第21話 懐かしき故郷
「…………あ?」
ダイモンの冷めた視線が、俺の後頭部に突き刺さる。だが俺が生き延びるには、もはやこれしかない。全力で命乞いをするんだ。もう勝算などない。万が一も糞もない。だが、敗北イコール死ではない。現にリドットは、ダイモンの手下になることで殺されずに済んだ。かつてオルパーがこう言っていた。
──格好つけて華々しく散るなんて何の意味もねえ、馬鹿のすることだ。敵に土下座し、靴を舐め、雑草で飢えを凌ぎ、泥水で渇きを癒してでも、最後に生き残った者が真の勝者だ。
まったくもって同意見だ。死んだら終わりだ……何もかも。たとえダイモンの靴を舐めてでも、ケツを掘られてでも、ここは何としても生き延びるのだ。
「ゴ、ゴルド! あんたどういうつもり!?」
後ろからエメラの非難の声が上がる。うるさい黙れ。お前の私怨に俺を巻き込むんじゃあない。
「た……頼む、この通りだ。命だけは助けてくれ。俺達の負けだ。も、もう抵抗はしない」
「……くくく。はっはっは。面白いな、お前」
笑っている。だが、心から笑っているわけではない。全身から冷や汗が噴き出る。床に汗が滴り落ちて染みこんでいく。永遠にも思える数秒の静寂の後、ダイモンが口を開いた。
「まあ……考えてやらんでもない。抵抗も逃亡もしない奴を殺しても、面白くもなんともないからな。しかしだからといって、はいそうですかと生かして返すのも沽券に関わる。仮にも残虐非道の悪魔の王で通っているんでね。何が言いたいか分かるか?」
ダイモンが座り込み、真紅の眼で俺を覗き込んでくる。目を合わすだけで、動悸が激しくなり、更に冷や汗が出てくる。これだけで脱水症状になりそうだ。ただでは生かさんというわけか……。生かすに値する対価を出せと。それならば……。
「先に言っておくが、しもべにはならんでいいぞ。リドットと違って、お前は何の役にも立ちそうにないからな」
くっ……先に釘を刺された。考えろ……俺に何があるか。聖剣はそこに転がっている。もはやダイモンの手に渡ったも同然だから、交渉材料には使えない。そういえば、サフィアを気に入ったとか言っていたな。サフィアをこいつに差し出すか? いや、それも駄目だ。サフィアを自分の物にするのに、俺の許可など必要ない。くそっ、何かないのか! 俺に出来てこいつに出来ない事は!
「……どうやら時間の無駄だったようだな」
ダイモンが立ち上がり、俺に手をかざして魔力を溜め始めた。やばい、早くしないと。こいつは面白い物が好きだ……一発芸でもやるか? アホか、真面目に考えろ! 金、宝石、女、武器…………。俺は未だかつてないほどに頭をフル回転させ、ありとあらゆる単語を思い浮かべた。マンション、スチル町、闇市場、ターイズ、アクーアカンパニー、フローライト、クリスタ…………。
「……ク、クリスタ!」
「ん? 何だ?」
咄嗟に声に出した。それと同時に、ダイモンが手を引っ込める。これだ……ついに見つけたぞ。俺の生き残りのための唯一の道を。
「クリスタという国を知っているか?」
「無論だ。人間の世界全体で見ても最大規模の大国を、知らんはずがあるまい」
「だが、未だにそこに攻め入ることはしていない。したくても出来ないんだろう? クリスタ全体を覆う結界のせいで」
「……ああ」
「世界征服という名のゲームをクリアするのに、これほどの大国を放っておくわけにはいかないだろう。仮にクリスタ以外の国を全て滅ぼし、手中に収めたとしても、本当に征服したことにはならないはずだ」
「で、何が言いたい?」
痛いところをつかれ、ダイモンの機嫌があからさまに悪くなる。だが食いついてきた。焦るな……焦らず要点を手短に説明するのだ。
「俺なら、その結界を解除する事が出来る」
「ほう。そんな大事な結界を張っている地点は、さぞかし厳重に管理されていると思うがな。どうやって忍び込むつもりだ?」
「し、信じられないだろうが、俺はクリスタの王子だ。俺なら何食わぬ顔で侵入出来るんだ」
「王子? とてもそうは見えんな。そもそも、クリスタの王子が何故、こんな所で戦争に参加しているのだ」
俺はこれまでの経緯を簡単に説明した。それに加え、王子という事の信憑性を高めるために、王子でなければ知り得ない情報もいくつか話した。もっとも、それらの情報が真実であるという証明は出来ないが。
「仮にお前の話が本当だとして、追放された王子を歓迎してくれるわけがないだろう」
「俺には双子の弟がいる。そいつに成りすませば、クリスタのどこにだって入れる!」
「……」
ダイモンが顎に指を当てて一考している。頼む……これで駄目なら、もうどうしようもない。エメラはさっきからずっと黙っている。どう思っているのかは知らないが、このまま余計な口を挟まないでほしい。故郷や家族を売ることには何の罪悪感もない。ただ生き延びたい。こんな所で死にたくない。俺の思いはそれ一つだ。
「……ふむ、いいだろう。ひとまず信用してやる」
「ほ、本当か!?」
「だがもし、少しでも妙な動きをすれば……その先は言わなくても分かるな?」
鼓膜が凍るような冷たい声に、俺は唾をゴクリと飲み込み、何度も首を縦に振った。恐ろしい……しかし、この場は何とか凌いだ。親父……シルバ……息子の、そして兄のために、お前らには犠牲になってもらうぞ。
*
通路の窓の外から景色を望んだ。オリハルコに行く時に飛行機に乗ったが、それと同じくらいの高度だろうか。だが、今は飛行機に乗っているわけではない。未だに信じられないが、ダイモンの城が空を飛んでいるのだ。まるで気球のように、空をゆっくりと。改めてダイモンの魔力の恐ろしさを垣間見た。足音が背後から聞こえてくる。振り返ると、エメラが歩いてきていた。エメラもあれから余計な抵抗はしなかったため、幸い殺されずに済んだ。少なくとも、今は。
「サフィアが目を覚ました。あんたと話したがっている」
「……そうか。今行く」
この城は、元々オブシア大陸にあった大国の城を、ダイモンが攻め滅ぼして乗っ取った城だ。城下町は綺麗さっぱり無くなっていたが、城の中はあまり弄られていないようで、未だにベッドなどがそのままになっている部屋も多い。サフィアは個室のベッドに寝かせておいて、エメラが付き添っていたのだ。エメラと共にその部屋へ向かい、扉を開ける。すっかり錆び付いているようで、嫌な音が鳴った。サフィアがこちらに気付き、ベッドに横になったまま首をこちらに向けた。
「おはようございます、ゴルド王子」
「あ、あぁ」
いつも通りの挨拶だ。こいつは今の状況を分かっているのだろうか。俺とエメラはベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「エメラさんから経緯は聞きました。力及ばずだったそうで、無念です」
「気にするな。あんな奴に挑んだのが、そもそもの間違いだったんだ。だから俺を恨むなよエメラ」
「恨んでないわよ。確かに奴の力は想像以上だった。あんたがあそこで戦ったところで、瞬殺されておしまいよ。その後ついでにあたしも殺されてたわ」
エメラも分かっているのだろう。死んだら終わりだということが。だから、あれ以上は何も口を挟まなかった。恐らく生き延びて、再び復讐の機会を窺うつもりなんだろうが、後は勝手にやってくれ。俺はもう二度とこんな戦いには参加しないからな。まだ本調子ではなさそうなサフィアが、ゆっくりと体を起こした。
「それで王子、これからどうするんですか? 何か策でもあるんですか?」
「そんなもんあるわけないだろ。当面は奴に従い、隙を見て逃げるしかない」
「逃げるのも簡単ではないと思いますが……私も何か考えておきます。では、クリスタを乗っ取るのはもう諦めるのですね?」
「ああ、命には代えられん。俺がクリスタの結界を解除し、その隙にダイモンがクリスタに攻め入る。万が一クリスタ軍がダイモンに勝利するようなことがあれば、それが一番いいんだがな。まあ聖剣も無いことだし、有り得んことだ」
俺は腕を組み、クリスタ軍の戦力を思い返す。間違いなく一流の兵士や魔術士達が揃っている。悪魔共にも対等以上に渡り合うことが出来るだろう。しかし、ダイモンが相手では話は別だ。オルパー以上の超一流の剣士が聖剣を握って、初めてダイモンに対抗しうるのだ。奴の前では、クリスタ軍と言えど無力だ。
「それにしても……いくら自分が助かるとはいえ、何のためらいもなく、家族のいる生まれ故郷を悪魔に売るなんて、あんた凄いわ本当。いや、もちろん褒めてるわけじゃないわよ」
何とでも言え。俺を追放した国に、もはや何の愛着もないんだ。それよりも心配なのが、クリスタを無事に滅ぼした後に、ダイモンが俺達をどうするかだ。用済みになった俺達を始末する事など容易い。何とかその前に逃亡しなくては……。いや、待てよ? クリスタには結界が張られている。それなら、クリスタに侵入してそのまま中で身を隠してしまえば、奴は手を出せないじゃないか。よし、この作戦で行こう。希望が見えてきた。窓の外には、いつの間にか見覚えのある景色が広がっていた。高度も下がってきている。もうすぐクリスタに到着するようだ。俺達は立ち上がり、部屋から出た。
「うわあ!」
心臓が止まるかと思った。扉を開けると、目の前に悪魔が立っていた。それも何匹もだ。悪魔は全滅したんじゃなかったのか。俺達を攻撃してくる様子はないが……。通路の向こうから足音が聞こえてくる。すると悪魔共が道を空け、跪いた。ダイモンが歩いてきたようだ。やがて姿を現し、俺達の前で立ち止まった。
「何を驚いている? お前らが手下を全滅させてくれたから、新たに魔界から召喚しただけだが?」
「いや、別に……」
俺達の苦労も水の泡か。まあ、今更どうでもいいことだがな。どうせもう、こいつらに関わる事はないのだから。
「間もなく到着する。感づかれて警戒されても面倒だ。少し離れた所に城を着陸させる。大広間にお前らが乗ってきた車がそのままになっているから、それに乗って行ってこい」
「わ、分かった」
「おっと、その前にこいつを飲んでもらおうか」
そう言うとダイモンは、ピンク色の液体が入った小瓶を渡してきた。何だこの怪しげな液体は……。
「毒薬だ。そこのサフィアに倣って、オレも時限式の毒薬を作ってみた。五時間待ってやる。それまでに戻ってこなければ、お前は死ぬ」
「なっ……!?」
「何だその顔は? ただ行って結界を解いてくるだけだろう。戻ってくれば解毒薬を飲ませてやる。それともまさか、クリスタに籠もってそのまま逃げ出すつもりだったか?」
ダイモンが人を小馬鹿にするような笑みを浮かべた。見抜かれている……クソッタレが。やはりそう甘くはなかったか。俺は仕方なく、意を決して液体を飲み干した。味はともかく、毒薬を一気飲みしたと考えると、それだけで気分が最悪になる。
*
城のタンスには、王族や貴族が着るような服が多く吊り下げられており、その中から適当に見繕って着替えた。流石にさっきまでの服装ではボロボロ過ぎて、シルバに成りすますのは無理があるからだ。鏡の前で髪型も整え、少しでもシルバに近くした。しばらく会っていないから、髪型があの頃と変わってなければいいが……。準備を終わらせてから俺は一人で階段を下り、大広間に停まっていた軍用車に乗り込んだ。運転したことはないが、一応動かし方ぐらいは分かる。タイムリミットは五時間……急がなければ。エンジンをかけ、一気に城の外へ向かって走りだした。途中、何匹かの悪魔とすれ違い、視線が痛かったが、とりあえず外に出ることが出来た。仮釈放というのはこういう気分なんだろうな。あの禍々しいダイモンの城とは、不釣り合い過ぎる穏やかな草原で、俺は軍用車を走らせる。目の前に見えるは、懐かしき故郷。俺は今から、この生まれ故郷を滅ぼすことになるのだ。
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