しに、肩までの長さで切り揃えるようになった田中の髪が透けて、仄かに朱く見える。
「・・・田中君、髪の色変えた?」
松田はそれに少しだけ違和感を感じて尋ねる。
「いいえ?何もしていませんけど。」
「そうか、見間違いかな。 ・・・それじゃぁ
そういうと、"何か"を思い出したようにさっきよりも一層赤い顔をして動きが止まった田中を見て、松田は耐え切れず、今度は声を出して笑う。
風通しに開けたセミナー室の窓から熱気を帯びつつも爽やかな風が吹き込む。北国である第76行政区にも本格的な夏がおとずれようとしていた。
■ 田中佳苗の「最後」まで、あと
―1年と9ヶ月
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