第14話 天使な彼女:再会

「終わったな……」


「うん……」


「昨日から色々あり過ぎなのよ、次から次へと」


去っていく綺羅星を見送り、ようやく一段落とばかりに僕達は河原に腰を下ろした。


「随分と長く感じるけど、まだ24時間も経ってないんだよね」


そう言いながら手持ち無沙汰でデバイスを弄んでみる。


「そんなこと言ったら、まだアタシたち高校入学から何日後ってレベルよ? まったく、密度が濃過ぎるわ……」


「ともあれ、これで一件落着ってとこだな」


そう言って英司がポキポキと首を鳴らしながら立ちあがった、が。


唐突に吹いたゴウッと唸るような風が背の短い草を揺らす。


「――申し訳ございませんが、あと少しばかり成すべき事が残っております」


そして背後から聞こえる抑揚のない声。


それはまだ記憶に新しい、昨晩出会ったばかりの女性のもの。


振り返ると、夕焼けに照らされたハニーブロンドの髪がふわりと揺れた。


バサリ、と背中に生えた純白の翼を器用に折りたたんで軽くお辞儀をする無表情の美人。


彼女は《神々の黄昏ラグナロク》を催す秘密結社《神話の大地アースガルズ》の使者メッセンジャー


天使さん(仮)がそこに降臨した。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


「えっと……お、お久しぶりです? 」


「私と穂崎様が再会するのは16時間37分49秒ぶりでございます。“久しぶり”という単語を使うには些か短すぎる時間かと。この場合は単純に挨拶全般を指す言葉としての“こんにちは”もしくは“どうも”を使うのが正しいと思われます」


「えぇ……」


思わず困惑の声が漏れた。


天使さん(仮)があんまりにも残念なので、こっそりと奈緒に耳打ちしてみる。


「(奈緒、この人ってこんなにヤバ目な感じだったっけ? )」


「(片鱗はあったと思うけど、ちょっと……)」


見れば英司も若干頬をひきつらせている。


この有様では僕たちの中で天使さん(仮)の評価がグングンと下がっていくのも致し方なしだ。


だが、当の本人は僕らの若干冷ややかな目つきをものともせずに、懐から懐中時計を取り出した。


それは昨晩も目にした時間を操る《神の遺物アーティファクト》、【時神の懐中時計クロノス・クロック】。


「それでは、急ではありますが《神々の黄昏ラグナロク》の事後処理を開始させていただきます」


そう告げると、なにやら【クロノス・クロック】の短針と長針をグルグルと指で回しはじめた。


そのまま現在時刻よりも3時間ほど前――僕達が河原に訪れた時刻よりも少し前――まで時計を戻すと、天使さん(仮)は《神の遺物アーティファクト》を形のいい大きな胸の前まで持ってきて、その能力を解き放った。


「巻き戻せ、全てを飲み込む時の流れを。『逆巻く時流バックストリーム』」


天使さん(仮)がこんな時でも無表情かつ抑揚のない声で言い放つと、《神の遺物アーティファクト》の懐中時計からカチッカチッと時針の動く音が聞こえ始めた。


カチッ、カチッ、カチッ、カチッカチッカチッカチッ、カチカチカチカチカチッ。


次第にその音は速くなり、【時神の懐中時計クロノス・クロック】からはバチバチと青白いプラズマのようなものが発生している。


カチカチカチカチカチ、チチチチチチチチッ。


長針も短針もデタラメに回りだし、とうとう本体の懐中時計がギチギチと軋むような音をあげはじめたその時、とうとうプラズマもどきが発散されて周囲に爆風と閃光を巻き起こした。


「うわっ!? 」


「きゃっ!? 」


「うぉっ!? 」


僕たち3人は思わず各々驚きの短い悲鳴を上げてその場にうずくまる。


そのまま数秒、ようやく周りが静かになったのを見計らって顔を上げると、そこにはいつもと変わらぬ河原があった。


そう、いつもと同じ河原が――僕と綺羅星の戦闘痕なんてまるで消えてしまった平和な風景がそこにはあったのだ。


焼け爛れた短い草は青々しく生い茂り、太陽のごとき超高温に熱せられた小石が融けたガラス質のビーム痕は綺麗さっぱり消えていた。


恐らく当たりをつけるに、【時神の懐中時計クロノス・クロック】でこの河原の時間を巻き戻したのだろう。


時間を巻き戻すなど僕らからすればまさしく神のごとき所業だが、天使さん(仮)は息一つ乱さずに平然としている。


綺羅星との戦いで多少なりとも《神の遺物アーティファクト》を使ったからこそ分かる、分かってしまう。


あれ程の能力を行使するのがどれだけ難しいか。


よしんば僕が同じことをやろうとしたら、能力を使う時に削られる生命力のようなもの――寺本くんは“MP”と呼んでいたが――を一瞬で全て刈り取られて死んでしまうだろう。


それどころか、今の僕が3人いても厳しいかもしれない。


それを使って何食わぬ顔をしている天使さん(仮)に底知れない恐ろしさを感じた。


「これにて環境の修繕は完了でございます。お疲れ様でした」


「はぁ……どうも? 」


気の抜けた返事になってしまうのも許して欲しい。


むしろこの状況で、満面の笑みを浮かべながら天使さん(仮)に『よくやってくれた! 君は有能な人だ! 』なんて言いながら握手を求めにいける人間がいたら見てみたいくらいだ。


まず間違いなく、そいつはコミニュケーションスキルがカンストしているか、キチガイ一歩手前かのどちらかだろう。


案外、綺羅星あたりならやりかねないかもとは思うが。


閑話休題。


すると、ようやく閃光から立ち直ったらしい奈緒が立ち上がって言った。


「あー眩しかった! そういえば、天使さんって2つも《神の遺物アーティファクト》を使えるのね」


「ちょっ、奈緒!? 」


「なんつー爆弾を……」


天使さん(仮)はあくまで(仮)、僕たちが勝手に呼称しているだけだ。


会うのも2度目、しかも別段親しいわけでもなく、そんな状況での天使さん呼びはかなりの失礼にあたるのではないか。


恐らく天使さん(仮)は何かしらの自衛手段を持っているだろう。


そして【時神の懐中時計クロノス・クロック】を使っても息切れひとつ無いことから考えるに、僕たちを消し飛ばすのなんてきっと造作もないことだ。


顔を引きつらせながら、ギギギと音を立てそうなほどぎこちなく、恐る恐る天使さん(仮)の顔色をうかがう。


そして僕は見てしまった。


あんなにポーカーフェイスを貫いていた天使さん(仮)が――笑っている。


笑う、といっても傍目に見れば無表情の枠に含まれてしまう程度のもの。


だが、確実に、彼女は口角を吊り上げて笑っているのだ。


通常、笑顔というのは人にプラスの感情や印象――陽気さ、親しみやすさ、快活さ等々――を与えやすい。


しかし、僕らが天使さん(仮)の顔を瞳に写した時の感情は――恐怖。


それは不良を見かけた時のような恐さではなく、三本足のニワトリを目にした時のような、ちぐはぐな事象に対する不気味な怖さ。


脳が警報を鳴らしているのか、鳥肌が止まらない。


そして薄ら笑いを湛えた天使さん(仮)は奈緒にその冷酷な視線を向けると口を開いた。


「……“天使さん”というのは私のことでしょうか? 」


「は、はひ! 」


奈緒も恐怖のあまり涙目になって声が裏返っている。


「そう……ですか……」


ニヤリ、天使さんの笑みが深くなった。


怖い。


「ひっ!? あ、あの、ごめんなさいっ、気に障ったなら謝りますからっ」


奈緒がガタガタ震えながらビビっている。


ついでに言うならばその奥では英司も震えているし、もちろん僕も震えている。


「いえ、その必要はありません。もとをただせばこちらが使者メッセンジャーとしか名乗らなかったのにも原因はあります。つけ加えるならば個体名というのは他者との判別を容易にするための記号でしかないので、その程度で気分を害することはありえません。ですが“天使さん”というのは私の個体特徴を端的に表していて非常に個体名としては優れているかと思われます。よって、個体名“天使さん”を承認することも私としてはやぶさかではありません」


天使さん(仮)は一息にそう言い切るとまた元のポーカーフェイスに戻った。


「え、えっと、つまりどういうこと? 」


「……間違ってたら申し訳ないんだが、“天使さん”って呼ばれ方が気に入ったから今後はそうやって呼んでも構わない、ってことか? 」


「……概ね間違ってはいません」


少しだけバツが悪そうに顔を背ける天使さん(仮)。


いや、(仮)はもう要らないだろう。


天使さんもなかなか可愛いところがあるじゃないか。


「そういえば天使さん、僕たちに付き合ってもらうことって何なの? 」


河原の修繕は天使さん1人で済ませることができるものだ。


わざわざ僕らを引き止めたからには他に理由がある気がする。


「そうですね。では仕事に戻らせていただきましょう」


サッと仕事モードに入る天使さん。


天使さん呼びが嬉しいのか、また少しだけ口角が上がっているが。


天使さんは背中の白翼をバサリと広げるとおもむろに空中に手をかざした。


すると地面に浮かび上がったのは最早お馴染みの魔法陣。


物体をどこからか召喚することのできるそれから、これまた見覚えのある銀のアタッシュケースが出現した。


「そのアタッシュケース、昨日の夜も見た気がするんだけど……」


「ご明察です、穂崎様。先ほどの試合に対する報酬ファイトマネーでございます」


「お金!! 諭吉が私に会いに来たのね!? 」


「ええい! 奈緒、お前は落ち着け!! 」


「……服部様は随分と金銭がお好きなのですね」


「お恥ずかしいところをお見せしてすいません……」


奈緒は1回仏門に帰依するべきだと思う。


欲の消え去ったキレイな奈緒は、それはそれで気持ち悪いかもしれないが。


英司に抑えつけられながらも虎視眈々とアタッシュケースを狙う奈緒を尻目に、天使さんに質問する。


報酬ファイトマネーってことは、《神々の黄昏ラグナロク》は戦う度にお金がもらえるんですか? 」


「その通りです。正確には、戦闘が行われた際に開催される《神話の大地アースガルズ》内での賭けトトカルチョによって発生した金額の1部が参加者に還元されることになっております」


賭けトトカルチョ……」


「チッ。金で参加者の戦闘意欲を煽って、それを肴に向こうは盛り上がってるわけか。最低なデフレスパイラルだな」


「そういえば《神話の大地アースガルズ》って《神の遺物アーティファクト》大好き集団だったわね」


「色々と思うところはあるでしょうが、これは穂崎様への正当な報酬でございます。この金に罪はございませんので、どうかお受け取りください」


そう言ってアタッシュケースをこちらに差し出してくる天使さん。


天使さんの言うことも最もだと思うし、くれるというのならば断る理由も特にない。


昨日よりはいくらか小ぶりなケースを丁重に受け取った。


だが、僕たちはアタッシュケースという時点で予想しておくべきだったのだ。


「現金600万円が入っております。ご確認ください」


「ふぁっ!? 」


「ぶふぉっ!? 」


「ユキチィィィィィ!!! 」


思わず変な声が出た。


「……本当に入ってるや。いいのかな、こんなに」


「まあ、文字通り命の値段だって考えたら、それなりにって感じじゃないか? 」


「ユキチ……ユキチィィィ……」


奈緒の目がやばいことになっている。


早くどうにかしないと……。


「これにて用件はすべて終了しました。お疲れ様でした。それでは、私はこれにて」


バサリ、天使さんは翼をはためかせる。


何故か少し焦っているようにも見えるのは気のせいだろうか。


「え!? もう行っちゃうの? 」


「申し訳ございません、他にも仕事がありますので。ではまた相見える時まで」


すると彼女は来た時と同じようにゴウっと風を巻き起こして逃げるように去っていった。


――600万円と狂気の奈緒を残して。


「ユキチィィィィィ!!! 」


「コラッ、暴れんな! 」


「ユキ、ユキチチチチッ! 」


「ダメだ、昨日の1億円よりも600万円の方が若干現実味があるせいで暴走している! 」


「こりゃあの天使さん、奈緒がめんどくさくて逃げやがったな? クソっ! 」


「僕、やっぱりあの人苦手かも……」


「ユキチィィィィィッ!!!! 」


日が沈んだ春の河原に、欲にまみれた奈緒の叫びが木霊した。

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