第15話 つかの間の……日常?
あれから一週間。
遂に至福の日がやって来た。今朝、起きてみると通信機に『着信アリ』となっていたので、眠い目を擦りながらメールを開いたところ、奈々から『今日から学校いくから、よろしくね』という文面が目に飛び込んできた。
眠気は一気に吹き飛び、この記念すべき日を最高のものとする為の、あらゆる準備を開始した。普段は寝癖など好きなようにさせてやっているが、今日ばかりは我慢してもらう。制服の埃を払い、カッターシャツにはアイロンをかけ、タンスの奥に眠っていたハンカチまで引っ張り出した。
慣れないことをすれば、当然時間がかかる。そして、準備を終えた頃。
「よし、あとは朝飯を食って……ん?」
ふと時計をみると、八時ジャスト。
「電車、ちょ、やばい!」
電車が出るまで、残り五分。これに乗り遅れると朝礼に間に合わない。今日はその朝礼が行われる月曜日なのだ。
「行ってきます!」
親はとっくに出かけているが、こう言ってしまうのは習慣だろう。
「遅刻、遅刻!」
生まれて初めての、パンを咥えての登校。朝飯を食べなければならないという思考が働いた結果、無意識のうちに、居間のテーブルの上の食パンを一枚咥えていた。
この光景。女子高校生とかなら需要もあろうが、男がこれやっても痛いだけだな。もう今更だし、知ったこっちゃないが。
ようやく見えてきた駅のホームには、既に電車が到着していた。
ここで間に合うかどうかで、今日の運勢が決まる。そんな気がする。危ういが、ちょいとスピード上げさせてもらうぜ!
人目につく場所で、全力で走ることは許されない。継魂者エターナーの事は、表の人々にバレてはならないからだ。こんな超人能力があると分かれば、世の中が混乱してしまうことは間違いない。その収拾に苦労するくらいなら、最初から知られない方がよっぽど楽だし、効率もいい。
よって、スピードの上げ加減に注意する必要があった。
少しずつ加速すると、周りの景色がスピードを上げてすれ違っていった。
さあ電車まであと五メートル……四……三……もうちょい、もうちょい!行ける!スライディング!どうだ?入ったー!ケンヤ選手今ゴールイン!
周りの人達は、駆け込み乗車ならぬスライディング乗車して来た俺を唖然として見ていた。当の俺はというと、勝利の余韻に浸っていて気付かなかったが。
少し弾んだ息を整えながら空いている席を探し、腰掛ける。
荷物は邪魔だな。膝の上にでも置いて……置いて?
「あっ」
鞄がない。
_____
結局、あの後鞄を取りに帰る羽目になり、大幅に遅刻。学校に着いたのは、朝礼が終わり、生徒達が下駄箱に群がっているところだった。
これならバレずに紛れ込めそうだ……。不幸中の幸いってやつだな。
何事もなかったかのような顔で、生徒の波を掻き分ける。ここでも力が入りすぎないように注意する必要があった。もちろん、鞄を目立たないようにするのも忘れなかった。
教室に入り、席に着く。まだ帰ってきていない生徒で空いていた席も、少しずつ埋まり始め、朝のSTショートタイムーー今日一日の予定だとか、出席を確認したりする時間だーーが始まった。となれば。
そろそろくるか……。奈々の高校デビュー!
奈々には口止めしておいたので、奈々が高校に来ることは拓也は知らないはずなのだが、今日は珍しく出席していた。
でもなぁ。多分バレてるよな。奈々が拓也に読まれないように行動できるとは思えないし。
「では、最後に、転校生を紹介します!」
来たっ!
「え、それマジ先生?」
「また随分変な時期だなぁ」
「先生!女の子?男の子?それとも男の娘こ?」
今誰か男のこって、二回言わなかったか?気の所為かな……?
「はいはい!みんな静かに!じゃあ大堀さん。お待たせ。入ってきて」
「はい!」
ここまでの流れはよくありそうな感じだな。願わくば、このまま何事もなく終わってくれることを……。
ガラガラと音を立てて横滑りしたドアからは、この一カ月でだいぶ見慣れた赤毛と、後ろでピョコピョコ跳ねるポニーテールが目立つ、爽やかな美少女が降臨した。彼女の美しさのあまり、教室内は感嘆の叫びで塗りつぶされていった。
ーー素晴らしきかな、俺の脳内補正。
「始めまして。大堀奈々と言います。訳あってこんな時期になってしまいましたが、みなさん、よろしくお願いします!」
疎らな拍手の後、用意されていた席に向かう途中ですれ違う際に、こっそりウインクしてくれたのだが、まあなんとも余裕というか、肝っ玉が違うなぁと感心してしまった。
実際のところ、こっそりどころかバレバレだったので、後で質問攻めにされるかもしれないと考え、今すぐに逃げ出したい焦燥に駆られた。それを許さないと言わんばかりにチャイムは鳴り響き、一時間目が始まった。授業中になると、背中に痛いほどの視線が集まっているのが分かった。普段の訓練で組み手などをやるときに感じる、あの気配。
そう、殺気である。
予想は的中し、一時間目が終わった後の教室では、二つの人だかりが出来ていた。
一つは当然奈々。今のところほとんどは女子で、会話の内容も当たり障りの無いものが多いようだ。奈々も常に笑顔で質問に答えている。この調子でいけば、すぐにクラスに溶け込めるだろう。
そして、もう一方だが。
こちらの雰囲気はもはや公開処刑と言わんばかりの質問攻め。今まで碌に話したこともない奴らまで押しかけて、奈々との関係について問い詰めてくるのだ。
原因はもちろんあのウインク。教室に入ってきたときに、少しでも奈々に狙いをつけていた男子からは、もう執念を感じる程だった。
一体あれはどういうことだ?お前ら知り合いなのか?まさか彼女か?いや、それはないな。俺たちが納得出来る説明を、さっさと寄越せ!
……いい加減にしてほしい。しかもなんだ?『彼女か?いや、ないな』だと?こちとらほぼ初対面くらいの気持ちだってのに、なんて失礼な奴らだ。
うんざりして、拓也に助けを求めようと後ろを見たときには、既に影も形もなかった。
俺が無理矢理巻き込もうとしているのを察知して、トンズラしやがったか。相変わらずそういうのに敏感なやろうだ。
「おい!黙ってないでなんとか言えよ!無視してないでさ!」
今の沈黙を無視していると勘違いされたようだ。機嫌が悪くなったのがよく分かる。
でもさ、本当に止めてくれよ。こんな風に囲まれたら、トラウマが蘇るじゃねぇか。ほら、ちょっと手も震えてきちゃったし。いや、冗談だよ?でも、おかしいな。足まで震えてきたような。喧嘩になれば負けるわけないのに。はは、情けねーな。
「なんだよお前?別に喧嘩しようってわけじゃないんだから、そんなにビビらなくてもいいじゃんか」
「何してるの?」
「えっ?あっ、大堀さん……」
奈々の口調が少し責めるようだったからか、取り囲んでいた男子が気まずそうに散らばっていく。ああ、救世主現る。あと少し遅かったらやばかったよ。本当に。女子達の質問タイムから抜け出して、様子を見に来てくれたのか。
「ねぇ、ケンヤ。昼休みに学校案内してくれない? 広くって迷っちゃうんだよね」
学校に来る前に見取り図くらいは確認したはずだが、忘れてしまったのだろうか。そもそも覚える気が無かったのか。誤魔化すように、たははと笑いながら頬を掻く奈々を見て、思ったことは、可愛いなぁという惚気ではなく、この場を収めてくれたことに対する、純粋な感謝の気持ちだった。……原因が奈々である事を忘れてはいなかったが。
それにしても、最近では珍しいような肉食系の奴ばかりだな。女の子一人のためにここまで執拗に成れるのか。今のも手伝って、周りの目が更に厳しくなったかもしれないが、仕方ないだろう。あいつらは、奈々の事を簡単に諦める気は無いみたいだし。次の時は、こんな風に助けてもらうんじゃなくて、自分でどうにかしなければ。囲まれてボコボコ、なんて心配はないんだから、そんなに気負わなくても大丈夫なはず。よし。
「ああ、もちろん。また後で」
昼休みになると、一息つく間もなく、奈々が俺の所にやって来た。
「早速学校案内、お願いしてもいいかな?」
「もうか? 別に構わないけど……誰かに、一緒にご飯食べようとか、誘われなかったのか? 俺は奈々が食べ終わってからでも構わないし……」
「いいのいいの!さっ、行こっ!」
やや強引気味に、教室から連れ出される。ドアに差し掛かったところで、拓也がじっとこちらを見ているのに気が付いた。こちらが気付いたのが伝わったようで、何か言いたげな表情に変わったが、すぐににこりと笑ってウインクした。
けっ!男にウインクされても嬉しくねぇっての。むしろ寒気がするわ。
今から俺は奈々と二人きりのお楽しみタイムだ。邪魔されないといいが。
「ここは職員室。多分朝も来たんじゃないか?」
「うん。先生に挨拶に行ったりしたよ」
「じゃあ次はあっち」
淡々と南校舎、北校舎、本校舎を周り、昼休みも半分近く終わった頃。
「ここが最後、屋上だ」
「高校というと、屋上のイメージ強いよね。お昼ごはん食べたりとか!」
「確かにそうだけど、実際、屋上を開放している所の方が少ないとは思うけどな」
「そうなの?」
「俺の聞いてる話だと、旧東京都のなかでは、この学校くらいのもんだってさ」
「ふーん」
「それに屋上は風が結構強いからな。時期によっては、とても弁当なんか食べられないと思うぜ?利用する人だってあんまり多くないしな」
「なんかもったいないね」
「仕方ないさ。さ、ドア開けるぞー」
油を長い間さしていなかったせいか、大きく軋みながら開いたドアから、少し暖かくなった風が心地よく吹き込んだ。その風に乗って、満開もとうに過ぎた、枯れかけた桜の花びらが数枚、校舎の中に駆け込んで行った。
「……正直言うと、屋上に上がるのは俺も初めてなんだ。この高校に思い入れとかはまだないけど、こういう場所は記憶に残る気がする」
「そうだね。お互いに初めてなら、余計にそうかも。それにしてもどうしたの?急に青春してます感出るようなこと言い出して」
「う、うるさいな!ほっといてくれよ!」
「はいはーい」
これはあれだ。ちょっと感傷に浸ってただけだ。うん。って、そのまま言っちゃったじゃないか。俺、なんで混乱してんだろう?
「じゃあもう入るぞ〜」
「いらっしゃーい。どうして入り口でグスグズしてたんだい?」
は!この声は……。
「なんで拓也がここにいるんだよ」
気分が台無しだよ。どうしてくれるんだ。
「ほら、学校案内行くって言ってたからさ。ここで待ってれば来るかなーって思ってね。ケンヤ達が教室出て行くときに、『屋上で話そう』って言おうと思ったんだけど、あの状態でケンヤに話しかけたらこっちまで巻き込まれそうで……」
「遠慮しなくても、思いっきり巻き込んでやるよ」
「まあまあ二人とも、落ち着きなよ。そのことは私も気になってたんだよね。ケンヤどうしてあんな風に囲まれてたの?朝の一発目から、なんかやらかしちゃったとか?」
「……は? 今なんて?」
「だから!なんで囲まれてたの? 責められてる感じだったから助けに行ったんだよ?」
「……なんでだと思う?」
「え?いや、だから私が聞いてるんだけど……」
拓也が今どんな状況なのかは、ご察し願いたい。
「……ソッカー、ソウダヨネー。ジツハオレモゼンゼンミニオボエガナクテサー」
「……なんで急に片言なの?しかも感情が感じられないんだけど……」
「エー?ソンナコトナイヨー。フツーダヨー?」
ハハハハハハと機械のように笑い続けることで、何も考えずに済みますようにと、そう願った。
「おい、拓也。奈々ってこういうことに鈍感なタイプだっけ?」
「はぁ、はぁ、そんなことないよ。人並みのはず」
拓也はまだ呼吸が整わないのか、息が切れ気味になっている。どんだけ笑ったんだよ。
「じゃあなんで気づかないんだよ!」
「うーん。多分自分のことだからじゃないかな」
「はぁ?」
「ちょっと二人ともー?何こそこそ話してるの?三人でいるんだから、ちゃんと三人で話そうよ!ほらっ!」
座ってこそこそしていたところを無理矢理立たされる。
「ああ、悪い悪い。ところで奈々は昼飯どうするんだ?俺はいつも購買に行ってパンを買ってるけど。それに学校案内する前にも聞いたけど、他の女子から昼飯誘われたんじゃないか?」
「私も購買で買うつもり。経費で落とせるからお金もかからないし。お昼の件は……確かに誘われたんだけどね。なんか……こう……みんないい人なんだろうけど……」
「けど?」
「私とは、なにか合わないなって思っちゃって」
「確かに奈々は男の子みたゴファッ……何、すんだよ、拓也」
横から突然の腹パン。不意打ちは何気に辛いぞ……。
「流石にデリカシーがないなと思っただけだよ」
「そ、そーかい。悪かったよ」
「別に謝ることじゃないさ」
「二人とも何してるの?」
「話を遮って悪かったよ。気にしないで続けてくれ」
「え?うん。多分、今まであんまり歳の近い女の子が近くに居なかったのも大きいんだけど、毎日訓練とかばっかりしてたでしょ?女の子っぽい事とか、女の子同士の暗黙のルールとかありそうで、気後れしちゃうっていうか……」
「なるほどな。確かに奈々以外に同じくらいの女の子、見たことないな。まさか一人もいないとか?」
「そんなことないよ?ほら?参謀長も私と同じくらいだし」
「参謀長?」
「まだ知らなかったっけ?うちのエリアのリーダーだよ。事務室の奥の部屋に、作戦会議室っていうのがあってね。そこで仕事をしてるの」
「上田さんはその部下で、参謀を勤めてるんだ」
「? 事務員じゃなくて?」
「兼任してるんだよ」
「へぇー。なるほどね。道理で威張ってたわけだ」
「……ねぇ。ケンヤの中の上田さんって、どんなことになってるの?」
「偉そうで嫌な奴」
「そ、そうなんだ……」
「うん」
「そ、それは置いといて!参謀長だけどさ。ほら同じクふぐぅ」
「ちょっと奈々!それ言っちゃまずいよ!」
拓也は突然奈々の口を押さえて、珍しく慌てていた。
「ふぐぅふぐ、もう!拓也なにするのさ!ビックリするじゃん!」
「忘れたの?それは秘密にしておいてくれって言われたじゃないか!」
「え?……ああ!そういえば!」
「やっぱり忘れてたんだ……怒られるのは僕なんだから、本当に頼むよ?」
「ごめんごめん。あははははー」
「いつもそう言うじゃないか……」
「一体なんの話だ?」
「き、気にしないでよケンヤ!ほら、私の勘違いだからさ!」
「そうか?言いたくないなら無理には聞かないけど……」
すごい気になる。
「話を戻そうよ。奈々がクラスの女子に馴染めないってことだったよね?」
拓也はこの話題からさっさと離れたいらしい。仕方ない。乗ってやろう。
「そうだったな。ずっと学校なんて行ってなかったわけだから、別に心配することないんじゃないか?慣れの問題だと思うけど」
「そうかなぁ」
「それに、あと二年、この学校に通うとして、俺たちとばっかり話してたら、それこそ本部で生活してるのと変わらないぞ?」
「うーん。それもそうかなぁ」
奈々の表面心理を言えば、別にどっちでもいいと思っていた。ケンヤには秘密にしているが、これはあくまでケンヤの周りを警戒する為に来ているのであって、学校にどうしても行きたかったわけではなかった。つまり、仕事の一環なのだ。
でも、どうせ行くなら楽しんだ方が得だと、心の奥では思っていた。もしかすると、久々の環境の変化にウキウキしていたのかもしれない。
「今日は初日だし、そんなに気にしなくても大丈夫だと思うけどね。ところで二人とも、お昼は食べたの?」
「あ!そういえばまだだったな……。昼休みもうすぐ終わだし……。奈々、どうする?」
「…………」
「奈々?」
「……あっ、ごめんごめん。ちょっと考え事してた」
「そ、そうか。で、どうする?昼飯」
奈々も考える時があるんだなぁ。
「今から急いで買ってきて、どっかでぱぱっと食べちゃおうよ。流石に昼ご飯抜きはキツすぎるもん」
「だな。拓也はどうする?」
「僕はもう昼ご飯食べたから。先に教室に戻ってるよ」
「オッケー。じゃあまた後でな」
「うん。後で」
フハハハ!何も知らずにこの馬鹿め。この後の教室の惨劇には、お前も付き合うことになるぜ?今のうちに幸せを噛み締めておくといい。
「じゃあ奈々、行こーぜ」
「うん。いざ昼ご飯へ!」
二人の気分は昼ご飯に向け、上向きになっていった。
購買の食品は、既に売れ切れているとも知らずに。
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