第21話 覚醒

 気のない静かな校舎に、魂のぶつかる音が響き渡る。


 激しい戦闘の余波が、学校を少しずつ破壊していく。全力で踏み込んだ廊下のタイルは粉々になり、吹き飛ばされた俺を受け止めた場所には亀裂が入る。


 数えきれない程の斬撃を繰り出しているにも関わらず、俺の攻撃は空を斬る。しかし、利島は少ない手数で確実に俺を追い詰めていく。


 使う体力の差は歴然。絶望的な実力差。


 だが、この戦いを始めた時点で、そんなことは分かりきっていた。この行為の意味を理解しているからこそ、俺は死に立ち向かう。


「ハアァァァァッ!」


 悲鳴を上げる身体を、叫び声一つで奮い立たせる。


 攻撃は最大の防御。こちらが攻めている間は相手は受けざるを得ない。その分時間が稼げることに気付いてからは、休む間も無く攻め続けていた。


 無理矢理攻めている間、何も考えなくて済むのも有り難かった。

 奈々やみんなの事を考えてしまえば、同時に自分の死を早めてしまうような気がした。


「まだまだいけるか? お前はノブナガの名を戴く戦士だ。ガッカリさせないでくれよ?」

「……なんだよ……急いでるんじゃ……なかったのか? 残念ながらご期待通り、まだまだいけるぜ?」


 ハッタリもいいところだ。流れる汗は滝のようで、息は喋ることすら拒否しようとしている。口の中には血の味が広がってきていた。


「安心しろ。まだ戦い始めてから五分と経っていない。赤猿を倒してもお釣りがくる時間が、まだたっぷりとある」


 ……こいつの言葉が本当かどうかなんて分からないが、一秒でも多く時間を稼がないといけないことに変わりはない。


「さあ、今まではお前のターンだったな。そろそろ交代しようじゃないか」


 守りの時の奴の雰囲気を例えるならば、巨大な城壁と言うべきか。

 たった今、意識が切り替わったのだろう。

 相手を殲滅するという闘争本能。俺の相手は人間ではなく、野生に生きる猛獣となった。


「檻なし動物園ってとこか。いいぜ。言うこと聞くように、ちゃんと調教してやるよ!」


 まさに豹変。解き放たれた獣は暴れ続ける。刀速は守りの時とは桁違いに上がり、反撃に出る余地は残してもらえなかった。

 繰り返し迫る牙を受け、次第に手の感覚すら無くなっていく。


 しかし、俺はある一つのことに気付き始めていた。

 そして、仮説を立てた。この仮説が確信に変わる時が来れば、未来に微かな光が灯る。そう感じた俺は、できる限り奴の動きを観察した。


 受け手が立ち止まるのは得策ではない。そう考えた俺は、少しでも奴との距離を取ろうと、飛んでいると錯覚するほどの高速移動を繰り返す。


 気付けば、屋上のドアが目の前にあった。ほとんど体当たりするようにドアを開ける。

 敵がすぐそばまで来ているというのに、思い出したのは三人で食べた昼飯のことだった。


 降り止まない雨、轟く雷鳴。屋上はたくさんの水溜まりで溢れんばかりとなっていた。


 雨に濡れ、重くなった上着を脱ぎ捨てる。シャツの袖を捲り上げ、もう一度気合を入れ直す。


 追いついてきた利島は、真っ暗な空を見上げている。


「雨だな」

「は? ……そうだな。雨だ」


 何を今更。


「雨は良い。特に音が良い。溜まった水に広がる波紋も、また美しい」


 奴はゆっくり目を閉じ、顔を打つ雨粒を強く感じようとしていた。


「俺はそれを、自ら創り上げる」


 ……まずい!


 奴の能力は水操術だ。雨天の屋外、そんな場所では奴の能力の強さは跳ね上がってしまう。


「北陸式水操術ーー水薔薇一式!」


 校舎の中で使った時とは比べものにならない数の棘が、奴の周りに浮かび始める。


「貫け!」

「クソッ!」


 棘の全ては防ぎきれない。致命傷になりそうなものだけを躱し、それが出来ないものは霊刀で斬り飛ばしていく。


 処理しきれなかったいくつかの雨粒が次々と身体をかすめる。シャツは斬り裂かれ、血で紅く滲んでいた。


「そろそろ諦めるか? 外に出てしまった時点で、この戦いは俺の掌の中だ」


 正直なところ、この場所に来たのは失敗だった。霊刀で棘を斬れば、奴が水に込めた魂を消し去り、ただの水滴に戻すことができる。おかげで今は凌げたが、水自体はほぼ無限にある。次の攻撃は避けられないかもしれない。


 だがもう少し。もう少しすれば完成する。

 僅かに見えた勝機。その一筋の光を掴む為の条件が足りない。成功確率など、ほぼゼロだ。偶然に偶然が重なり、その上で運命に愛されなければならない。


 それでも、やるしかないのだ。もう死ぬ覚悟は出来ているが、生き延びることができるなら、その道を選ぶ。


「そう焦るな。俺の準備ができるまで、もう少しの辛抱だ」

「そうか。しかし待っているのも退屈だ。楽しみとして、俺も一つ、上げていくとしよう」


 ……まだ本気じゃなかったか。こんな作戦を任されている以上、少将クラス、もしくはそれより上のはず。当然と言えば当然か。


 今まででも精一杯だったが、ここからはさらに、出せるもの全てを絞り出さなくてはならない。


「北陸式水操術ーー水薔薇二式!」


 すっかり満杯になり、完全に水没していた屋上の水が、奴の両手に集まっていく。


 それは次第に薔薇の蔓を形取った。意思を持つ二匹の蛇のようにうねり、奴を中心にとぐろを巻いた。


「縛れ!」


 奴の合図と同時に、蛇はとぐろを解き、俺を噛み殺さんと襲いかかる。


 狭い屋上を精一杯使い、鞭の範囲から逃れようと試みるものの、重力を無視して自由に動く軌跡を読み切ることは容易ではなかった。


 しなる鞭に打たれると肉を削がれるような感覚に見舞われるが、それはまだマシだ。


 最も怖いのは、奴の宣言通り、『縛られる』ことだ。

 身体の一箇所にでも鞭が巻きついてしまえば、俺は奴から逃れる術を失う。そうなれば一式を処理出来なくなる上、近接戦闘などほとんどままならないだろう。


 屋上から飛び降りることも考えたが、流石にこの高さでは骨折は避けられない。足を失うなんてことは絶対に許されない。


 迫り来る鞭を霊刀で凌いでも、すぐに奴の手元で再生してしまう。このまま接近出来ないようなら、勝つどころか、一方的に嬲り殺されるだけで終わるだろう。


 俺たち継魂者エターナーは、霊刀で一気に相手の魂を削ることで初めて決着をつけることが出来る。能力はそこまでの過程を作る手段にすぎない。


 だが、状況によって話は変わってくる。能力に最適化された環境下では、その力だけで一気に致命傷を与えることも可能になってしまう。そうなれば刀は用をなさなくなり、能力を使用された側はただ死を待つだけとなる。


 その経験も、全部奈々から聞いた受け売りだが。


 そろそろ力が完成する。それを活かすためにも、奴の能力はどうにかしなければならない。


 ……いや、ちょっと待て。逆だ。今の鞭の形態は、奴に接近するチャンスだ。


 鞭は基本的にしならせて使うものだ。当然先端の方が速く、威力もある。それを逆手にとる。一度接近してしまえば、鞭はむしろ邪魔になるはず。一番危険なのは接近途中で鞭に縛られることだが、それは今だって同じことだ。


 ……やるか。


 奴を真正面に見据え、姿勢を低くし、加速の貯めを作る。


「ほう? やりたいことはわかるがな。させると思うか?」


 既に奴の鞭は俺に向かって振るわれている。足に集結させた魂を一気に開放し、微かな隙間を潜り抜ける。


「さあ、そろそろ終わらせようじゃないか。流石にタイムリミットだ」


 相手にとっても、俺に逃げ続けられ、時間を稼がれるのは本意ではない。奴は最初から俺の狙いを知りつつ、わざと自分の懐に飛び込ませたはずだ。


 こちらの力に気付くことなく。


 兆しは存在した。


 初めて襲撃を受け、奈々に助けてもらった時も。


 能力判定テストでの、清水さんとの戦いの時も。


 奈々とのタイマンの時も。


 何より大きかったのは、戦場を初めて経験したあの時。

 魂の消費が大きすぎて自分が倒れたということと、後に博士から聞いた能力についての話。


 俺には、火操術以外の能力がある。

 確信を得るまでに時間がかかったが、もう理解した。これがどういう力なのかということを。


「吠え面かくなよ、利島さんとやら。いつまでも自分が上にいると思わないことだ。俺はもう逃げない。今は自分の為に、生きたいという欲望の為に、お前をぶっ飛ばす!」

「ようやくその気になったか!そうだ、己が欲望に身を任せ、相手をねじ伏せ、自分が上に立つ! 誰よりも、誰よりもだ!」


 奴は二式を解除し、霊刀を上段に構える。


 俺には構えなんてものは無い。がむしゃらに攻めるだけだ。

 そう、がむしゃらでいい。小細工をする必要はない。


 奴の魂が俺を断ち切る未来は、もう存在しない。


「ハアッ!」


 短い掛け声と共に、加速のスピードを存分に乗せた逆袈裟懸けを叩き込む。


 奴はそれを受けた後、俺を弾き飛ばしつつーー


「また蹴りを使うのか? ワンパターンだな」


 奴の身体が強張り、戦闘に一瞬の静寂が訪れた。


「ほう? 予測することを覚えたか。そういつもうまくいかないだろうが、少しは面白い!」


 残念ながら、ちょっと違うんだよ。

 予測なんて、そんな不確実なものじゃない。


 魂のぶつかり合いは激しさを増し、身体の熱は雨に打たれようと冷めることはない。それは心の内も同じだった。


「セアァァッ!」

「ヌゥッ!」


 気付かぬうちに打ち合いはヒートアップし、互いの限界を超え、霊刀の刃が交わる衝撃は、二人の間の空気を弾きだすかのようだった。


 それでも、俺の霊刀は奴には届かず、奴の霊刀もまた、俺には届かない。


 少しずつではあるが、奴が焦り始めているのが感じ取れる。

 思った以上に俺が戦えたということと、必ずやって来るタイムリミットがそうさせている。


 この様子なら、もう奈々の元に向かう時間は残されていないだろう。俺の目的は達成され、覚悟は報われたことになる。


 ならば、ここからは自分の我儘を通すために戦う。

 死を感じた時、みんなの存在が大きくなった。大切な仲間だと思い知らされた。

 照れくさくても、その気持ちをみんなに伝えたい。

 俺の力がみんなの役に立つならば、最善を尽くしたい。


「利島さんだっけ? 悪いけど、俺はあんたに負けないよ。やらなくちゃいけないことが、これから山ほどあるからさ」

「安心しろ。そんなことはすぐに忘れさせてやる」

「強がらなくてもいいよ。あんただって、そろそろ分かったんじゃないか? 俺の力がどういうものなのか」

「……未来を見通す力。お前は俺の動きの全てを読み……いや、既に視ているわけだ」


 未来か。それはあくまで結果だ。俺が視ているのは未来ではなく、奴の体内に存在する魂の動きだ。


 時折視えていたあの白いものは、そいつの体内に宿る魂だった。

 継魂者エターナーは魂を使って動いている。つまり、身体が動くより先に、使う筋肉には魂が集まっていく。

 それを察知できれば、次に相手がどんな動きをするのかが、手に取るようにわかるのだ。


「『未来視ディフィニット・アイ』。あんたの退屈しのぎにはちょうどいいんじゃないか?」


 それでも、俺の勝利はまだ遠かった。


 奴の動きが分かるのに、俺が勝利をもぎ取れない理由。


 それは、奴が単純に強いからだ。


 長年培った経験は、俺の能力程ではないが、それに近い読みを奴に与えている。

 身体の使い方も、俺より遥かに上手い。


『未来視ディフィニット・アイの力でも、俺を奴と同等にするのが精一杯だった。


 なにかきっかけが必要だ。

 奴が動揺するような、そんな何かが。


「そうだな……認めよう。今のお前は、俺と同等であると。全力を出すに値する相手だと!」


 一気に厚みを増した利島の猛攻に押され、無意識のうちに距離を取る。


 集中力を高め、能力を持続させることは想像以上に神経をすり減らし、体力を奪っていった。


 そんな苦しさから、奴との距離をとった時に安心してしまっている自分がいた。


 早く決着をつけなければ、俺の方が先に潰れてしまうかもしれない。


 しかし、もう一度奴に突撃を試みようとしたところで違和感にぶつかった。


 なぜ奴は俺が距離をとることを許したんだ?


 早期の結末は奴の望む展開のはず。霊刀を使えば、たった一太刀入るだけで事が済む以上、俺がこうして距離をとることを良しとするはずがない。


 となれば……答えは一つ。


「北陸式水操術ーー水薔薇三式!」


 能力での決着。それが奴の見ている未来ビジョン。


 俺を取り囲むように、八つの渦が水を巻き上げていく。蔓、棘、萼片、花弁。それは、大きく美しい八輪の青薔薇を創り出した。


「淡く切ない、蒼き美しさを纏いし薔薇よ。せめてその最後の時、舞い散る花弁を紅く染めたまえ!」


 少しずつ散っていく花弁は地に触れることはなく、風に吹き上げられたかの如く、上へ上へと舞っていく。


「水薔薇三式……薔薇吹雪!」


 数十枚に及ぶ蒼い刃が、死という未来とともに降り注ぐ。


 一枚一枚の斬撃を防いでも、落下する水の重量に押し潰されそうになる。


 度重なる高速移動で疲労を溜めてきた足が震える。


 残り二枚。降りしきる雨とともに落ちてくる、鋭い殺意。


 一枚目の魂を霧散させ、全身を水の重りが縛り付ける。


 今までの疲労のためか、水に包まれた一瞬のためか。張りつめていた気持ちの弛み。


 その対価は大きなものだった。


「はっ……ぐっ……あぁぁ」


 最後の一枚を凌ぐことが出来なかった。今までとは比べ物にならない、右腕の痛み。直視するのも憚られるような状態に、絶望する心をなんとか押さえつける。


「まだ甘い。次は首だ。安らかに逝くがいい、細川ケンヤ」


 止めの一撃は二度目の開花、そして散華。右腕を使えない今、それを防ぐ術はない。


 完全に終わりを迎えた、その時だった。


 屋上にそびえ立つ避雷針。落雷はそれをめがけて降り注いだ。


 視界は白く染まり、轟音と強震に包まれる。


 時間が止まったかのようだった。


 そんな中、俺は見つけた。最後の希望を。たった一粒の、落雷による小さな火花を。


 昨日教わったばかりのこの力を使わなければならないない。しかし、大丈夫だ。散々手本は見せてもらった。


 あれを繋ぐことだけが、俺の縋れる、最後の機会チャンスだ。


「燃えろ……。燃えろ!燃え上がれぇぇぇぇ!」


 小さな火花を目掛け、体に残る全てを使い切るつもりで、魂を送り込む。


 この雨の中。勝負は刹那で決まる。


「小さき焔よ、増幅せよ!我を護る衣として、その役目を果たせ!!」


 願いは叶う。燃え盛る爆炎。


 圧倒的な熱気がこの場を覆う。


 俺はその中心で炎の衣を羽織る。


「火操術ーー炎の外套フレイム・コート」


 水の花弁は、荒れ狂う炎に触れた瞬間その形を失い、白い蒸気となって消えていく。


 全ての花が枯れ果てた時、屋上は霧に包まれていた。


 俺はその中を、やつの魂を頼りに歩き出す。


「馬鹿な……! お前の能力は『未来視ディフィニット・アイ』のはずだ。その上に火操術だと……!能力を二つ持ち合わせるなど、有り得ないはずだ!」

「そう言われてもな。現にここにいるんだから、そんな思い込みは捨ててもらおう。諦めが肝心だぜ?」


 一歩、また一歩と。逸る心はその歩調を早め、気付けば全力で走り出していた。


 右腕に傷を負った際に消えてしまった霊刀を、左手で再び創り出す。


 激しい戦闘と能力の同時使用で、魂はほとんど尽きかけている。

 これが、最後の一撃。


 俺の接近を跳ねる水音で察したのか、奴も一気に加速を見せる。


 迫るは二つの銀光、そして、勝利への渇望。生存を賭けた、本能のせめぎ合い。


「ハアァァァアアッ!」


 奴の斬撃の軌道は見えている。

 今回は賭けなんかじゃなく、決められた未来ルートだ。


 俺の右腕の魂は、一瞬にして霧散した。


 残り少ない魂が更に削り取られ、視界が歪む。意識が飛び掛ける。


 意識の尻尾を必死で掴み、一歩を踏み出した。


 目の前には驚愕の表情。それが何に向けられたものかは分からないが、俺には関係のないことだ。


「ウオォォォォオッ!」


 待ち望んだ一閃は、奴の身体をすり抜ける。


 二人同時に膝をつく。勝敗など、もう分からない。


 最後に見えたのは、暗雲の中から射す、ほのかな日差しだった。

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