第15話 心の価値:暴走

「フーッ! フーッ! ユキッ……ユキチィィィ……」


「奈緒、落ち着いて! おおよそ女子高生がしちゃいけない顔面になってるから!! 」


「こうなったら……。チッ、あんまりやりたくないんだけどな」


そう言い捨てると、英司がポケットから取り出したのは古ぼけた1枚の紙。


「英司……まさか、アレをするつもり!? 」


「そのまさかさ……まあ、見ていろッ! 」


「ユキチキチキチキチッ、キチィィィィィィッ!! 」


ダメだ、危険すぎる――そう言って止めようとしたが遅かった。


見れば、白目を剥いて口からヨダレを垂れ流し奇声を発する奈緒が今まさに僕たちへ飛びかからんとするところだったのだ。


その姿はまるで亡者――いや、金の亡者。


「これでも……喰らえっ!! 」


そう叫んで英司はその紙――千円札――を奈緒に叩きつけた。


「ウガァァァァッ!?!? 」


ペチッと情けない音をたててヘナヘナと地面に落ちる千円札。


奈緒はそれを見てしまった。


「ノグチィイィィィィッ!! 」


「ダメだ! 暴走が激しくなってるよ、英司! 」


「大丈夫だ、輝。ほら、見てみろ」


そう言われて発狂した奈緒を見てみると、なんだか様子がおかしい。


「ノグチィィィィ……ノグ……ノグノグノグ……ウァァァ……」


「苦しんでいる!? 効いているのか? 」


「やっぱりコレが1番だな」


「ノグチィ……ノグノグ……ナツメエエエエエエエッ!ナツメッナツメナツメナツメッ!! ソウセキィィィッ!! 」


「よし、効いてる! 旧札だね、英司! 」


「ああ、その通りだ。野口、樋口、諭吉に囚われた奈緒には夏目が効果抜群のようだな」


「すごいっ! すごいよ英司! 」


「ウゥ……ボッチャン……」


奈緒はそう呟くとバタリと倒れ込んだ。


そして3秒後にムクリと起き上がる。


「……ハッ! アタシは一体何を……」


「よかった……いつもの奈緒だ……」


「本当に2度と勘弁して欲しいぜ……」


そんな僕たちの態度を見て、奈緒は頬を膨らませながら抗議した。


「ちょっと! 美少女にその言い草は酷くない? 」


「「美少女は万札で化け物クリーチャーになったりしない!!! 」」


「うっ……。返す言葉もございません……」


ガックリと項垂れる奈緒。


「もう高校生なんだから落ち着こう? 奈緒はやればできる子だよ! 」


「幼なじみから母親のように慰められた!? 」


「精神年齢が親子くらい離れてるから、当然っちゃ当然だな」


「何気にアンタが1番心をえぐってくるわね、英司」


「褒め言葉として受け取っておこう」


ぐぬぬ、と唸っている奈緒は置いておいて英司と話を進めることにした。


「それにしても、だいぶ汚れちゃったね……」


「なにせ久々の大捕物だったしな」


カラカラと笑いながら英司は言う。


「アタシは悪くないのよ……諭吉が、諭吉がアタシを狂わせるの……」


「まあまあ、奈緒がオカシイのはいつもの事だから」


「うっ……ぐすっ……もう勘弁してください……」


奈緒が涙目になったところで奈緒イジリも終わりにしておく。


これ以上やると奈緒がガチ泣きして、今の3倍くらい面倒なことになるので絶対に引き際を間違えてはいけないと僕は過去の経験から学んだのだ。


「でも、本当にどうしようね。はたから見たらすごい格好してるよ、僕」


綺羅星との戦いで体中泥だらけ、回復しきっていない擦り傷もそこら中にあるし、制服ははところどころ破けて、【ブリューナク】の熱に耐えきれなかったのか溶けてしまっているところまである。


その素敵なセルフダメージ仕様のファッションに奇抜すぎるアクセントを加えるのが、放課後の高校生にはまるで不釣り合いな銀色の重厚なジュラルミン製アタッシュケース。


しかも中身が現金で600万円も入っているのだから緊張とかそういうレベルを通り越してヤバい。


さて、傷だらけの高校生がアタッシュケースを抱きかかえながら周囲を警戒するように歩いていたら、それを見た一般的な人間はどういう行動を取るだろうか。


答えは『見ないふり』か『警察に通報』のどちらかだ。


心優しい人なら救急車も呼んでくれるかもしれないが、どちらにしろあまり好ましくない事態だ。


特にケースの中身は見られたら一巻の終わりだろう。


生憎と僕は警察に凄まれてウソをつけるほど強い心は持ち合わせていない。


かといって洗いざらい事情を吐いた所でそれを信じてもらえる保証はどこにもない。


それに、奈緒じゃないが僕も600万円は流石に惜しいっていうのもある。


「つっても、そのまま家に帰ってもなぁ……」


英司もいい案が浮かばないのか顔をしかめ、視線を中空にさ迷わせた。


僕の両親はいたって普通の人間である。


父は食品会社の開発部門で働いていて、母は専業主婦だ。


だからというか勿論というか、この夕方の時間帯は基本的に親が家にいる。


そこに傷だらけ泥だらけでジュラルミンケースを抱えながら帰宅したならば、逃れられない詰問を受けることは想像に難くない。


ただでさえ昨日の1億円が部屋に隠してあるんだから、これ以上リスキーな選択は避けるべきだろう。


「いっそ今日はもう家に帰りたくないよ……」


気苦労から溜息が漏れる。


すると不意にチョンチョンと肩をつつかれる感触。


振り返ると、先程まで涙目だった奈緒が何故かドヤ顔でたいして大きくもない胸を張っていた。


「……はぁ」


「ちょっと輝! 今どこ見て溜息ついたのよ! ねぇ! ねぇ!? 」


「そんな恥ずかしいこと僕の口から言わせるつもり……? 」


「ちょっと待って、その言い方だとアタシの胸があたかも恥ずかしいみたいに聞こえるでしょ!? アンタ美少女舐めてんの!? 」


「なんだ、輝がその貧相な胸見て溜息ついたってしっかりと分かってるじゃないか」


「うっさい! アンタはデリカシーってものを知らないワケ!? 」


「うわぁ、凄いブーメラン」


アボリジニーもビックリなブーメラン投げだ。


「まさか奈緒の口からデリカシーなんて単語が飛び出す日が来るとは……」


「ねぇ!? 輝はアタシをなんだと思ってるの!? というか、そもそもの原因はアンタのセクハラよ!! アタシまだ何もしてなくない? 」


「ごめん……奈緒のドヤ顔がどうしてもウザくて……」


「う、ウザっ……あ、アンタ、この完璧美少女の奈緒ちゃんに向かって……う、う、ウザイですって!? 」


「というかそもそも、なんで僕がそのちんちくりんな胸見て溜息ついた事になってるのさ。ちょっと被害妄想激しくない? 」


「アンタの目線が胸→顔→胸の順番で移動したからだろうがぁぁぁ!!! 」


ムキーッと暴れだした奈緒を英司が後ろから羽交い締めにして抑える。


やれやれ、もう高校生なんだから奈緒ももう少し落ち着きを持って欲しいものだ。


「どうどう、落ち着け落ち着け」


「離して英司ッ!!輝が殴れないわっ! 」


「いや、殴んなよ……。ほら、輝も謝っとけ」


「そんな投げやりな謝罪でアタシが許すとでも思ってるワケ!? アタシはそんな安い女じゃ――」


「ごめんごめん、あんまりにも奈緒が可愛いから意地悪したくなっちゃったんだよ。ほら、帰りにハーゲン奢るから、ね?」


「――ないけど今回は特別に許してあげないこともないわ!! クッキー&クリームでよろしく!!! 」


「こんな綺麗な手の平返し見たことねぇ……。あ、俺はラムレーズンで」


「奈緒の機嫌(¥263 税抜)か……。安い女の極みだね……。じゃあ僕は無難にチョコレートブラウニーにしようかな」


「アンタたち、謝る気ないでしょ……」


高校生のお財布には厳しすぎる高級アイスのハーゲンを僕からせしめておいてなんという言い草だろうか。


そしてちゃっかり自分の分もリクエストしている英司のしたたかさには舌を巻く。


まあ、お金は沢山あるからこのくらいなら許容範囲だろう。


なんだか凄く成金になった気分だ。


いや、実際成金かもしれない、下手な大人より財力があると思うし。


神々の黄昏ラグナロク》成金……嫌だなぁ、コレ。


「まあ、それはそれとして。奈緒は何か言いたいことがあったんじゃないの? 」


「あ、そうそう。すっかり忘れてたわ」


「ものすごく脱線したな。まだ始まってすらいないのに」


「これもそれも、奈緒の小さい胸……んんっ! 癪に障るドヤ顔のせいだよ」


「隠せてないわよ! というか、どっちにしてもかなり失礼なんだけど!? アンタ相当ふてぶてしくなったわね……」


「ほら、また脱線してるよ」


「誰のせいよ、誰の!! はぁ、はぁ……ふぅ、まあいいわ。ハーゲンに免じて許してあげる、感謝しなさい! 」


奈緒の言う通り感謝しておこう……ハーゲンに。


「それはそれとして、今日はちょっと家に帰り辛いのよね? だったら……」


「だったら? 」


「久しぶりにアタシの家に泊まりに来なさいよ! 」


そう言って奈緒は得意気に、そのちいさな胸を張るのだった。

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